【連載】老人ストリートスナップ:Not Plastic Fashion 「#1 宮崎駿みたいな人」
写真家YUTARO SAITOのスナップ連載
【連載】老人ストリートスナップ:Not Plastic Fashion 「#1 宮崎駿みたいな人」
写真家YUTARO SAITOのスナップ連載
真に個性的なファッションとは、本来、自分自身にベクトルが向いたものではないだろうか。しかし近年は、流行、憧憬、価値などのように、記号的で「他者にベクトルが向いたファッション」=「プラスチック・ファッション」が一般化しつつある。そんな中、「自分の生活しやすい服」「趣味を通じた服」を好む傾向が強く、パーソナリティやライフスタイルと地続きである老人(おじいちゃん)のセルフスタイリングにこそ、本来の“ファッション”は見出せるのではないか。被写体へ実際にインタビューを行うことで、おじいちゃんファッションの背景、ひいては本当のファッションを写真家YUTARO SAITOと探求する連載「ノット・プラスチック・ファッション」。第一回は「宮崎駿みたいな人」。
プラスチック・ファッション(Plastic Fashion):写真家のYUTARO SAITOが昨今のモードを表した造語。SNSの発達とメディア構造の変化により、洋服の物質的な消費よりも、記号的な消費が加速する現状を、ロゴやキャッチコピー、ビビッドで目を引くカラーリングなどのラベリングを行ない、ドラッグストアに並べられるプラスチック製商品になぞらえている。プラスチックファッションを選択する人々の意識は、「他者へのベクトル」が強い傾向にあるとしている。
ノット・プラスチック・ファッション(Not Plastic Fashion):プラスチックファッションの対義語。「自己にベクトルが向いたファッション」を指す。斉藤は、ノット・プラスチック・ファッションの例えとして、「自分の生活しやすい服」「趣味を通じた服」を好む傾向が強く、パーソナリティやライフスタイルと地続きである70代〜80代の老人のセルフスタイリングを挙げる。
「70歳〜80歳のおじいちゃんたちは似合っている、似合っていないという視覚的な要素を超越した段階にいる。ファッションの『見る/見られる』という関係性から遠く離れた彼らは、選ぶ段階での意思が強く反映された極めて機能的な服を無意識にまとっているのだ」
ーYUTARO SAITO
(文・写真:YUTARO SAITO)
※YUTARO SAITOのnoteから2023年6月18日公開記事を再掲
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──宮崎駿みたいな人と出会ったのは、2023年6月18日の日曜日。
梅雨入りしてからというもの、休みの日に悪天候が重なり2週間ほど撮影をしていなかった。であれば読書の梅雨ということで、その間はファッションの勉強でもしようと鷲田清一の本を読み返していた。学生の時に読んで以来だ。清一のファッション論は哲学的なものが多くゴール地点がないので、難しい。学生の時よりも少しは理解できたが100%には程遠い。もっと修練が必要だ。
さて、この日は久々の晴れた日。おじいちゃんハントで久々に阿佐ヶ谷にでも行こうと総武線をかっ飛ばした。阿佐ヶ谷で昼飯をかっ喰らい、駅前を彷徨く。スーパーマーケットの前にイケたファッションの放置自転車管理のおじいちゃんがいたので声をかけてみたが断られてしまった。まあしょうがない。続いてキャップから足元まで全身真っ白のウォーキング中のおじいちゃんを見かけた。真っ白のポロシャツは経年で少し黄ばんでいる。昼下がりの少し傾きかけた日差しに照らされた真っ白な衣装は、若さと健康の象徴の色のように見え、おじいちゃんの老いた肉体とのコントラストが何とも魅力的に感じた。タイミングを見計らって声をかけてみる。ダメだ、断られてしまった。
場所を変えてみよう。失意の中、私は荻窪に向かった。商店街をフラつき古本屋で写真集を買うなどして散策してみたが、なかなかいいおじいちゃんに出会えない。今日はもう帰って、買った本でも読もうか。そう考えながら駅に向かおうとしていた。と、その時。私の横を宮崎駿のようなオーラを放つ異端なファッションのおじいちゃんが横切った。思わず振り返って二度見した。今日はこれがラストチャンスかもしれない、と思い切って声をかけてみる。
YT:すみません!私カメラマンしていまして。年配の方のファッションの写真撮ってるのですが、すごい服装かっこいいなと思って。よかったら1枚、撮らせてもらえませんか?
駿:おぉー、何に使うの?
YT:これこれこうで……。将来的に本にまとめたいと思っています。
駿:ほー、何年後?
YT:1、2年後くらいです。
駿:なるほどー、顔写さなかったらいいよ。
YT:マスクしてもらうとかだとダメですか?
駿:あー、じゃあ。
と言うと、駿おじいちゃんは徐に胸元のポケットからメガネを取り出した。
駿:じゃあこれで。
YT:なんすかこれ!!
取り出したメガネは、左側のレンズにはセロファンのようなもので蓋がしてあり、右側のレンズは取り外されていた。聞いてみると、駿おじいちゃんは右目の視力が弱いため、時折このメガネを装着してわざと右目しか見えない状態にして右目のトレーニングをしているらしい。私はメガネの基本理念とは視力を補強することにあると考えていたが、このおじいちゃんの使い方はむしろ逆。メガネのフレームという構造のみに着目し、左目の視界をゼロにすることで着用前よりもむしろ両目の視力は落ちている。令和のコペルニクス的転回である。まだツッコみたいところは山ほどある。
YT:これ、袖はどうなってるんですか?
駿:夏でもスーパーとか寒いでしょ?そういう時便利なの。
YT:じゃあ下に着てる青いシャツは半袖ってことですか?
駿:そう。
他のシャツから切断した2本の長袖部分を緑色の紐で互いに縛っている。そしてその紐はメガネストラップのように首の後ろに回されている。いつでも着脱可能な袖ストラップというわけだ。見たことがなかった。今まで雑誌、ファッションスナップ、ランウェイ、映画、インスタ、あらゆる媒体でファッションを観察してきた。だが、What?なんだいこれは?恐らく意味を問うとかそういう次元ではないのかもしれない。逆に、これについては深く考えないでおこう、うん。駿おじいちゃんには駿おじいちゃんの宇宙があるということだ。
上半身のインパクトに100%思考を持ってかれていたが、冷静に見てみると下半身のコーディネートも面白い。短丈のショーツ(ん?これトランクス?下着?)にハイカットの黒シューズの組み合わせは上手くまとまっている。毛が濃いのもいい。クリス・ヴァン・アッシュが好みそうなコーディネートだ。
YT:靴もかっこいいですね!これは足袋?職人さんが履くやつですか?
駿:うん、これ地下足袋で。靴より直に感覚が伝わるでしょ。歩いていて感覚があるから。それがいいの。日本人は靴履いてからダメになったね。
私の認識不足だったが、足袋には「足袋」と「地下足袋」の2種類があるらしい。足袋とは靴下のようなもので下着であり、下駄などと共に着用される。地下足袋は足袋の利便性を広げるため、屋外で単独で履けるように改良されたものだ。つまり「足袋=靴下」「地下足袋=靴」に置き換えられる。靴文化と日本人の衰退という興味深そうな話は残念ながら深堀りする時間はなかったが、ファッションでマルジェラの「タビ」ブーツを履く人よりも足袋に対する強い思想は感じられた。
──以上を踏まえ、このおじいちゃんはアニメへの情熱をファッションに全振りした世界線の宮崎駿さんだったと結論付けたい。正直今まで会ってきたおじいちゃんの中でダントツで宇宙なファッションだったので、自分でも釈然としない部分がたくさん残っている。ぜひ皆さんにもこのおじいちゃんのファッションについて考察してもらいたい。きっと20'sのファッションを解明していくヒントが、駿おじいちゃんには隠されているはずだ。
YUTARO SAITO
写真家。1994年生まれ。ファッションと消費文化をテーマに写真作品を制作。2021年11月「20’s STREET STYLE JOURNAL」を出版した。
公式インスタグラム
(企画・編集:古堅明日香)
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