口紅って何でできているか知っていますか?現在の口紅は油性の基材と着色料からできていますが、その昔は紅花から絞り出された染料で作られていました。そんな伝統を世界で唯一守り続けているのが、紅屋「伊勢半本店」。江戸時代から今なお続くスーパーロングセラーの「小町紅®︎」の原料となっている紅花の産地・山形を訪ね、年に1度の紅花収穫に参加してきました。貴重な体験と、紅花の知られざる魅力についてお伝えします。
目次
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紅花って知ってる? その起源と古の人々を魅了した神秘的な魅力とは
「紅花」と聞いて思い浮かぶものは現代では食用油ぐらいなのかもしれませんが、「紅の花」という名のとおり、もともとは紅の色素として親しまれてきた花です。
その歴史はとても古く、人類に使われるようになったのは約4500年も前のこと。原産地は地中海地方と言われており、そこから中近東に伝わり、中国、そして日本へと伝えらました。古代エジプトの遺跡では王の棺から紅花の花が発掘されています。紅の赤は強い生命力や神聖な力を象徴する色として崇められ、王の復活を願ってその紅花を入れたと考えられています。またミイラを包む布も、紅花から溶け出す染料で染めたものがあったようです。
紅花が咲くのは夏至から数えて11日めの「半夏生」の朝。この日に1輪だけ花を咲かせ、それを合図に次々とつぼみが開いていくといいます。これを「半夏ひとつ咲き」と呼ぶそうで、そうした不思議で神秘的なところも紅花の魅力です。
卑弥呼の時代に日本へ伝来 肥沃な土地を求めて最上川流域で花開く
紅花が日本に伝わったシルクロードを渡って紅花が日本に伝わっていたことがわかる一番古い例は、今から1700年前の卑弥呼の時代。奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)の溝のようなところから紅花の黄色い花粉が大量に発見されていることから、大陸から紅花と一緒に染めの技術も伝わっていたのではないかと考えられています。
紅花の「紅」は「くれない」と読みますが、くれないの語源は「呉の藍」。藍は色ではなく染料を指し、中国の呉の国から伝わった染料という意味です(諸説あり)。紅は大量の紅花からほんのわずかしか採れない希少な染料のため、紅を扱うのは都に住む位の高い人々に限られていたそう。そうした人が多く暮らす京都や奈良近郊で栽培するのが効率的ではあったものの、この地方は梅雨の長雨や台風に悩まされ、風雨に弱い紅花の病気とも相まって栽培は苦労の絶えない状況が続いていたと伝えられています。そうした背景から、花に適した気候や土壌を求めて北へ北へと栽培地を移し、450年ほど前の室町時代後期に、現在の紅花の産地・山形県の最上川流域に落ち着いたといいます。最上川流域は開花期に適度な雨に恵まれる盆地性の気候のため土壌も肥沃で、赤い色素を豊富に含む紅花がよく育ちます。
黄色い花がなぜ深く濃い紅色に? 伝統的な加工技術「紅餅」とは
紅花の花弁が鮮やかな黄色をしていることからも分かるように、そのままでは赤色にはなりません。3度に渡って丁寧に水で洗い不純物や黄色の色素を洗い流し、三日三晩酸化・発酵させ、丸めて潰して乾燥させた「紅餅(べにもち)」にして初めて染料として使うことができます。この途方もない手間暇を経て作られた紅餅一匁(いちもんめ・3.75g)に使われる紅花はなんと300輪!紅餅づくりが盛んだった頃はお金と同等の価値があったといい、都に持っていくと金の10倍、米の100倍にもなったそうです。現在、紅花を栽培する農家は約90人で、そのうち赤の含有量が多い高品質な紅餅づくりまでできるのは10人ほどだとか。
紅餅は1日10回程度ひっくり返しながら乾燥させる必要があります。生産量が増えるほど手間がかかるため、昔の農家では紅餅の周りに一文銭を10枚置いて、ひっくり返した人は誰でももらって良いという仕組みを採用していました。そのため、紅餅づくりの時期になると近所の子どもたちや「出羽三山詣」の行者たちが集まって、競い合うようにひっくり返すのを手伝ってくれていたとか。有名なわらべうた「はないちもんめ」は、そうして得たバイト代で賭け事を楽しんでいた、当時の子どもたちの情景から生まれたものだとも言われています。
ちなみに、山形伝統の「花笠音頭」の笠にあしらわれているのは、花ではなく筵(むしろ)に広げた紅餅なのだそう。
江戸時代から一級品と名を馳せた「最上紅花」が「小町紅®︎」の原点
平安時代は貴族のものだった紅も、江戸時代には庶民のオシャレアイテムに。その立役者のひとりが、江戸時代から今も続く紅屋「伊勢半本店」の創業者・澤田半右衛門です。京都産の紅が市場を占めていた頃、負けじと江戸で奮起し、試行錯誤を繰り返して作り上げた紅は、伊勢半本店初のヒットアイテムで、今なお続くスーパーロングセラーアイテム。紅花の花びらに含まれる赤い色素はわずか1%で、小町紅®︎はこの赤色の色素のみを使用。初代から受け継がれる秘伝の製法を守り、今も七代目当主の指導のもと、2人の「紅職人」によって作り続けられています。玉虫色の雅な艶めきは紅の純度や上質さがなければ出すことができないそうですが、なぜ乾くと玉虫色に輝くのかは未だ解明されていないそうです。
今なお昔ながらの製法で紅を作り続けているメーカーは伊勢半本店のみ。現代では歌舞伎役者や舞妓さんなどが使うことは少なくなったものの、結婚式での和装メイクや、唇に染まって色移りしないためフルート奏者などに需要があり、成人式のお祝いや海外の方へのギフトとしても人気です。
◆朝5時起床! 紅花摘みを体験
1. 紅花摘み
紅花摘みの朝はとても早い。陽が昇り気温が上がってくると花が乾燥して棘が立ってしまうため、棘がしんなりと柔らかい5時ごろからスタート。花の根元から1/3が赤くなっているぐらいが摘みごろで、根元を人差し指と親指でそっと摘んでキュッとひねるときれいに採れます。玉虫色に艶めく良質な赤の色素を取り出すためには、ベストな咲き具合の紅花を瞬時に見極め、棘が立つ前にスピーディに摘まなければなりません。
2.花振り
花振りの様子
Image by: FASHIONSNAP
次に、かごいっぱいに摘んだ紅花を井戸水で洗いにかけます。葉っぱを取り除いたり、迷い込んだ虫たちを自然にリリースしたりして不純物を取り除いていく「荒振り」と、米をとぐように花びらをギュッギュッとよく揉んで細かな傷をつけながら黄色の色素をしっかり洗い流す「中振り」、さらにこねてから水洗いして水を切る「揚振り」で花振り完了。3段階でしっかり丁寧に黄色い色素を洗い流すことで赤の純度が上がり、玉虫色の紅ができ上がります。
3.花寝せ
「花寝せ」の様子
Image by: FASHIONSNAP
花振りが終わったら、水を少し打ち、むしろで覆って日陰に置き寝かせて発酵させます。満遍なく赤色に染まるように三日三晩ひっくり返しながら寝かせますが、外気の温度や湿度で寝かせる時間が微妙に変わり、引き上げるタイミングを間違えると途端に黒ずんでしまい売り物にならなくなってしまうため、タイミングを見極めるのも職人技のひとつ。
4.餅状にする
寝かせた花びらをついて餅状にする。昔は杵と臼で行っていましたが、現在では電動餅つき機で餅にします。昔と製法が異なるのはここぐらい。
5.丸めて乾燥
紅餅を作る様子
Image by: FASHIONSNAP
ついた紅花を3cm程度の大きさに丸め、筵の上でギュッと押しつぶします。小ぶりの煎餅のようなサイズ感に成形して、1日10回ほどひっくり返しながら天日干しし、完全に乾燥させたらできあがり。
紅花摘みを体験してみて
紅花農家の今野正明さんの手
Image by: FASHIONSNAP
花振り後の手のひらは黄色に染まります。紅花から溶け出した黄色い色素には保湿作用があるため、水洗い後はクリームを塗ったように手がしっとりすべすべに。井戸水は手がかじかむ冷たさでしたが、紅花の血行促進効果のおかげですぐに手がポカポカになり、染料としてだけでなくスキンケアやボディケアの原料としても優秀であることを身をもって実感できました。洗っている時の花びらのふかふかとした柔らかな感触や立ち上る青々とした香り、黄色からオレンジに変化していく色の美しさ、筵の上で気持ちよさそうに“おねんね”している紅餅の風情ある光景など、都会でガサついた心身を優しくうるおす癒やしパワーも。
現地では、紅花茶や花びら入りの羊羹、花笠をかぶったゆるキャラの「べにたかちゃん」グッズなど、東京ではなかなかお目にかかれない特産品も多数。紅花摘みや紅餅づくり、紅花染めを体験できるツアーなども楽しめます。紅花を通して古き佳き日本を辿る、とても貴重で濃密な忘れ難い旅。ぜひ足を運んで、五感をフルに満たしてみて。
美容ライター
美容室勤務、美容ジャーナリスト齋藤薫氏のアシスタントを経て、美容ライターとして独立。25ansなどファッション誌のビューティ記事のライティングのほか、ヘルスケア関連の書籍や化粧品ブランドの広告コピーなども手掛ける。インスタグラムにて、毎日ひとつずつ推しコスメを紹介する「#一日一コスメ」を発信中。
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