ロイル・カーナー
機材や環境の発達により、1日で数百~数千曲がリリースされる昨今の音楽産業。歓迎すべきことではあるものの、その膨大すぎる量がゆえ自ら触手を伸ばすことを躊躇い、真に評価を受けるべきアーティストとの邂逅が消失し、気付けば過去のお気に入りばかりをリピート再生している......という状況に心当たりがある方に向け、月に1回"ファッションシーンとの親和性も高い"アップカミングなアーティストを紹介する連載【服好き必聴アーティスト】。(文:Internet BoyFriends)
早耳な音楽フリークの方々にとっては既に知られた存在が登場するだろうが、復習も兼ねてファッション的新情報を得られるという心持ちで読み進めていただければ幸いだ。第6回は、勃興著しいUKラップシーンのナイスガイ、ロイル・カーナー(Loyle Carner)ことベンジャミン・ジェラルド・コイル=ラーナー(Benjamin Gerard Coyle-Larner)についてお届け。
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俳優とラッパーの二足の草鞋を履いた学生時代
1994年生まれのロイル・カーナーは、サウスロンドンの地で南米大陸の小国ガイアナにルーツを持つ父親とイギリス人の母親の間に生を受けるも、すぐに実父が亡くなってしまったため実母と継父に育てられた過去を持つ。幼少期は地元の英雄で重鎮のルーツ・マヌーヴァ(Roots Manuva)やスケプタ(Skepta)をはじめとするグライムに触れながら、ジェイ・Z(Jay-Z)、ナズ(Naz)、J・ディラ(J Dilla)、コモン(Common)、モス・デフ(Mos Def)ら王道USヒップホップにも触手を伸ばし、10歳で早々とラップをスタート。しかし、当時の彼はラップと同じくらい演劇にも惹かれており、若くしてウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)やベンジャミン・ゼファニア(Benjamin Zephaniah)ら詩人の作品を夢中で読み耽ていたそうだ。
13歳で映画「紀元前1万年(10,000 BC)」に子役として出演する機会に恵まれると、演技力が認められる形でパフォーミングアート&テクノロジースクール(*アーティスト育成学校)のブリット・スクール(Brit School)に入学。ちなみにブリット・スクールは、アデル(Adele)や故エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)、FKAツイッグス(FKA Twigs)、トム・ホランド(Tom Holland)らを輩出している名門中の名門で、カーナーは演劇を専攻していたが、音楽コースの同級生にはキング・クルール(King Krule)がいたという。在学中は演劇を学ぶ傍らラップにも励み、二足の草鞋を履き始めた2012年にはひょんなことから故MFドゥーム(MF DOOM)のサポートアクトの1人に抜擢されるなど、既にラッパーとして光る才能があった。そして、ブリット・スクール卒業後は演劇学校ドラマセンターに進学し、デビューを目指す俳優の卵として日々鍛錬を積むも、2014年に育て親の継父が急死。これを機にドラマセンターを中退し、ラッパーとしての道を歩むことに。
内省的なリリックや訥々としたラップの背景
ラッパーとしてのカーナーの功績を書き進める前に、彼のパーソナルな面について言及したい。既にお気づきの方もいるかもしれないが、ステージ名"Loyle Carner"は本名"Coyle-Larner"の頭文字を入れ替えたスプーナリズム(語音転換)なのだが、これは彼が難読症を患っていることに由来したもの。さらに、難読症に加えてADHD(注意欠如・多動症)の診断も受けており、内省的なリリックや訥々としたラップにはこういった背景がある。また、生後まもなく実父と死別したこともあって母親想いかつ人情味溢れる性格で、彼の楽曲にはこれが滲み出ているので適宜紹介したいと思う。
2014年に活動を本格化させることになると、すぐに初のEP「A Little Late」をリリース。同作に収録されている「Cantona」は、亡くなった継父が好きだったフットボーラーのエリック・カントナ(Eric Cantona)の名を拝借したもので、各所で高い評価を得た初期の代表曲だ。だがストリーミングは未だ解禁されていないので、この機会に下のYouTubeを再生してみてほしい。なお、カントナはカーナーにとってもヒーローなのだが、2017年には「BBC」の粋な計らいでカントナ本人と対談を果たしているので、お時間があるフットボールファンはこちらもぜひチェックを。
翌2015年には、実在しない妹についてラップした楽曲「Florence」や、カーナーと同じくサウスロンドンを地元とするプロデューサーのトム・ミッシュ(Tom Misch)との楽曲「Nightgowns」を発表。「Florence」は、彼の妹への愛と優しさが感じられる1曲として未だに根強い人気を誇り、iPhone6のCMソングとして使用されていたので聴き馴染みがある方も多いかもしれない。そしてMVでは、妹のために淡々とパンケーキを作るカーナーの姿を捉えているのだが、これは単に彼が「ラッパーになれなければシェフを目指していた」と語るほど料理が好きであることを表しているほか、料理がADHD患者にとって最高のメンタルヘルスだと信じているから。現に、彼は14~16歳のADHDの子どもを対象にした料理教室「Chilli Con Carner」を不定期に開催しており、得意料理は照り焼きサーモンとのこと。
そして、2016年は彼にとって飛躍の年になる。UK若手アーティストの登竜門として知られる、「BBC」が毎年1月に発表する期待の新人「Sound Of」の2016年版にノミネートされる幸先のよい出だしを切ると、再びトム・ミッシュとタッグを組み楽曲「Crazy Dream」を制作。ジャズ・ヒップホップをトム・ミッシュ流に昇華した同曲は話題を呼び、カーナーはナズ(Naz)のロンドン公演でサポートアクトを務めるまでの人気となったのだ。
愛する家族、ダブルとしての葛藤、尊敬するシェフをリリックに
こうして着実に成長を重ねて迎えた2017年、「Yesterday's Gone」で待望のアルバムデビューを果たす。ADHDや難読症で苦労した少年期や、実父の死と実母への感謝、苦学生時代などについてラップしている同作は、その年にイングランドおよびアイルランドで制作された最も優れたアルバムに対して贈られるマーキュリー・プライズにノミネートされるだけでなく、カーナー自身も翌年に英国で最も権威ある音楽賞ブリット・アワードで2部門にノミネートされ、イギリスの音楽誌「NME」が主催するNMEアワードではエド・シーラン(Ed Sheeran)を抑えて最優秀ブリティッシュ・ソロアーティスト賞を受賞。わずか1作にしてUKラップシーンを代表する存在となったのだ。
「Yesterday's Gone」は、現行のUKラップシーンから一歩引いたオリジナリティの高いサウンドもさることながら、随所で垣間見える彼の人間性にも注目してほしい。まずアートワークだが、笑みを見せるカーナーを囲む集合写真に写っているのは、長年近くで彼を支えてきた家族や友人、お世話になった人たちだ。そして、アルバムを締めくくる楽曲「Sun Of Jean」は、実母の子ども時代のカーナーについての語りをフィーチャー。さらに、アルバムタイトルを冠したシークレットトラック「Yesterday’s Gone」は、生前の継父が録音していたフォークソングに実母のコーラスを被せるなど、節々で感謝やリスペクトを感じることができる作品に仕上がっている。
「Yesterday's Gone」で世界の音楽ファンが注目する存在となったカーナーは、続くセカンドアルバム「Not Waving, but Drowning」を2019年にリリース。「手を振っているんじゃない、溺れているんだ」という詩人スティーヴィ・スミス(Stevie Smith)の詩をタイトルに引用した同作は、愛する実母への「Dear Jean」から始まり「Dear Ben」で終わることから分かるように、相変わらず家族をテーマに掲げながら自身のルーツにも言及したりと、過去にフォーカスする楽曲が多い。その1つが、「完成されずにやり残されていること」を意味するジョルジャ・スミス(Jorja Smith)との楽曲「Loose Ends」だ。
本稿の冒頭で、カーナーは実父がガイアナにルーツを持ち実母がイギリス人であることに触れているが、同曲では白人に黒人と言われ、黒人に白人と言われてきたダブルとしての葛藤があったことなどをラップ。また、ジョルジャ・スミスもジャマイカ人の父親とイギリス人の母親を持つダブルであり、2人が自分たちの成功を振り返るようなリリックはメロディも相まって感情へグッと訴えかけてくる内容だ。なお、カーナーは「グラストンベリー・フェスティバル 2019(Glastonbury Festival 2019)」のステージで同曲を披露しているのだが、パフォーマンス後に観客から予想を超える拍手を貰い頭を抱えてしまっている姿が可愛らしいので、ぜひ観ていただきたい。
ロンドンを拠点に活動するジョーダン・ラカイ(Jordan Rakei)をプロデューサー&客演に迎えた楽曲「Ottolenghi」は、イスラエル人シェフのヨタム・オットレンギ(Yotam Ottolenghi)から名付けられた料理好きのカーナーらしい1曲。なんでも、電車で彼の著書を読んでいたところ聖書と勘違いされた経験からタイトルに採用したそうで、電車と過ぎ去る出来事を重ねたリリックで過去に言及している。また、実母らがカメオ出演しているMVでは、過去を写真で表現する巧妙な演出も。先述のカントナ同様、「GQ UK」の企画でオットレンギとも共演を果たしているのでチェックをお忘れなく。
行動理念に賛同するブランドが多数
そんなカーナーはお世辞にもおしゃれとは言い難いが、彼の行動理念に賛同するブランドは数多く、「ナイキ(NIKE)」もその1つ。2022年春に展開していた「エア マックス(AIR MAX)」シリーズのキャンペーンで、本連載の第1回に登場した女性シンガーソングライターのアーロ・パークス(Arlo Parks)と共に彼を起用。この時、彼が開いているADHDの子どもを対象にした料理教室「Chilli Con Carner」にもフィーチャーしており、この夏にはサポートイベントまで開催している。
「ティンバーランド(Timberland)」は環境保全キャンペーン「ネイチャー・ニーズ・ヒーローズ(Nature Needs Heroes)」でカーナーを起用し、2019年10月から彼の地元であるサウスロンドンのクロイドン区にあるソーントン・ヒース駅周辺を中心に緑地化を推進。当初は近隣住民同士のコミュニティーの活性化などを目的としていたが、コロナ禍を経て緑地はメンタルヘルスの面でも重要な役割を果たしていることに気付かされたそうだ。
音楽に造詣が深いことで知られる「ジュンヤワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)」は、2021-22年秋冬コレクションで大々的にカーナーとコラボ。彼のリリックをグラフィックとしてプリントもしくは刺繍したデニムジャケットやフーディー、Tシャツを展開していた。
最後に、彼のステージ衣装とマーチャンダイズについて余談を。カーナーは、UKアーティストの中でもトップレベルにフットボールを愛する人物で、イングランド代表とリヴァプールの熱狂的なサポーターだ。そのため、ステージ衣装としてイングランド代表とリヴァプールのヴィンテージユニフォームを頻繁に着用するだけでなく、好きすぎるがあまりイングランド代表のユニフォームを模したマーチャンダイズを販売したことも。また、2018年の来日公演ではサッカー日本代表の1998年モデルを着用しており、筆者を始めとするフットボールファンのハートを鷲掴みにしていたのである。
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