近年「アーティスト・イン・レジデンス」という言葉をよく耳にするようになった。長坂常が率いるスキーマ建築計画が築110年の建物を改修し、尾道で同事業を始めることは業界内でも注目を集めた。ワーケション、サバティカルとも異なる同事業は一体どういったものなのか。京都芸術センターでアーティスト・イン・レジデンス事業を担当する谷竜一氏にその歴史と定義、期待されるメリットと今後の課題について聞いた。
目次
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そもそもアーティスト・イン・レジデンスとは?
アーティスト・イン・レジデンスは「作家滞在型制作」とも呼ばれており、その名の通り、一定期間ある土地に作家が留まり、リサーチ、制作、発表までを行うことを示すが、必ずしも作品制作と紐づかず「滞在そのものを目的とする場合も含まれる」と谷氏は説明する。言い方を変えれば、滞在さえすれば「アーティスト・イン・レジデンスである」と言い切ることもできる。その種類も多種多様で、一般的なイメージの通り、ある種のコンペティションを通過した作家をサポートするプログラムから、ゲストハウスなどを運営する個人や小規模な民間団体が宿に作家を優待し、宿泊条件としてその場所での文化活動や成果報告を義務付ける「マイクロレジデンス」など様々だ。バリエーションは今も広がっており、アーティスト側もより魅力のある地域を求めている。中には実費を払ってでも滞在したいという作家もいることから、奨学金型でフルサポートされるアーティストのほか、自費で参加するアーティストもいる。
アーティスト・イン・レジデンスの定義で言えば、「アーティストが国境や文化の違いを超えた非日常空間に身を置き、異なる歴史的背景の中で現地の人々と交流することで生まれるアイデアやインスピレーションを制作の糧としていく活動だ」と谷氏は話す※。
※独立行政法人国際交流基金情報センタープログラム・コーディネーター菅野幸子氏の提言を引用。
起源は17世紀のフランス。王立アカデミーが若いアーティストを青田買いし、欧州各国への研修を促していたことに起因する。留学とも言える制度が原点となり、若手アーティストを育成するシステムが各国に広がっていったという。「アーティストの移動」という活動そのものが広まる形で形成された同活動は、当時のアートシーンの勃興に大きく貢献。歴史を振り返ればアーティスト・イン・レジデンスにコンペティションやアーティスト支援の要素が入っていることも頷ける。一節によると、ローマのシスティーナ礼拝堂の天井画を描いたことで知られているミケランジェロも現在でいうアーティスト・イン・レジデンスの体裁をとっていたとされており、14世紀からその源流はあったのかもしれない。
ワーケーションとの違い
アーティストを他国に派遣することで生まれる新たな価値創成への期待感がバックボーンになり、現代まで継続しているアーティスト・イン・レジデンス。現在、似たような意味で「ワーケーション」という言葉が用いられることもあるが、ワークとバケーションの合成語である同語は、アーティスト・イン・レジデンスの持つ「滞在そのものが目的」という意義からは逸れる。「環境を変えることで新しい活力を得ていくという部分はワーケーションやサバティカルとも似てはいるが、アーティスト・イン・レジデンスは作家が滞在すること自体が制作の一過程である」と谷氏は付け加える。
アーティストは基本的にはゼロベースで作品を生み出します。その環境に行くことが技術取得のスタートであり、環境の中で自分自身の経験値を上げ、新しい成果を上げていく。つまり、情報を知り得ていく中で技術を習熟し、アウトプットをしていくので、リサーチと制作を切り離すことは困難なのではないでしょうか。
「都市圏で仕事をする」と「他の地域で仕事をする」は切り離し可能で、自分のいる場所が仕事に影響を及ぼさないのがワーケションの良さだと思っています。
何を「ここではない場所」に期待するかによって呼び分けがなされていると感じています。
日本国内で歴史あるアーティスト・イン・レジデンスのうち代表的なものは、1994年にプレ事業を始め、1995年から本格始動した茨城県主催の「アーカスプロジェクト」、続いて1998年に立ち上がった山口県に位置する「秋吉台国際芸術村」を谷氏は挙げる。
運営する側のメリット
アーティストに場所を提供する側にも様々なメリットがある。特に日本国内においては、地域活性化の起爆剤として注目されてきたという。地方行政が運営する場合、外部から新しい文化を持ち込む人がいることで、思っても見なかった化学反応が期待されているそうだ。つまり、その地に住む人々にとって当たり前だったことも別の視点から見れば稀有な物事もあり、外部から来た人々がそれらを再構築することで自分たちが持っていた文化的資源、あるいは資源とも思っていなかったものに対して新たな価値付けがなされる場合もあるということだ。また、多くの地方で高齢化が進んでいることもあり、そこに"若い人"が飛び込んでいくことはそれだけでも新たな交流の担い手として機能するだろう。
事業者が運営する場合のメリットとしては「アーティストを支援している、というある種のブランディングとして発信することができる」と谷氏。あるいは、アーティストが滞在し作品を残したというストーリーそのものが場に継承され、その"遺物"をきっかけに新しい顧客にリーチする可能性もあるだろう。また、利用者同士のネットワークの活性化は行政と同一で「新しいものについてのプレゼンテーションを行うことで、異なる業種の人が興味を持ち、更なるコミュニケーションの伝播に繫がる」とし、続けて「全てのメリットは"アーティスト・イン・レジデンスを行うと楽しい、というシンプルな結論に帰着するのでは」という経験に基づいた独自の見解を示した。
知らない人、ジャンルの違うアーティストや人物と話すこと、そして彼らが訪れることは単純にコミュニケーションが活性化したり、マンネリズムに対して新しい発見ができるので楽しいです。あまり語られてはいませんが、重要なことだな、と。
この楽しさが何に紐付いているかと言うと、アーティストが別のところから突然やってきて、異文化を伝えてくれるということが自分の街で起こりうる、という喜びに繋がっていくから。地元の文化や地域資源が停滞していると思っている人こそ、そういった点に面白みを感じるのではないでしょうか。
アーティスト側のメリット
アーティスト側のメリットは「ダイレクトに繋がっている」ということが挙げられるだろう。一方で「アーティスト・イン・レジデンスを運営している事業者や行政が作品制作を目的にしていないこともある」と谷氏は指摘する。滞在することに意味があるという特性上、作品制作ではなく、その前段階であるリサーチ目的での滞在を促しているところもあるそうだ。
コロナ禍で注目を集めたアーティスト・イン・レジデンス
具体的な例をあげると、三重県伊勢市のワーケーション「クリエイターズワーケーション促進事業」がある。6泊から最大13泊まで出来る場を提供し、その成果としてメディアプラットフォーム「ノート(note)」に掲載するだけでいいという取り組みだ。谷氏は「成果を求めず、首都圏からも程近い短期滞在型のアーティスト・イン・レジデンスの好例」と形容する。結果的には132人92組のクリエイターが参加し、業界内で大きな注目を集めた。伊勢市の事業は2020年に実施。コロナ禍での募集であったが「アーティスト・イン・レジデンス」というワードを見かけるようになった時期とも重なるだろう。谷氏がシンポジウムで伊勢市の同事業担当者に話を聞いたところ「まずはとにかく一度伊勢市に訪れて欲しい、と。コロナ禍だったため、大人数の観光は憚られるかもしれないが、一人で訪れ、宿に泊まっているだけであればリスクも少ない。ただ泊まってもらうだけでも伊勢市の良さは伝わるという考えの基『成果物は何でもいい』という結論に至った」。
コロナ禍で移動することや、都市に過密集中することの不信感、先行きのなさは世間の人が共通して感じていた不安だと思います。しかし、違う環境にいても仕事ができるという見直しが進んだのも事実です。場所を変えることの期待感もあいまってアーティスト・イン・レジデンスが知られるきっかけにもなった。
また、国際的なフィジカル交流が封じられていたこともあり、地域間交流が活発化しました。海外ではなくても、面白い場所はあるし、交流もできるんですよね。
ファッションデザイナーはアーティスト・イン・レジデンスに参加できるのか?
谷氏は「アーティスト・イン・レジデンスの対象者はファッションデザイナーも当てはまる」と話す。しかし応募件数に関してはまだ少なく「ファッション業界での認知度はマイナーなのでは」と続ける。
所謂「ヴィジュアルアート」と呼ばれているもの中には服やファッションも含まれているという認識です。しかし、応募件数を考えてみてもまだまだ少なく、もったいないなと思うのが正直なところです。
デザイナーからの募集が希薄な理由については「『みんなが欲しいと思う服の対価としてお金を支払う』というユニバーサルな価値観に基づいたマーケットに紐付いているからではないか」としながらも、その既存の価値観に疑問を持つデザイナーこそ参加する意義があると谷氏は続ける。
先ほどからの流れから分かる通り、むしろユニバーサルではないものがアーティスト・イン・レジデンスには重要で、今まで「これが普通だ」と思っていたことを再解釈し、別の価値を当てることが必要です。そういった点から、コロナ禍での停滞ムードで「環境の変化を求める着方」「振る舞い方」を提案しようとしているファッション従事者はレジデンス事業に向いていると思います。
これからのアーティスト・イン・レジデンス「歴史や文化を上塗りしないために」
異文化が行き交うアーティスト・イン・レジデンスには双方にメリットがあるが、過渡期であるが故に懸念しなければならない点もあるという。それは、目を背けたい歴史に蓋をしてしまうことだ。例えば、青線地帯や情勢が不安定だった歴史を持つ土地のイメージチェンジを目的とした取り組みはいくつもあるが、それはある種の排除性に繋がると谷氏は指摘する。
社会的な批評性をスポイルしてしまうという要素があることに自覚的でなくてはなりません。ヨーロッパを中心に広がったアーティスト・イン・レジデンスですが、資本的に恵まれない地域で事業が行われ、アーティストの成果がその土地により良いものを残すためにはその土地に暮らす人々との対等な交渉が大前提です。当たり前のことと感じるかもしれませんが、昔からあった文化を消費したり奪ってしまうのは本末転倒です。
一方で、地域性は資本とのバランスの中で必ず不均衡が生じてしまうものでもあると思っています。だからこそ、ジェントルにやっていくしかないのです。
継承されてきた文化をどれだけリスペクトできるか、捉えられてきた歴史との差異を読み取った誠実なコミュニケーションがアーティスト側にも行政側にも求められる。
貰ったものに対しての会話を絶やさないこと、成果物は作った人だけに依拠するものではないと考えます。難しいこととは思いますが、これからレジデンス事業を考えている人には是非気に留めといていただければ、より良いブランディングにも繋がると思いますし、本当の意味でのソーシャルグッドになるのではないでしょうか。
アーティスト・イン・レジデンスの新たな展開に期待が高まる。
(企画・編集:古堅明日香)
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