会期中も会期後も読める新たな批評の在り方を模索。会期後のレビューではなく、会期中の展覧会を彫刻家で文筆家の鈴木操がレビューする同連載。第3回はDIC川村記念美術館で開催中の「カラーフィールド 色の海を泳ぐ展」。鈴木は同展をどう見たのか。
ロシアによるウクライナへの侵攻が開始された2022年2月24日の約1ヶ月後に始まったDIC川村記念美術館での企画展「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」展は、おそらく偶然だが、しかし何か同時代的な注意喚起を発していると、私は密かに感じていた。そして遅ればせながら今回、この連載をきっかけに足を運ぶこととなった私は、結果的に言えば完全に幸運だった。現在も続くロシアのウクライナ侵攻という状況は「歴史は繰り返す」という古い言葉の啓示がなくとも、1939年の独ソ不可侵条約※と似たような展開がいつ再演されてもおかしくないという緊張感に、日々付きまとわれている。古来から大陸文化の影響を受け続ける日本に暮らす以上、本来こういった警戒心を常に頭の片隅に置くべきだったのだろう。 安倍晋三元総理大臣銃撃事件も、このような歴史的で文化的・社会的混乱と当然ながら無関係なはずはないし、日本国内のこういった混乱が、国際的な場においてどのように日本のポジションへ作用するかというフィードバックも、これから五年、十年かけて徐々に見えてくるのだろう。 実際、独ソ不可侵条約が締結された同年に、それを受けて執筆されたと思しきアメリカの批評家クレメント・グリーンバーグ著の「アヴァンギャルドとキッチュ」※とその本人の影響力は、戦後冷戦下のアメリカ文化において非常に強大だし、その意味でグローバルな政治的・経済的状況の変化は、芸術を含めた文化的活動に決定的な影響力を持っている。
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※独ソ不可侵条約:ドイツのヒトラーとソ連のスターリンの間で締結された軍事同盟
※クレメント・グリーンバーグ:戦間期から戦後冷戦下にアメリカで活躍した、リトアニア系ユダヤ人のアメリカ合衆国の批評家。活動初期は革命家のレフ・トロツキーの活動に共鳴し、美術だけにとどまらず、政治、文化、社会と幅広い対象を批評した。
※アヴァンギャルドとキッチュ:1939年に芸術がアヴァンギャルドとキッチュに二分している状況について書かれた論文。グリーンバーグにとって、芸術におけるアヴァンギャルド=前衛とは、文化の推進の先端的な道を探求する精神性を意味し、それに対しドイツ語由来のキッチュは大衆的で俗悪的な物を意味していた。論中、ジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソの絵画、T・S・エリオットの詩を指してアヴァンギャルド=前衛とし、イリヤ・レーピンの社会主義リアリズム絵画、ノーマン・ロックウェルのイラストなどをキッチュとして比較対置させ、それぞれの芸術が持つ文化的かつ政治的な機能を分析した。その中でグリーンバーグは、芸術の過程を模倣するアヴァンギャルドに大きな文化的価値を見出し、芸術の結果を模倣するキッチュとそれを政治利用するヒトラーとスターリンなどを批判した。
ところで肝心の「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」展だが、概要から説明していくと、この展覧会は戦後アメリカ・ ニューヨークを中心に、1950年代後半から60年代にかけて展開した「カラー・フィールド・ペインティング」※の作家たちを紹介するものである。ひとまず簡単な所感から始めていくと、今回紹介されているアーティストの出身地が東西様々であったことは、私にとって非常に印象的であった。当時のアーティストが何に惹かれ、何を求めニューヨークを目指したのか、そのことについて考えざるをえないのであった。要するに、当時のニューヨークという都市が持つモダニティ、あるいはコスモポリタン的な性格を、彼/彼女らの作品たちが示す共同性を通して考える必要があると思ったのだ。そうなるとやはり指摘しなければならないのは、戦後冷戦下のアメリカの抽象表現主義の系譜において、グリーンバーグが果たした役割の大きさ、そして功罪を、彼の影響下で同時代に活躍したアーティストたちの作品がまざまざと物語っていたことだ。この芸術を通して生じた共同性は、戦後冷戦下のアメリカの覇権を特徴づける要素として重要であるように思うし、また一般的にはそこから始まったとされるコンテンポラリーアートの現代まで存続する一つの価値観=ハイブラウについて考える上でも重要であるように思う。
※カラー・フィールド・ペインティング:抽象表現主義の中の、色面が画面の大きな割合を占め幾何学形態や平面性を強く押し出す絵画様式を指す呼称。グリーンバーグがバーネット・ニューマンの絵画を「フィールド」と称したことに始まる。代表的な作家に今回の展覧会にも出品されているフランク・ステラ、モーリス・ルイス、ヘレン・フランケンサーラー、ケネス・ノーランド、ほかにミニマリズムとも通づるロバート・マンゴールド、エルズワース・ケリーなどがいる。
第二次世界大戦直後のアメリカがどういったものであったか、現在を生きる私たちは実感を伴う形では知る由もないが、ただ少なくともアメリカがヨーロッパ諸国に対する復興援助計画「マーシャル・プラン」によって西ヨーロッパ諸国へ大量のドルを供与し、代わりにイギリスやフランスが保有する植民地から資源を大量に輸入、また大規模なヨーロッパ製品の市場へと展開した歴史は、図書館にでも行けば誰でも知ることができる。つまり冷戦下において国際的な貧富の差や階級構造を巧みに隠し、米国帝国主義の結晶と言える活気ある光輝くニューヨークという街は、階級無き社会という幻想において、まさに夢を実現する街であり、身分階級は存在しないが成功者が高級な文化を身に纏う=ハイブラウという文化化された階級が美として化身した街なのであった。こういった状況において、ジャクソン・ポロック※を始めとする抽象表現主義※が影響を受けた1920~30年代のシュルレアリスムやメキシコ壁画運動が持っていた革命的な性格は、グリーンバーグ流のエリオット的エリート主義※をフィルターに、次第にハイブラウ/ミドルブラウといった非政治的な文化的グラデーションへと解消されていった。 そしてこのプロセスは、現在まで続いている抽象表現を指して非政治的であると観客が断罪し認識してしまうことの遠因となっているものである。
※ジャクソン・ポロック:グリーンバーグと共に抽象表現主義を先導した画家。アメリカに避難していたシュルレアリストやメキシコ壁画運動から影響を受ける中、「無意識」を絵画の描画方法に取り入れ実践した。キャンバスを床に置いて、絵具や塗料を垂らして描く独自の方法は「ポーリング」や「ドリッピング」と呼ばれた。旧来の構図の考えを逸脱する革新的な大画面の作品は「アクション・ペインティング」とも呼ばれ、その描く身振り=行為に注目した絵画方法は、後世の作家に絶大な影響を残した。
※抽象表現主義:戦後1940年代後半から50年代にかけてアメリカ・ニューヨークで旺盛した芸術様式。第二次世界大戦の戦火から逃れるためにアメリカへ亡命していたヨーロッパのアヴァンギャルド作家たちの影響のもと、キュビスムなどの非具象とドイツ表現主義的な特徴を併せ持つ作品を生み出した。50年代にはクレメント・グリーンバーグのフォーマリズム理論と共にアメリカが主導する美術運動という確固たる地位を築いた。代表的な作家にジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコなどがいる。
※グリーンバーグ流のエリオット的エリート主義:グリーンバーグはエリオットの階級維持的な保守的モダニズム志向の形式の部分だけを取り出し、歴史が浅くその意味で非階級的な社会であるアメリカにおいて、冷戦的戦略として、文化として定着させることを考えていた。
さて背景の描写はこの辺に留めて、カラーフィールドの作品へと踏み込んでいきたい。ただその前に、同展が開催されているDIC川村美術館で常設となっているマーク・ロスコ※の「シーグラム壁画」の鑑賞を通して、カラーフィールドの作家たちがどのような絵画の操作を行っていたかの補助線を設けておく。実際作品の時系列的にもそうだが、美術館での鑑賞の順序においても、ロスコの部屋をカラーフィールドより先に観る方が感覚的に分かりやすいと思われる。
※マーク・ロスコ:ロシア系ユダヤ人のアメリカの画家。バーネット・ニューマンやジャクソン・ポロックらと共に抽象表現主義を代表する作家。画面上に輪郭がぼやけた矩形の色面をミニマルに配置するスタイルで、グリーンバーグらから高い評価を受け一躍有名となった。
ロスコの部屋はロスコ財団の意向に添い、照明が薄暗く設計されていた。部屋の薄暗さ=視野の狭窄によって絵具の物質性への注目を完全に追い払い、照明や光の条件に応じて色の明るさが異なって見えるプルキニェ現象的に人間の視覚生理を利用し、人間の眼と深く結びついている「色」を根源的に印象づけることで、絵画=光と人間の関係が生み出す天地創造的な崇高性を空間化していた。正直私はこの空間へ拡張する支配的な暴力性にいささか警戒したのだが、こういった光の操作から、ロスコが絵画の中に絵画の本質を見ていたのではなく、絵画に没入するための演劇的で礼拝的な鑑賞状況に絵画の本質をみていたのは間違いないだろう。この空間的な操作は、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」※の中で指摘していた礼拝的価値=カルチャーを解体・再構築して展示的価値=モダニティに置き換え、双方を同時に扱っているという点において、当時としてはすこぶる敏感な時代的感性であったのではないかと思う。このような明暗の階調操作は、蝋燭や松明といった光源を利用して神秘的な絵を描いたジョルジュ・ド・ラ・トゥールや、ダイナミックに明暗を操るカラヴァッジョを想起させる。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールらが絵画の画面の内で行った明暗の階調操作を、画面の外において時空間的に体感させるロスコは、まぎれもなく映画と写真以降の眼を前提として、その眼に向けて問題提起することを意図していたと思われる。ロスコのこのような作品そのものと、作品の外の空間を扱う複雑な操作は、この後登場するミニマルアートへと通ずる未分化なニュアンスが濃厚に漂っていた。
※ヴァルター・ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」:複製技術=写真や映画と、ファシズムの登場を受けて1936年に書かれた評論。複製技術が現れたことによって、従来優れた芸術を前にした時に感じられたアウラ=美の観照が失われることを肯定的に論じた。
他方でロスコとは対称的に、カラーフィールドの作家たちは空間への拡張性は抑えられ、絵具そのものが持つ色=物質によって画面が構成されている。またロスコが問題にした絵画における礼拝的価値と展示的価値の混合はもはや持ち合わせておらず、展示的価値=モダニティのみで絵画の存在感をコントロールしようとしているのが特徴的である。カラーフィールドの作る色=光の画面は、ロスコの光の操作と違い、脱宗教的な光として感じることができる。それは産業化によって生み出された近代的な光であり、私たちの生活空間に満ち溢れる光=産業的な色なのである。印象派などは典型的だが、歴史的に絵画は近代化に曝される度に、光をどのように扱うかを基礎的な主題にしてきたように思われる。カラーフィールドの作家たちが絵具という物質を通して明かす、ある種の産業的で脱宗教的な光への信頼は、60年代の同時代に存在したミニマリズム※の工業的な表面性とも共鳴する。チューブの絵具が印象派に影響を与えたように、カラーフィールドの作家たちにとって、マグナという新しいアクリル絵具や工業用スプレーガンの存在が、ステイニングなどの新しい技法とキャンバス上の色面を条件づけている。
※ミニマリズム:1960年代半ば頃アメリカを中心に現れた、還元的で立方体や幾何学的な形態を表す作品の総称。代表的な作家にドナルド・ジャッドやロバート・モリスなどがいる。彼らは立方体を繰り返し並列配置することで物体の現前性を強調したり、三次元的な幾何学的オブジェクトと観客の知覚の関係を構築するなどして作品と観客の関係を接近させ、場や空間へ積極的に介入し演出的操作をした。批評家のマイケル・フリードはそれら操作を指してリテラリズムと呼称した。
しかしこういった産業主義を前提とした技法を差し引くと、カラーフィールドの作家の画面構成は、オーセンティックな近代西洋絵画の比喩的表現を行っているところがあり、印象派や表現主義などのスタイルの解体と西洋絵画のアーカイブ化の側面が強くあるように感じられた。それは言ってしまえば絵画の絵画であるし、グリーンバーグの非革命的なアヴァンギャルド性をよく示している。
「非革命的なアヴァンギャルド性」とは、筆者による、ヒトラーやスターリンの政策的大衆主義を相手取っていたグリーンバーグ理論の解釈である。要約すると、階級の概念をハイブラウというカルチャーに置き換えた所で、モダニズムのアヴァンギャルド性を維持する考えである。今から見れば、当時のアヴァンギャルドには二つの方向性があった。まずエリオットの保守主義に見られるように、西欧のブルジョワ社会の文化的慣習がオーセンティックな文化であるという選民的な意識を背景に「近代化の危機に対応する」アヴァンギャルドが生まれたとするモダニズム認識がある。他方でシュルレアリスムを指揮したアンドレ・ブルトンは、そういったブルジョワ社会の文化文脈を断ち切るために「旧来の文化への不満の表明=革命的な共産主義的アヴァンギャルド性」を有名なシュルレアリスム宣言の中で展開した。ブルトンからすれば形式主義的なアヴァンギャルドでは、支配的な旧来のブルジョア社会の文脈の中で、容易に制度化されて機能不全に陥るという危機意識が存在していた。その意味でエリオット的なモダニズムとは対極に位置する。これを踏まえると、西洋のオーセンティックな階級概念を身分階級の文化化という形で取り入れたアメリカという国において、グリーンバーグが実際に行ったことはアヴァンギャルドの制度化であったと言える。グリーンバーグの言うアヴァンギャルドとは、階級維持的な保守的モダニズムでも、革命的なアヴァンギャルドでもなく、冷戦的戦略としての非革命的なアヴァンギャルドであった。そしてこのフォーマリズム戦略は、のちのポスト・モダニズム理論にも多大な影響を残した。
ところで興味深いのが、宗教が受肉化したものを文化として捉え、それを問題視してきた19世紀的な近代性の片鱗がロスコの絵画には少なからず存在したが、カラーフィールドの作家たちはそれを断ち切っていることである。そして彼/彼女らは、産業化が受肉したものとして文化を捉え直し、それを条件に絵画と向き合っている。この点ロスコは、非常に懐疑的で抵抗を示す画面を構成しているように窺えたが、その意味で言えばロスコよりも カラーフィールドの作家たちの方がアメリカ的であるし、強くグリーンバーグ的な影響を画面上に構成している。この「産業化が受肉したものとして文化を捉え直す」という価値観は、その後のポップアートの出現を準備し、また皮肉にもグリーンバーグ流アヴァンギャルドとは別の道を、その後のアーティストが切り開いていくきっかけにもなっている。そしてここまでくると、シュルレアリスムなどの文化への不満を表明することを契機として現れていた革命的なアヴァンギャルド性は、もはや跡形もなく消え去っている。
現在から見て、当時のアメリカが持っていたヘゲモニーを完全に無視してしまえば、グリーンバーグの非革命的なアヴァンギャルド性とその影響関係にある作家たちの作品を、単なるリージョナリズムと乱暴に一掃してしまうことも可能かもしれない。しかしグリーンバーグが、ヒトラーとスターリンの存在を念頭に描いた抵抗的処方箋としてのアヴァンギャルド性は、言ってしまえば戦後になって冷戦下における国際的なヘゲモニーを笠に着ることで、表ではハイブラウな普遍性や多元主義を語ることを可能にし、他方裏では米国帝国主義のイデオロギー的道具として機能していることを巧みに不可視化してきたように思う。異論もあるだろうが、少なくとも日本に暮らす私たちにはこのように言う権利があるだろう。いずれにせよ、現代のコンテンポラリーアートの多くが、上述の表の面のみを見て実践されている傾向にあることに、私は強い危機感を感じている。
冷戦終結後の混乱も冷めやらぬまま、延々と国際秩序と国内の政治経済が混乱の様相を呈し続けてきたこの30年ほどを思うと、私たちが引き受けてきた戦後アメリカの覇権について再考することが、どのような道へと通づるか現段階では分からない。しかし少なくとも、現在地を知って目的地を設定するための材料くらいにはなってくれるはずだ。 そして恐らく、DIC川村記念美術館自体が冷戦下アメリカの覇権の一つの具体化であることも含め「カラー フィールド 色の海を泳ぐ」展は私たちに大きな問題提起をしているし、未知への手がかりを得るための絶好の機会となっているのは間違いない。
彫刻家/文筆家
1986年生まれ。文化服装学院を卒業後、ベルギーへ渡る。帰国後、コンテンポラリーダンスや現代演劇の衣裳デザインアトリエに勤務。その傍ら彫刻制作を開始。彫刻が持つ複雑な歴史と批評性を現代的な観点から問い直し、物質と時間の関りを探る作品を手がける。2019年から、彫刻とテキストの関係性を扱った「彫刻書記展」や、ファッションとアートを並置させた「the attitude of post-indaustrial garments」など、展覧会のキュレーションも手掛けている。
(企画・編集:古堅明日香)
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