近年、趣味としてコレクションしている人も少なくない石。石器時代が証明しているように人類と石の関わりは深く、長野県松本市では今でも石材店が多く立ち並ぶ。その経緯は松本城が築城された約500年前に遡るそうだ。松本市で明治12年に創業した「伊藤石材店」で5代目を務める伊藤博敏は、硬質で重い特性のある石を、折り畳まれたTシャツ、ナイフで押しつぶされたバター、溶けた棒アイス、ファスナーが付いた袋、スプーンですくわれたスープなどに見立てた作品を発表している。石が鉱物であることを忘れさせるような作品は、日本文教出版が刊行する美術の教科書にも掲載されるほか、国内外で個展を開催するなど注目を集めている。彼があえて、硬い素材で柔らかいものを表現するワケとは。そこには、伊藤なりのマテリアルの捉え方、職人や作品の定義があった。
伊藤博敏
1958年長野県松本市生まれ。東京藝術大学工芸科金属工芸専攻を卒業。アトリエヌーボーコンペ審査員賞、第2回トリックアートコンペ優秀賞など数多くの賞を受賞。 ニューヨーク、ボストン、シカゴ、オーストラリアなど世界各地で個展を開催し、高く評価されている。
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ー伊藤さんは彫刻家として作品を発表する傍ら、家業である伊藤石材店を営んでいます。
普段は墓石や、室内装飾を手掛けています。松本市は工芸が盛んで、石屋も多いです。組合に所属している石屋が25軒、組合に入っていない石屋も含めると30軒以上あります。
ーなぜ、松本市には石屋が多いんでしょうか?
今から約500年前に築城された松本城が大きなきっかけです。当時は、現在の長野県伊那市高遠町から城を建てるために石屋が派遣されたそうです。でも、城を建て終わったから終わりというわけではなく、結局そこで暮らすようになったり、その土地の人と結婚したり、子どもができたり、まちづくりや河川工事に携わったりした。そうやって人々は定着し、今の松本が出来上がった。私の先祖も明治12年に伊那から松本に来て、私で5代目です。石屋だけではなく、大工や医者など、様々な業種の人がいろいろな土地で同じような過程を踏んできています。そういう時代だったんです。
ー石屋の後を継ぐ以外の選択肢はありませんでしたか?
なかったですね。小さい頃から「石屋になるんだろうな」と。ただ、僕はどちらかと言えば平面作品を制作する方が好きだったから、「デザインの仕事もいいな」と学生の時にぼんやり考えたんですけど、自分の能力の中では限度があることを知ったんです。
ー限度、というのは?
うまくは言えないけど、オリジナルのことがあまり浮かばなかったんですよね。
ーやっぱり作品である以上はオリジナリティが大事だ、と。
そうですね、僕はそう思う。
ー立体の方が、限度がない?
少し話は脱線しますが、魅力ある輸出品目育成を目的として政府主導で開催された「内国勧業博覧会」で、箪笥や清水焼が“絵画”として選出されました。絵画と聞くと、筆と絵の具を使った平面作品を思い浮かべますが、当時の人たちは「絵が焼き付けられているなら、工芸品でも『美術』『絵画』として取り扱っていいじゃん」と考えたそうです。日本人にはそういう感覚があり、僕もその考えが自然な感覚としてありました。
ー工芸や彫刻、美術に明確なジャンル分けはない、と。
ジャンル分けというか、日本は土着的に「見立ての文化」が脈々と語り継がれているんですよね。枯山水などは最たる例です。石に線を描いて「水です」と言われると水に見える。そういうDNAが日本人には流れているんですよね。
僕の作品も、石ころだと誰が見てもわかるけどファスナーがついているだけでそれが袋に見える。そういうことをやっている彫刻家がまだ世の中にはいなさそうだったので、取り組んでみることにしました。
ー何故石にファスナーを付けようと思ったんですか?
「ファスナーって現代人にしかわからないパーツだな」と思ったからです(笑)。石は古代からあるものだけど、古代人がファスナーを見ても金属が並んでいる線にしか見えず、柔らかいものを想起しないかもしれない、と。「現代美術ってこういうことかな」と勝手に思っただけです(笑)。
ー大学では何を学んでいたんですか?
東京藝術大学の美術学部工藝科で、金属加工について学びました。
ー石屋になることがわかっていながら、なぜ金属加工を学ぼうと思ったんですか?
石と金属ならどこかで組み合わせることができるかな、と。当時、自分の頭で考えられたのはその程度でした。最初の頃は石と金属をミックスした作品も作っていたんですけど、無理矢理感がどうしても拭えなくて止めたんです。そういうことよりも、石という素材が異素材に見える遊びの方が楽しくなっちゃった。
ー「無理矢理感」というと?
石は曲がりませんが、金属は曲がります。溶けるといった面白さもあります。でも石は曲がらないですよね。もっと言えば、石は自然物だけど金属は人工物なのでもうそこで根本的に違うんですよね。
ー石屋の家業を継ぐということは石に細工をする職人になることを意味すると思います。伊藤さんは、「職人」とはどういうものだと考えていますか?
職人という言葉は、江戸時代から使われている言葉ですね。逆に、「彫刻」「技術」「文化」「芸術」といった言葉は全て明治以降に生まれたものだそうです。
個人的な考えで言えば、職人には2種類あると思っています。一つは親方が言う通り働いて給料をもらう人。もう一つははクリエイションができるクリエイターとしての職人。これは蛇足だけど、江戸時代では陰陽師ですら「職人」と呼ばれていたらしい。陰陽師が職人と呼ばれていたなら、例え技術職じゃなくても職人じゃない人なんていないんじゃないか、とすら思いますよね。編集者も、デザイナーも、お父さんも、お母さんも、幼い子ども、もみんな職人なんじゃないかな。
ー彫石は、日本よりもヨーロッパの方がその歴史は深く長いですよね。
そうですね。アーチを作る=アーキテクト(建築)という言葉が生まれるくらい、一番大変だったのは石でアーチを作る技術。数千年前の石工の親方は、その技術を一番弟子にしか教えなかったと聞いたことがあります。つまり、親方の言われた通りに石を彫っていけば、立派な建物や教会ができていく。でも、一番弟子で職人たるものただ言われたことをやるのではなく「俺ならこれをどうやって建てるのか」という発想が重要視されるはずです。だから、僕にとって職人は「親方の言う通り働く人」と「自分で頭を働かせて何かを生み出せる人」の2種類だと思っている。
僕が、職人になってわかったことがひとつあります。それは「答えを早く出せ」ということです。どんな職人にも締め切りがある。締め切りは、言い換えれば「それまでに答えを出す」という意味だと思うんです。締め切りとお客さんからのオーダーの中で、それをどう裏切って、楽しく良い方にプラスしていけるのかを考えるべきなんだな、と。僕の師匠でもある親父からは「仕事というのは、早く、かつ相手が想像するよりも良いものを作ること」の癖を付けさせられましたね。
ー相手も考えていることがあるだろうけど「それよりもこっちの方が面白いですよ」と提示できるのが、伊藤さんの考える理想の職人?
そうですね。職人の世界はそれの繰り返し。だから、僕は作品作りもものすごい早いんですよ。たまに「すごい技術ですね!」と言われることもあるんですけど、何年もやっていれば技術は自然と身に付きます。60歳を過ぎたおっさんに「技術がすごいですね!」って馬鹿にしてるのか!と思っちゃうよ(笑)。
ー(笑)。制作期間はどれくらいなんですか?
掛かっても一週間かな。職人の仕事は、基本的に日当計算です。例えば、日当2万5000円もらえるのに、作品制作で二日間働けなかったらそれだけで、その作品は5万円の価値がないと元が取れないんです。二日間休んでまで、作品を作るのかという問いかけが常にある。
ーそこまでして作品制作をするのはなぜなんでしょうか?
純粋に石の魅力を知ってほしいというのが一番かな。
ー近年、石をコレクションしている人も多いですが、伊藤さんの思う石の魅力とは?
僕は、宝石には興味がありません。なぜなら、自分で加工ができないから。インスタグラムのフォロワーさんにも石が好きな人もいて、たまに彼らの投稿を見たりもするんですが、光や角度によっての変化が好きだと書いている人は多い。でも僕は、石ころに物語を見出せるところが最大の魅力だと思っています。
ー「石ころに物語を見出す」とは?
簡単に言ってしまえば、この石は僕の手元に何故この形で辿り着いたかに興味があるんです。僕が作品に使う石は、梓川という上高地から松本市街地まで流れている川の河原から拾ってきたものが多いんですが、河原に並んでいる石は水圧で削れ、将棋倒しになっています。どのように石が倒れているかで、川そのもののストーリーも感じることができるんですよね。河川工事が行われれば、石の表情も全く異なります。
人と同じで、それぞれが違う人生を送っていることが石の形をみて知れることが楽しんです。「ほうほう、そうかい、そうかい」と勝手に石の話を聞いているんです。「ここをいじられるとあんたは嫌だよね」とかね(笑)。石の物語の話と、作品にファスナーをつけたことも少し関連があって、「石のファスナーを上げる」と言う動作で、中か違う物語を紡ごうかなと思ったんです。「作品になったらそれでおしまい」ではなく、石の物語をさらに蓄積させるイメージですね。
ー作品を制作するときに一番意識していることは?
基本的には見てくれる人が少しでも笑顔になってくれればいいな、と。でも、ただ面白いのではなく、毒っ気を入れたい。「毒とユーモア」というのはずっとテーマとしてあります。
ー「毒」というと?
石に歯や目を付けたものはその最たる例ですよね。一目見て「気持ち悪いな」と言われるようなことも所々で狙って入れるようにしています。あるいは、ジョークや皮肉と言い換えても良いです。
普通じゃないものを作るためには、普通でいなきゃならないんです。町内会や石材組合に所属する中で、人同士のお付き合いもあります。そういう少し面倒臭いことをしないと、普通じゃないことを感知しきれないと勝手に思っているんですよね。
ー伊藤さんは硬質で質量のある石で、縛られた布、溶けるアイス、伸びるお餅といった、まったく相対する物質を表現していながらも、目視で「これは石だ」とぎりぎり認識できるような作品が多いと感じました。
それはすごく大事にしているところです。石で作っている以上は、石に見えるべきなのでね。石に見えるべきなのに「石には見えない!」と言われることが多く、それは狙い通りです。「触ったら石だった」という段階を踏んでもらうことが重要なんですよね。
ー石の形を損ねるような過度な加工を施していないのもそのためでしょうか。
その通りです。石ころとして完結していることが大切だと思っています。例えば石が歪に割れていたら、石そのものが持っていた物語が途切れてしまい、石が持つ性格みたいなものが内包されていない感じがするんです。だから石を選ぶ時は、必ず一塊になっていて、どこを表面にしても良いようなものを選んでいます。
ーでは、石を石たらしめている「石らしさ」とは何なんでしょうか?
不均一な色と、傷じゃないでしょうか。つまり、ある石が「その形になる前」を想像できたらそれは石らしい石だと思います。作品を発表し始めた当初インターネットに掲載されている私の作品を見て「これはCGですか?」と聞かれたことがあって。「それではダメだな」と。それで、できるだけ石らしい石というか、傷や模様が局部的に出ている石を積極的に使うようになりました。
これは余談ですが、趣味でガラスや粘土など他の素材を石に見立てた作品も少しずつ集めていて。柄が均一な、例えば花崗岩などの石はフェイクが作りやすいんだな、と勉強になりました。
鏡餅を模した作品は、「鏡」が中にデザインされている。
ー折り畳まれたTシャツを石で表現した作品が印象的でした。伊藤さんは、布というマテリアルをどのように捉えていますか?
布がもつ柔らかさは「途中」を表現するのに向いている素材だと思っています。大学に在籍していた頃、動画部に所属していてアニメーションを作っていたんです。アニメーションは動きを切り取ることと言い換えることもできると思うんですが、「ing形で作ると動きが出るよ」ということを教わって、妙に納得したんです。完結している良さもあるとは思うんですが、僕は、現在進行形で未完であることの面白さの方に共感した。
ーだから伊藤さんの作品の多くはファスナーが途中まで開いているんですね。
その通りです。全部は開けない。見る人によっては「このファスナーを締めたい」という人もいるかもしれないし「開けたい」と思う人もいるかもしれない。起承転結の転で止めることで、ストーリーの結末を委ねることができるんです。なので僕にとって布が持つ柔らかさは、他のマテリアルでは得難い重要な要素だと感じています。
ー石を石らしく見せないことで生まれる違和感は、どのような事象を生み出すと考えていますか?
例えば「美術館で作品を見た感想を述べろ」と言われると困っちゃう人ってとても多いと思うんです。何か、気の利いたことを言わなければならないと思ってしまうだろうし、そういうところから、美術離れが進んでいるような気もしています。以前、うちの工房は2階で常時作品の展示をしていたんですけど「よかったら、見て行きますか?」と声をかけると、やっぱりみんな「あー」と切れ味の悪い返事が返ってくる(笑)。でも、実際に見たら親父ギャグみたいなくだらない作品ばかりが並んでいるからなのか、みなさん結構感想を言ってくれるんですよ。僕自身もそういう空気感の方が楽しいし好きです。
ー遊び心があれば、作品や美術、芸術も少しだけ身近なものに感じる?
元々「工芸」と呼ばれているものは遊びの要素が多く、漆や陶磁器、金属を扱った工芸品はユーモアをふんだんに取り入れています。例えば、お月様をテーマにした桂離宮などの建物は、襖ひとつをとってもお月様の格好にしつらえていたりします、遊び心というのは、江戸時代よりも前から日本人に染み付いているものなんだと思います。そして、その遊び心は、主人と顧客の暗黙の了解の中で出来上がっている。そういう作品の感性に憧れたんです。なぜなら、遊び心の共有は知識がないとできないから。だから僕は、食べ物や服などの身近なものを石で表現しているんです。現代における、遊び心の共有は「日常」という共通のテーマだと思うから。
(聞き手:古堅明日香)
(撮影:小澤広征)
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