(左から)藤原ヒロシ、鈴木哲也、溝口基樹
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元honeyee.com編集長で、企業・ブランドのコンサルティングやクリエイティブディレクションなど、他分野で活躍する鈴木哲也が「トウキョウポップカルチャーの教科書」とも言うべき書籍を発売。今回は、同書のアートディレクションを担当した「フラグメント デザイン(fragment design)」の藤原ヒロシと、エディトリアルデザインを手掛けた「モー・デザイン(mo’design)」主宰の溝口基樹の3人がクロストーク。90年代から2000年代にわたりストリートカルチャーの最前線を歩んできた彼らが、裏原宿をはじめとする「90年代の東京」を振り返る。
90年代の東京のカルチャーシーンについて尋ねるなら、この人たちしかいない。1995年に創刊された雑誌「smart」の編集者として多くの記事や特集を手掛けた鈴木哲也と、当時のスニーカーブームを後押しした雑誌「Boon」のエディトリアルデザインを担当した溝口基樹。そして言わずもがな、サンプリング的な手法をファッションで実践し「裏原」を生み出した藤原ヒロシだ。20世紀から21世紀への転換期、原宿で起こっていた現象とは何だったのだろうか?
目次
当時の「ノーウェア」はまるで今の「ロレックス」
鈴木:今は都市計画として街が作られている気がするんですよ。でも90年代の「裏原宿」と呼ばれたエリアや渋谷の宇田川町は、「この辺りにお店を作りたいな」っていう若い人たちが自然に集まってストリートファッションの店やレコードショップができていったように僕らには見えましたね。
藤原:あの辺りは「プロペラ通り」って呼ばれていました。「プロペラ(PROPELLER)」(※アメカジ系セレクトショップの草分け的存在。2003年に閉店)というアメカジのお店があって、「ノーウェア(NOWHERE)」(※「アンダーカバー(UNDERCOVER)」の高橋盾と「ア・ベイシング・エイプ(A BATHING APE)」のNIGO®が1993年にオープンした裏原の伝説的ショップ)ができるまでは古着屋もほとんどなくて。バブルが崩壊した後で、家賃も当時11~15万円と安かった。そういったタイミングも良かったんだと思います。
鈴木:その狭いエリアの小さなお店にキャパシティ以上の人たちが集まって、一つの現象になっていきました。行列ができるようになっちゃった時の「ノーウェア」なんて、残っている商品がないから今の「ロレックス(ROLEX)」みたいな感じですよ。売るものがないんだから、そりゃ、店員さんの接客もそっけなくなりますよね(笑)。
藤原:というより、最初は友達とか、そのまた友達とか、そういう人たちを相手にしているような感じでした。ブームになって、それ以外の人たちが殺到してしまったから、どう対応していいかわからず、そっけなく見えたのかもしれないですね。
「裏原」は「裏腹」?
藤原:「裏原」っていうのは、「裏腹(=正反対なこと)」という言葉と「原宿の裏通り」をかけて冗談っぽく言っていただけ。その後ムーブメントのようになったけれど、当の本人たちはそれまで通り好きなことをやっている感覚でした。
鈴木:お店に並んだりするのは大学生くらいの人たちが中心だったと思います。他に自分たちにふさわしい服がなかったんじゃないですかね? いわゆるインポートブランドもリアルじゃないし、かと言って80年代からのDCブランドみたいな流れもアウトだし、ヴィンテージばかりというわけにもいかず。スニーカーブームもあって、テイストとか気持ちの上でも、裏原がぴったりだったんだと思います。
藤原:今はストリートもハイファッションも受け入れられていて、それが当たり前ですよね。でも90年代以前は「パンクをやっている人たちは、他のもの全てを小馬鹿にしながら生きていく」みたいな感じがファッションにもあって。「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」で働いている人が「セリーヌ(CELINE)」のバッグを買うようなことはたぶんなかったんですよ。だんだんそういう敵対感が曖昧になっていって、マイノリティがマジョリティになり、いつの間にか「パンクをやりながら紅白にも出られる」ぐらいの感じになっていったんです、世界的な規模でね。90年代は、スタイルにこだわらず何でも好きなものを「良い」って言える時代になったというか、時代の転換期だったと思います。
当時の情報源は雑誌か噂話しかなかった
鈴木:裏原のファッション業界における異質さみたいなものは強かったと思います。お客さんたちからすると「自分たちの好きなものがある店が新しくできた」という感じだけれど、既存の国内ブランドやセレクトショップは、裏原がライバルなのか同業者なのか、どういう成り立ちでできているのか分からなかったんじゃないですか。
藤原:ずっと相手にされてない感はありました。「適当にTシャツを刷って売ってるんでしょ」ぐらいの感じに思われてるのかな、と。
鈴木:メインストリームのファッション誌はもうちょっと一般的というか「グッチのデザイナーが変わったぞ」とか「ヘルムート ラングって知ってる?」とか、ランウェイから発信される情報でそれなりに盛り上がってたんです。だけど、いわゆるストリート、裏原宿はそことは情報の出方がまったく違う。ヒロシさんが連載していた雑誌の記事とかを通じて、ジワっと盛り上がっていったんです。
溝口:当時は何かを吸収しようと思ったら基本は雑誌か噂話しかなかったんですよね、特にファッションは。東京にいる人はまだ現場にいくことができるけれど、地方の人はそれもできなかったと思うし。携帯電話がないから、気軽に問い合わせることもできない。今とはまったく違う状況でしたね。
鈴木:今でこそ、どこのブランドだって問い合わせ先は分かるし、電話をかけて「取材させてくれ」「服を貸してくれ」って依頼できるけど、そこの接点もなかったんですよ。裏原宿って、いわゆるファッション業界の外にあったから。ヒロシさんに取材するのも窓口って無くて、直接ヒロシさんに連絡してましたよね?
藤原:ふふ、そう(笑)。
鈴木:「ノーウェア」も「ネイバーフッド(NEIGHBORHOOD)」も、当時はプレスやPRという概念がかなり希薄だった気がします。雑誌への服の貸し出しっていうのも、ほとんどやっていなかったと思いますね。
溝口:ブランドから服を貸してもらえない雑誌は、今で言う転売屋から服を借りて、そこのプライシングで雑誌に載せて、みたいなことをしていました(笑)。
藤原:僕らは5千円で売っていたものが、僕らの知らないところでプレミアがついていただけなのに、一般的には「Tシャツを2万円で売ってるんでしょ」みたいに思われるし。価値がつくっていうのは嬉しいけれども、そういうふうに思われるのは実は心外でしたね。
鈴木:ヒロシさんはずっと世間から誤解されているって僕は感じていました。それは「アンダーカバー」や「ネイバーフッド」、「ア・ベイシング・エイプ」もそう。裏原に限らず、なんでもブームになってしまうとその本質が見過ごされ、過大評価か過小評価になるんです。ヒロシさんの持っているユーモアの感覚も伝わっていなかった。メディアを通じて見ると、どうしてもクール過ぎるというか、無表情すぎるというか(笑)。
藤原:ふふふ。
鈴木:それが、攻撃的とは言わないけれど、凄くシニカルな人と捉えられていたんじゃないかなあ。実際、僕らメディア側も結果的に、そういうふうに発信していたような気がします。
ナイキ社員「ダンクって何ですか?」
藤原:僕は97~99年に「レディメイド(READYMADE)」というお店をやっていたんです(※藤原が手掛けるブランドを取り扱った伝説的ショップ。その跡地はのちに「ヘッドポーター」となり、現在は「ラミダス」が店舗を構える)。その時「アンダーカバー」に「あの2年前に出た靴、すごく好きだったんだけどもう一回出せない? 一部分だけこの色にして」と頼んで再販したことがあったので、それがコラボの原点なんじゃないかな。当時、多くのブランドはアーカイヴをしっかり持ってるのに、新しいものに移行していくのに忙しくて、過去の名品を利用していなかったんです。
鈴木:「一周回ってこれがいい」と気づくのって、当事者は難しいんですよね。
藤原:昔のものをリバイバルさせるのは、他人がやるのはいいけど、自分がやるのは後ろ向きに感じたんじゃないですか? 「ナイキ(NIKE)」も僕が初めて本社に行った時は、社員なのに「ダンクって何ですか?」って言うくらいだったんですよ。最初は「その時に販売している新しいモデルを色を変えたりしてもっと売りたい」と言われてたんだけど、僕は「こんなにいいアーカイヴがあるんだから、それを出しましょう」って主張して、やってもらえるようになりました。(※「ダンク」はナイキが1985年に発売したバスケットボールシューズ。藤原とのコラボレーションによる「ダンク」は2010年に「フラグメント ダンク “シティーパック”」として発表され、2021年にはアップデート版の「ナイキ × フラグメント デザイン ダンク ハイ」が登場した)
すべてを「押しつけられたくない」人たち
鈴木:やっぱりヒロシさんが見つけたのは、価値観じゃないですか? 凄くポピュラーなアイテムとなった今の「ダンク」には、忘れられたものを復活させる余地がない。だから、最初にヒロシさんが「ダンク」をリバイバルさせたのと、今「ダンク」の色々なバリエーションやコラボレーションがあるというのは、同じに見えるけども全然違うことだと僕は思います。新しい「モノの見方」や「価値の発見」がヒロシさんの始めたことで、今求められているものの原点です。
藤原:今たぶん「押しつけ」が心地よくないんです。80年代はみんな、ランウェイで発表されたルックで全身をコーディネイトしたかったんです。そうやって、デザイナーのフィロソフィーも含めて身につけたかった。でも今は「そこまでやられても…」みたいなところもあるじゃないですか。作る側は1~10まで全てを肯定してもらいたいっていう気持ちがあるかもしれないけど、受け取る側はセットアップされた押しつけが邪魔なんですよね。そこのバランスがあるんじゃないかな。
次作はsacai論?
鈴木による著書「2D(Double Decades Of Tokyo Pop Life)僕が見た『90年代』のポップカルチャー」は、オンラインサロン「RoCC」で2021年からスタートした連載に、書き下ろしを加えた一冊。藤原と溝口とのプロジェクトとして立ち上げられた書籍専門のインディレーベル「mo’des book(モーズ・ブック)」の第一弾として発売された。
藤原:鈴木くんは文章が面白いから「本を出すことを想定して連載をやってよ」と依頼しました。僕が「2D、Double Decades」という言葉を思いついて、それで80年代~90年代、90年代~2000年代という「2つの10年間」について書いてもらうのもいいなと思ったんです。
鈴木:長年の経験から言うと、ヒロシさんのこういうアイデアにはとりあえず乗っておいて間違いはないんです(笑)。この本をヒロシさんは「教科書」と言ってくれますが、僕の個人的なエッセイの要素もあるし、ファッションやカルチャーの分析的な要素もあります。最終的には生き方みたいなところまで書いたつもりなので、そこを読み取ってくれる人が出てきたら嬉しいです。
藤原:教科書みたいな感じのものを作りたかったんですよ。だから鈴木くんにこの本を持って大学とか回ってもらえればいいなと思うんですけど(笑)ファッションやカルチャーに限らず、こういうシリーズの本がどんどん出せればいいなと。
溝口:僕はグラフィックデザイナーなので、これまでビジュアルブック的なものばかりを作ってきたんですが今回は「教科書」というキーワードがあったので、紙の選びや文字の大きさはそれを意識して作りました。「続きがある」っていう意味で、本の背に「01」と入れています。
藤原:その時の現象を俯瞰で見ている感じが面白いので、次は鈴木くんに「サカイ(sacai)」論を書いてもらいたいですね。構想を聞いたらけっこう面白かったので。
鈴木:でもそんなのを書いたら、サカイ側はどんなリアクションをするかな......。映画や音楽だったら、結果的にやや辛口の批評になっても、作り手が気づかなかった点を指摘するのはwin-winなところもあるじゃないですか。ファッションはそういうのがないと思いますね。
藤原:ディスってないのにディスっているように思われるからね。
鈴木:自分たちが作ったイメージから外れたものをすごく嫌がるというか「他人が勝手なこと言わないでくれ」みたいな。でも、サカイだったら許してくれそうではありますね(笑)。
インディペンデントなことをやる面白さ
鈴木:今回、溝口さんと一緒に「インディペンデントでこういう単行本を作って、新しく本のレーベルを作ってみよう」という話になって、そのシステムがいいなと思いました。出版社から編集者を付けてもらって「頑張って書いてくださいね、売りましょう」とか言われると、たぶんこんな本にはならないと思うんですよ。プロのスキルでアマチュアっぽいことをやっているというか、インディペンデントなことをやっているというのがすごくいいんじゃないかなと僕は自分で思っています(笑)。
藤原:僕は一番最初に「Tシャツを作りたい」ということで「グッドイナフ(GOODENOUGH)」(※1990年に誕生したブランドで、裏原のアイコン的アイテムを数多く生み出した)を作ったんですけど、友達同士で洋服のブランドができるとは思っていなかったんです。仲の良かった「ビズビム(visvim)」の中村ヒロキくんが「シューズブランドを始める」と言った時も「いや、Tシャツなら分かるけど、靴を作るの!?」って驚いて。でも、大きな企業しかやっていないようなことをインディペンデントでやるのは、挑戦的で面白い。そんなふうに個人で始めて、今一番大きくなったのはたぶん「テスラ(Tesla)」じゃないかな。僕らのやることなんてテスラに比べたら全然小さいけれど、インディペンデントでしっかりした書籍を作っていくというのも、一つの挑戦だと思う。
今はもしかしたら整いすぎてるのかもしれない
溝口:ヒロシさんたちが始めた頃は「Tシャツを作りたい」と思ったら、まず電話帳で「Tシャツ、プリント」って調べるようなそんな時代(笑)個人のオーダーを引き受けてくれるところなんて、あまりなかったと思う。でも今はMacがあって、誰でもそういうものが作れます。何かをやりたい人は、どんどんやったほうが良いんじゃないかな。
藤原:昔はみんな、そういう行動力というかパワーがあった気がします。海外に憧れて突然外国に行っちゃう子とかもいっぱいいたし。
溝口:今はもしかしたら整いすぎてるのかもしれないですね、環境が。
藤原:興味があることは、ちょっとでも早く一歩を踏み出したほうがいいです。やっぱりそこのスピード感にも価値がある気がします。これは高城剛くんが言っていた例えなんだけれど、「新しく金が発見された」というゴールドラッシュの情報を得ても「おー、すごい」って言うだけじゃ何も始まらないじゃないですか。でも飛行機のチケットを買って現地まで行けば、一欠片の金を手に入れることができるかもしれない。行動力でその先が変わるんです。写真で「モナ・リザ」を見て、モナ・リザを知ったと思っていても、実際にルーブル美術館へ見に行ったらすごい発見があるかもしれない。まあ、その発見とは大体「実物は、こんなに小さかったの!?」っていうことなんですけど(笑)。
鈴木&溝口:(笑)
■書籍概要
鈴木哲也「2D(Double Decades Of Tokyo Pop Life)僕が見た『90年代』のポップカルチャー」1100円
mo’des book:公式サイト
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