"大阪から上京して初めて働いた街。新しい人生への憧れと不安が路地裏までびっしり染み付いている" ——上京のきっかけや、新しい生活に胸を膨らませた当時について、振り返る。
学生の頃から映像にすごく憧れがあって、友達と映像を撮ったりしていました。その時はカメラを回したり、編集をしたり裏方をやっていたんですが、いつの間にか芝居をする側に興味を持つようになったんです。
2004年です。僕、地元の大阪が大好きで、地元から全然出たことがなくて。高校卒業後の進路を考えるタイミングで、あまりにも自分が世間や社会を知らないこと、自分の手の届く距離のものしか知らないことに恐怖を感じて、地元を離れるという選択肢が浮かびました。高校卒業って人生の中でも数少ない転機。それならいっそのことガラッと変えようと思って上京を選びました。
憧れの街。全てが手に入る街。ファッション雑誌を開いても、東京でしか手に入らないものがあるし。あと、生産的な輝きのイメージや、クリエイティブの街という印象がありました。
ファッションブランドの店舗の中にある、コラボカフェのオープニングスタッフとして働いていました。
俳優になろうと思って上京しましたが、さっき話したように自分が無知であるということを理解していたので、1年後にオーディションを受けると決めて、その1年の間に社会勉強をしようと思って。若者の街半年、大人の街半年で、原宿と六本木でアルバイトをしました。
当時は、顔が緩むほどのきらめいた気持ちと同時に、物凄い恐怖感もありました。原宿では、アフリカ系の人たちに拉致られて(笑)断れないから月のバイト代3分の1くらいそこで買わされて、Bボーイみたいな格好をして帰されたりもしましたね。とにかく最初の1年は憧れの街がどんどん自分の生活に溶け込んでいくのが新鮮でした。でも、東京に遊びにきたわけではなかったから、戦う場所やって認識した時に、また景色が一変して。そうするとまたシビアな街に感じたりしました。
“効率の良い生き方が得意じゃないけど、
今ではそれが自分の長所だと言える”
その頃は15年先とか何年先のことってあんまり考えてなかったですね。とにかく今、この一瞬、この仕事でどれだけ勝負できるかを考えていました。僕は生きてることの実感や、仕事をしていることの実感を常に感じながら生きていきたいと思っていて。なんとなく順調に進んで、とかはあまり好きじゃないんです。自分ができないことはできないって自分に言いながら、じゃあどうする?って、ちゃんと解決しながら進みたい。そうしたら15年先、こんなところにいましたね。リズム良くいかへんし、効率の良い生き方が得意じゃないけど、今ではそれが自分の長所だと言えるし、良い人生を辿らせてもらっているなと実感します。
いっぱいありますね。デビューして2本目の映画で「クローズZERO」をやった時、みんな死に物狂いで作品を作っていたんです。その時に感じたのは、ターニングポイントっていうのは、起こすつもりでいかないといけないってこと。その作品で自分ができることをMAX、ないものを引きずり出して新しい発想を生み出そうと考えると、人がいうターニングポイントっていうのは必然的にできると思うから。もちろん与えてもらったターニングポイントもありますが、毎作品、自分から負荷をかけることで、ターニングポイントは自分で旗を刺しにいっているつもりです。逆に、自分がそれをできない作品に対しては、できないって言う。
credits
Photographer: Hiroyuki Ozawa
Interviewer: Riho Nishimoto
Stylist: Hironori Yagi, Hikaru Shiga (TEN10)
Hair&Make-Up: KUBOKI (Three PEACE)
Art Direction: Dennis Yung