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人気リアリティ番組「ル・ポールのドラァグ・レース」がエミー賞を受賞し、大規模ドラァグショー「オピュランス(OPULENCE)」が2023年1月から継続的に開催されている。ほんの少しずつではあるが、日本にもドラァグクイーンの文化が息吹き始めている。ドラァグクイーンといえば、派手なヘアメイクを思い浮かべる。女性らしさを過剰表現したその装いに、観客は食いつかずにはいられない。彼らはなぜ、“あの”様相に辿り着いたのか。ナイトカルチャーと密接な関係を持ち、オピュランスの運営にも携わる臼杵杏希子氏と、ドラァグクイーンとしてステージに立つドラァグクイーンヴェラ・ストロンジュ氏(Vera Strondh)にその歴史と現在地について聞いた。
目次
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「ドラァグ」の語源は演劇にあり
ドラァグクイーンは「drag(引きずる)」に由来すると言われている。きっかけは、16世紀後半のロンドン演劇界に遡る。シェイクスピアなどが台頭していた当時の演劇公演には貴族のパトロンが必要不可欠であり、単なる娯楽の場所である一方、教会との結びつきが強固だった。その結果、舞台を踏むことが許されたのは男性のみで、出演者のうち何人かの男性が異性に扮することがあった。男性らしい筋肉質な足を隠すために、当時の演者たちは床に「引きずる」ほど長いドレスを着用していたという。女性の役を演じる男性は、17世紀に始まった日本の歌舞伎などにも見ることができる。
「宗教と異性装の関係は切っても切り離すことができません。かつては女装をしているだけで逮捕をされたり、国によっては処刑をされる場合もあった。逆に、『両性的なものは神に近い姿である』という考えを示す宗教国家や、偶像崇拝がポピュラーである国では、現在でも性別適合手術や女装にも比較的寛容な傾向があります」(臼杵氏)。
時は流れ、1800年代後半に、アメリカのメリーランド州で奴隷として生まれたウィリアム・ドーシー・スワンが自らを「the queen of drag(ドラァグの女王)」と名乗ったことが、ドラァグクイーンという固有名詞の起源だと言われている。スワンは、1888年4月12日にアメリカで初めて女装を「女性のなりすまし」だとして逮捕されており、その後も幾度となく「女性になりすましている=女装」という理由だけで逮捕されている。また、スワンはLGBTQコミュニティの権利を守るために法的、政治的行動を追求した記録上最初のアメリカ人としても知られている。
ものまねとドラァグクイーン
フィリピン生まれのドラァグクイーン ヴェラ氏は「ドラァグクイーンが浸透したきっかけは、1970年〜1980年代にゲイが自分たちのセーフティスペースで憧れのアーティストのモノマネをしていたことから始まった」と話す。ドラァグクイーンのパフォーマンスでリップシンク(口パク)が王道とされているのも、「ものまね」が源流にあるが故だ。
一方、1980年代前半から半ばはまだまだ偏見と差別の対象にさらされていた。女性のものまねをする男性はLGBTQコミュニティと結びついているというだけで、特に宗教的な固定観念のある人たちからは犯罪行為と扱われ、忌み嫌われた。そのような背景もあり、主な客層がLGBTQコミュニティであったアンダーグラウンドなダンスミュージックシーンと結びつきながら、地下クラブを活動の場所としていった。当時のニューヨークを知る臼杵氏は「ゲイや女装をするというだけで家にも居場所がなく、家出をして都会であるニューヨークに出てくる子が多かった。1980年代のニューヨーク、ミートパッキングエリアはゲイコミュニティが集まるバーが密集している特別なエリアであると同時に、その日を生き延びるためのフッカーがいた」と振り返る。
日本でも1989年〜1990年代初頭にゲイクラブやパーティーで多くみられるようになったと臼杵氏は語る。
「シャンソン歌手で、日本最古参のドラァグクイーンの一人であるシモーヌ深雪さんがプロデュースしたイベント『DIAMONDS ARE FOREVER』の初開催や、マーガレットとして知られ、ゲイ雑誌『バディ』創刊にも関わった小倉東さんがドラァグカルチャーを紹介したりと、さまざまな動きが見られたのも1989年〜1990年代にかけてです。彼らはいつしかゲイのクラブシーンにおいて必要不可欠な存在へとなりました」(臼杵氏)。
ものまね文化と密接な関わりを持つドラァグクイーンは、元を辿れば「一夜だけでもいいから自分がなりたかった自分になりたい」という欲求から始まっていると言えるだろう。ヴェラは「ドラァグクイーンとは自分たちのファンタジーの具現化」とした上で「多くのドラァグクイーンは、アーティスティックな小学校低学年生で、幼少期に自分のディーバ、あるいは美しい装いを見つけていることが多い。『Oh My Gosh、その服や所作はとても綺麗。自分でも作りたい、成りたい』と心を動かされ、その衝動で製作し着飾る。それくらいピュアなファッションメイクアップがすべてのドラァグクイーンの始まりだと思う」と自身の見解を示した。
ドラァグクイーンをエンタメにしたディヴァインとルポールの功績
アングラなカルチャーとして生まれたドラァグクイーンカルチャーを変えたのは、ディヴァイン(Divine)とル・ポール(RuPaul)の二人のドラァグクイーンの存在だ。二人は、ドラァグクイーンをエンターテインメントに昇華することに成功した功績が今でも語り継がれている。
ディヴァインは、過激で下品なコメディで知られている映画監督ジョン・ウォーターズに「女装の怪優」として見出された。「マルチプル・マニアックス」「ピンク・フラミンゴ」などが大成功を収め、カルトムービーブームの火付け役に。その後、ディヴァインはディズニーアニメ「リトル・マーメイド」の悪役アースラの着想源にもなっている。アングラなドラァグクイーンが大衆向けのディズニーアニメのキャラクターに色濃く反映されているだけでもその功績は計り知れないものがある。
ル・ポールは、1990年代にモデル、歌手、司会者などマルチな才能で、アメリカのお茶の間を賑わせた。当時メインストリームにはデヴィッド・ボウイや、プリンス、シェールのような中世的なポップスターは存在していたが、ドラァグクイーンのような様相の者はまだ存在していなかった。2009年には、リアリティ番組「ル・ポールのドラァグ・レース」の放映が開始。同番組は「カリスマ、個性、度胸、才能」を競い合う勝ち抜きコンテスト形式で「アメリカズ・ネクスト・ドラァグ・スーパースター」の称号と賞金10万ドルを目指す。臼杵氏は「ル・ポールは、1990年代に自身が培ったノウハウや技術を後輩に伝えるためにこの番組を始めたのでは」と分析。事実、番組から数多くの若きドラァグクイーンが輩出されている。
番組は現在も継続しており、15シーズン目を迎え来年1月にはシーズン16に突入する。同番組の功績は、パフォーマンスや美意識を通してジェンダーを脱構築するアートフォームを「ドラァグ」と定義づけ、メインストリームのメディアで認めさせたことにあるだろう。ヴェラ氏はル・ポールのドラァグ・レースについて「ドラァグクイーンをエンターテインメントの土俵に持ち上げてくれたのは紛れも無くル・ポールだし、アーティストとして生活できる下地を作ってくれた」とコメントした。
ドラァグクイーンはなぜ派手な装いをするのか
一般的に「ドラァグクイーン」と聞けば、派手なヘアメイクと、グラマラスドレスを思い浮かべるだろう。装飾過剰は装いについてヴェラ氏は「女性になりたいわけではないという前提がある」と付け加えた上で「ドラァグクイーンはパフォーマンスアーティストで、職業の一種」と説明する。
「女性になりたいわけでも、男性でいたくないわけでもありません。性別は関係なく、あくまで自己表現の一つとしてドラァグクイーンのパッケージを借りているだけなんです。社会から求められる女性や、男性らしさを用いてパフォーマンスを行い、浮き彫りになる偏見をユーモアを交えながら問題として主張するのが、ドラァグクイーンというパフォーマンスだと思っています」(ヴェラ氏)。
近年は、胸毛や髭をそのままにメイクを施すドラァグクイーンもいるが、それも、ドラァグクイーンとしての自己表現の一つだ。ヴェラ氏は「『ドラァグ』は筆のようなもの」と続け「それぞれブラシの使い方が異なるように、それぞれに“ドラァグのやり方”がある。筆を持って絵を描きたいというスタート地点は一緒だけど、その後、どこに何をどのように描くのかは人それぞれ」と話す。
ヴェラ氏は「ドラァグクイーンとトランスジェンダーを混同している人が多い気がする」と続ける。
「心が女性であるというだけで『ドラァグクイーンですか?』と聞かれても意味不明です。トランスジェンダーの人からしてみたら『This is not my performance(これは私のパフォーマンスではない)』ですから」(ヴェラ)。
ヴェラ氏自身、性的自認と恋愛対象は男性であり、プライベートでは自分自身を男性だと自認しているが、スポットライトを浴びる時はヴェラという女性の人格になるそうだ。ドラァグクイーンとしてのスタンスも様々で、壇上に立つ立たないに関係なく、ドラァグクイーンとしての人格のままプライベートを送っている人もいるという。
女性のドラァグクイーン、ノンケのドラァグクイーンも
いまやドラァグクイーンに装いの定義は無い。「ナチュラルメイクであっても、ステージに立ち、イケてるパフォーマンスができればドラァグクイーンとして認められる」とヴェラ氏は話す。これを受けて臼杵氏は「女装家との違いはそこにある」と補足する。
「女装家という言葉は、ミッツ・マングローブさんが使い始めた言葉だと思います。この言葉も毎日その意味が変化している思うのですが、もしも一般的に女性を象徴するハイヒールやドレスなどを日常の中で装うことが“女装”だとすると、ドラァグクイーンの定義とは、シンデレラのように一夜限りのファンタジーを叶える変身であること、クイーンに変身した状態で自己表現としてのパフォーマンスアートを見せつけることにあるのではないでしょうか?」(臼杵氏)。
前述の「ル・ポールのドラァグ・レース」のシーズン14でノンケのドラァグクイーン マディ・モーフォシス(Maddy Morphosis)が出演し、SNSを中心に議論が巻き起こった。そのほかにも、ヴィクトリア・スコーン(Victoria Scone)といった、女性のドラァグクイーンの台頭もあり、「ドラァグクイーンとは男性(ゲイ)のもの」という固定観念すらも「性別のバイアスである」という考えが浸透し始めている。ヴェラ氏もこの問いかけに対し「リスペクトがあればOK。そもそも今の時代、男装と女装の定義すら曖昧だし、性別の偏見を取り払えることが、ドラァグクイーンが持つパフォーマティブな要素の一つだと思う。限定的なドラァグクイーンのイメージが一人歩きしがちだからこそ、イメージの枠から出たクイーンの活躍も重要」と自身の見解を示した。
「かつては『ウィッグとつけまつげをつけているだけで、あんたは趣味女。クイーンを名乗らないで』という考えもありましたが、現在は『まだまだだね。でも教えてあげる』という文化になりつつある」(ヴェラ氏)。
ドラァグクイーン、それは、パフォーマンスや美意識を通してジェンダー概念の破壊と脱構築を目指すアート(生き様)だ。
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