世の中に漂っている閉塞感や、見えないものに対する必要以上に潔癖な雰囲気にうんざりしきっている。人が皆、得体の知れない正しさを追い求め、翻弄されている気がしてならない。ファッションや芸術の類は、愛おしむべき無駄だ。その無駄すらもいつかユーモアを必要としなくなった社会から淘汰され、泡のようにシュワシュワと、あたかも最初からなかったかのように目の前から消えてしまうんじゃ無いかと不安を覚えている。なんとなく正しく、無害っぽいものだけが残った世の中は、クリーンであろうが、なんと無機質で味気ないものだろう。
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モデルが登場せず、2人のお笑い芸人と一組のアーティストで構成された「コウタグシケン(Kota Gushiken)」のショーは、過度な演出に頼ることもなく、例えるなら裸一貫。現状に満足できないけど、新たな手があるわけでも無い。でも、何かユーモアを持って作り上げなければ何かに押しつぶされてしまいそうだから、あるだけの手札を持って挑む。何かに殺される前に、何をどう思われてもいいから、嘘はつきたくないんだよ。そんな具志堅の宣言のように感じてしまったのは、筆者が世の中の閉塞感にあてられて弱っていただけなのだろうか。
話は横道に逸れるが、同ブランドはニットに定評がある。そもそもニットに用いられる毛糸は、他の素材と比べて「編む」「撚る」という動作と密接だ。編むという行為は、彫刻における「彫る」「練る」などの所作にも近く、その昔の人々が信仰の対象として土偶を削り、焼き固めていたように、人の手仕事が生み出す霊性を宿しやすい。ニットという素材に、人々がなんとなく「人のやわらかな温かみ」を感じてしまうのは、毛糸というマテリアルが持つ特性が大きいだろう。
以前、展示会で具志堅が「ニットは一番自由なんですよ。糸の色から作れるし編み方も無限大、なんでもできちゃう」と話してくれたことをよく覚えている。ニットというアイテムが先天的に持つ、あたたかで自由な懐の深さは「パリに初めて持っていくコレクションだったから、自己紹介も兼ねて過去のコレクションも引用したりしたけど、蓋を開けたら13型それぞれでやりたいことを突き詰めたコレクションになっちゃった」と話す具志堅もおおらかに包み込む。具志堅は、整理整頓(オーガナイズ)するつもりができなかったから、と「orgnaseid well」(あえてスペルを違えた)とコレクション名を打った。でも、このコレクションは、整理整頓はされておらずとも、ニットの持つ「おおらかな自由さ」を持って整然としている。散らかった部屋が何故か、落ち着いてしまうように。
ショーを通して一貫して流れていたのは「自由」の温度だ。ショーが始まる前に更新された同ブランドの公式インスタグラムアカウントでは、誰でもスクリーンショットをしておけば会場に入場できるインビテーションが投稿された。メールアドレスや登録フォームを通さず、一般客を迎え入れる態度は閉じられていたショーをパブリックな場所に発展させた。
会場前方に置かれた小さなステージは、誰しもがインスタレーション形式で数人のモデルが登場するだろうと思っていた。しかし、ピース 又吉直樹の「整理整頓って難しいな、どれくらい難しいやろう。街中で知らん人に突然いないいないばあされた時のリアクションくらい難しいな」の影ナレと共に、好井まさおが壇上に上がることで大きく裏切られる。
ステージの上で繰り広げられる、好井と又吉の会話は、鏡(に見立てたスマートフォン)を目の前に「この色ええな」「これは舞台衣装にええわ」といったように、試着を繰り返す二人の何気ない買い物の様子を覗き見してしまっている感覚を覚える。二人の会話は「この世界にはコウタグシケンの服と、コウタグシケンでは無い服がある」という話に行き着く。ハイデガーの存在論のような命題の答えは、ショーの中では明らかにされない。では、コウタグシケンの服を、コウタグシケンたらしめているのは、なんなのだろう。投げかけられたからには考えたい。
通常のファッションショーは、演出やステイトメントなどでコレクションの補助線のような役割を担うことが多い。しかし、コウタグシケンの服は、具志堅自身が日々生きている中でなんとなく気になったことが一着ごとに濃縮され、既にデザインとして閉じ込められている。例えば、今回発表されたニットのセットアップは、友人の結婚式に赴いた具志堅がスーツを着て、背筋が伸びる感覚を思い出したから。お土産屋さんに売られていた葛飾北斎の神奈川沖浪裏のクリアファイルを見て「これをニットで表現したらどうなるか気になって」作られたものや、新潟出張で立ち寄った居酒屋で見かけた八海山のポスターがあまりにも美しかったから出来上がった猿のカーディガン、ビートルズの新曲「Now and Then」を聴いてAIと向き合う気になって生まれたスカジャンなど、そのどれもが脈絡はないけど間違いなく具志堅が送ってきた半年間の生活の匂いを感じさせる。具志堅の絵日記とも呼べるコレクションアイテムを、同じく何気ない日常のように脱ぎ着する二人。ここにも、おおらかで自由な雰囲気を感じさせる。二人のお笑い芸人が壇上から降りたあと、ギターとキーボードをかき鳴らす「酩酊麻痺」の二人はこう歌ってショーを締めくくる。
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今日が散らかっていく
デザインに落とされた13型の服は、具志堅の“今日が散らかって”生まれたコレクションだ。具志堅は毎日の中から無駄を大事に拾い上げて、慈しんでデザインに落とし込む。コレクションとして、一貫性ではない別の正しさを本気でショーに昇華する。それがコウタグシケンをコウタグシケンたらしめる要素だ。
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