1990年代、原宿を中心にブームになったファッションスタイル「デコラ」。デコラティブという由来の通り、派手な色使いと幼さ、装飾過剰なアクセサリーを身につけるのが特徴だ。デコラは1990年代の原宿を代表するスタイルではあるが、全盛期と比較すると現在その数は減っている。その中で、17歳のデコラー NICOが、「NEOデコラ会」を開催。月に1度、SNSを通じて集った約40〜50人のデコラーと、原宿の街を練り歩く集会を運営しており、原宿の街で再びデコラを盛り上げようとしている。
ここで頭に浮かぶ疑問として、日本独自のファッションカルチャーである「デコラ」とは、どのような源流を持ち、カルチャーとして成熟していったのだろうかということだ。昭和女子大学環境デザイン学科で、近現代ファッション史を専門とする菊田琢也氏の解説の基、その起源と今後再ブームに至る可能性があるのかを考察した。
海外における「デコラ」の定義
ADVERTISING
国外でも「デコラ」は日本のカルチャーとして浸透している。世界各国のストリートスナップをキーワードと共に紹介している書籍「The World Atlas of Street Fashion」にも、日本のストリートファッションとして「Decora」が紹介されており、そこには「1997年に創刊された雑誌『フルーツ(FRUiTS)』、そしてその創刊号で表紙を飾った小林あきがアイコンであった」と綴られている。小林氏は、ソフトパンク系のスタイリングを好み、「ミルク(MILK)」や「ミルクボーイ(MILKBOY)」のアイテムに自作の服をミックスしたコーディネートで度々誌面に登場。ファンも多い人物であった。なお、「デコラちゃん」という言葉は、1998年の時点でメディア上で使用されていることが確認できる(「毎日新聞」1998年8月12日付朝刊)。
デコラはクラブカルチャーから生まれた
菊田はデコラの起源は、新宿の「ツバキハウス」や原宿の「ピテカントロプス・エレクトス」を嚆矢とするクラブカルチャーにあると話す。ピテカントロプス・エレクトス、通称「ピテカン」は、日本初のクラブハウスとして桑原茂一が1982年に開店。坂本龍一、高橋悠治らによるライブや、高木完、藤原ヒロシによるDJプレイが披露され、キース・ヘリング、ジャン・ミッシェル・バスキアなど、海外からも多くのアーティストが訪れた。最もシンボリックなのは、漫画家 岡崎京子の作品「東京ガールズブラーボ」で“憧れの東京の象徴”として描かれたことだろう。以後、日本のストリートカルチャーに多大な影響を与えたピテカンは、若者がオシャレをして集う場として機能することになる。ピテカンは、明治通りと竹下通りを跨いだ先に位置し、その後「裏原」と呼ばれる地域に根ざしていたことも興味深い。裏原を中心に、日本のファッションシーンは大きく変わっていったが、デコラもその例外ではないようだ。
デコラとロンドンパンクスタイルの関係性
ピテカンに遊びにいく若者のスタイリングの参考になったのは、日本よりも先にクラブカルチャーが成熟したイギリス ロンドンのクラブシーン。1980年代のロンドンでは、ポストパンクやニュー・ウェイブ、ゴスといった細分化された ファッションが流行し、日本でもセレクトショップ「ア ストア ロボット(A STORE ROBOT)」が、ヴィヴィアン・ウエストとマルコム・マクラーレンによる「セディショナリーズ(SEDITIONARIES)」などの、パンクファッションを取り扱い始めた時期と重なる。菊田は「パンクのブリコラージュの精神を踏襲したロンドンのクラブファッションが、そもそもデコラティブだった」と説明する。今ほどカラフルな装いではなかったかもしれないが、自分の個性を打ち出す服でドレスアップし、クラブイベントへ繰り出していたそうだ。
さて、そういったロンドンのクラブシーンを参考にした若者たちのスタイリングを取り上げたのが、ピテカンオープンから7年後の1989年に創刊された雑誌「キューティ(CUTiE)」だった。同誌では「キッズコレクション」と称して、現在で言うところのストリートスナップページを掲載していた。菊田はそこで着られていた服が、クラブシーンの盛り上がりの中で登場したインディーズブランドである「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」「スーパーラ ヴァーズ(SUPER LOVERS)」「ミルク」だったと解説する。
雑誌「CUTiE」が提案した“ラジカルな”女の子像
「キューティ」が打ち出したコンセプトは“for INDEPENDENT GIRLS”。その名の通り、唯一無二の“自分だけの私”が提案され、装いの個性の一つとして、古着とインディーズブランド、そして手作りアイテムをミックスするようなスタイリングが紹介された。この地点が、現在「デコラ」と呼ばれているスタイリングの成熟期だと考えられるが、当時は「デコラ」ではなく「ラジカル(過激なさま/急進的なさま)」と呼称された。デコラが、ロンドンのクラブシーンやパンクファッションを踏襲し「人と違う服を着て、目立ちたい」という思想をも引き継いでいるとしたならば、「過激で急進的」という呼び名も頷ける。また、手作りアイテムをスタイリングに組み込むDIY精神は裏を返せばメジャーに対するカウンターとして機能し、パンクマインドと地続きであるとも考えられる。
シノラーとデコラは似て非なるもの?
一方で、原宿には数多のファッションスタイリングが存在しており、中でも差別化が難しいのは「シノラー」と「デコラ」なのではないだろうか。菊田はシノラーとデコラの違いを「スタイルの背景にある文脈の違いである」と説明した。
そもそも、シノラーとは、当時文化女子大学短期大学部の学生だった篠原ともえをファッションアイコンにしたファッショントレンドであり、古着、インディーズブランド、手作りアイテムを組み合わせた様相はデコラとかなり近しいものを感じる。しかし菊田は「シノラーという現象はメディアが作り出したファッションで、それが一人歩きし、拡大していった」と考察し、2010年代に流行したきゃりーぱみゅぱみゅをアイコンとした「原宿KAWAII」にもメディア上で拡大再生産されていった側面があるとした。
「シノラー」のアイコンとなった篠原ともえは、元々ファッション感度の高い文化の学生であることもあり、「デコラ」のように、クラブカルチャーや原宿のストリートスタイルにも精通していたかもしれません。だからこそ、シノラーとデコラを完全に「似て非なるものである」と言い切ることはできない。つまり、篠原ともえという人物は、デコラの歴史や文脈にも繋がりうるが、彼女のファッションだけが「シノラー」という枠組みに収められ、メディアの中で拡大していき、デコラとは別物になってしまったのではないでしょうか。
ー菊田琢也
現に、篠原はメディアで当時を振り返り「シノラーのルーツは、学校の課題で書いたデザイン画である」と話している。タレント活動をする中で、周りの大人たちがそれを増幅させ、作り上げたものと言えるかもしれず、続く、きゃりーぱみゅぱみゅをアイコンとした原宿KAWAIIも、参照すべき(きゃりーぱみゅぱみゅという)カテゴリーに合わせていく側面が強かった。つまり、大衆のイメージが作り上げた、少し個性的で奇抜な像がシノラーとするならば、デコラは、ロンドンのクラブシーンを横断し、目標とするべき型がない自分らしいスタイリングと言える。
増田セバスチャンという存在
また、デコラとシノラーの共通点であり、原宿カワイイカルチャーの重要なキーパーソンとして欠かせない人物といえば増田セバスチャンだ。増田が手掛ける「ロクパーセントドキドキ(6%DOKIDOKI)」は、現在のデコラにとってもマストハブアイテムであり、2010年代においても、きゃりーぱみゅぱみゅの初期作品で美術演出を手掛けるなど、その関係性は深い。菊田は「彼は、かわいいカルチャーの文脈から出てきている人物という側面が重要」とした上で、「最初から、デコラやシノラーが好むような派手なアイテムばかりを扱っていたわけではない」と付け加えた。
ロクパーセントドキドキは立ち上げ当初、クラブキッズに向けたファッションアイテムのほかに、ケアベア(Care Bear)や、マイリトルポニー(My Little Pony)などの、ファンシーで可愛い西洋のキャラクターグッズや玩具を取り扱うお店でした。
欧米のキュートなアイテムを紹介するというのは、ロンドンのクラブシーンを日本に持ち込んだ若者のスタイリングや、それを取り上げた雑誌「キューティ」に近く、それを「デコラ」という自国の文化にしていくのは、極めて日本の文化醸造らしい手法のように思う。
族から系へ、そして「型」の時代となった令和へのカウンターになるか
菊田は、「デコラファッションとは、スタイリングである」と締め括った。かつての原宿は、1980年代の竹の子族が代表格のように、皆が共通の格好をして同じ場所に集まり、仲間意識を高めていた。一方、パンクはブリコラージュをし、自分のスタイリングを作り上げてきた。つまり「パンクス」というコード(共通認識)は同じだが、ひとつとして同じ文脈でのパンクスは存在せず、本質的には一人一人が完全に異なる装いをすることになる。社会学者の難波功士が「族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史」の中で「渋谷・原宿のストリートファッションは、<族>から<系>へと変化していった」と綴っているように、「デコラ系」と呼称されるものは、パンクの文脈を引き継ぎ、自分らしい装いや個性を表現するに至っただろう。現在の「デコラ」に含まれている意味は、原宿に集まりそうな人の装い程度の意味が最も強いのかもしれない。その装飾の仕方も、装い方も千差万別だ。
現代の日本は、族から系に移り変わり、骨格診断における「ストレート」「ウェーブ」 「ナチュラル」や、パーソナルカラーにおける「イエベ」「ブルベ」といった「型(タイプ)」に各個人が分類され、それに合わせてファッションを選択する。もしかしたら近い将来、そういった「型」や「似合う」が求められる時代へのカウンターとして、デコラの再ブームが訪れるかもしれない。
ファッション研究者。昭和女子大学環境デザイン学科専任講師(被服環境学博士)。専門は文化社会学、近現代ファッション史。大学で教鞭を執るほか、パリコレクションなどの取材を継続して行なっている。主な著書・論文に「クリティカル・ワード:ファッションスタディーズ」(共著、フィルムアート社、2022)、「相対性コム デ ギャルソン論」(共著、フィルムアート社、2012)、「女性にパンタロンを:イヴ・サンローランと1968年」(「人文学報」、東京 都立大学、2019)、「キキはなぜ黒いワンピースを着るのか:スタジオジブリとファッション」(「学苑」、昭和女子 大学、2021)など。
text&edit:古堅明日香
ADVERTISING
RELATED ARTICLE
関連記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境