全く異なるジャンルでありながら、古くから蜜月関係にあるファッションと音楽。ここ十数年でその結び付きはさらに強くなり、今やファッションメディアでなにがしのアーティスト名を見ない日は無いと言ってもいいほどである。だがアーティスト名は目にするものの、彼/彼女らがファッションシーンへと参画した経緯や与える影響力、そして何よりも楽曲に馴染みが薄く、有耶無耶の知識のまま名前だけを認知している人も少なくないだろう。
そこで本連載【いまさら聞けないあのアーティストについて】では、毎回1組のアーティストをピックアップし、押さえておくべき音楽キャリアとファッションシーンでの実績を振り返り、最後に独断と偏見で「まずは聴いておくべき10曲」を紹介。第8回は、超高速ラップで知られる“Rap God”ことエミネム(Eminem)についてをお届けする。(文:Internet BoyFriends)
■いまさら聞けないあのアーティストについて:連載ページ
ADVERTISING
目次
ヒップホップに光を見出した青年時代
エミネムの名で知られるマーシャル・ブルース・マザーズ3世(Marshall Bruce Mathers III)は1972年10月17日、アメリカ・ミズーリ州セントジョセフ生まれ。スコットランドにルーツを持ち、エミネムが生まれてすぐに父親が母親を捨てるような形で離婚したことで、母親は幼いエミネムを連れてデトロイトを中心に2~3ヶ月ごとに生活拠点を移す極貧生活を余儀なくされたという。この生活は12歳頃まで続き、すぐに引っ越してしまうことから友達がなかなか作れず、仲間外れやいじめに遭い、母親からも虐待に近い仕打ちを受けたことで若くして自殺未遂を経験するなど、当時の悲惨な状況はエミネムの人格形成に大きな影響を与え、リリックにも現れている。
そんなエミネムに手を差し伸べてくれたのが、同じように不遇な状況に置かれていた同年代のアフリカン・アメリカンで、彼らと過ごすうちに自然とヒップホップに傾倒。同じ肌の色をしたヒップホップのパイオニアであるビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)をはじめ、ラン・ディーエムシー(Run-DMC)やLL・クール・J(LL Cool J)、アイス-T(ICE-T)などを聴くうちにマイクへと手が伸び、14歳ごろからバトルMCの道に踏み込んだ。しかし、1980年代のヒップホップ・シーンはアフリカン・アメリカン優位の差別社会であり、その中で“若い白人”であるエミネムがMCバトルに参加するのは異例中の異例。それでも、夜な夜な人種差別的な罵倒や暴力を受けながらもMCバトルを繰り広げ、日中は工場で働き生計を立て、空いた時間でレコード会社にデモ・テープを送る日々を何年も続けたという。当時の詳しい描写は、エミネム自身が主演を務めた半自伝的な映画「8 Mile」を観るのがオススメだ。また、この頃のエミネムは同じ釜の飯を食べた5人のアフリカン・アメリカンたちとD12という6人組ヒップホップ・ユニットを結成し活動していた。ちなみに、初期のエミネムは“Marshall Mathers”の頭文字を取った“M&M”として活動していたが、彼の代名詞でもある早口で発音すると“Eminem”になることからステージ名に採用したと言われている。
恩師ドクター・ドレとの奇跡的な出会い
日々MCバトルに明け暮れていた1997年に自主制作EP「The Slim Shady EP」をリリースすると、既にデトロイトを中心に知る人ぞ知る”白人ラッパー”となっていたため2万枚の売り上げを記録。そして同年、ロサンゼルスで開催されたフリースタイルのラップイベント「ラップ・オリンピック(Rap Olympics)」に出場し見事決勝へ進出を果たすが、惜しくも準優勝に終わった。この時、肩を落としてステージを降りるエミネムに1人の男性が「『The Slim Shady EP』が欲しい」と声を掛けてきたが、敗戦から自暴自棄になっていたエミネムは粗暴にカセットテープを渡したそうだ。しかし、この男性はアメリカの老舗レコードレーベル「インタースコープ レコーズ(Interscope Records)」で働くインターンで、カセットテープは彼から同レーベルの創設者であるジミー・アイオヴィン(Jimmy Iovine)の手に渡り、後日ジミーの自宅で行われたリスニング・セッション時に偶然再生され、ある人物が耳にした──それは、“世界で最も影響力のあるヒップホップ・プロデューサー“と称されるドクター・ドレー(Dr. Dre)だ。
エミネムに光を見出したドレーはすぐに自宅スタジオへと呼び出し、後に代表曲のひとつとなる「My Name Is」のビートを流すと、エミネムは3秒後には「Hi! My Name Is! My Name is!」と、おなじみのラップを始めたそうだ。この才能にドレーは惚れ込み、すぐに自身のレーベル「アフターマス・エンターテインメント(Aftermath Entertainment)」と契約させた。これが、1998年のことである。なお、このヒップホップ史に残る日は映像として残っており、ドレーとジミー・アイオヴィンの関係性やその影響を紐解くドキュメンタリーシリーズ「ザ・ディファイアント・ワンズ(The Defiant Ones)」で観ることができる。
見事レーベルとの契約を勝ち取ったエミネムだが、やはりアフリカン・アメリカン優位の差別社会は根強く、ドレーは周囲の人間から「こいつの目は青い。お前は誰と契約しているんだ」などと批判を受けたという。というのも、アフターマス・エンターテインメントは1996年の設立年は快調に作品を生み出していたが、翌年には順調とは言い難い運営に陥っており、ドレーの慧眼が疑われても仕方のない状況だったのだ。それでもドレーはエミネムの未来を信じ、1999年にメジャーデビュー作となるアルバム「The Slim Shady LP」をプロデュースした結果、500万枚以上を売り上げる大ヒット作となっただけではなく、2000年のグラミー賞でベスト・ラップアルバム賞を獲得する”クラシック”が生まれたのだ。
一気にスターの座にのし上がった2000年代初期
「The Slim Shady LP」で一気にスターの座にのし上がったエミネムは、翌2000年の2ndアルバム「The Marshall Mathers LP」で1700万枚以上を、2002年の3rdアルバム「The Eminem Show」では1900万枚以上の売り上げを記録した。同年には映画「8 Mile」も公開し、アメリカでは社会現象と言われるほどの人気を獲得。さらに、「8 Mile」の主題歌「Lose Yourself」が2003年にヒップホップ・アーティストとして史上初めてアカデミー歌曲賞(主題歌賞)を受賞するなど、破竹という言葉では言い表せないほどの勢いを見せた。
「Lose Yourself」といえば、彼の幼少期の体験を基にチャンスを掴み取ることをラップしており、2022年の第56回スーパーボウルで恩師ドクター・ドレーと、アンダーソン・パーク(Anderson .Paak)と共に怪演したのが記憶に新しいが、「There's vomit on his sweater already, mom's spaghetti(セーターにゲロがついてる、ママが作ったスパゲッティだ)」というリリックが存在するのをご存知だろうか。このスパゲッティは、これまで不定期にポップアップショップがオープンするなど”スタン”(後述するエミネムファンの愛称の一つ)には親しまれた食べ物なのだが、実は昨年、デトロイトにレストラン「マムズ・スパゲッティ(Mom’s Spaghetti)」がオープン。1階ではナポリタンのようなケチャップベースのシンプルなスパゲッティやスパゲッティサンドが楽しめ、2階では限定のマーチャンダイズを取り扱うファンショップとなっており、デトロイトの隠れた名所となっている。
第56回スーパーボウルの動画:Youtube
また、「The Marshall Mathers LP」の収録されている「Stan」についても触れたい。まず、エミネムは初期の初期から別人格スリム・シェイディ(Slim Shady)を宿しており、自主制作EP「The Slim Shady EP」や1stアルバム「The Slim Shady LP」のタイトルはこれが由来である。そして、「Stan」はスリム・シェイディの熱狂的な架空の青年ファン”Stan”にまつわる楽曲で、”Stan”が異常なほどにエミネムを憧憬することで結果として死に至ってしまうというストーリー性の高いリリックなのだが、なんと”stan”というワードは世界で最も包括的な単一の言語による辞書刊行物「オックスフォード英語辞典」と、英語辞典の代名詞として名高い「ウェブスター辞書」に登録されているのだ。意味は”特定の有名人に対し狂信的で異常なほどの関心を持ったファン”や”非常にもしくは過度に熱心かつ忠実なファン”。お時間のある方は、ぜひご自身の目で確認していただきたい。
なお、「The Marshall Mathers LP」は”稀代のリリシスト”と称されるケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の人生を変えた作品でもあり、エミネムこそが史上最高のリリシストで、リリシストがなんたるかを「The Marshall Mathers LP」から学んだと公言している。
友人の死を乗り越え、前人未到の10作連続初登場1位を記録
2004年の4thアルバム「Encore」は、過去3作と比べると数字を落としたがそれでも400万枚以上を売り上げ、デビューから約5年は順風満帆な生活を送っていた。だが、2006年にD12のメンバーだったプルーフ(Proof/8 Mileに登場するフューチャーのモデルとなった人物)が地元デトロイトで銃殺されたことを機に、「人生を共に歩んできた友人を亡くした時、言うべき言葉はなかなか見つけられないものなんだな。プルーフが俺をプッシュしてくれたお陰で今の俺がいる。アイツがいなかったら今のマーシャル・マザーズは存在しなかっただろうし、エミネムもスリム・シェイディも生まれていなかったはずだ。友人を失っただけではなく、デトロイトのヒップホップシーンにおいても必要な人物を失った。俺の一番の親友だった。そしてこれからも」と、以降は表舞台から離れプロデュース業に専念することに。
2004年から時計の針を進めたい。2009年に表舞台に戻ってきたエミネムは、同年に5thアルバム「Relapse」を、2010年に6thアルバム「Recovery」を、2013年に7thアルバム「The Marshall Mathers LP 2」を、2017年に8thアルバム「Revival」を、2018年に9thアルバム「Kamikaze」を、2020年に10thアルバム「Music To Be Murdered By」をリリース。驚くべきことに、全作品が全米アルバムチャートで初登場1位を獲得し、2ndアルバム「The Marshall Mathers LP」から2005年の1stベストアルバム「Curtain Call: The Hits」を含めて10作連続で初登場1位という歴代最高記録を樹立している(The Slim Shady LPはデビューアルバムということで惜しくも2位だった)。そして、9thアルバム「Kamikaze」と10thアルバム「Music To Be Murdered By」という直近2作がなんの前触れもなくゲリラリリースされたことを考えると、いつ11thアルバムが発表されてもおかしくはないだろう。
2000年代のヒップホップシーンのアイコンに
“Rap God”を語るうえで、超高速ラップと共に外せないのがファッションだ。USヒップホップ好きであれば、誰しもが一度はグレーのフードを目深に被り”擬似エミネム”を楽しんだ、もしくはフードを被っている人にツッコミを入れたことがあるだろう。マーチャンダイズでもフーディーは定番アイテムで、また多くのブランドが彼をリファレンスしたフーディーを発表してきたほか、2018年には「ラグ & ボーン(rag & bone)」が正式なコラボフーディーを発売している。
だが何よりも欠かせないものが、「ナイキ(NIKE)」および「ジョーダン ブランド(JORDAN BRAND)」とのコラボだ。初期の頃からエミネムを足元で支えてきた両ブランドは、これまでコラボスニーカーを把握しきれないほど制作している。というのも、エミネムとのコラボモデルは数十足しか生産されないことがザラにあり、エミネム本人しか履いていないモデルや、関係者限定のフレンズ&ファミリーモデルも数多く存在するためだ。第56回スーパーボウルでエミネム本人が着用していた「エア ジョーダン 3 ”シェイディ”(Air Jordan 3 “Shady”)」が、その最たる例だろう。
そして、エミネムモデルは販路が非常にユニークなことも相まって、二次流通市場では100万円以上で取り引きされることが珍しくないほか、希少すぎて値付けすらできないモデルも多い。2008年に書籍「THE WAY I AM」の発売を記念して313足限定で制作された「エア ジョーダン 2 ”エミネム ザ ワイ アイ アム”(Air Jordan 2 “Eminem The Way I Am”)」は、現在オンラインマーケットプレイス「ストックエックス(StockX)」で最低出品額が100万円以上に。2015年に地元のミシガン州立大学音楽学部へ売り上げを寄付するために10足限定で制作された「カーハート WIP(Carhartt WIP)」とのトリプルコラボ「エア ジョーダン 4 “エミネム カーハード”(Air Jordan 4 “Eminem Carhartt”)」は、「イーベイ(eBay)」のオークションでのみ販売され(落札総額は約2800万円)、こちらもストックエックスで最低出品額が440万円以上となっている。また、2004年に4thアルバム「Encore」のプロモーションのために50足限定で制作された「エア ジョーダン 4 “エミネム アンコール”(Air Jordan 4 “Eminem Encore”)」や「エア フォース 1 ロー “エミネム アンコール”(Air Force 1 Low “Eminem Encore”)」、2006年にチャリティーの一環として8足のみ制作された「エア マックス 97 “シェイディー・レコード”(Air Max 97 “Shady Records”)」などは、その希少性の高さゆえ値段が付けられていない。
なお、カーハート WIPとのトリプルコラボ「エア ジョーダン 4」の10足のうちの1足は、シューケアブランド「クレッププロテクト(Crep Protect)」のプロモーションのために溶かした「M&Ms」が塗りたくられているので、結果が気になる方は映像を見てみてほしい。
まずは聴いておくべき10曲
1曲目:My Name Is
1stアルバム「The Slim Shady LP」(1999年)収録曲で、事実上のデビュー曲。ドクター・ドレも惚れ込んだ色褪せない名作。
2曲目:Stan
2ndアルバム「The Marshall Mathers LP」(2000年)収録曲で、女性シンガーソングライターのダイド(Dido)の「Thank You」をサンプリング。リリックはエミネムの熱狂的なファンについてを綴っており、後に「Stan」は“非常にもしくは過度に熱心かつ忠実なファン”という意味で「オックスフォード英語辞典」に登録された。
3曲目:Cleanin' Out My Closet
3rdアルバム「The Eminem Show」(2002年)収録曲で、両親の離婚や母親との不仲をラップしたことで裁判にまでもつれた。
4曲目:Without Me
3rdアルバム「The Eminem Show」(2002年)収録曲で、まくしたてるような挑発的なラップが珍しい1曲。アメコミ風のミュージックビデオも必見。
5曲目:Lose Yourself
エミネム自身が主演を務めた映画「8 Mile」(2002年公開)の主題歌で、2003年度アカデミー歌曲賞を受賞。プレミアリーグのアーセナルは、ホームスタジアムでの選手入場曲として採用している。
6曲目:Love The Way You Lie
6thアルバム「Recovery」(2010年)収録曲で、リアーナ(Rihanna)がフィーチャー。DV被害を受けてきたエミネムだからこそ書ける、加害者と被害者の間の歪んだ関係をリリックにしている。
7曲目:Rap God
7thアルバム「The Marshall Mathers LP 2」(2013年)収録曲で、”最もワード数の多い楽曲”という世界記録に認定。6分4秒の間に1560ワードを使用している(1秒間に4.28ワード)。
8曲目:Not Alike
9thアルバム「Kamikaze」(2018年)収録曲で、先にちょっかいをかけてきた若手ラッパーのマシン・ガン・ケリー(Machine Gun Kelly)を痛烈に非難したディスソング。これに対し、MGKは「Rap God」をもじった「Rap Devil」というアンサーソングを発表している。
9曲目:Godzilla
10thアルバム「Music To Be Murdered By」(2020年)収録曲で、故ジュース・ワールド(Juice WRLD)がフィーチャー。エミネムの“超高速ラップ”が堪能できる楽曲で、彼自身が“ゴジラチャレンジ(#godzillachallenge)”を呼びかけたことで一大ネットミームに。
10曲目:From D2 The LBC
2ndベストアルバム「Curtain Call2」(2022年)収録曲で、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)がフィーチャー。2ndアルバム「The Marshall Mathers LP」収録曲の「Bitch Please II」以来、22年ぶりのコラボ楽曲となった。
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【いまさら聞けないアーティスト】の過去記事
TAGS
記事のタグ
RELATED ARTICLE
関連記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
sacai Men's 2025 SS & Women's 2025 Spring Collection
【2024年下半期占い】12星座別「日曜日22時占い」特別編