ロンドン滞在中の大川ひとみ
Image by: FASHIONSNAP
日本のカルチャーを牽引してきた原宿を中心に、国内外で世代の異なる様々なクリエイターと交流を持ち、常に新しいストリートスタイルを提案してきた「ミルク(MILK)」の大川ひとみ。1970年のデビュー以来、50年以上に渡って日本のドメスティックブランドを牽引し続けている。しかし、近年、彼女はメディア露出をほとんどしない。今回FASHIONSNAP(Fスナ)では、彼女に迫るインタビューを実施。秘蔵写真と共に、幼少期やブランドデビューの経緯、そして現在に至るまでを短期連載でお届けする。
ーまずは、今回インタビュー取材を引き受けていただいてありがとうございます。
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やっぱり中の人が出ちゃうとブランドに色がついちゃうから。出ない方がなんでもできるしね。
ーひとみさんはどのような幼少期を過ごしましたか?
絵を描くのが好きだったのと、自宅に何気なく置いてあった「ヴォーグ(VOGUE)」や「ハーパーズ バザー(Harper Bazaar)」などの雑誌を見るのが好きでした。私が生まれ育った時代は、国内には所謂ファッション写真というのがまだまだ流通していなかった。でも、両親がオシャレ好きだったということもあって、海外のファッション誌や写真集がたくさん置いてあったんです。写真というのは視覚情報で、ある種わかりやすいメディアだから、子どもでも「かわいいな」「好みだな」ということを感じたんだと思います。だから、ずっと家にあったファッション写真を眺めていたし、美術大学に進学して写真部に入部したし、写真を撮ったり、作品を作ったりしていました。
ーファッションの道を志したきっかけは?
昔のことすぎて覚えていない(笑)!
ー(笑)。1970年に「ミルク」を立ち上げていますが、その時にご両親から反対された記憶もないですか?
親は全然関係ないですよ。もういい大人だったし、自分がやりたいことを着々とやろうと決めていました。多分、小学校5年生くらいから「洋服屋さんになりたいな」と思っていた気がするんだけど、それも今思えば「人と違う私になりたい」という欲求がそうさせた気がする。憧れるような人も、物もなかったから、とにかく“何か”が必要だったんだと思う。もちろん、私はオシャレが大好きだけど「自分がオシャレをしたい」という気持ちよりも裏方として「可愛い女の子のために、洋服を作ろう」という思いが今でも強いです。これは、うちの会社のポリシーとして今に至るまで変わっていません。
それにね、当時の私が思いつく「自分のやりたいことを全て表現できる職業」が洋服屋さんしかなかったの。つまり、洋服はあくまでやりたいことを全てやるための1つのツールなんですよね。自分が好きなことをやりつつ、会社としてうまくいけば、それが一番いいかなって。今もそう思っているけど、私は洋服屋さんじゃなくても、面白いことをできればなんでもよかったのかもしれない。
ーブランドをスタートさせた直後のことを振り返ると?
小さなお店のキャパシティに対して需要が想像よりも高くて。生産もアイデアも間に合わないけど、店内装飾も私がやりたいし、他にもやりたいことはいっぱいあるしで本当に毎日が目まぐるしかったかな。色んな人の力を借りてなんとかやってきたという感じですよ。
【連載:MILK大川ひとみがFスナだけに話してくれたこと】
第1話「すべてを表現できる職業」
第2話「『ミルク』と『ミルクボーイ』ができるまで」
第3話「藤原ヒロシ、ジョニオ、NIGO®との出会い」
最終話「みんな心は16歳のまま」
(聞き手:古堅明日香)
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