アシックス 大堀亮氏(左)、ハトラ デザイナー 長見佳祐氏(右)
Image by: FASHIONSNAP
メダルラッシュで目が離せないパリ2024オリンピック。表彰台に立つ日本代表選手が着用するポディウムジャケットは、日の丸を思わせる絶妙な配色で、パリの舞台でもひときわ輝いて見える。デザインを手掛けたのは、日本が世界に誇るスポーツブランド「アシックス(ASICS)」。そして、「ハトラ(HATRA)」のデザイナー 長見佳祐が協力し、作り上げたという。選手を支える戦闘服であり、また正装としての顔もあわせ持つジャケットの製作背景とは? スポーツとファッション、それぞれの専門家がタッグを組んで生み出した、本当の意味でサステナブルでダイバーシティなデザインの裏話を、アシックス デレゲーションプロダクトチーム マネージャーの大堀亮と長見佳祐に聞いた。
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「史上最もサステナブルな大会」を体現するウェア
──まずは、今回長見さんがデザインに携わることになった経緯から教えてください。
アシックス デレゲーションプロダクトチーム マネージャー 大堀亮(以下、大堀):今オリンピック向けの商品を企画する上で、コンセプトに合わせて必要に応じてその道のスペシャリストに協力を依頼しています。ポディウムジャケットについては、企画進行に協力いただいたWhatever Co.を通じて、デザイナーとして長見さんにサポートしていただきました。元々、ファッションの中心地で開催されるパリオリンピックのアイテムは、ファッションに関する知見を持っている方にサポートしていただきたいという思いがあったのと、長見さんはパリに住んでいた経験から、スポーツアパレルに必要な気候についての知見もあるので、適任だと思いました。
長見佳祐(以下、長見):僕自身、普段はほとんどスポーツをしないんですが、オリンピックを見るのは好きで。オリンピック期間中の街全体が一変するような雰囲気が、ハトラの主題である「リミナルウェア」に通ずる「リミナル(境界状況的)」な状態だと常々感じていたので、そんな僕の視点も交えて一緒にものづくりができたら、と参画させていただきました。
──どういったところからデザインをスタートさせたんですか?
長見:まずは「パリの移ろいやすい天候にどう対応するか」というところからでした。実際に現地で五輪を観戦したんですが、大会初日は最低気温14度、最高気温が21度だったのに対し、日によっては最高気温35度に上がる日もあって。寒暖差の激しさに対して、ポディウムジャケット1枚で対応できるようにするにはどうするかを考えるところからのスタートでしたね。
大堀:東京大会はオールメッシュのジャカードだったのですが、パリでも同じ仕様にすると寒暖差のある朝晩は寒く感じる可能性を想定しました。今回は、必要な時に必要な分だけ衣服内の蒸れを逃す形で設計して、素材も今回のために開発した新素材です。リサイクルポリエステル100%で、軽さとハリ感を備えた特殊な4層構造で、着た時の落ち感もしっかり出ます。
──パリ五輪は、「史上最もサステナブルな大会」というスローガンが掲げられています。
大堀:大会コンセプトに沿って、ポディウムジャケットをはじめとしたデレゲーションアイテムは「パフォーマンスとサスティナビリティの両立」をテーマに開発に当たりました。リサイクル素材を使用したり、自社工場では再生可能エネルギーを使ったりと、さまざまな温室効果ガス排出量の削減施策を行い、ポディウムジャケットとパンツは東京大会からCO2排出量を34%削減しました。また、ソックスを除く全てのアイテムに、材料調達から製造、輸送、廃棄といった各製品のライフサイクルで排出される温室効果ガス排出量(カーボンフットプリント)をプリントしています。
ファスナーの紐やネームタグにもリサイクルポリエステルや再生TPU(ポリウレタン)を使用。
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本当の意味で“ダイバーシティ”なデザイン
背中や脇には、体の動きに合わせて伸縮するメッシュ素材を施した設計。
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──ポディウムジャケットはパターンが複雑ですよね。
大堀:アシックススポーツ工学研究所で解析したボディサーモマッピングをもとに、体の動きに合わせて開閉するメッシュ素材を背中や脇などのパーツに施しています。このメッシュは内側の余分な湿気を外に発散する働きを持っているんですが、デザインに大きく関わる部分なので、長見さんと協業しながら、パターンを組み立てました。
長見:僕はアシックスさんからの技術面・デザイン面でのフィードバックを反映しながら、3D CGソフトウェア「クロ(CLO)」を用いてデザインしました。今回は、型紙の構造的なトライアンドエラーに加え、東京大会から一貫して日本代表のカラーとして定着している「サンライズレッド」を起点に、開催地パリの日の出をイメージしたグラデーションパターンを数百余り3Dシミュレーションにかけ、フィードバックをいただきながら調整する、という流れを繰り返しました。
大堀:3D CGでのデザイン作業について、今回の長見さんとのやりとりは、イメージがしやすくスピード感もあって助かりました。その分、無理をお願いしてしまうこともありましたが...(笑)。
長見:CGでのデザインは無数のバリエーションを瞬時に展開できるので、手数とスピードについてはこれまでにはなかったスキームとして提案できたと思います。ハトラでのコレクション製作の経験が活かせましたね。
──苦労した点は?
大堀:選手が首にメダルをかける際、胸元のロゴやエンブレムが隠れないような位置設定は、シビアに考えました。できるだけ高い位置にロゴがある方が写真やテレビでも映りやすいので、ディテールのバランスを何度も調整しました。事前に五輪メダルのデザインは見せてもらえないので、ある程度推測でデザインした部分はありますが、現状テレビで見る限りロゴやエンブレムは隠れず映し出されていてホッとしています(笑)。
長見:実は当初、フード付きのデザインも検討していたんです。ただ、そうなるとメダルのかかり方が均一にはならないという懸念があり、なしになりました。トルソーに着せた時は綺麗でも、パフォーマンス後の興奮した状態や、急いで着替えた時など、どんな状態でも品格を保つための工夫が随所に込められています。
──たしかに、ジャージでありながら品のある美しい佇まいですよね。
長見:ウェアに対するアスリートからのフィードバックに「表彰台に立つときには品位のある姿でいたい」という意見があったと伺ったので、“品位ある姿”は意識をして製作に当たりました。「スポーツウェアでありながら凛々しい印象をこのフォーマットの中でいかに実現するか」が課題の一つでしたね。
大堀:ポディウムジャケットは、特殊なアイテムなんです。開閉会式の式典では、正装として別のジャケットとパンツのセットアップを着るし、競技中はそれぞれの競技用のユニフォームを着ます。このジャケットは、主に表彰台などの公式の場所で着用が義務付けられているウェアなので、見た目の清潔感や格好良さ、機能性の両立を目指しました。
──“品位ある姿”を意識した中での、ファッションの面でのこだわりを教えてください。
長見:まず大きな特徴として、フロント裾にリブがないことが挙げられます。リブは保湿性を担保するためだったり、服の形を綺麗に整えるために必要ですが、前に持ってくるとボトムスとの上下のプロポーションが分断されて、いわゆる“ジャージ感”が出てしまう。ジャージではなくジャケットのような印象をもたらすために、フロントリブを無くしました。
同様に、脇のポケットも内側に隠れるようにデザインしています。極力削ぎ落としたクリーンな印象を持たせたかったので、縫製仕様面ではアシックスさんに無理を言わせてもらいましたね(笑)。
大堀:ファスナーも特殊です。通常のファスナーには「ムシ(エレメント)」と呼ばれるパーツがテープに取り付けられているんですが、このポディウムジャケットはテープをなくして、生地に直接縫い付けています。テープがないことによって、ファスナーを上げ下げする際の抵抗が少ないのが特徴で、少ない力で上げ下げしやすく着脱しやすい仕様になっています。テープがない分、CO2排出量も削減できています。
長見:ファスナーのシームラインの存在感がなくなったことで、グラデーションにより、フロントの太いラインが印象に残るような設計になっています。襟元から裾まで一直線に貫くことで、スポーツウェア特有のカジュアルなジャージらしさを緩和し、端正な印象を作り出すことができたと思います。ネクタイにも象徴されるように、フロント中央のデザインは、選手の品格に関わる重要な部分なので、特にこだわりました。
──生地のカラーリングはグラデーションになっていますが、モノによって異なるのでしょうか?
大堀:はい。意識して見ていただくとわかるんですが、1人ずつ違うグラデーションになっていて、全く同じデザインは一つとして存在しません。それが、今回のデザインテーマの一つである「ダイバーシティ」に通じる点です。「日本という1つのチームだけど、1人1人個性がある」ことを表現したかったんです。
長見:もちろん、チーム全体としてのまとまりは重要ですが、選手1人1人にそれぞれの思いや、オリンピック出場にたどり着くまでのストーリーがあるので、それを1つの形で覆ってしまわないようなデザインがしたい、ということは当初から考えていました。選手それぞれを引き立てるデザインをという想いで、1つとして同じものはないグラデーションデザインを採用しました。
長見:加えて、背面裾のリブをジャカード組織でグラデーションにしているのもこだわりの一つです。選手が着用するブラックのパンツに馴染むよう、グラデーションにすることで、ウエストやヒップの断面をなくして“1つの身体”としての流れをデザインに取り入れました。
──シルエットが全体的にゆったりとしているのも、ダイバーシティというテーマの表れでしょうか。
長見:ポディウムジャケットは、選手だけではなくコーチなどのスタッフも着るので、多様な体系をカバーできるシルエットであることは必須条件でした。
大堀:今回のジャケットは、前回に比べるとかなりゆったりしています。「アスリートフィット」と呼ばれる定番的なスポーツウェアのフィットは、体に沿った綺麗なラインが出るんですが、中には「ピタッとしたシルエットが嫌」という意見も存在します。ゆったりしているけど動きやすく、だらしなく見えないシルエットに調整した結果、体のラインを拾いすぎないシルエットに仕上がりました。そこはハトラの強みであるパターンメイキングの技術があってこそだと思います。実際、堀米選手(スケボー男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗)が表彰式で着ているのを見たら、すごくスタイリッシュで。「(このシルエットにして)良かったな」と感じましたね。
──ゴールドの刺繍が気になります。
大堀:この刺繍は、本来はポケットが落ちないよう、留めるために必要なステッチだったのですが、開発を進めていくうちにそのステッチが必要なくなって。せっかくなので、デザインとして残すことにしました。
長見:着丈が長い分、この位置にラインがあることでウエストマークにもなるので、バランスを保つために採用されました。ゴールドの糸には「常に高みを目指して欲しい」という意味が込められています。
大堀:このデザインを受けて、フロントファスナーもゴールドになったという経緯があります。
パブリックデザインにおいて重要なものとは?
──開発期間を振り返ってみてお互いの印象に変化はありましたか?
長見:アシックスは、中高生の頃の体育館履きから通じる日本の現風景のような存在でありながら、近年の「キコ・コスタディノフ(KIKO KOSTADINOV)」とのプロジェクトではファッションの最前線にまでリーチしていて、その硬軟織り交ぜた動きには類を見ないものがあるなという印象でした。
また、アシックスのスポーツ工学研究所で、デジタルシミュレーションを含めたさまざまなことを科学的に検証しているのを拝見して、デジタルを軸にデザインするハトラと根っこにある部分は通じていると感じました。実際に作っていく中でも、デジタルの知見をお借りしてフィードバックを重ねることで、いいシナジーが生み出せたと思っています。
大堀:共同作業を通して、ファッション業界の第一線にいる長見さんならではのこだわりと、仕事に対する熱意を感じました。長見さんには、プロダクトに関してオタク気質なところがあって。僕が持っているスポーツアパレルに関するデザイン、技術的な知見や今までの経験と、長見さんの目線を織り交ぜて一緒にものづくりができて、面白かったですね。
──ファッション畑の長見さんとスポーツ畑のアシックスが一緒になることで化学反応が生まれた?
大堀:我々のように専門分野でものづくりを続けていると、「これはこうあるべし」といった既成概念に囚われてしまうところがあるんですが、長見さんのデザインには、僕からは全く出てこないような発想がありましたし、それこそが一緒にやる意味だと感じています。パフォーマンスを追求すると、どうしても「無」に近づいてしまうことがあるじゃないですか。そうではなくて、ファッションが持つ不必要なものをいかに必要性のあるようなものにしていくか。それが課題でしたし、結果的にデザインにうまく落とし込むことができたと思っています。
──昨今、パブリックデザインにはSNSを中心に多様な意見が飛び交います。
長見:確かに難しさも怖さもありました。だからこそ、選手がいかに種目に集中できるか、それが全てだと考えてデザインしたんです。
大堀:アシックスというブランドを背負っている立場上、世間の声はどうしても気になってしまいます。ただ、長見さんの言う通り、僕らにできることは機能を通じて選手への快適性やパフォーマンスを提供すること。その軸からはブレないよう、長見さんにご協力いただいた何百という数のデザインを精査して、この1着を作り上げました。選手は表彰式の際、着用ウェアを自由に選ぶことはできないわけですから、僕らとしては着用する選手やスタッフが不快に感じないよう、デザインをはじめ、機能面やパターンを追求しました。その結果、選手たちから良いフィードバックをいただけているのが何よりだなと思っていますし、そのフィードバックをもとにまた新たな製品を開発していければと考えています。
(聞き手:張替美希)
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