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資生堂のグローバルラグジュアリーブランド「クレ・ド・ポー ボーテ(Clé de Peau Beauté)」。同社の決算発表でも、好調ブランドの1つとして常に名前が挙がるブランドだ。中国などアジアを中心に海外でも成長を続け、またインバウンドニーズも高く、アジアを中心に来日した人たちの“お目当て”ブランドにもなっている。そのクレ・ド・ポー ボーテを率いるのが、エグゼクティブオフィサーでクレ・ド・ポー ボーテ チーフブランドオフィサーの橋本美月氏。海外生活が長い橋本氏の、グローバルな感覚が今も、そしてこれからもブランドの成長に寄与していくはずだ。そんな橋本氏の半生における、4のターニングポイントと、今後のブランドの成長のカギとはーー?
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■橋本美月(はしもと・みづき)
幼少期、父親の仕事の関係でシンガポールで過ごす。大学卒業後、1997年資生堂入社。国際営業本部、国際事業部などで欧州マーケットの窓口の役割を果たす。2012年、資生堂シンガポール社長に就任。2015年、資生堂 グローバルプレステージブランド事業本部「クレ・ド・ポー ボーテ」ブランドユニット 推進グループリーダーとなる。その後、同ブランドユニットのビジネスプランニング&オペレーション部長、事業戦略部長などを経て、2022年1月より現職。
4つのターニングポイントとこれからの成長のカギ
1、シンガポールから日本に戻った時
―幼少期はシンガポールで過ごされたとお聞きしました。どんな環境でしたか?
2歳から7歳までシンガポールに住んでいました。なので自分自身の幼少期の記憶はこの時のイメージが強いですね。インターナショナルスクールに通っていて、日本人だけでなくいろいろな国の子どもたちと過ごす環境にありましたから、日本に帰ってきたときのカルチャーショックがすごかったです。
ーどんなカルチャーショックですか?
細かいことなんですが、たとえばシンガポールではスクールバス通学だったので1人で学校に行ったり帰ったりすることがなかったんですが、日本では1人での通学…。心配した母が近所のクラスメートの男の子に一緒に登下校して欲しいとお願いして。それで、女の子たちからいろいろ言われるようになってしまって…。そういうカルチャーで過ごしていなかったから、その理由を考えても分からなかったというのがありましたね。
―ああ、日本の学校だとあるあるかもですね。それは大変ですね…。
その出来事がとても強烈なインパクトとして残っていて、日本とそれ以外の国というカルチャーの違いを感じました。それがきっかけで、必要以上に空気を読んでしまう時期があったような気がします。でも、もともとの性格がポジティブなので、気をつけていても忘れちゃうんですよ。でもその経験が、毎回学びになっていました。
―どんな学びになったのでしょうか?
そうですね。子どもの時に日本以外の文化に触れた経験は、「これがすべてじゃない」という基準が自分の中に、芽生えたと思います。日本だけで育っていたら気が付かないことかもしれませんが、「これを普通だと思っているけど、別に普通じゃないよね」という俯瞰の目線を子どもながらに持っていましたね。また親も何も言わずに、「自分は自分、人は人」という態度でいてくれたし、年子の妹も同じような境遇だったので、傍でサポートしてくれる人がいて助かったな、という気持ちです。
学んだのは「自分そのものを変えるのでなく、自分を受け入れてもらうためにどう表現の仕方を変えていくか」ということです。
2、貧困の差を感じた時
―学生時代になりたい職業はありましたか?
実は国連職員になりたかったんですよ。シンガポールって、アジアの中では経済的に発展している国なんですけど、その周辺国で自分と同年代の子どもたちが働いている姿を見たときに、そういう人を助けたいという想いを持ったんです。
国連職員になるためには、最低2ヶ国語以上の語学が堪能であることが条件で、国連の公用語である英語、中国語、アラビア語、スペイン語、フランス語から、すでに話せる英語以外の言語を習得しないといけない…。いろいろ考えてスペイン語に決め、大学でも専攻しました。でも大学に入学してから、国連で働く人を含め、さまざまな人と話をしたり、経験したりしていくうちに、「私が目指すのはここではないのではないか」と。結果的に就職したのが資生堂だったんです。
―国連から、なぜ資生堂だったのでしょう?
私が資生堂を選んだのではなくて、資生堂が私を選んでくれたのかもしれません(笑)。日本で物を作っている会社で、それを海外で売っているところがいい、という基準はありましたね。作ったものを売って、対価をいただくというビジネスが分かりやすいと。大学を卒業したのが1997年で、まさに就職氷河期。就職活動も大変だったんですが、「化粧品のことは何もわかりませんが、入ったら頑張ります!」とアピールし、内定をいただきました(笑)。本当に“出会い”だったと思います。
3、先輩から言葉をもらった時
―資生堂に入社して、影響を受けた人はいらっしゃいますか?
もちろんたくさんの方から学ばせていただきましたが、ある方の言葉がとても印象に残っています。
現在のCOO 藤原憲太郎で、入社時のOJT担当者でした。一般的に資生堂に入社するとまずは地方の販社に配属されて、現場の経験を積んでから本社に戻ってくるというのが流れでした。だけど私は国際部に配属された久しぶりの新入社員で、営業とは無縁でした。だから同期会の集まりでみんなが営業として数字を達成することのへの苦労話などを話していた時に、それを経験していないことへのコンプレックスが自分自身の中にあったんです。
そんなとき藤原に言われたのが「わからないなりに、思いを持って行動しろ」と。こちらも当初はよくわからなかったのですが、年を重ねていくうちに少しずつ「自分で方向付けをしないと何も起こらないんだ」という意味を理解し、意識も変わりました。この言葉は、今でもありがたいと思っています。
4、シンガポールで部下の思いやりを感じた時
―国際部から、シンガポールでいきなり社長に抜擢されます。
シンガポールに赴任した当時は30代後半だったのですが、今まで部下が一人もいない状況から、約180人規模の社長に就任することになったんです。そのプレッシャーと残業続きで4ヶ月で7kgくらい痩せてしまって…。そんな時に同僚だった、今のシンガポールの社長、ジェシカさんから言われたことがあったんです。「完璧なボスなんていない。ボスだって見えてないことがあるから、私たち仲間がいるんです」と。その言葉で、ふっと気が楽になった記憶があります。自分でできないことは「やってほしい」と言えるのが「1つのチーム」である、という学びになりました。
―1人だけでできることって少ないですよね。チーム力を武器にシンガポール市場の成長を促し、そして日本に戻り、現在はクレ・ド・ポー ボーテのチーフブランドオフィサーとして陣頭指揮を執っています。ブランドの魅力、そして価値はどこにあると考えていますか?
クレ・ド・ポー. ボーテは1982年に誕生し、先進的な女性のためのブランドとして歩んできました。特に海外での昨今の成長は、「グローバルブランドへの成長」をチーム一丸となってまい進していることの結果によるものだと思っています。
ただ商品をつくって売るのではなく、関わる人たちの想いがブランドの価値を高めている。それはなにも東京のチームの独りよがりではありません。各国で独自に進めるのではなく、海外のチームとの密なリレーションを取りながら、さまざまな可能性や方向性に対応する柔軟さを持ち合わせる。これがグローバルブランドとしての成長に必要であり、現状のチーム力ではないでしょうか。
クレ・ド・ポー ボーテのビジネスとサステナビリティについて
商況:2022年12月期の売上高は前期比6%増、2023年上期(2023年1〜6月)で前年同期比15%増と伸長し、日本市場は第2四半期で前年同期比10%台半ば、第3四半期で同10%増。現在25の国と地域で展開し2023年に入ってからは、コロナ禍から外出規制や出入国の規制が徐々に緩和された結果、ホームマーケットである日本だけでなく中国などアジア市場でも売上は回復傾向にある。特に中国では、上期は前年同期比20%台後半の伸び、第2四半期単体は同40%増超と成長する。ただ第3四半期に入り、処理水放出後の日本製品買い控えなどの影響で同10%台半ばに留まっている。グローバルでのカテゴリー売り上げ比率はスキンケアが約6割、残り約4割がベース・カラーメイクとなっている。
サステナビリティ:UNICEFとのグローバルパートナーシップを今年リニューアル。2025年までの3年間で570万人の少女たちの支援を目標に、教育・雇用・エンパワーメントプログラムを推進する。加えてブランド独自のフィランソロピー活動「パワー・オブ・ラディアンス・アワード」は、女性の教育や地位向上に貢献した女性を表彰し助成金を授与することで、彼らの活動をサポートするもので、今年で5周年を迎え、今後も少女たちのエンパワーメントに取り組む。また、資生堂ポリシーとして2025年までに対象アイテムの外装100%サステナブル化を目指し、環境への配慮を選択する。
5、グローバルブランドへ欧米市場での成長がカギ
―今後の戦略について教えてください。
売上高2桁成長を目標に、現在はアジアが中心となっているマーケットを、欧米でもグローバルスキンケアブランドとして認知されることが大切だと考えています。COO 藤原からも「アジア以外のマーケットでどうやって成長していくかが重要」とも言われています。アジアは日本のマーケットと親和性が高いのですが、よりハードルが高い欧米市場拡大に向けてチーム一丸となって進んでいきたいと思っています。
本当に地道に、ラグジュアリーなお客さまと出会える接点においてしっかりとプレゼンスをつくっていくことに尽きると思います。2019年から欧州での展開は始めていますが、プレステージブランドとして、例えば英国ならハロッズ、ドイツならKaDeWeなどの老舗高級百貨店において、存在感を高めることが第一歩だと考えています。
―成長を維持している日本市場はどうでしょうか?
ブランドのマザーマーケットとしてとても重要です。今回、アンバサダーに女優の宮沢りえさんを起用したのは、日本のお客さまにブランドの魅力をきちんとお伝えする目的からです。海外の人が見たときに、クレ・ド・ポー ボーテというブラントが、マザーマーケットである日本で輝いているということが価値の担保につながると常に考えています。
―最後に、クレ・ド・ポー ボーテにとって大切にしていることを教えてください。
ラグジュアリースキンケアの領域で、リスペクトされる存在であり続けることです。常に最新のサイエンスの知見を今後もスキンケアアイテムに妥協することなく搭載し続けたいと思っています。コアスキンケアライン「キーラディアンスケア」を中心に、私たちのスキンケアの専門性を生かして、お客さまに新たな価値を提供できるようにできればよいと考えています。
(文:増本紀子 企画・編集:福崎明子)
ビューティエディター
株式会社alto主宰。4つの出版社で編集業務に関わり、独立。美容誌や女性誌、メーカーの顧客向けリーフレット、WEBなど多岐に渡る分野で編集・執筆を行う。2015年から文藝春秋の「CREA WEB」で「増本紀子のビューティレスキュー」を連載中。
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