Image by: FASHIONSNAP
宇多田ヒカル3年ぶりのフルアルバム「BADモード」のリリースが話題を集める中、そのジャケットにも熱い眼差しが向けられた。ジャケットワークを手掛けた写真家 Takay(タケイ)は、ファッション誌からラグジュアリーブランドのアートワークまでを手掛け、世界を舞台にして活躍している。記憶に新しいのは松重豊や仲村トオルなどが出演した「ヨウジヤマモト プールオム(Yohji Yamamoto POUR HOMME)」2022年秋冬コレクションショー。彼は同ショーでディレクションと撮影を手掛けた。写真家として活動を始めてから24年。「写真とは何か」という根源的な問いに対してTakayはどのように答えたのか。
Takay
1973年生まれ。1996年に渡英し、イギリスのファッション誌「i-D」でキャリアをスタートさせる。その後エンポリオ・アルマーニ、アルマーニ・ジーンズ、イヴ・サンローラン、Y3、アンダーカバー、リーバイス、エスティローダー、資生堂、アナスイなどのアートワークを手掛ける。
公式インスタグラム
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ーTakayさんは2022年にリリースされた宇多田ヒカルさん8枚目のアルバム「BADモード」のジャケットワークを手掛けています。
前作のアルバム「初恋」から宇多田さんとはご一緒させていただいています。
ー「BADモード」では、スウェット姿の宇多田さんが廊下の壁にもたれかかっている飾り気のない姿や、右側に映り込んだ少年の姿など、さりげないスナップショットがSNSを中心に話題を集めました。
子どもが映り込んだのはたまたまです。どの写真がジャケットになるのかはわからなかったんですが、数ある写真の中から宇多田さんがあの1枚を選んだんだと思います。
前回の「初恋」もそうだったのですが、宇多田さんとお仕事をする時は事前にアルバムを聞かせていただきつつ制作意図を伺い、そこから僕と彼女でアイデアを出し合いながら撮影をします。今回リリースされた楽曲は、歌詞を読んでいただいたらわかると思うんですが「コロナ禍での状況で人と人との距離が今まで通りにいかなくなってしまった、どうする」と我々に問いかけるものです。だからこそ、今回はなるべく彼女の自然体の姿を収められたらな、と思いました。「自然体を撮る」という方が難しかったりするんですけどね。
ーフォトグラファーにとって、被写体との距離感はもっとも悩むところなのかなと思います。
そうですね。いきなり人のテリトリーに入り込んだり、距離を詰めることは難しい。セレブリティや役者の方も、初めて会ったフォトグラファーにいきなり「普段通りの良い笑顔をお願いします」と言われても困りますよね。
ー被写体との距離感で意識していることはありますか?
積極的に話しかけたりと色々演出しようとは思っていますが、必ずしも近い距離感である必要もないのかな、と。被写体との距離感が遠いからこそ良い写真が撮れる時もあると思います。全部がくだけたスタイルでリラックスした写真が良いのかと言われるとそうではないと思うし、むしろ少しの緊張感が必要な撮影もあったりしますから。
ー具体的にはどのような方法で被写体との距離感を測っているのでしょうか?
僕が撮影で大事にしているのは、その時の被写体にとって1番良いポートレートを撮れるかどうか。もちろん、服を見せなければならない撮影のときはそのことも意識します。ただ基本的には「今日のこの人にとって最も良いポートレートを撮るためにはどうすれば良いのか、そのためにはどのような振る舞いをするべきなのか」を考えます。その基本の考えを基に様々なことが派生し、おのずと被写体との距離感も決まっていく気がします。
ー被写体にとってより良いポートレートを撮るためにはフォトグラファーの気配りが重要である、と。
そうですね。なにも人に限ったことじゃないと思います。もらったお題に対して、できる限りのアイデアを提案する。その日だからこそ作れる光やセットの広さ、狭さをどのように活かすのか、どこで撮影するのが適切なのかなど、その時々の状況で考えられる様々なことを全て考慮して最適な物を選んでいく。
ー全ての状況を瞬時に思索し、判断する能力は経験で培われるものですか?
経験はもちろんあると思います。でも、自分もそうだったように誰しもが駆け出しの時がありますし、僕自身も未だに毎回反省の繰り返しです。
ー機材にこだわりはありますか?
自分の好きなカメラはもちろんありますが、「コレじゃなきゃだめ」というのはないです。何でもいいとは言わないけど、自分のイメージに近いものが出せる機材だったら目的に合わせて選定すればいい。ただ、目的に合わせるためには色々な機材を試す時間や経験も必要だと思っています。
ーTakayさんは作品撮りのほかに、クライアントワークも数多く手掛けています。シャッターを切る時に意識の違いはありますか?
クライアントワークは相手が求めているイメージがある。なのでそれに近いもの、もしくはそれを超えるものを作っていけたらとは思っています。もちろん、その上で自分のスタイルが出せれば1番良いんですけどね。
ーフォトグラファーという職業に限らず、何かを表現している人は常に「作品撮り(自分が撮りたいもの)」と「クライアントワーク(相手が求めているもの)」の間で揺れているんじゃないでしょうか。
「まったく揺れていない」と言ったら嘘かもしれないけど、クライアントワークと作品撮りを区別せず、どちらも残るものを作っていけたらと意識しています。
僕は商業写真をそのままアート作品として発売するのも良いと思っています。この30年で時代も大きく変わりましたし「写真作家と商業フォトグラファーは違う。写真作家は一切商業写真をやらない」というような風潮や境界線は少しずつ薄くなってきている。この先はもっと変わるんじゃないでしょうか。
ー「フォトグラファーと写真作家の境界線は少しずつ薄くなっている」という話を踏まえた上で、Takayさんはフォトグラファーとはどうあるべきだと考えていますか?
フォトグラファーだからといって商業写真しか撮らないとか、写真作家だから商業写真は一切撮らないとかではなく、どの様な形にしろ商業写真も含め作品を作り続けることではないでしょうか?
ー写真を撮り続けて今年で何年経ちましたか?
デビューして24年なので、専門学生時代を入れたら28年ですかね。
ー"続ける"というワードが度々出てきていますが、フォトグラファーであるためには「続けること」が何よりも大事だ、と。
そうですね、それが1番大変なことだと思います。撮り続け、それを生業にしていくということが「フォトグラファー」ということなんじゃないでしょうか。
ーTakayさんはなぜ、続けることができているのでしょうか?
極論は作品を認めてもらって、生業として成立したからです。「続けることがきついな」と思った時もたくさんありましたよ。僕は2年しかアシスタント経験がないんですが、当時から撮りたくて撮りたくて仕方がなかった。「写真を撮ることが得意分野だな」「僕にはこれしかない」みたいな決意があったのだと思います。
渡英した時も、たたでさえロンドンには腕のいいフォトグラファーがたくさんいるのに、日本から来た僕に仕事なんかあるはずもなく。「お金ないな、また皿洗いのバイトをしないとな」ぐらいの感じだった。それでも自分が良いなと思えた作品ができた時は、出版社に持ち込んでいました。もしそれがうまくいっていなかったら、そのまま日本へ帰ってきていたかもしれません。
ー「生活ができるか」「衣食住に困らないか」ということは表現者にとって切実な問題ですよね。
おっしゃる通り「金銭的に難しい」ということもあるだろうし、「認められないから」というのもあると思います。昔、ある先輩に「石の上にも3年じゃないけど、10年ぐらいやらないと結果なんて出てこないよ」と言われたんです。僕の場合は「まあ、たしかに」と思えて、へばりついてでもやってみようかな、と。
金銭的に難しくなったり、精神的に苦しくなったときに「別にフォトグラファーじゃなくて他の職業でもいいかも」と思えるんだったら、それはそれでやったらいいと思う。
ー今、フォトグラファーを志している人たちに声をかけるなら、なんと声をかけますか?
撮ること。とにかく、自分の好きなものを撮るしかないんじゃないかな。自分の好きなものを好きなように撮り続けることで、自分の好きなものの的が絞れると思うんです。それが何かしらの独自のスタイルになっていくはず。今は、情報が多すぎて的を絞ることに困るかも知れないけど、好きなことをやり続けていればおのずと"自分の知らない自分の好み"が見えてくるんじゃないでしょうか。「私はこういうものが好きだったのか」と。
ーTakayさんにとって写真とは?
「写真は愛だ」とか「写真は記録だ」「写真は光と影だ」とか、そういうことを言いたいんですけど、僕は「まだわからないな」というのが正直なところです。わからないから続けているのかもしれない。
例えばカメラを持って街を歩いている時に、「気になるな」と思ったものはパッとレンズを向けるじゃないですか。興味がないものにはカメラは向けない。そういった意味ではそれが答えなのかな、と。記録であって、好きという興味があるものに対しての「残したい欲求」なのではという気はしています。
ー「撮りたい」という欲求が入り込むのが、写真。
そうですね。「フォトグラファーの欲求が入り込む」ということは、人が被写体の場合はもしかしたら暴力的になる時もあるかも知れない。ウィリアム・クライン(William KLEIN)の作品で、ワイドレンズであるにも関わらずとても近い距離感で人を映している作品がありますが「こんな顔している時の写真、撮られたくなかった」という人もいるだろうし、内容としては暴力的なのかも知れない。そこはカメラマンのエゴですよね。
ーそれでもレンズを向ける。
僕は「それでも撮る」というのを母校である大阪写真専門学校(現 ビジュアルアーツ専門学校)で学びました。先生たちの多くが作家としての活動しながら教鞭を取っていることもあり、授業の内容も「街に出て、来週までに20枚を発表しなさい」とか、そういう実践的な物が多かったんです。標準レンズだと被写体に近寄らないと強い画にはならないけど、いきなり被写体に近寄ったら「なんだよ、撮ったな」と言われたりもする。実践的な授業の中で対象との距離感、その距離感で生まれる効果を学びました。
ー表現者は「エゴ」とどのように折り合いをつけていくべきなんでしょうか。
まったくエゴのない状況って逆にあるんでしょうか?様々な言われ方があると思いますが「それでもやっぱり撮りたい」という欲求はもちろん、撮ったら何処かで発表したい、誰かに見てもらいたいという欲求は言い方を変えればエゴですよね。それの繰り返しなのかな、とは思います。
(聞き手:古堅明日香)
■Takay個展「IN PRAISE OF SHADOW(HOMAGE TO TADAO ANDO)」
会期:2022年4月8日(金)〜2022年4月28日(木)
会場:Akio Nagasawa gallery Ginza
開廊時間:火曜日〜土曜日 11:00〜19:00 ※土曜日は13:00〜14:00休廊
休廊日:日曜日、月曜日、祝日
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