サブカルの聖地、古着の街、演劇の街、音楽の街、カレーの街......と様々な異名を持つ下北沢。再開発もあって、今若者を中心に賑わいを見せている。一方で、「若者の街」としても知られる原宿はコロナ禍で閉店するショップが続出したほか、街へ集う人も減少傾向にあり、流行の発信地としての側面は陰りを見せている。様々な分野で「若者の〇〇離れ」と言われる中、下北沢が支持される理由は?原宿のトレンドを発信してきたストリートスナップ誌「TUNE」の元編集長としての経歴を持ち、現在セレクト&ヴィンテージショップ「メニュー(MENEW)」を下北沢に構え、下北沢近辺に約20年間住んでいるという「ノントーキョー(NON TOKYO)」のディレクター中川瞬氏に街の変遷と下北沢の魅力を聞いた。
変わりゆく下北沢、20年の変遷
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中川氏が下北沢近辺に住み始めたのは2002年頃。1970年代頃から「サブカルの聖地」とも言われていたこともあり、劇場やライブハウスが点在し、劇団員やバンドマンの姿が多く見られたという。「当時から"古着の街"とも言われていましたが、住んでみるとそこまで古着屋が多いとは思いませんでした。原宿の古着屋の系列店が下北沢にもあるといった具合で盛り上がりには欠けていましたし、一番街も廃れた通りという印象が強かったです」と中川氏は回想する。その後、劇団員やバンドマンなどによって形成される独自のカルチャーに目が向けられ、2010年頃から銭湯「八幡湯」跡地にオープンした「ニューヨークジョー(NEW YORK JOE/名前の由来は入浴場)」をはじめ、一番街に出店する古着屋が増加。また、2011年から開催されている「下北沢カレー王座決定戦(現:下北沢カレーフェスティバル)」をきっかけにカレーの街としても認知されるようになった。
また、中川氏は下北沢が注目された理由の一つを「メディアの力」だと話す。2012年に「シティボーイ」を打ち出してリニューアルした雑誌「ポパイ(POPEYE)」が、今では春の定番企画となった東京特集を開始して下北沢や世田谷線を紹介するなどメディアで取り上げられることが増えたことで街への安心感が増し、下北沢の注目度が高まったと分析している。「その後、ベルベット(VELVET)やカルマ(KALMA)をはじめとする高感度なヴィンテージショップも増えていき、再度"古着の街"としてフォーカスされるように。そして、若年層に支持されるデザートスノー(DESERTSNOW)やグリズリー(GRIZZLY)などの大量出店しているチェーン店が多店舗展開を始めたことで更に若い人たちが集まるようになりました」。
原宿から下北沢へ、心境と街の変化
中川氏は、「ノントーキョー」の前身ブランド「バナル シック ビザール(banal chic bizarre)」の直営店「Add」を2018年に原宿から下北沢へ移転。現在はウィメンズ向けの「メニュー」と統合し、茶沢通り沿いで営業している。原宿を離れた理由については「自身の心境の変化」だと口にする。
中川氏は2005年に原宿に店舗を出店。22歳の頃で、原宿に憧れを持ちながらオープンしたためステータスを感じていたという。「当時はスナップ文化も盛んでしたので、出勤するだけで新しいアクションが起きましたし、原宿に集まる人たちや同業者とのコミュニケーションに合理性を感じていました。ただ、スナップ文化も衰退して、インバウンド消費がメインとなった原宿に顧客さんを含め私たちがわざわざ来る理由を見出せなくなってきました」といい、原宿に店舗があることをステータスだと感じなくなったため、長年住み事務所を構えていた馴染みのある下北沢に店舗を移した。古着屋が多く、下北沢へ出店しているセレクトショップが少ないことから「プロパーで服を買う文化が根付いていないのでは」という懸念点もあったそうだが、「オープンしてみると『こういうお店を探していました』という方が多く、下北沢をはじめ世田谷線沿線など近隣に住む大人の女性たちの渇望感を埋めるショップとして受け入れられたのが幸いでした」と話す。
下北沢の特徴について中川氏は「街へ来る目的が明確ではない印象を受けます。下北沢の街を歩くだけでミッションとしては成立していて、少し調べて入ってみたカレー屋や、行き当たりばったりで入った古着屋などその日のスケジュールは街を散策しながら形成していく傾向が強いのでは」と分析。一方、原宿については「一つ一つのお店へ行く目的が強いのですぐに満足感を得てしまう。20年前の原宿はスナップ文化も盛んだったので、写真を撮ってもらいたくて意味もなく歩く人も多かったんですが、今はカルチャーが変わって原宿を散策する意味が薄れてしまったのだと思います」と話す。中川氏はVANTANデザイン研究所で講師としても活動しており、20歳前後の教え子たちとの会話にも変化を感じるという。「今の学生から原宿というワードをほとんど聞かなくなりました。一方で昔の学生から下北沢の話を聞くことがなかったですが、今の学生にはポップアップショップの出店先に下北沢が選ばれるほど魅力を感じているようです」。
重い扉がない開放感、街の延長線上にある商業施設
下北ミカン
2004年の着工から約14年をかけて下北沢地区の連続立体交差事業および複々線化事業が2019年3月に完了。小田急線の地下化によって線路跡地をはじめ駅周辺が開発され、「ボーナストラック(BONUS TRACK)」「リロード(reload)」「ミカン下北」と商業施設が続々とオープンした。中川氏は商業施設について「それぞれの施設が足並みを揃えて、凄く街のことを考えてくれたというのを実感します。重い扉がなく、開放感があるので気軽に入ることができ、街の延長線上にあるイメージ。また、東北沢方面にリロード、世田谷代田方面にボーナストラック、中央にミカン下北があり、下北沢を中心に各方面へ広がっていて、街を散策する下北沢の魅力を増してくれています」と話す。
さらに、下北沢の商業施設の魅力の一つに、ラグジュアリーブランドが出店していないことをあげる。「例えば、ミヤシタパークやスクランブルスクエアの屋上はフォトスポットとして一時期は人が溢れるほど若者が集まっていましたが、今は落ち着いています。その理由は施設内のショップの単価や雰囲気が、屋上にくる若者たちの需要に合っていないから。屋上から降りてくるときに寄れるお店がないため、足が遠のいてしまうんだと思います。下北沢の施設にも大人向けのショップがありますが、ラグジュアリーブランドほどかけ離れていないため若者が背伸びしたくなるようなちょうど良いバランスなんです」。
「今、空き店舗が出ればすぐに低価格帯の古着屋が出店している状況で増え続けていますが、需要と供給のバランスが崩れ、いくつか淘汰されてまた空きテナントが増えてくると思います」と今後の下北沢について予測する。「その跡地に、下北沢の街にあったカルチャーを感じる店舗が出店するか、街と関係のない大手チェーンなどが出店するかが大きな分かれ道になる」と分析。前者であれば人が集まる街として発展され続けるが、後者であれば街の魅力が低下し来訪者は減少すると指摘する。
「2000年代は再開発へ反対する声も多かったですし、変化に対してネガティブで私も反対派でした。ただ、蓋を開けてみれば、街のことを考えて開発してくれているというのを感じますし、下北沢に店を構える経営者はポジティブに捉えている人が多いです。もちろん前の方が良かったという人もいるとは思いますが、もしも時代の変化を楽しめるのであれば、今の下北沢は凄く面白い街だと感じられるはずです」。以前のサブカルさは薄まりつつあるも、近隣に住むファミリー層が増えて幅広い世代が集まる街へと発展していった下北沢。再開発も最終段階を迎え、全貌が見え始めた新しい街並みはこれからどのように変化していくのか、注目が集まる。
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