SNSを通じて見出されNYへ
ADVERTISING
—今ではトモコイズミのシグネチャーとなっているフリルですが、使い始めたきっかけは?
衣装の仕事の合間にポートフォリオになるような作品やサンプル作りをしていて、その時に日暮里の生地屋街でたくさん生地を買っては試していたんです。その中のひとつが安価でたくさんの色があるオーガンジーで、フリルを色々と試作しました。ドレスに使い始めたのは2015年くらいからだと思います。
—ターニングポイントは、やはりブランドが一気に知られるようになった2019年2月のニューヨークコレクションデビューでしょうか。
そうですね、周りの環境がガラッと変わりました。もとはと言えば2018年10月の東京コレクションに招聘されていたVOGUEイタリアのサラ・マイノにプレゼンする機会があり、彼女やアシスタントが作品をインスタに投稿してくれて。それからイギリスの「1granary」(名門校セントラル セント マーチンズのファッション誌)がインスタに載せてくれたり、それらの投稿を見たジャイルズ・ディーコン(デザイナー)やパートナーのグェンドリン・クリスティー(女優)といったフォロワーが増えていったんです。彼らがケイティ・グランド(スタイリスト / LOVEマガジン編集長)に僕の服を見せてくれたようで「LOVE」マガジンに掲載されることになり、年明けに僕が新作をインスタに載せたらケイティから夜中にDMがきて、その場でショーをすることが決まった——という流れです。
—かなりスピーディーですね。グローバルなファッションシーンでは無名に近かったかと思いますが、ショーが注目を集めて一躍時の人に。
自分でも信じられないような展開でした。海外には広めたかったけど、ショーをしようとは思っていなかったので。それ以前はコスチュームとして扱われることが多かったのですが、ファッションブランドとしてカテゴライズされるようになって、ショーの直後から様々なオファーがくるようになりました。
2年掛かりのジュエリードレス
—数々の雑誌を飾ったり、グローバルブランドとの協業が増えていきましたね。
一番最初に声を掛けてくれたのは、フランスのジュエラー「フレッド(FRED)」です。フレディズという人形型のペンダントブローチのコレクションでコラボレーションすることが決まって。
—ジュエリーデザインは初めてでしたか?
はい。なので「服じゃなくてジュエリー?」と驚いたんですが、すごく光栄でした。イメージしたドレスの再現力は予想以上でしたね。オーガンジーの軽さをゴールドのメッシュで表現していたり、人形の髪の質感から靴まで、この技術と美しさは本当にすごい。ローンチまで丸2年かかりましたが、発表してすぐに四国に住む方から問い合わせが来たそう。もしドレスもオーダーしてくれたら、すぐに四国に飛んで行って仕立てたいです(笑)。
—2020年は「エミリオ・プッチ(EMILIO PUCCI)」とのカプセルコレクションの発表、そして「LVMH Young Fashion Designers Prize(LVMHプライズ)」のファイナリストに選出されたりと、目覚ましい活躍です。
色々な方との出会いが大切だなと改めて思います。コラボって世の中に溢れているけど、どちらかだけではできないことが実現したり、相乗効果で高め合うのが本当の意味での協業ですよね。憧れている人に認知されるだけでも嬉しいですし、認められるというのはすごく勇気づけられる瞬間です。
—今年7月の京都・二条城で開催したショーでも「協力があってこそ実現した」と話していました。
京都の老舗企業や、個性豊かなモデルとか、多くの協力を得て服の持っている力を最大限に引き上げることができました。当日は大雨でハラハラだったんですが、本番前に止んで綺麗な月が見えて、あれはきっと、みんなの思いが通じた奇跡(笑)。ニューヨークとはまた違うショーの意味がありました。
—神社仏閣の装飾などからも着想を得たコレクションでしたが、もともと日本古来のものに関心があったそうですね。
親が働いているのが親戚の会社で葬儀屋なんです。なのでお寺に行く機会も多かったりとか、仏像に興味を引かれたり、そういう部分が当たり前に自分の中にあると思います。後から気付いたんですが、花環とかなんとなく僕の作風に通じる部分がありますよね。全く由来のないものを掘り起こしてデザインソースにするよりも、実際には身の回りにあったものが一番大きなインスピレーションだったりするものだと思います。
得意なものを一つ手にして世界へ
—"シンデレラストーリー"といった成功話として語られることが多いと思いますが、これまで行き詰まったことはありませんでしたか?
葛藤することはありました。一時期、海外を見据えて「ここのがっこう」に通っていた頃、発表会で外部の方が審査に来られるんですが「何をしたいのかわからない」と酷評されたことがあって。それで「くそ〜」と思って反骨精神というか、普段はワンレイヤーで作るドレスを3枚とか4枚とか重ねて巨大なドレスを作ったんです。後日その作品が目に留まってニューヨーク行きのきっかけになり、デビューショーのラストを飾って、メトロポリタン美術館に買ってもらい所蔵されることになった。当時はムカッとしましたけど、今となっては辛口の評価をしてくれた方に感謝ですね。思い出深いドレスです。
—前例がないというか、色々な意味でデザイナーズブランドの型にはまらない新しい道を切り拓いています。
自分が20代の頃にいたらいいなと思っていたような、ひとつのロールモデルになれたらとは思います。これまでに無い道や、カテゴライズできないものを目指していくと、受け取る側の耐性ができていなかったりするので、それを打ち破くような。例えば公的な支援などを見ても、売り上げを伸ばしてブランドを大きくしていくための支援しかなかったりという現状なので。
—その点、海外の方がフラットかもしれません。
そうですね。自分が海外で評価されたのは、商業的ではない視点でフラットに見てもらえたという部分が大きいと思う。既存のカテゴリーから外れても、新しい時代のファッションのあり方の一つして認められたらと思いますね。今は大量生産・大量消費のスタイルは合わなくなってきているし。得意なものを一つ手にして世界に出ていくことができる時代。自国だけの内輪意識みたいなものではなく、もっと外を向いて行けたらとも思います。
—コロナによって一新される部分もありそうです。
こういった時期だからこそのチャンスもあるんじゃないかな。例えば今年、VOUGE USの企画でジョン・ガリアーノと僕が一緒に仕事をするなんて、夢にも思わなかった。アナ・ウィンターがガリアーノに打診し、ガリアーノが自分を指名してくれたみたいで、ものすごく嬉しかったし刺激になりました。
—お互いの作品を使って新しいデザインにアップサイクルするという内容の企画でしたね。トモさんがこの世界を目指すきっかけがガリアーノだった、ということを彼は知っていたのでしょうか。
たぶん知らなかったと思う。最初に知ったのは2016年にレディー・ガガが着た時だと言っていました。
—色々な事が今に繋がっているんですね。
僕はラッキーだなと思います。コツコツ積み上げて、少しずつ更新してできることを増やしてきましたけど、何でも作れるデザイナーではないですから。ただただ、得意なことを伸ばしてきた。
—今年はTシャツやバッグなど、フリルを使った既成のオリジナルアイテムを販売しました。
10周年の記念ということで限定的に販売したら、思った以上に好評でした。少し前に青山を歩いていたら僕が作ったフリルの匂い袋をバッグに付けている方がいて、思わず「あー!」って言って、「どこで買ったんですか?」って聞いちゃった(笑)。街で偶然見かけるなんて初めての経験だったので。たぶん、またしばらく既製品の販売はやらないと思いますけど。
—ショーピースについては購入することもできるのでしょうか。
量産はしませんが、オーダーメイドという形で特別に作ることはやっています。
—フリルひとつにもまだまだ可能性がありそうです。これからの10年はどんなことをやっていきたいですか?
まずマイペースに続けていくことが目標ですね。飛ばしすぎて途中でできなくちゃっちゃうのも悲しいし。それから教育分野や若手支援には関わっていきたい。これからもきっと人の力を借りることがありますが、今度は逆に自分が若い世代にチャンスや力を与えるようなことができたらとも思っています。
(聞き手:小湊千恵美)
■TOMO KOIZUMI:公式サイト
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【インタビュー・対談】の過去記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境