BALMUNG 2021年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
いつもなにかと台風や季節外れの天候に見舞われていた東京ファッションウィーク(Rakuten Fashion Week TOKYO)。今回は珍しく快晴の空のもと、会場も都心部に留まらずさまざまに開催された。
パンデミックにより、国外での発表中止を余儀なくされる一方、前回シーズンに比べて徐々にショーを開催するブランド数が増え、ブランドを支援するプロジェクト「by R」によって国内への熱気を取り戻そうとする流れも漂っていた。
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そして、その国内で熱気を熟成していく姿勢は他国でも起きている。
例えば、中国であれば昨年10月に若手ブランド支援のコンテスト「YU PRIZE」*を設立。スポンサーには、FarfetchやDidiなど業界外の企業も参加し、パートナーシップにはTHE METやBRITISH FASHION COUNCILなどが並ぶ。受賞者には、15万ドルの賞金とともにハロッズでの販売が約束されるそうだ。
一方、韓国はそのようなインスティチュートを中心とせず、やはりK-POPをはじめとするカルチャーが母国のファッションシーンを国外へ紹介する力を近年ますます発揮しているように感じる。VOGUE CHINAの編集長に27歳のマーガレット・チャン(Margaret Zhang)が就任したことをはじめ、20〜30代の感覚や価値観が未来への舵取りを担いはじめているのは確かだ。
KEISUKEYOSHIDA 2021年秋冬コレクション Image by: FASHIONSNAP.COM
珍しく爽やかな自然光に照らされながらショーを開催した「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」は、間違いなくそういった次の世代へファッションの希望を示していた。
パンデミック後、21S/Sコレクションよりグッとパーソナルな記憶に焦点を当て、未来へのまなざしを提示するブランドを散見するようになったが、デザイナー・吉田もまた21S/Sコレクションでは、生まれ故郷に由来した荒川河川敷での野外ショーで彼の心情をオーディエンスの心に投影させた。そのショーから、どことなくデザイナー自身がデビュー当時の雰囲気に再び向き合いはじめているようだった。
そうして今回のコレクションでは、より具体的なモチーフとして学生服、日本独特のじめじめとした儚さ、教室に差し込む光がショー会場に混在する。光があれば必ず影もある、影があるから光も感じることができる、そしていずれ光で導くこともできる、そういったブランドの原点に回帰しつつも、更新する姿がそこには映っていた。
俯きながら歩くモデルたち、彼らの首を重心として前に垂れ下がるカットソーやロングコート、外の明るさとは対照的に滴る雨の音。デザイナー自身の学生時代を反映したそれらの光景には、「冴えない姿こそ希望のメタファーになりうる」という逆説的な言葉が込められている。それは、葛藤を抱く学生のみ共感するものではなく、いま在る複雑な心情も受け止めながらも前向きに進む現代社会にも重なるようだった。
デザインプロセスの出発点にもなったという「俯く」人の姿は、単純に鬱々とした学生の姿にとどまらず、わたしたちの日常の光景に置き換えれば、携帯に没入する現代の人々のシルエットにも見える。この「俯き」の佇まいは、これまで90年代であれば「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」 、近年であれば「バレンシアガ(BALENCIAGA)」が時代に沿って更新してきた新しい身体のかたちに延長する近未来の人間像さえも予兆したように感じた。
都心から少し外れた馬喰町でショーを開催した「バルムング(BALMUNG)」も、また然り原点を更新するようなインスタレーションを発表した。
会場に無造作に置かれるダンボールたち。静かに出てきたモデルたちの手により、たちまち本来のかたちや機能、力から逸脱し、歪なものとして浮かび上がる。
彫刻家・鈴木操によるソフト・スカルプチャが立ち上がるまでのその一連の行為は、ここ近年ヨーロッパのデザイナーたちが描いてきたクリーチャーやメタモルフォーゼとは異なり、「物事に垣根はなく、グラデーションが存在するのみ」というデザイナーの言葉のとおり、可逆性もありうる曖昧さを含んでいた。
BALMUNG 2021年秋冬コレクション Image by: FASHIONSNAP.COM(Ippei Saito)
いまでは当たり前となった、ファッションにおけるデザイナー専制的な時代からストリートが主体となった時代への変化は、デザイナーのハチが青春時代を過ごした原宿のストリート文化に根強く関係している。原宿のストリート文化で巻き起こった現象は ―ブランドの服が持つ記号を自らの手で取り外し、カスタマイズしていく― "そうであったもの"を"そうではないもの"へ変化させ続けることで違和感が強調・肯定されるようなものだった。
そういったデザイナー自身が身体的に体感してきた服の作用が、今までグラフィックデザインと服のフォルムで表現されていたが、今回はテキスト、音楽、インスタレーションによってより一層立体的に立ち上がる。
特にショーの後半に登場してきた、変形的でアルミやキルティングなどの様々なマテリアルを組み合わせた立体的なビッグウォーマーやトップスは、モデルの身体から動的に飛び出てきた一瞬を捉えたようなフォルムにも見える。それは、流動的に動き続けるものの一瞬を捉えていく"ファッション"そのものもあらわしているようだった。
そして東京ファッションウィークのトリを飾った「リコール(Re:quaL≡)」もまた、過去の蓄積から未来へのエネルギッシュなまなざしを提示する若手ブランドのひとつ。
前回のデビューショーでは、すでに存在するものを再びなぞり、その痕跡に想いを馳せるという意味で「retrace」をテーマに掲げた。「時間の単位に常に等しく」というブランドのコンセプトのとおり、そこにはあらゆる時代の背景を持っている人、シルエットやユニフォームのような記号がデザイナーの手によって、同じ時間の中に盛りだくさんに詰め込まれていた。
ロンドンのファッションショーを彷彿とさせるような演劇チックなショーは、今回も健在。"refrppie"というテーマのもと、幼少期に訪れたアメリカでの景色をきっかけに、モード史の都でもあるパリの伝統―フレンチスタイルーとヒッピーを掛け合わせ、未来の人間像を描くとコレクションノートに記してある。
資本主義が加速したいま、人々はつかの間の休息を求め、「消費」だけでは満たされない幸福感を「時間」「無駄なもの」を通して探し求めているように思う。パンデミック以前から始まっていたそのような人間が欲する価値観の変化は、往々にしてヒッピー文化と重ねあわされ、具体的にわたしたちの生活スタイルにも影響を与えつつある。
そうした現代の時代背景に直球で挑む姿は、果敢かつ清々しい。そして大きなストロークで壮大な装いの歴史をランウェイの一瞬にぎゅっと刻み込む技は、相当のファッションオタクではないとなし得ないことであると理解しつつも、同時に具体的な記号に対しての足し引きがあることも今後期待してしまう。
現代社会の人々の佇まいやよく使う身体の箇所の変化に伴って、2015年以降、身体と衣服の重心点、隠す/顕す部分もさまざまな解釈が更新されはじめた。それは90年代後半〜2000年代初頭に起きた衣服による身体の伸縮への問いかけに似ているようで異なり、デジタルネイティブな世代を中心に起こる加工文化や画面上に広大に映る世界などの複雑さも多重に交差している。
そう一辺倒にはいかない絡み合った新たな感覚や価値観。その中にあるいくつもの歴史、社会、人々、心情、現実とファンタジーをひとつずつ紐解き、再構築していくブランドが未来を担っていくのではないだろうか。(文責:Yoshiko Kurata)
*YU PRIZE
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