Image by: FASHIONSNAP
会議室でのかしこまった対談よりも、お酒とタバコを片手に話した方が素直な話を聞けるかもしれない、と二人のデザイナーを居酒屋に呼び出した。
記憶に新しい、「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」がフィジカルショー形式で発表した2023年秋冬コレクションのテーマは「FINAL HOMME 2」。デザイナーの大月壮士は、かつて津村耕佑が手掛けていた「ファイナルホーム(FINAL HOME)」からの引用と明かした。二人は、ファッションデザイナーという広義の意味では先輩後輩の関係であり、どちらも男性で、お酒とタバコを嗜む。津村は武蔵野美術大学で、大月は「ここのがっこう(coconogacco)」で後続のデザイナーを育てる立場にもあり、どちらも「日本らしさとは何か」をデザインで表現するなど、共通点も多い。
ほぼ初対面だという二人のファッションデザイナーだが、この日「ファッションとは」を題材に5時間以上も話し(飲み)続けた。今回、FASHIONSNAPではほぼノーカットの全3話連載でその模様をお届けする。
津村耕佑
1959年埼玉県生まれ。1982年に第52回装苑賞を受賞し、1983年に三宅デザイン事務所に所属。三宅一生氏の下主にパリコレクションに関わる。1992年ジャケット全体を収納スペースとして活用した「ファイナルホーム(FINAL HOME)を考案。1994年にファッションブランドとして「ファイナルホーム」と「コウスケ ツムラ」をエイ・ネットからスタートさせ、パリコレクションとロンドンファッションウィークに初参加する。2008年から武蔵野美術大学空間演出デザイン学科の教授に就任し現職。2015年に独立し、フリーデザイナーとして活動している。
大月壮士
1990年千葉県生まれ。2011年文化服装学院アパレルデザイン科メンズデザインコース卒。在学中、プライベートスクール「ここのがっこう」に通い、山縣良和と坂部三樹郎に師事。2015年AWよりメンズウェアレーベル「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」を立ち上げる。LVMHプライズ2016のショートリストに日本人最年少でノミネート。2019年度 Tokyo新人デザイナーファッション大賞プロ部門入賞。TOKYO FASHION AWARD 2024を受賞した。
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究極の「ファイナルホーム」とは墓である
ーどうぞ、好きなものを頼んでください。タバコも吸えます。
津村:そしたらホッピーの黒。それと、とり皮、砂肝、はつを2本ずつと、チーズ揚げをください。
大月:生、お願いします。
大月:津村さん、渋いタバコ吸っていますね。
津村:「アルカポネ」というタバコなんだけど、10本で500円くらい。葉巻の一種で、長い間吸えるんですよ。本当は30歳の時に血尿が出て一度やめたんだけど、コロナ禍で外出禁止になって復活しちゃった。
大月:30年以上禁煙できていたのに(笑)。
津村:うん(笑)。武蔵美の喫煙所でも吸うんだけど、ああいうところはやっぱ学生も集まるから、自ずと授業以外の会話も生まれてさ。
大月:喫煙所談義は愛煙家の免罪符ですからね。
ー津村さんと大月さんは以前から交流がありましたか?
津村:去年の5月に行われた「プラダ モード 東京」で少しだけかな。
大月:津村さんのことを存じ上げていたので声をかけさせてもらいました。そのちょっと前にも、一度「レシス(LES SIX)」の展示会でお会いした気がします。
ー津村さん、レシスの2023年秋冬コレクションでモデルとして歩いていましたね。
津村:川西(レシス 川西遼平)が急に「出て」っていうから(笑)。着させられた服もちょっとホームレスぽくてね。「そういうことか」と思いましたよ。なりきるしかないなと。
大月:川西さんとはどういったご関係なんですか?
津村:「ランドロード ニューヨーク(LANDLORD NEW YORK)」のウェアデザインをしたのが最初かな。デザインは「ファイナルホーム※的な機能重視」なんだけど、その商標は使用出来ないから「コウスケ ツムラ」としてコラボしたの(笑)。
※ファイナルホーム(FINAL HOME):1994年に津村が発案したジャケットの名称、およびそのブランド名。「究極の家は服である」というコンセプトの元、表生地と裏生地の隙間を収納スペースとして活用でき、新聞紙を詰めれば防寒着に、あらかじめ非常食や医療キットを入れておけば災害時に対応できるサバイバルウェアなどを提案した。2015年に津村がエイ・ネットを独立したことをきっかけに、ビジネスを終了した。
ーなぜ今回お二人に対談してもらおうと思ったのかというと、「ソウシオオツキ」がフィジカルショー形式で発表した2023年秋冬コレクションのテーマが「ファイナル オム 2(FINAL HOMME 2)」だったんです。
大月:学生の時に3体だけ作ったコレクションタイトルが「FINAL HOMME」で。それは、ファイナルホームをちょっとパロったんですよね。
津村:ファイナルには「決定的な」という意味もあるけど、ファイナル オムは「究極の男」ってこと?
大月:「究極の」でもあるけど、僕の中では「最期の」でした。僕は、ファイナルホームを「生きるための服」だと思っていて。学生の時に作った最初のコレクションはお葬式をテーマにしていたんです。だから、最期の時の服という意味で「ファイナル オム(最期の男)」。ダジャレなんですけどね。
津村:それはでも、ある種のダンディズムだよね。言ってみれば「ファイナルホーム」というのも、ネーミングを思えば所謂「墓場」みたいなもんなんですよ。「最後の家」と言わなきゃいけない時は、きっと「行き着く先」という意味もはらむから。それって、ネガティブなイメージがあるかもしれないけど、違う解釈をすれば「死」は「旅立ち」とも言い換えられているわけで。表裏一体だと思う。というか、墓場も家ですからね(笑)。
大月:たしかに。“ファイナル”ファイナルホームはお墓ですね。
津村:「よかったですね、現世の苦しみから救われましたね」というのが墓なわけでしょ(笑)。だから、究極のファイナルホームはお墓。
プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケは何が革新的だったのか
ー二人にはもう一つ共通点があります。それは、大月さんはここのがっこうで、津村さんは武蔵野美術大学で教育に携わっているという点です。
津村:美大のファッションショーはオルタナティブでゲリラアート的な様相があるんだけど、ここのがっこうは美大のファッション教育と少し近しいものを感じます。
大月:僕は、文化服装学院に在籍しながら、ここのがっこうにも通っていたんですけど、絶命展※とかはまさに、専門学校とはまた違う表現のアプローチだったなと。
絶命展:デザイナー坂部三樹郎と山縣良和がプロデュース。2013年に初開催された。若手クリエイターらが参加し、展示ブースにモデルを立てて世界観を創り込むという実験的な発表形式が特徴。大月も参加していた。
津村:美大の学生は、ファッションブランドを立ち上げることを個展と同様に考えている節があると思うんです。 量産背景などを知らずに作品を作って、発表して満足してしまう、みたいなね。俺はその辺を、大月さんと話したかった。
大月:ブランドに入れば、産業の仕組みは否応に学びますけどね。美大で教えていて、工場や原価といった「学ばなきゃいけないこと」を知らないと社会でやっていけない、というジレンマみたいなのはあるんですか?
津村:ありますね。でもそれを教える時間はないし、興味がないのも感じる。ファッションショーはやりたいけど「量産とは何か」「ブランドとはなにか」というのをあまり意識していない気がする。
ー文化服装学院のような専門学校はそこまで教えるんですか?
大月:触り程度ですけどね。でも最近は少し力を入れ始めているようです。
津村:俺は、そっちの方が大事だと思うんだよな。「売る」ということも一種のエンターテインメントで、ある種の演劇と捉えることもできると思うんです。だから「ファッションビジネスを学ぶのはつまらない」という子もいるけど、「演劇だと思えばいいんじゃないの?」という言い方をするようにはしている。
津村:「サプライチェーンは演劇である」ということを考えていた時に、イッセイで「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」がデビューする時を思い出してさ。なぜ、思い出したのかというと、あれはつまり「作る工程」と「デザイン」が一体化してるんですよ。従来のプリーツアイテムは、プリーツのかかった生地をそれぞれ縫い合わせることで完成していたけど、プリーツ プリーズは、縫製まで完成した製品そのものにプリーツ加工を施している。だから「プリーツ生地を縫い合わせる」という工程を一個スキップしているし、その生産段階をデザインしている。一生さんは最初、疑問だったみたいだけどね(笑)。
大月:システムに対する構造自体をデザインしている、と。
津村:そこにクリエイティブの余地があるんです。あの考え方はかなり画期的ですよ。
三宅一生に言われた「教える立場になんかなるな」
ー教える立場として、何か意識をしていることはありますか?
津村:「津村さんはこういう人で、こういうファッションが好きで、こういう考え方だ」というのを勘付かれないように「俺らしさ」を希薄化させている。忖度されないようにしているの。
大月:例えばどうやって?
津村:いつもスタイリングや身なりの雰囲気を変えている(笑)。確固たる考えとかも言わないし、絶えずそこをずらし続けている。だって、俺の好みがわかっちゃったら絶対に忖度してくれちゃうもん。
大月:それを格好で表現するっていうのが面白いですね。
津村:しかもその表現が「隠れるための」表現というね(笑)。
大月:みんな、装いに対して言い訳を求めるじゃないですか。「機能的である」とか「貰い物だから」とか「朝起きて何も考えられなかったから」とか。
津村:「考えることが多くてファッションに時間費やしたくないから」と毎日黒い服を着たりね。
大月:それも僕は半分言い訳だと思っています(笑)。
津村:みんな「下心で選んでないんだぞ」という言い訳をしたがるんだね。
大月:何が言いたいかというと、本当は「これ、かっこいいから」でいいのになとずっと思っているんです。ただ一方で、スタイルはブランディングもあるよなと。
津村:ほとんどの人、特にファッションデザイナーは自分のスタイルをベースにする。でも、学校に限らず教える立場なら、気をつけなきゃいけないと俺は思うよ。だって学生は、どのスタイルになるかは未定なんだから。
大月:それは、ニュートラルでありたいという気持ちと近いですか?
津村:その通りだね。“津村ナイズ”された課題を提出されても、俺は「つまらねえな」と思う。仮にそれで俺がいい成績をつけたとしても「自画自賛」という話。だったら、俺の嗜好ずらし捉えられなくしようかなって。それが一番、若者のクリエイティビティを伸ばせるはずだから。
ーでもそれってとても疲れませんか?「本当の津村耕佑」はどこに行くんですか。
津村:いや、そうなんだよね。最近、よく思い出すのが「教育に関わると自分のクリエイティビティが曇る。自分が最先端を走っているならば、教える立場になんかなるな」と一生さんに言われたこと。実際、俺自身はどの位置にいるのかわからなくなっているし(笑)。
ーそれでも教壇に立つようになってからもう長いですよね。
津村:人間、やり始めると「教育は必要だ」と思い込もうとするもんなんだよ。自分を納得させようと。だから「重要だ」とは思っているけど「本当かな?」という気持ちと半分半分くらいの気持ち。
大月:僕はがっつり教えている立場ではないけど、「教育はすごく大事だ」と考えています。生徒のレベルも確実に上がっているのを感じますし。
教育というのは「真似の真似方を教えている」
ー大月さんは、ここのがっこうで講評などを担当されていると思いますが、一番見ているところはどこですか?
大月:最初は下心があるかないか。例えば「これは、あのデザイナーのここに憧れてパクっているんじゃないか」と思ったら、一度そこを突いてみて「いやー、憧れているんですよ」と返されたら「お、ええやん」と思う(笑)。否定、肯定どちらも正解かもしれないんですけど、なんにせよ潔いかどうかを気にするかも。
例えば、マルセル・デュシャンの「L.H.O.O.Q.」は、それがダ・ヴィンチによるモナリザであることを自覚しているし、なんなら、みんながモナリザを知らないと成立しない作品だと思うんですよ。今、この時代に0から何かを作り出すことの難しさに抗うためには、そういうインテリジェンスが重要になってくる気がするんです。
津村:そこに、その人のパーソナリティが入っているかどうかってことだよね。先陣で道を切り開いてくれたAというブランドと、後続のBがとても似ているとするじゃないですか。Bが、Aよりも秀でている部分があればいいんだけど、そうじゃないとよくないよね。最近はそういう事例をよく見かける気がする。誰かが作ってきた路線上でビジネスしようという、あざとさが透けて見えるというかね。
ーインテリジェンスはどのように定義づけていますか?
大月:ちょっと精神論になるけど、魂になっているか否かみたいなところはあると思う。あの時に見た“あの感情”は忘れられないなみたいな経験ってやっぱり残るし、強度がある。付け焼き刃の知識を蓄えているのとは訳が違うと思うし、面白いな、と。
一方で、ファッションやカルチャーが広まるのは真似からだと思うんですよ。やっぱりファッションは知識よりも好きの方が勝るものだから。ただ、それをビジネスにしようとした時は難しい。
津村:そうだね。所詮、真似は真似事だし、この世の全ては真似事とも言える。さっき大月くんが言った、インテリジェンスというのは皮肉なもので、学べば学ぶほど真似にもなり得るからね。だから、教育というのは「真似の真似方を教えている」というのに近しいものがある。
大月:僕も最初の頃は、例えば太郎さん(th products 堀内太郎)のインタビュー動画を目にして、その文言を自分に置き換えてみたらと書き出してみたり、いいなと思ったコレクションを全部ドローイングしてみて自分のブランドに置き換えたりしていました。
津村:その過程を経て、知識が血肉になっているんだよね。
大月:ファッションにはルールがあるじゃないですか。それは、どこの神社に行っても鳥居の形は同じみたいなことで、普遍的なルールがある。服という形は変わらずに何百年も同じだし、もっと言えばトレンチコートにチェック柄を用いていても誰も「バーバリーのパクリだ」とは言わないし、シャネルのツイードジャケットだって文脈になっている。
津村:普遍的なルールの上に乗っかったデザインが、何年か立つとコンテンツフリーになることは、ファッションにおいてもたまにあるよね。それはつまり、一般化したらということなんだと思う。
(聞き手:古堅明日香)
<目次>
デザイナー居酒屋本音談義、津村耕佑×大月壮士
1杯目:三宅一生に言われた「教える立場になんかなるな」
2杯目:バレンシアガとギャルソンを例に、ファッションにおける「リアルとフェイク」
3杯目:ファッションには場外乱闘が必要、ファイナルホーム復活はあるか
撮影協力:やきとり 井口
東京都世田谷区北沢5-20-11 メイゾン井口 1F
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