会期中も会期後も読める新たな批評の在り方を模索。会期後のレビューではなく、会期中の展覧会を彫刻家で文筆家の鈴木操がレビューする「#会期中展覧会月報」。第1回は森美術館で開催中の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」。鈴木は同展をどう見たのか。
数年ぶりに行動制限のないゴールデンウィーク某日。思っていたよりも多くの人々で賑わう六本木 ヒルズは、どこか世の中の不穏さを吹き飛ばすような独特の空元気さが漂っていた。 そんな中、チンポム(Chim↑Pom)改め、Chim↑Pom from Smappa!Groupの回顧展「ハッピースプリング」 を観るために、一人エレベーターの気圧変化に気を張りながら、53階の森美術館を目指した。
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いつものようにエスカレーター前でチケットチェックをし、さっそく会場前に到着すると、そこでは入場制限がかけられていた。学芸員に整列させられた小奇麗な人だかりを横目に、入口脇に設けられた託児所「くらいんぐみゅーじあむ」のガランとした空間が気になった。その静けさに気を引かれながらも、私はそそくさと整列に参加し辺りを見回していると、たくさんの若者たちがウキウキと溢れるように存在していることに気がついた。またそれと同時に、私の脳内には様々な事柄が駆け巡っていた。
つい最近ネットで話題になったことだが、イーロン・マスク氏にとやかく言われるまでもなく、コロナ禍にも煽られ加速度的に進んでいるこの国の少子化問題は、文化や都市という観点において、ひいては日本社会の存続において、極めて致命的な域へ足を踏み入れつつある。その意味で、もはやこの国ではマイノリティとなっている「若者」が多く集まり賑わっているこの展覧会は、冒頭入口で既に大きな意味を作り出しているし、成功を掴んでいるという印象があった。またこれは、Chim↑Pomというグループの作家性と言える部分だが、「展覧会とは観客の存在によってはじめて成立する」というシアトリカルな意識が、ハッピースプリング展には満ちていた。そして今回Chim↑Pomにとって重要な観客は、おそらく「若者」であったはずだ。
というのも、さっそく総評といったおもむきになるが、 この展覧会の特筆すべき点はChim↑Pomの回顧展である以上に、会場にいる若者たちが若者として生きてきた時代、つまり彼ら彼女らが物心付いた頃から今日までの、ある意味でリアルタイムなクロニクルとなっていたことにある。Chim↑Pomがこの「若者のクロニクル」という視座を作りえたのは、この約二十年ほどの間の、日本社会に横たわる困難や不安の最中で「若者」というマイノリティの視点に立ち続け、そこで様々なものを受けとめ、そしてコンテンポラリーアートの世界において表現し続けてきたからだ。
Chim↑Pomがプロジェクトや作品制作を通して関わってきた様々な社会的事象を順繰り見ていくと、はっきり言ってこの二十年くらいの日本には、若者たちにとってなんら良いことなどなかったのだと感じさせる暗さや不吉さがあり、しかしその広義の貧しさを受け止め、ある意味楽観的に、そして果敢にアクションするChim↑Pomと日本社会のコントラストが非常に鮮烈であった。その鮮烈さは、Chim↑Pomがヒロイスティックであるということ以上に、私たち若者の悲惨さを物語ってしまっていたし、しかしだからこそ、日本にChim↑Pomが存在している価値を強く実感させられた。
ところで、Chim↑Pomにとって重要な観客が「若者」であるのは間違いないはずだが、今回その 「若者」を中心化して終わるような展覧会構成ではないことも、付言しておかなければならない。
繰り返すようだが、Chim↑Pomの最初期の作品にあたる「エリゲロ(ERIGERO)」※や「狐狗狸刺青(こっくりさんタトゥー)」※を観ると明らかなように、Chim↑Pomの作品は常に一貫して自らも含めた「若者」や「若者らしさ」がモチーフであったと思われる。
この二つの作品を端的に分析すると「若者のノリ」という日本のドメスティックな環境における集団的なエネルギーを、自己批判的に戯画化したステートメント的なものとして解釈できる。
Chim↑Pomはこれら作品を発表したことで「若者のノリ」を主要な制作方法として確立し、その後、
様々な社会的事象やタブーへと介入する手立てとしていったように私の眼には見えた。
※エリゲロ:一気飲みコールで煽られたエリイがピンクの液体を飲んでは吐くという行為を繰り返す映像作品。
※狐狗狸刺青(こっくりさんタトゥー):メンバー5人で1本のニードルを持ち、メンバー水野の背中に「こっくりさん」という降霊術によって自動筆記をするタトゥー作品。
そしてこの視点を強調して鑑賞を進めていくと、展覧会最後に設けられたChim↑Pomメンバーのエリイにフォーカスしたセクションは、それまでの構成を反転させるようなものとなっており、特異な印象を受けた。 この唐突なセクションは一見エリイのライフステージの変化をドキュメントし、切り出したものに見える。しかし全体の流れの中で先ほど設定した視点で観ると、これまで中心にあった「若者」や「若者らしさ」の可変性を問い、また「かつて若者であった人たち」が今も持つであろう若者性へChim↑Pomの存在を投げかけ・問うような自己言及的で野心的な展示構成であったように見て取れた。 もちろん他方で、なぜその問いをエリイに収斂させる形で構成したのかは問われるべきところではあるが、しかし展覧会構成としては非常に高度に練られたものであったと思われる。
念のため断っておくと、私は今までほぼChim↑Pomの展覧会や企画に足を運んだことがない。他の企画展等で断片的に作品は見てきたが、今回展示されている作品のほとんどが初見であった。なので「Chim↑Pomの展覧会をちゃんと見た」という経験は、この森美術館で行われている回顧展ハッピースプリングが初めてである。それを鑑みると今回、私は一般の観客に近い立場で展覧会を見ることができたのではないかと思うし、それは幸運なことだった気がする。ともあれこの文章はその意味でハッピースプリング展の初歩的な見方を記述したに過ぎないだろう。
Chim↑Pomはこの展覧会以外にも、品川区のアートギャラリー「アノマリー(ANOMALY)」で「Chim↑Pom from Smappa!Group」、墨田区のアートギャラリー無人島プロダクションで「いつのことだか思い出してごらん」が同時開催中である。Chim↑Pomの活動を総覧する機会だけでなく、それぞれの展示が別角度でChim↑Pomの活動を照射していて、合わせて観るとChim↑Pomの理解がより深まるので是非とも行かれるべし。 最後に、全ての若者に栄光あれ。
彫刻家/文筆家
1986年生まれ。文化服装学院を卒業後、ベルギーへ渡る。帰国後、コンテンポラリーダンスや現代演劇の衣裳デザインアトリエに勤務。その傍ら彫刻制作を開始。彫刻が持つ複雑な歴史と批評性を現代的な観点から問い直し、物質と時間の関りを探る作品を手がける。2019年から、彫刻とテキストの関係性を扱った「彫刻書記展」や、ファッションとアートを並置させた「the attitude of post-indaustrial garments」など、展覧会のキュレーションも手掛けている。
(企画・編集:古堅明日香)
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