エディット
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巷で香水好きを唸らせているフレグランスブランド「エディット(EDIT(h))」。創業110年以上を誇る朱肉メーカー「日光印」を手掛ける、モリヤマの6代目社長 葛和建太郎氏が立ち上げた。一見全く関わりのない事業だが、葛和社長は、「エディットは『練朱肉』の伝統的な技術を継承する僕らにしか生み出せなかったブランドだ」と語る。キャリアのスタートは音楽業界、それから老舗メーカーの後を継ぐといった経歴を持つ葛和社長に、「創業100年からの100年を繋いでいくための『本物』のブランド」について聞いた。
目次
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音楽業界から老舗の6代目に 新規事業の立ち上げで奮起
ーキャリアのスタートは音楽業界と伺いました。
元々大手のレコード会社にいて、プロモーターやディレクターとして働きました。いつか会社を継ぐというのは昔から頭にはあったので、29歳の時に退社。ニューヨークで数年間働こうと思っていたのですが、先代(父親)から創業100周年には戻って来いと言われ、結局1年半くらいバックパックで世界中を旅してからモリヤマに入社しました。
ー会社を継いでみて、どうでしたか?
初めは朱肉メーカーに入ったというよりも、自分が継ぐ会社に入ったという認識で、スタートアップのような新規事業をいくつも提案したんです。全国横断バスツアーを立ち上げようとか、インディーズ音源のMP3ダウンロードサイトを作ろうとか。当時はiTunesがまだなかったので、これはハネるだろうと自信を持っていたくらいです。今振り返ってみると、どの事業もここでやる必要がないものばかりですよね。朱肉の会社に入社したということを考えていなかったんです。
ー意気込みが空回りしてしまったんですね。そこからどうしたんですか?
やっぱりこれだけの歴史と、それを支えてきた技術は貴重な資産だということに気がついて、会社についてもっと知らなければと気持ちを切り替えました。当時の専務に、物づくりについて一から叩き込んでいただいて。匠たちの技を知る修行を経て、6代目社長に就かせていただきました。
自分たちにしかできないことってなんだ
ー社長に就任してから、会社をどのように見るようになりましたか。
これだけの技術と伝統があっても、この先100年を朱肉事業だけで続けていくのは厳しいだろうというのはシビアな課題だと入社時から思っていました。デジタル化など、時代とともに生活様式は変化しますが、それはどうしようもないことですから。
ーどこに活路はあると考えましたか?
当社が展開している練朱肉は高級朱肉の部類に入るのですが、当時でさえ生産しているのは6社ほど。さらに練朱肉を作っているメーカーの中でも、朱肉に香料を入れて香りづけしているのは世界でうちだけでした。この特徴にフォーカスすれば自分たちにしかできないものが作れるのではないかと。
ー事業のメインは朱肉ですが、生産過程で「香り」も扱ってはいたんですね。
エディットについて、朱肉メーカーが何故フレグランス事業を?とよく聞かれますが、全く突拍子もないわけではないんです。「ハンコを押す」関連製品だけで100年先は厳しいかもしれませんが、香りという副次的な要素を加えて、今後も必要とされるもの、使うことで新たな価値を生み出せるものを作ろうと思いました。ただ、香料に注目して新しいものを作ろうと計画した当初、商品はフレグランスではなく、「ルームフレグランスのように置いておくだけで香りが広がる朱肉」を考えていました。
ー「ルームフレグランス朱肉」はユニークですね。商品化していたらインパクトも大きかったのではないでしょうか。
僕も最初は嬉々としてそう思っていました。玄関先で宅配を受け取る時に、印鑑を押すじゃないですか。その古き良き所作を、朱肉という昔ながらのプロダクトを継承しつつ、モダンにアップデートできないものかと考えました。元々当社の朱肉で、ケースに漆塗りや江戸切子を使ったものがありましたから、そういう伝統的な美しいデザインも玄関のオブジェとして取り入れられますし。でも、これはご存知の通り商品化に至りませんでした。「ルームフレグランス朱肉」が実現しなかったというよりは、開発する中である転機があって、フレグランスブランドに方向転換したんです。
ーどんなことがあったんですか?
ルームフレグランス朱肉を作るとなった時に、まずは調香師を探して、紆余曲折を経て今エディットを一緒にやっている素晴らしい方に出会えました。その方に、朱肉で使っている香料の処方を明かして、新たな香りを考えて欲しいと依頼したところ、サンプルで出てきたのは液体。これには頭を抱えました。
ー何が問題だったんですか?
朱肉に使っていた香りは、元々お香や香道で使われるような粉末状のものなんです。でも新しい香りのサンプルは液体。これを朱肉に落とし込もうとすると、固形の朱肉にするために組成や比率を解析して、配合を組み直さないといけないんです。
ーなるほど。商品化のハードルが上がってしまったんですね。
でも、調香師さんが持ってきてくれた液体状の香りのサンプルが並んでいるのを見ていて、そもそもこれに使われている香りは、僕らの朱肉に使われている香料を含めて作られていて、言うなれば、僕らじゃないと生まれなかったものじゃないかと思ったんです。元々、このプロジェクトのスタート地点はイノベーションでした。そう考えるとこの液体は、「既存の顧客に新しいものを売る」「もしくは新しいお客さまに既存のものを売る」「あるいは新しい顧客に新しいものを売る」といった、所謂イノベーションのセオリーに当てはまる。さらに、判を押すっていうのはシグネチャー(署名)を残す行為ですが、香りもその人の雰囲気やキャラクターを構成する上で、目に見えないからこそ記憶や感覚に「残る」ものですよね。僕自身、同じ香水をずっと使っていた経験があるので、香りは個人を認識するシグネチャーになり得ると思っていて。そういうストーリーも納得できたので、フレグランスブランドとして新たに立ち上げようと決めました。
香り作りで役立った「音楽的アイデア」
ーフレグランスブランドの立ち上げに方向転換して今に至るわけですが、葛和社長自身の「香水遍歴」はいかがでしょうか。
僕が中高生の時って、「ラルフ ローレン(Ralph Lauren)」のポロだったり、「ジバンシイ(GIVENCHY)」のウルトラマリン、大学時代は「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」のCK1が流行っていました。ちょうど通っていた学校には流行に敏感な人が多くて、フレグランスも含めてファッションやカルチャーにものめり込んでいきました。当時は、そういった人気の香水も試してみたのですが、つけていて少し居心地悪く感じてしまった。そんな中で初めて自分の香りだなと思えたのは、「ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)」のル・マルでした。10年くらいずっと愛用していたので、20代の僕を知る人に聞いたら、葛和の香りといえばこれだってなると思います。
ール・マルにはどうやってたどり着いたんですか?
当時は新しいカルチャーに出合うために、感度が高い人たちがものすごく貪欲でした。例えば、カルチャー誌の「ポパイ」や「ホットドック・プレス」を読んで、渋谷、原宿、恵比寿特集なんてあろうものなら、全店舗まわってやるくらいの熱量があった。僕も例に漏れず、良いものに出合うためにいろいろなものに食らいついていました。ハウスやテクノにハマった時期でもあって、クラブのパーティによく行ってたんです。昔のクラブは今よりアンダーグラウンドな雰囲気で、新しいカルチャーの発信地。お洒落な人も、何か分からないけどとにかくパワーがある人も集まっていた。そこで、めちゃくちゃかっこいい人達が香水でいい香りをさせてたんです。後日、百貨店でフレグランスを色々試す中で、「あの人達みたいないい香りだ!」って見つけたのがル・マル。毎日つけても自分の好みだなと感じたので、自分のシグネチャーになりましたね。
ー時代によって人気のフレグランスがあると思いますが、そういうものを使おうとは思いませんでしたか?
今も昔も、へそ曲がりなんですね(笑)アンダーグラウンドな世界や新しいカルチャーのエネルギーが好きですし、誰も見つけていないもの、自分の感性を揺さぶってくれるものを探していた傾向はあると思います。
ーエディットは練朱肉の香料を含めて作られていますが、「練朱肉の香りのフレグランス」ということではないですよね?
ブランドの世界観とも関わりますが、朱肉という歴史のある商材から生まれたフレグランスですが、「ジャパニーズモダン」や「和風」のようなイメージを打ち出したいとは思いませんでした。ただ、そういったものを掲げなくても、日本人である僕の感性や、会社としての物づくりの姿勢ありきで作っていくうちに自然と日本的なムードやアティチュードは滲み出てくるだろうとは感じていました。朱肉由来ではありますが、僕のルーツやレコード会社での経験、知識をサンプリングしていけば、コンテンポラリーな物づくりができると考えたんです。
ー香りを作る上で意識したことは?
デビュー作は日本人の調香師さんと組んで作っていますが、フレグランスの本場・フランス流の考えは捨てようと話しました。育った環境や市場が違いますから、本場のやり方を真似しても敵いませんよね。そこで、僕がレコード会社時代に海外で音源をミックスダウンしたことを思い出しました。なぜ海外のミキサーに依頼するのかというと、彼らは作業途中で音の波形を振り切ったり、「大丈夫か?」ってくらい崩したりしますが、最終的に一曲にまとめるとすごく厚みのある面白い作品が完成するんです。日本でも敏腕と言われる方はそういう手法を恐れずに使っている傾向にあると思いますね。そこを参考にして、波形が綺麗な曲ではなく、どんどん壊して、僕らが面白いと思える香り、なおかつ「ハイフレグランス」を目指しました。
ー音楽的な考えが香りに反映されているんですね。具体的に、「壊した」部分にはどんなものがあるのでしょうか。
例えば、香りのノートはベース、ミドル、トップのピラミッドで、香料の配分には黄金比がありますが、調香師さんに「そんなものは一切考えないでくれ」と伝えました(笑)。希少な香料はものすごく高価ですけど、面白い香りのためなら原価も気にしないでくれと。
ー調香師さんにとっても、チャレンジだったのではないですか?
そうですね。最初に依頼した時から、練朱肉の香りからフレグランスを作ることや、歴史や物づくりの背景を踏まえたブランドにするって考えに共感いただいて、「一緒にチャレンジしましょう」と言ってくれました。フレグランス主体のブランドで香りを作るとなると、マーケットを意識せざるを得ないので、面白い香りを世に出す機会がほとんどなかったそうです。だからこそ、僕らからの依頼は新鮮で、やってみたいと思ってくださったそうです。
ー最初に作ったプロダクトは?
5種類の香りを作り、「オードパルファン」「ソリッドパフューム(練り香水)」、「アロマキャンドル」を商品化しました。今は「ホームフレグランス」もあります。
パリでデビュー「こんな香り嗅いだ事がない」と高評価 しかし取引は断念
ー日本より先に、パリでデビューしています。
最初はルームフレグランス朱肉を作る予定だったので、アジアの見本市や国際展示会に出すことを検討していたのですが、途中でフレグランスブランドに転換したので、パリで開催される国際的な展示会「メゾン・エ・オブジェ」に出展して、フレグランスの総本山で勝負しようじゃないかと考え直しました。
出展のためにセレクションを通過する必要がありましたが、この段階ではまだ試作の香りしかできていなくて、スケッチを使いながら必死にコンセプトやイメージを伝えたら受かったんです。でも、この段階で商品化できていない。当初計画ではもう少しゆっくり作る予定だったので、急ピッチで商品化を進めました。土壇場を切り抜けて、2018年1月に晴れてパリのメゾン・エ・オブジェに出展。デビューということになりました。
ー初出展の反響はいかがでしたか?
結論から言って、想像以上の手応えがありました。フレグランスコーナーって製品がずらっと並んでいる結構シンプルな区画なんですが、僕らは壁にグラフィックを施したり、照明の雰囲気も周りと差別化したりして、目立っていたんです。
初日は特に玄人や業界人が占めていて、オープンしてすぐに立ち寄ってくれた人が、10分くらいずっとムエットを嗅いでくれて。まだ僕らも緊張していたので、やっとの思いで声をかけてみたら、「私は20年近く調香師をやっているけど、このフレグランスには私が知らない香りが入っている。こんな香りは嗅いだことがない」って言ってくれたんです。それで、元々朱肉の老舗で、その伝統技術や香料をリコンストラクトしているって説明しました。そしたら、午後になってその人が20人くらいを引き連れて戻ってきたんです。話を聞いてみると、その人はフランスのパフューマー協会に所属していて、その会員たちを連れてきてくれたそうです。
ー本場の業界人に認められたんですね。
香りのベースになった練朱肉で使われている粉末の香料は、現代では香水にも使えるように液体版があるので、プロが「嗅いだことがない」っていうのは、ほぼあり得ないんですね。だから、僕らが目指していた、ヨーロッパの人たちにとっての不正解、波形を壊したからこその反応なんだと思います。その後もたくさんの方が立ち寄ってくれて、「テート・モダン」の売店や、セレクトショップ「メルシー(Merci)」が取り扱いたいと言ってくれました。
ーそうそうたるショップですね。デビューから卸先が決まるというのはすごいです。
実は、全てお断りするしかなかったんです。というのも、出展に急いで間に合わせたものだから、現地で販売するロジスティクスが整っていなかった。代理店も決まっていなければ、プライスリストも日本基準でしたし、支払いも日本と直接の取引になる。心苦しかったですが、ヨーロッパで売る体制が整ったら改めて連絡させて欲しいと、その時のお誘いは全てお断りしました。
ー反応が良かった分、苦しい決断ですね。
プロの方々からお墨付きをいただけたというのは光栄でした。ある意味、僕がいなくなっても続くブランドが出来たなと思えて、ほっとしました。でも、本場で通用するんだと分かったからこそ、デビューっていう熱量を置いてこのまま帰れないと思ったんです。製品はたくさん持っていたので、キャンドルやホームフレグランスを「イケア(IKEA)」のバッグにパンパンに詰めて、パリ市内で目をつけていたショップに飛び入りで営業してその場で買い取ってくれないかと交渉しました。そうしていくつかお店を回って、持って行った在庫は全て売って帰って来ました。
イタリア・ミラノの世界的な香水イベント「Esxence 2022」に出展した際のブース
Image by: エディット
日本では口コミで卸先が拡大 「メゾン ミハラヤスヒロ」でも展開
ーパリから帰ってきて、日本の卸先はどうやって決まったんですか?
デビュー以前に人づてで、セレクトショップ「テンポ(Tempo)」の社長と知り合いになり、ブランドについて話したことがあったんです。パリに発つ前に完成品を見せたらとても気に入ってくれて、「うちで取り扱ってみないか」ということで、2018年の春から日本での販売をスタートしました。
ー取扱店舗の中に「メゾン ミハラヤスヒロ」の直営店がありますね。
これも偶然というか、三原さん(デザイナーの三原康裕)のところのスタッフの方が気に入ってくれていたようです。三原さんとも直接お話しして、東京と大阪の店舗で取り扱ってくださいました。それも人づてでエディットのことを聞いて連絡してくれたみたいで。今卸している店舗は、エディットを見つけてくれて、良いと思って声をかけてくださった方々ですね。
ー2020年に三越伊勢丹が開催する、フレグランスの一大イベント「サロン ド パルファン」に初出展。出展ブランドの中でも異彩を放っていたのでは?
これもバイヤーさんが人づてでエディットを知ってくださって、オファーして下さったんです。名だたるメゾンが並ぶ中での新参者でしたから、とても緊張しました。大々的なプロモーションもしていなかったので、どうなることかと思っていましたが、始まってみると香水好きなたくさんの方がブースに立ち寄って下さった。会期中の売上もよかったですし、その後別の取扱店舗に足を運んでくださるお客さまが多くて励みになりました。接客してみると、本当に香水が好きで、良し悪しを吟味されてる方たちが多くて。ファンを裏切らない、嘘をつかない、本物を作り続けるとブランド立ち上げ以来心に誓っていたので、感動しました。音楽用語で例えると「wack(ダサい)なことはしないぞ」と。
ー葛和社長が考える、本物志向とはどういうことでしょうか。
「僕らがやって然るべき」かどうかだと思います。なぜフレグランスなのかは先に言った通りですが、高級朱肉を作るメーカーが作るフレグランスならば同じようにハイエンドなものを作って然るべきですよね。それから、物づくりをしていて思うのは、技術や品質はもちろん重要なんですが、理由がないことはしないって決断も必要。エディットのアロマキャンドルは、クラシックな朱肉には天然素材のハゼ蝋とオイルが用いられているから、じゃあろうそく(蝋燭)を作らないのはありえないなということで始めたんです。
ーエディットにとっては高級感もポイントだと。
そうです。見た目だけではなくて、素材や伝統技術、ち密な作業などが組み合わさることでハイエンドなものは生まれる。それは100年以上続く歴史がある会社だからこそブレてはいけないところです。フレグランスのガラスボトルは、セミハンドメイドモールディング製というヨーロッパの高級グラスでも用いられている製法で作られていて、重厚感のあるキャップは亜鉛製。亜鉛は朱肉のケースにもよく使われた素材なんです。キャップ表面のヘアライン加工は職人が手作業で仕上げたもので、同じ柄は存在しません。
ーヨーロッパの高級フレグランスだと、豪華なデザインが売りでもあります。エディットは真逆でシンプルですよね。
フレグランスは香りが主役ですから、そのほかの要素は極めてシンプルに留めながらも、微細な美しさが宿るようにデザインしました。ミラノの世界的な香水イベント「Esxence 2022」に出展した時は、「ミニマムで完璧なフォルムだ」と言ってくださる方もいたほどです。
100年続くブランドになるために あえて「セルアウトしない」
ー日本での認知拡大の戦略は?
少し最近の日本の香水市場の話をすると、新規参入が一気に増えていますよね。SNSでの話題性や若年層からの関心などを外から見ると、勢いがあって特に日本はまだ開拓の余地があるように感じるのだと思います。新規参入の多くは低〜中価格帯ブランドで、トレンドの香りや取り入れやすいボディアイテムなどを展開して、新客獲得のための商品構成ですよね。ビジネスとしてはある意味正解なんだと思いますが、僕らはバックストーリーやそれを支える伝統、品質まで、本物の「ブランド」にならなければいけないと思っているので、真逆の思考です。
ファンが増えるのは嬉しいことですが、ヒップホップ的なマインドで「セルアウトはしない」と考えています。市場に迎合して己を見失うと「ブランド」が壊れてしまうし、ファンを裏切ることにもなってしまう。だから、僕らがやらないと意味のないこと、ワックなことはしない。今はまずはブランドとして足元を固める時期かなと。
ーでも、ビジネスとして売上を上げないといけないのでは?
長期的には追求すべきことですが、ブランドの存在意義として今そこだけを目指しても意味がないと思うんです。一時的に大ヒットして月商◯億円を叩き出して売却するならいいですけど、エディットは100年続けるブランドなので、むしろ一時的なヒットには慎重にならないといけないかもしれません。海外の見本市や日本でのサロン ド パルファンで、エディットの確実なファンが存在するってことが分りましたし、日本・海外に限らずファンが増える可能性も感じています。下手に焦らず、地道に信頼できる取引先を増やして、同時に社内の体制も整えていくような、当たり前のことを着実にやっていきます。
ー今後の商品展開や新作にも関わってきますか?
そうですね。エントリー商品として手軽なものを作るブランドも多いと思いますが、そういう裾野の広げ方をしていません。新しい商品が出るとしたら、既存製品と同じように、僕らだからこその背景がある物ですね。
ー新しい香りについてはどうでしょうか。
レコード会社時代は1年でシングル3枚出したらアルバム1枚をリリースといったサイクルで動いていたので、ブランド設立初期は新作のスパンも考えはしました。でも、香りが使う人のシグネチャーになるのって、僕が20代の10年間、ル・マルを使い続けたみたいにある程度の期間が必要だと思ったんです。限定販売や廃盤で在庫を残さないようにするビジネス戦略を持つことも大事かもしれませんが、エディットでは可能な限り廃盤は避けたい。だから新しい香りをどんどん増やすよりも、一つずつ丁寧に作っていこうと思います。
ー最後に、100年続くブランドになるための意気込みを教えてください。
「100年先を見据えたブランド」っていうのはかっこつけすぎかなと思っていて、僕は100年先も続くように、今エディットを立ち上げた1代目っていうだけ。2代目がとんでもない人だったらもしかしたら......ってこともあるかもしれないので、未来のことは分りません(笑)だから、1代目の中でできることを紡いでいこうと考えています。本物が育つ歩みというのは、そんなに早足ではないと思うので。
(企画・編集:平原麻菜実)
エディット今後の予定
・サロン ド パルファン 2022
期間(一般):2022年10月20日(木)〜10月24日(月)※最終日18:00終了
場所:伊勢丹新宿店 本館6階 催物場
・リブ デ ラ ボーテ(Rives de la Beauté)
期間:2022年9月21日(水)~9月25日(日)
場所:パリ・マレ地区 L'Atelier des Rives(ラトリエ デ リヴス)
■エディット:公式サイト
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