Image by: ユニバーサルミュージック
機材や環境の発達により、1日で数百~数千曲がリリースされる昨今の音楽産業。歓迎すべきことではあるものの、その膨大すぎる量がゆえ自ら触手を伸ばすことを躊躇い、真に評価を受けるべきアーティストとの邂逅が消失し、気付けば過去のお気に入りばかりをリピート再生している......という状況に心当たりがある方に向け、月に1回“ファッションシーンとの親和性も高い”アップカミングなアーティストを紹介する連載【今月の必聴アーティスト】。(文:Internet BoyFriends)
■今月の必聴アーティスト:連載ページ
ADVERTISING
早耳な音楽フリークの方々にとっては既に知られた存在が登場するだろうが、復習も兼ねてファッション的新情報を得られるという心持ちで読み進めていただければ幸いだ。第12回は、活況を呈するUKグライム/ヒップホップ・シーンの若きスター、スロータイ(slowthai)についてお届け。
労働者階級に生まれた1人の男性
スロータイことタイロン・フランプトン(Tyron Frampton)は、1994年12月18日に“革靴の聖地”として知られるイングランド中東部の街ノーサンプトンで、労働者階級の家庭に生まれた。父親はアイルランドに、母親はリアーナ(Rihanna)の故郷でもあるカリブ海の小国バルバドスにルーツを持つが、スロータイが3歳の時に父親は失踪。そのため、母親は20代前半にしてスロータイを含む3人兄弟を女で一つで育てることになり、さらには弟が筋ジストロフィーのため1歳を迎える前に亡くなるなど、決して明るくはない幼少時代を過ごした。なお当時、彼と家族は公営住宅団地に住んでおり、1stアルバム「Nothing Great About Britain」のアートワークで背景に映っている建物は、実際に幼少期を過ごした場所である。
この公営住宅団地の近くで、叔母の(当時の)ボーイフレンドがブートレグのCDなどを取り扱うレコード・ストアを経営し、幼きスロータイは周りと上手く馴染めなかったことから、この店に入り浸るようになる。ここでは、2000年代のUKヒップホップを代表するザ・ストリーツ(The Streets)をはじめ、リュダクリス(Ludacris)やディプロマッツ(The Diplomats)、故DMXといったUSヒップホップにも触れ、さらには産声を上げたばかりのグライムも聴いていたそうだ。またこの時、学校ではグライムMCの真似事が流行っており、すでにリリックを自ら書いていたという。しかし、攻撃性の高いグライムらしいリリックを書くことはできず、ただ内に秘めるだけで終わっていた。
その後、大学には籍を置くだけの状態で、友人の家の近くにある地下のレコーディング・スタジオで日々を過ごすもデビューを目指すわけではない無為徒食の日々。大学卒業後はファッションブランド「ネクスト(NEXT)」で販売員として働くも、友人たちに勝手に社割で洋服を売っていることがバレて解雇されるなど、音楽好きの少し素行の悪い労働者階級の1人の男性として人生を過ごしていた。しかし、この解雇をきっかけに趣味だった音楽活動に専念すると、才能が開花することに。
ブレイクの登竜門に見事選出
2016年に自主制作シングル「Jiggle」をリリースし、そのノイジーなラップとラフなサウンド(と悪ガキ感のあるルックス)ですぐに早耳リスナーの間で知られることとなり、早々とロンドンのレコードレーベル/クリエイティブスタジオの「ボーン・ソーダ(Bone Soda)」との契約をこぎつけた。余談だが「ボーン・ソーダ」は、あの故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)も一目を置いていた存在で、2019年に彼が「ナイキ(NIKE)」とロンドンで開催した「風雲!たけし城」を模したイベント「“トラック&フィールド"(“TRACK & FIELD")」にもパートナーとして参加している。
少し話が逸れたが、「ボーン・ソーダ」のお眼鏡にかなったスロータイは、2017年の1年間だけで1stEP「slowitdownn ノノ」(未配信)や2ndEP「I WISH I KNEW ノノ」などの作品を次々と制作。パンクのエッセンスが散りばめられたグライム調の楽曲は、半ば停滞気味にあったUKグライム・シーンの間で高く評価され、その翌年には「ボーン・ソーダ」から「メソッド(Method)」へとレーベルを移し、3rdEP「RUNT」をリリースするなど、この2年を勢いを落とすことなく駆け抜けた。
すると、UKアーティストのブレイクへの登竜門として名高い英BBCの「サウンド オブ(Sound of)」の2019年版に選出。残念ながら1位はラッパーのオクタヴィアン(Octavian)が攫っていったが、見事4位を獲得し、来るデビューアルバムへの期待を高まらせることとなった。
そして、「サウンド オブ 2019」から半年後の2019年5月、待望のデビューアルバム「Nothing Great About Britain」をリリースした。「イングランドにすばらしいところなんてない」という仰々しいタイトルが付けられた同作は、労働者階級に生まれた1人の男性として母国に対する愛憎をリリックとサウンドで巧みに表現しており、その現代のパンクとも言えるメッセージ性と音楽性の高さから全英アルバムチャートで9位にランクイン。さらに、その年にイングランドおよびアイルランドで制作された最も優れたアルバムに対して贈られるマーキュリー・プライズにもノミネートされ、一躍時の人となったのだ。
なお、このマーキュリー・プライズの授賞式では、UK国内を混乱させた当時のボリス・ジョンソン(Boris Johnson)首相を批判する「F*ck Boris」のグラフィックTシャツを着用し、彼を模した生首を掲げるという政治的なパフォーマンスを披露していた。
挫折からの全英1位、そして傑作の誕生
瞬く間にスター街道を駆け上がっていたスロータイだったが、2020年2月にとある事件を起こしてしまう。なんと、ヒーロー・オブ・ザ・イヤー(最優秀新人賞)を贈られることになっていたNMEアワードの壇上で、酒に酔った勢いから女性蔑視ともとれる言動を放ち、それを批判したオーディエンスと取っ組み合い寸前になってしまったのだ。事件後、すぐに彼は謝罪したものの、自身の楽曲「Ladies」で男性の愚かさをラップしていただけに、強い批判にさらされることとなった。
この一連の騒動で反省したスロータイは、地元ノーサンプトンへと戻り、依存気味にあったアルコールを断ち、素の自分と向き合うことで新たな境地に到達。こうして生まれたのが、2021年2月にリリースされた2ndアルバム「Tyron」だ。
本作は、“人間の複雑さを露呈した二面性の物語”をテーマに掲げた2枚組で、本名をタイトルに冠しているように、政治的視点からラップした1stアルバムとは打って変わり、非常にパーソナルな内容に仕上がっている。また、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)やドミニク・ファイク(Dominic Fike)、デンゼル・カリー(Denzel Curry)、デブ・ネヴァー(Deb Never)らUSアーティストが多数参加したことで、UKグライムをベースとしながら大西洋を越えたボーダーレスな雰囲気を感じさせるのも大きな特徴だろう。また、同郷の大スターであるスケプタ(Skepta)との「Canceled」は、言わずもがな“キャンセルカルチャー”についての楽曲で、先のNMEアワードの事件をきっかけに生まれたという。
「Tyron」で夢の全英1位を獲得したスロータイは、次なるステージに進むべく3rdアルバムの制作に着手。2年以上の月日を費やし、今月リリースされたのが“U Gotta Love Yourself”の頭文字を取った「UGLY」である。
この作品は、オープニングを飾る野生的なエレクトロニックな「Yum」に始まり、いかにもスロータイらしいグライム調の「Selfish」、ギターサウンド全開の「Sooner」、思わず踊りたくなるような「Feel Good」と、冒頭の4曲を聴くだけでこれまでの集大成だと分かる非常に完成度の高い内容となっており、「Tyron」に続き全英1位に輝くことはできなかったが、UKの大手メディア「ガーディアン(The Guardian)」は5点満点の高評価を付けている。
「1stアルバム『Nothing Great About Britain』は、自分の出身地や自分が知っていると思っていたことの全てを音にしたものだった。2ndアルバム『TYRON』は、その時、その瞬間の自分に関係するもの、つまり現在を表現したもの。そして今作『UGLY』は、完全に俺自身、つまり俺がどう感じているか、どうなりたいか......俺がこれまで導いてきたもの全てを表現している」 by スロータイ
ちなみに「Feel Good」のMVは、35人のファンの自宅で楽曲のファーストリアクションを撮影しているのだが、ある理由で終始笑顔になってしまう内容となっているので、ぜひ観ていただきたい。
"2023年現在のムードを体現するアイコン"
スロータイを少しでも知っている方であれば周知の事実であるが、彼は“生粋の脱ぎたがり屋”である。YouTubeに投稿されているライブ映像は基本的に上裸、もしくはボクサーパンツとソックスのみで、この後者のスタイルには相当のこだわりがあり、ウエストのゴム部分に“slowthai”の文字を編み込んだオリジナルのボクサーパンツをマーチャンダイズとして展開するほどだ(現在は販売停止中)。
また、UKグライム/ヒップホップ・シーンにおいては、「ストーンアイランド(Stone Island)」か「シーピー カンパニー(C.P. COMPANY)」のアイテム、そして「ナイキ(NIKE)」のスニーカー(ハイテクであればなおよし)が制服と同義なのだが、スロータイも例に漏れず愛好家。さまざまなシーンで、この3ブランドを身に纏っている姿が散見される。その甲斐あってか、「シーピー カンパニー」は彼の国内ツアーをサポートしていたほか、「ストーンアイランド」は2020年に発売した「シュプリーム(Supreme)」とのコラボコレクションのモデルに起用している。近年、「ストーンアイランド」と「シーピー カンパニー」はアーカイヴも含め人気が著しいが、スロータイをはじめとするUKラッパーの影響が起因の一つと言っても過言ではないだろう。
さらに、ストリートシーンではヴィンテージ・フットボールシャツを取り入れたスタイルが右肩上がりの傾向にあるが、スロータイはフットボールの母国に生まれたラッパーだけに、流行とは別の文脈で日常的にフットボールシャツを愛用。「Gorgeous」のMVでは、地元ノーサンプトンを拠点とするノーサンプトン・タウンFC(4部相当のリーグに所属)のユニフォームを着用しており、たびたび同クラブのトレーニングウエア姿のスロータイも目撃されている。
このように、スロータイは決してトレンドを追ったファッションアイコンではないが、2023年現在のムードを体現するアイコンではあるはずだ。そんな彼は、8月に開催される「サマーソニック 2023(SUMMER SONIC 2023)」への出演が決定しているので、気になった方はぜひステージに足を運んでみてはいかがだろうか。
■今月の必聴アーティスト:連載ページ
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【今月の必聴アーティスト】の過去記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境