村田大造
Image by: FASHIONSNAP
2022年9月、東京・渋谷を代表する「サウンド ミュージアム ビジョン(SOUND MUSEUM VISION/以下、ビジョン)」と「コンタクト(Contact)」の2つのクラブが歴史に幕を下ろした。「ビジョン」は2011年に、「コンタクト」は2016年に運営会社のグローバル・ハーツがオープン。共に渋谷ひいては東京のクラブカルチャーを牽引する存在だったが、渋谷駅周辺の再開発事業による入居ビル(新大宗ビル)の取り壊しによって閉店となった。
両クラブの閉店で多くのDJやアーティスト、音楽好きたちが行き場を失ったが、何も悲しいニュースだけではない。グローバル・ハーツは、道玄坂から渋谷駅を挟んだ反対側の明治通り沿いに新たなクラブ「エンター(ENTER)」をオープン。「ビジョン」や「コンタクト」ほどのキャパシティはないが、優秀なサウンドシステムを搭載した“音箱”として営業している。
そこで、「エンター」のオープンにあわせてグローバル・ハーツの村田大造社長にインタビューを敢行。「ビジョン」と「コンタクト」の開店・閉店の経緯から、「エンター」に掛ける思いや渋谷のクラブカルチャーの変遷までを伺った。(文:Riku Ogawa)
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—まずは、ビジョンをオープンした経緯から教えてください。
ビジョンは、2011年10月にオープンしました。2011年というと3月に東日本大震災があった年で、世間全体が先の見えない未来に不安を抱いている時期でしたよね。震災から3ヶ月が経った6月に、新大宗ビルのオーナーさんから時期が時期ということで良い条件で提案してもらったんです。その条件に加えて、これ以上みんなの顔が下を向くことなく、未来や夢に向かって上向きに元気になってもらえるような場所を作りたいと思い、“ビジョン”と名付けた新しいクラブのオープンを決めました。あとは、配信サービスが充実して多様な音楽を手軽に聴けるようになった反面、起源や歴史を知らない若い人たちが増えていると感じていたので、いろいろな音楽を身体で感じ、体感することでダンスミュージックをより理解してもらいたいという意味を込めて“サウンド ミュージアム”を頭に付けたんです。
—前々から渋谷にクラブをオープンすることを計画していたわけではなかったんですか?
震災がきっかけですね。その頃はエアー(*2001~2015年末まで代官山にあったクラブ、キャパは約500人)を運営していて、より一般の方々にダンスミュージックの楽しさを伝えるためにエアーより大きい規模感のクラブが欲しいとは思っていました。
—オープン当時は、渋谷最大級のキャパシティ(1000人)だったと記憶しています。
メッセージ性やインパクト、説得力を伴うには、ある程度の人を集める規模感が必要なんです。今はアトム(ATOM)さんやキャメロット(CAMELOT)さんもリニューアルして広くなりましたが、当時は一番大きい箱だったかもしれません。まだ風営法が変わっていない時期(2016年改正)ではありましたが、大きなクラブを道玄坂にオープンしたらインパクトがあると思いました。何より駅から歩いて10分かかったエアーやスペース ラボ イエロー(*1991~2008年まで西麻布にあったクラブ、キャパは約1000人)のように、人がいないところ、行きづらいところのアンダーグラウンドな立地でクラブを営業している時代から、オーバーグラウンドな立地に変化させることもクラブシーンやダンスミュージックを一般化させるためには必要な選択だったんです。
コンタクトは、改正された風営法が施行される直前の2016年4月にオープンしました。コンタクトをオープンした理由は2つです。風営法の改正には自分も関わっていたんですが、裏路地の地域までクラブをオープンできるように変えるべきではないと思い、そのため代官山のエアーは特定遊興飲食の営業が取れる地域では続けられず移動する必要がありました。そして、イエローやイレブン(*2010~2013年まで西麻布にあったクラブ、キャパは約1000人)から続くクラブの系譜を絶やさずに、続けていける音箱も必要だったんです。この2つの理由でコンタクトは生まれました。
—噂では、コンタクトをオープンする時点で新大宗ビルの取り壊しが決まっていたと。
正式決定ではなかったです。ビジョンはもともと2011年から7年の定借(定期建物賃貸借契約)だったんですが、その頃から既に解体するかもしれないという話はありました。その後、解体が延長に次ぐ延長の末に2021年末に決定し、あとは発表をいつにしようかと。ただ、コロナ禍でみんなが外出できず営業もしていないタイミングは違うと思ったので、ある程度営業ができるようになった2022年3月に発表しました。本当はもっと前から告知をして、オリンピックとあわせて閉店に向かって盛り上げて行こうと思っていたんですけどね。
—ビジョンとコンタクトは、それぞれどういった立ち位置でしたか?
ビジョンは、設備的にも規模的にもライブ空間に近く、音楽的には少し若くて分かりやすいライブ中心のパーティーが多かったかもしれません。コンタクトは新たな流れで始めたビジョンとは違い、私が携わってきたイエローやイレブンなどから代々続くアンダーグラウンドやダンスミュージックの音箱です。新しいお店を作る時、大抵は新しいスタッフを雇うことにしているんですが、コンタクトの場合はイエローやイレブンの者に手伝ってもらいましたし。
—どちらもファッションイベントが頻繁に開催されていたことを例に、クラブとファッションという2つのカルチャーのハブのような場所だったと思います。このように、他のカルチャーとのミックスは意図的に狙っていましたか?
ファッションでいうと、考えるというよりも若い頃から遊んでいた仲間たちに著名なデザイナーが多いので、あまり区切りを意識したことはありませんね。私が21歳で立ち上げたピカソ(*1985~1989年まで西麻布にあったクラブ、キャパは約150人)では、ヒロシ君(藤原ヒロシ)も滝沢君(ネイバーフッド滝沢伸介)もジョニオ君(アンダーカバー高橋盾)もNIGO®︎君も、裏原系と呼ばれるデザイナーたちがDJしていましたから、今は自分たちが楽しみたいことをやって、私のクラブを使ってくれるという自然なことです。
—12月にオープンしたエンターの構想はいつからありましたか?
2021年の早い段階でビル側からお誘いがあり、内容が最終的に決まったのはオープンの半年ほど前です。もっと早く開けようと思えばできたんですが、ビジョンもコンタクトも営業していたので、両クラブのスタッフにそのまま働いてもらうためにも閉店まで待つ必要がありました。エンターはクラブの基本に立ち返り、もう一度さまざまな点で見直しを行い足元を固めて、若い世代の才能を活かせる場にしたいと思っています。
—名前の由来は?
「アーティストにとってやりたいことや行きたい世界の入り口になってくれれば良い」という思いを込めています。
エンターのオープニングパーティー
—エンターが目指すクラブは?
いわゆる音箱と呼ばれるクラブです。小さいクラブだとそれに準じたサイズのサウンドシステムになるケースが多いんですが、それでは次の世代の人に大箱でプレイする感覚を教えてあげられないし、百戦錬磨のレジェンドたちも感覚を失ってしまう。だから、エンターではコンタクトのメインフロアにあったサウンドシステムをそのまま置いていて、クオリティーもコンタクト以上です。フロアの真ん中にDJブースを設置し、アーティストと来場者をサウンドシステムで囲うようにすることで、音の中にいるような錯覚に陥る空間に仕上げました。“訪れた人たちが元気になって帰っていく”、そんなクラブになってほしいです。
あとは、音楽の聴き方と受け取る情報量が膨大になったことで、音楽だけに集中して聴く時間は少なくなりましたよね。だからこそ、エンターでは音楽と向き合える側面を強くしたかったんです。若い人たちは、聴く耳も感性も持っているけれど、実際に素晴らしい音を体感できる場が無く、音楽に感動する経験が希薄だから、その機会を出来る限り与えたいと思っています。今の20代前半の世代は、特に優秀だし面白い子が多いんですよ。自分が若かった時に近いというか、バランスを取るのが下手だけど自由な感じがして、溜まっているものを吐き出したい、何かを表現したい子たちが増えているような気がします。しかも、私の世代はDJをやりたかったらDJ1本でしたが、今はDJもやるけど写真も撮るみたいな、ひとつに囚われない自分の活かし方の幅が広いですし。
コンタクトのメインフロアにあったスピーカー
—パンデミックによる影響は?
何が本当に大事かを見抜けたと思います。良かったことだけを言うと、オリンピックに向けてとにかく走っていた中で強制的に足踏みしたことで、走っていると見えなかったことが見えた。例えば、2019年に新宿にDJバーを出したんですけど、急ぎ足で作ったから新宿という街をよく理解できていなかった。パンデミックを経たことによって街の知見が増え、それからの方が営業形態やコンセプトがはっきりと見えてきました。あとは、個人がバラバラにされたことで自分は何ができて何をしたいのかを見つめ直す時期にもなった気がします。
—新宿と渋谷は、地理的には近いですがクラブシーンは全く違いますよね。
遊び方の価値観が少し違って、代々木辺りを境に渋谷が新宿を下に見ているような感じはありますよね(笑)。新宿の方が、格好付けずに単純に音楽とお酒を楽しみたいという気持ちが強いと思います。新宿にも才能がある人は多いですしタイプが少し違うだけなので、街単位で区切る感覚が無くなれば嬉しいですが、日本は職人気質なので自分の縄張りを作りがちなんです。海外では、DJにしてもアーティストにしても助け合わないと広い大陸で生きていけないから、連携と信頼し合うことを大切にしています。どんぐりの背比べをせず、本当の意味で助け合っていける場面を作っていきたいと思います。
—最後に、最前線で渋谷のクラブカルチャーを見てきた村田さんにとって、この10年の変化をどのように総括していますか?
EDMやハウス、テクノ、ヒップホップなど旬なジャンルは時期によって入れ替わり、メジャーとアンダーグラウンドの均衡のバランスは変わり続けていると思いますが、ダンスミュージックの中心はそんなに変わっていないんじゃないですかね。それよりも、音楽の楽しみ方が変わっていると思います。音楽を聴くために数千円のレコードを買っていた時代は、“クラブに来ないと聴けない音楽と時間”がありました。海外から来たDJが流す音楽が初めての音楽との出会いの連続で、それに感動して集まる時代だったんです。でも今は、“皆とその時間を体感したい”、“好きなアーティストを実際に見て思い出に残したい”という思考がより強くなっていると感じます。実体験や共感を求めていて、実は生きていくうえで一番大事なのって思い出なんですよ。思い出が無くたって死にはしないけど、思い出があるからこそ人は生きていける。クラブは、そういった機会を作る場所になっていると思います。
■ENTER
住所:東京都渋谷区神宮前6丁目19-17 GEMS神宮前 6階
営業時間:平日 21:00〜4:00 週末 21:00〜5:00/アフターアワーズ 〜9:00
定休日:日曜日
問い合わせ:03-6823-7595(株式会社グローバル・ハーツ)
公式サイト
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