東京・八芳園で発表されたベッドフォード 2022年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP
「ホワイトマウンテニアリング(White Mountaineering)」「カラー(kolor)」「ヨシオクボ(yoshiokubo)」など、2022年春夏の東京コレクションには、通常パリ・メンズコレクションで発表を続けているブランドも参加した。パリではコロナ禍以降、日本ブランドはデジタルのみでの発表が続くが、本拠地の東京でリアルな世界に帰ってきた形だ。
パリ・メンズの公式スケジュールでは発表経験がないものの、「ベッドフォード(BED j.w. FORD)」も"帰国組"といえるだろう。19年春夏シーズンではイタリア・フィレンツェのピッティ・ウオモでショーを開催し、翌19年秋冬ではミラノ・メンズの公式スケジュールに初参加。持ち前のテーラードや東京らしさを感じるレイヤードで、世界への階段を着実に昇っていた。
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今回のショーは9月1日、霧雨に包まれた東京・八芳園の庭園で披露された。落ちついた中間色をベースにしながら、ファーストルックのシースルーコートをはじめ暖色系を織り交ぜながら、上手く力が抜けた服の数々が現れた。
一瞬、息が止まったのは何人かのモデルの足元を確認した時だった。黒のシューズが「メゾン ミハラヤスヒロ(Maison MIHARA YASUHIRO)」の定番スニーカーの特徴を捉えていたからだ。ベッドフォードとミハラのコラボ。シューズはレザー、という印象が強いベッドフォードのコレクションで、ここまでストリートに寄った靴を目にしたのは初めてだった。
特徴は、三原康裕が粘土で象ったという歪んだソール。スニーカー市場はナイキとアディダスの2強時代が続いているが、三原はこのスニーカーを発表した4年前から「スポーツブランドに機能性で対抗しても、開発費が桁違いで独立系の我々に勝機はない。アナログなやり方で道をひらく」と語っており、その言葉どおりアジアを中心に支持者を広げている。
思い出したのは、2020年1月のパリ(20年秋冬コレクション)だ。
それは、メゾンミハラヤスヒロのショー会場パレ・ド・トウキョウでの出来事だった。世界中から集まったバイヤーやジャーナリストが見守る中、チェロの音色が響き、コーデュロイのセットアップなどエレガントな装いのモデルが歩き始めた。その場にいた誰もが「これは明らかにミハラではない」と感じただろう。そう、三原は自身のショー開始までの時間を、ベッドフォードのパリ初のショーのために貸したのだった。
ただ、その直後から猛威をふるい始めた新型コロナウイルスで、世界は変わった。パリでのショーを終えてから約3ヶ月後、ベッドフォードのデザイナー山岸慎平に電話した際に、「これからっていう時にこんなことになってしまって……」と落ち込みを隠せない様子だったことが忘れられずにいた。
しかし、今回のショーで堅苦しさを感じさせないコレクションを目の当たりにして、思った。心配は杞憂だったと。
東京でのランウェイショーは、ピッティ後に凱旋した19年春夏コレクション以来。山岸は「あの頃は『俺が俺が』と、エゴの塊みたいな人間でした」と振り返る。ピッティからミラノまでは、自らの力で海外での発表の枠を得てきた。しかし、今は違う。「自分の力を誇示するのもいいけど、周りにいる素敵な人やブランドと一緒に作っていく作業のほうが、今の僕には妙にしっくりくるんです」。
シースルーのコートは写真家 岩本幸一郎の作品をあしらった。個展を訪れて感激し、コラボレーションを申し出たという。「なんていうか、当たり前に『助けて下さい』とか、『一緒に何かやりましょう!』と言えるようになったんです」。
コロナ禍の先行きはまだまだ見通せない。しかし、山岸とベッドフォードが再びパリに挑む日は、そう遠くないように思える。ショーの後、いつになく柔和だったデザイナーの表情からは、ぶれることのない決意も読み取れた。(朝日新聞編集委員・後藤洋平)
放送、芸能、ファッション、時計などの取材を担当している。1999年に報知新聞社に入社し、芸能記者として吉本興業、宝塚歌劇などを取材。2006年に朝日新聞へ移籍した後は大阪社会部の大阪府警捜査4課→1課担当などを経て14年に東京本社で文化担当。ファッションと放送の取材を経て文部科学省記者クラブに在籍した後に文化くらし報道部デスクを経験し、2021年4月から現職。
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