Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
本質的にイメージの世界である「ファッション」には、その世界を的確に言い当てようとする語句が多く存在する。しかしその多くは雰囲気を表現するためのワードでしかなく、定義づけは極めて難しい。中でも「モード」という言葉の定義はかなり抽象的で、ウィキペディアの「モード系」という項目には「具体的な形式などはなく実態の無い言葉」と書かれる有様だ。もとより抽象度が高い言葉なので、この際、モードを更に因数分解してその実態を捉えようとすると、モードというのは非協調的で排他的であるというのも条件の一つのように感じている。排他性やヒエラルキーへの反抗は、その歴史を鑑みてもファッションにおいては重要な要素であり、それは世の中がフラットになればなるほど、強い意味を持つ。デザイナー自身が持つ、自己嫌悪やコンプレックスが「先天的な社会の優位者に負けたくない」という気持ちに昇華され、それが服(イメージ)として表れた時に、ファッションというものは着る以外の意味を持つのではないだろうか。「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」は基本的に「モード」の文脈で語られることが多く、デザイナーの吉田圭佑が自らの青春時代とコンプレックスを方々で話したり書いたりしていることを考えると、ケイスケヨシダほどモードなファッションブランドはそう多くはないと常々感じている。
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吉田の書く文章が好きだ。ファッションと文学をテーマにした2021年8月号の文學界に寄稿した吉田の文章は、時たまくすりと笑えるのに、自分の内面をこれでもかというほどに吐露した名文だ。そんな吉田は、東京クリエイティブサロン※の支援と、「バレンシアガ(BALENCIAGA)」のキャンペーンを手掛けたことで知られるレオポルド・ドゥシェマン(Leopold Duchemin)をスタイリストに迎えて開催した2023年秋冬コレクションのフィジカルショー終了後に、自らの文責によるコレクションノートを配布した。そこには「自分に向き合って、身を削り、装いに眼差しを向ける行為が僕にとってのファッションデザインだ」と綴られており、インタビューにおいても「自分の内面から発露したものがリサーチによって肥大化していって、それと社会との接点を見つけたときにやっと"ファッション"になるという考えがベースにある」と話している。コンセプトの段階で明確に言語化し「これを表現したい」という物作りの良さもあるが、ことファッションデザインにおいてはいささか疑問を感じざるを得ない。なぜなら、それであれば服を作りファッションショーをやらずとも、話したり書いたりする表現方法の方がはっきりと意思や態度伝えることができるはずだからだ。吉田の考えと同じように、言語化できないことを自分の中でなんとか捉えようとする行為が、筆者の思うファッションデザインで、ファッションショーのレポートとはその対極にある行為だと痛感している。レポートは、ある一定の例を基に既存の枠で推し計り「別の似た何か」と比較し、追い求める作業に他ならない。加減を間違えれば、作品を矮小化することにも繋がり、周囲の人間が描写をしてしまうことで、全てが等しく「別の似た何か」へと収斂されてしまうことは避けられない。吉田が2023年秋冬コレクションを「今回のコレクションは嘘でないことが大切である」と断言したことに敬意を表して、あらかじめ正直に、矛盾をはらみながら本稿の筆を取ることを断っておきたい。
ショーは、悲鳴ともとれるような音が流れた直後、早く鼓動する心臓音に似た音が会場に鳴り響きスタートした。その音を聞いて、直感的に「怖い」と思ったのは筆者だけではないだろう。束の間の静寂の後、ファーストルックを飾ったのは明らかにモデルではない1人の男の子だった。以降、すべてのモデルが女性であったことを考えても彼は特異な存在であり、その佇まいから強烈な意味合いを感じた。2ルック目からはビートニックな音楽が流れたこともあり、より一層、悲鳴のような音と心臓音は明らかにモデルではない彼が大舞台に立つ心の中の、あるいは「発表の1ヶ月くらい前になると、がくんと心が落ちてしまう」と話す吉田の心の叫びのようにも聞こえた。ショー終演後、ファーストルックを飾った男の子こそが、今シーズンのミューズだと吉田は明かした。
Taikiと名乗る彼は、精神を患って不登校になり、苦しかった時に同ブランドと出会い、救われたそうだ。この話を聞いた時、「イケけている奴」になりたくて、もがき苦しんだ学生時代を振り返った文學界での吉田の手記を思い出していた。
「イケてるとか、イケてないとかではなく、あいつは変な奴…みたいになっていて、誰からも相手にされず、ただただ放っておかれた。それでも新しい髪型にしたり、新しい服を着ることは、いつも僕を新しい自分に生まれ変わったような気持ちにさせた。周りからは理解されなかったが、少しずつ自分に自信を持つことができるようになった。そうやってファッションに触れていくうちに、憧れのファッションデザイナーになりたいと思うようになっていた」(「文學界」2021年8月号)
この日、吉田への囲み取材を実施しようと疲れによる苛立った顔つきで粘り続ける記者を尻目に、キラキラとした目つきで吉田を一目見ようと待ち続ける若いファンたちに、ひっそりと胸を打たれていた。吉田はTaikiだけではなく、きっとショー会場にわざわざ足を運んだ彼らの心を既にファッションで救っている。自分の姿を変えようと「かっこよくなりたい」という態度を取る姿はそれだけでかっこいいのだ、と吉田は8年間伝え続け、それはしっかりと社会に浸透し、彼らを励ましている。
Taiki以外のモデルに目を向けると、多くのモデルは眼鏡を着用していた。眼鏡は大抵、見えないものを見ようとする時にかけられる。Taikiから始まった今回のコレクションの製作背景を加味すると、ここでの眼鏡の意味合いは、直視しなくてもいいことを、あえて直視し向き合う様、吉田の言葉を借りれば“見えるはずのない内側”を露わにすることにも繋がるだろう。見えるはずのない内側は、あるはずのない裏地が露出した首元をハサミで切り裂かれたニットカーディガンや、裏地が首元から噴き出し、スカーフやボウタイのように首に巻き付いたステンカラーコートのデザインからも見てとれる。吉田はステンカラーコートについて「いつもならこの裏地はパープルにするだろうが、今回は黒、ネイビー、グレーにした」と綴り「それらの服にとって当たり前の色と素材感をずらさないことが次第に大切に思えてきた」としている。「それらの服にとって当たり前の色と素材感」は、自分の弱さやコンプレックスにあえて目を向け、ありのままの自分を受け入れようともがく吉田やTaikiなりの「答え」のようにも思う。ひしゃげたカラトリーのアクセサリーも、用途にはそぐわないがそのままで美しいとでも言わんばかりだ。
2020年秋冬コレクションに登場した首を覆うほどに襟が高くなったモーニングコートは若者向けのアイテムから一転、大人びた印象を帯び、吉田がもはやクリエイションの中に、剥き出しの若さを追い求めていないことを感じさせる。フィナーレにミュージカル「プレーン&ファンシー(Plain and Fancy)」のヒット曲「Young And Foolish」が流れ「若くて愚かでいてはどうしていけないんだろう、僕たちはそのままではいられない」というフレーズは、吉田の心のつぶやきのようにも聞こえた。事実「THE LAST」というコレクションテーマ(その後、言葉にすると言霊になってしまいそうという理由で黒いサテンタグのみを今回のヴィジュアルとした)を掲げ、「抑制」と「厳格さ(strict)」をキーワードに挙げた。
吉田が「刺激的なものを作るより、抑制されたものを生み出す方が苦しいということは大きな学びだった」と振り返るように、意識的な努力によって衝動やそれに伴う感情をコントロールする「抑制」は、クリエイションをする上では苦しさを伴うものであろう。その上で、眼鏡をかけ、あえて自分自身と真っ向から対峙し、はっきりと見えるが故に自己嫌悪に陥るほどの自己意識を抑制し、それがたとえ、襟が首元まで詰まって苦しくなろうとも、スプーンがひしゃげてしまうほどだとしても、その態度を取ることは成長における通過儀礼で、傷つきながらもその道を選ぶ姿はそれだけでかっこよく、美しいと私たちに訴えかける。ある種の狂気を感じるほどに「LOVE」「LONELY」と描き殴られた皮膜のような ラテックスのボディスーツが、抑制しても仕切れない生々しさが自己愛となって顕在化しているようにも見えた。
孤独と愛は一見相反するものに思うかもしれないが、自らが愛されていると知りながらも、孤独を感じる瞬間は誰しもが一度は経験したことがあるはずだ。今シーズンのコレクションミューズになった少年が孤独を感じながらも、吉田が汲み取れてしまうほど、隣で見守る母親に愛情を注がれているように。未熟な少年性と同居しているのは、凛とした淑女のようなエレガンスさと、ひと匙の狂気、漠然とした不安と孤独、そして無数の愛だ。これまで、フィジカルショー形式でのコレクション発表が多かった吉田にとって、過剰さを削ぎ落とした今回のショーは覚悟と自信が必要不可欠だったと推測する。不安や恐怖、孤独で押しつぶされそうだった吉田を掬い上げたのも、愛なのだろう。吉田はコレクションノートの終盤「僕自身、 クリエイションを介して育まれてきた。愛によって、 生かされている」と断言した。このコレクションは吉田にとって、自らの少年性と訣別する最後の通過儀礼だったのだろうか。ブランドデビューから8年経った今、ブランドの根幹にある「等身大の装い」という言葉が心に響く。
抑制すること、そこから露わになる厳格な態度は、ただの苦しみの吐露ではなく、デザイナー自身がそれを乗り越えようと努めるからこそ成り立つ。スワイプでルックを見られる時代だからこそ「社会に届いているか」ではなく、社会にいる自分の意識さえあれば伝わるとケイスケヨシダはフィジカルショーを通して体現した。
それまでの春の陽気とは打って変わって、極寒の中行われた東京のファッションウィーク最終日。ケイスケヨシダのショーが始まる頃にはそれまでの大雨が嘘だったかのように、雨足はぴたりと止んだ。前回の2022年秋冬コレクションでも、同じような状況だった。雨降って地固まる、なんともケイスケヨシダらしいフィジカルショーで今期の東京ファッションウィークは幕を閉じた。
■東京クリエイティブサロン
国内最大級のファッションとデザインの祭典。地域や民間企業が連携し、都内の複数エリアのイベントを一同に集結させた、プロジェクト型のクリエイティブイベント。第4回となる今回は「ファッション」と「デザイン」の2分野にフォーカスし、すべての生活者に開けたフェスティバルとして開催。今年はコンテンツの一部をRFWと連携して実施した。
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