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この秋、香港のオークションでゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》が神奈川県にあるポーラ美術館によって落札された。その価格は日本円に換算するとおよそ30億円にものぼり、アジアにおける現代アート取引額の最高額をマークした。2015年のサザビーズロンドンでは、1986年に制作された《抽象絵画(599)》がおよそ40億円の値がつくなど、リヒターは現存作家としては最も高額な値段で取引される作家の一人として知られる。リヒターはどのような人物なのだろうか。決して華々しいものではなかった彼の半生と作品を紹介していきたい。
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リヒターは1932年、東ドイツ・ドレスデンに生まれ、1961年に難民として西ドイツ・デュッセルドルフへと移った。ベルリンの壁が建設され始めたのは彼が西ドイツに移住したすぐ後だった。1989年にベルリンの壁が崩壊するまでドイツは東西に分断され、東ドイツは社会主義経済を目指し、西ドイツは資本主義経済を再建した。この分断は文化にも影響を及ぼし、伝統的なものを重視する傾向が東ドイツにはあった一方で、西ドイツは国際化が進み「アメリカ化」とも表現された。
リヒターは劇場の舞台背景を描く仕事に携わった後、ドレスデンのアートアカデミーで壁画を学んだ。卒業後も壁画の仕事を請け負ったが、当時は今のようなスタイルのアーティストではなかった。しかし、1959年に西ドイツ・カッセルで5年に一度行われる展覧会「ドクメンタII」で抽象画の感銘を受けたことでリヒターは西ドイツに移ることを決意する。西ドイツに移った後はデュッセルドルフのアートアカデミーで再び絵画を学び、現地に流入していたポップアートやフルクサスなどのアメリカの美術にも影響を受けたという。
そして、まもなく彼の初期の代表作であるフォト・ペインティングが生まれる。この手法は精密に写真をそのまま描き写すのではなく、輪郭をややぼかしていくことで滲みやスピード感を与え、写真では写すことのできない質感が生まれる。写真とも絵画とも表現できないフォト・ペインティングは、リヒター独自の表現方法として注目を浴びることとなる。
そのスタイルを表している作品の例として、ルネサンス期のティツィアーノ・ヴェチェッリオにより描かれた《受胎告知》の絵はがきを模写した5枚組の絵画がある。1枚目は模写したものだと見て取れるが、枚数を重ねるごとに徐々に輪郭がぼやけていき、露光時間を長くした写真のようにブレていく。そして5枚目には何が描かれているか全く分からないような抽象画へと変化していく。5枚の作品を並べて展示すると、徐々に絵画の中のモチーフが崩れ、色彩のみが残るプロセスを見ることができる。
この後、リヒターはカラーパネルを敷き詰めたカラー・チャートや、何重にも絵の具を上塗りした抽象絵画、あらゆる色を混ぜた時に現れるグレーという色味に着目したグレー・ペインティング、写真の上に絵の具を重ねるオーバー・ペインテッド・フォトなどの作品を制作し、さらに抽象と色彩への関心を直接的に表現するようになる。
最高額を叩き出した抽象画シリーズは、大きな刷毛のようなもので絵の具を伸ばしていき、それを何度も繰り返すことによって作られた。刷毛に乗った絵の具がかすれる瞬間や色と色が重なる瞬間をそのまま観ることができるこのシリーズは、フォト・ペインティングと大きく異なるようにも見えるが、光や写真による関心を絵画にどのように落とし込めるかの実験を繰り返している点では共通しており、リヒターの関心はそこに一貫している。
絵画という表現方法のみにとどまらず、ガラスを用いた作品なども発表している。例えば、日本では香川県・豊島で見ることができる《14枚のガラス》のように巨大なガラス板を何枚も角度を微妙に変えながら立ててゆくシリーズが有名だ。
また、ドイツ・ケルン大聖堂南塔のステンドグラスの改修は、リヒターがアーティストとして成し遂げた偉業の一つに挙げられる。数年にわたる準備期間を経て、カラー・チャートの要領で色のついたガラスをモザイク状に10000枚以上敷き詰めた作品で、遠くから見たらモザイク状に見えるが、近くで見ると色数の多さが際立つ。絵画でのカラー・チャートシリーズとは異なりガラスで作られているため、床や壁にステンドグラスの色がそのまま反射し、淡い光のカラーチャートが転写される美しい仕上がりである。キリストや聖母マリアなどの物語を言葉がなくとも分かるように具象的な図像を用いるのが従来のカトリック聖堂のステンドグラスであるため、抽象的でありすぎることへの反発も招いたが、彼はその後もドイツで最も古い教会のステンドグラスの改修などを手掛け、いずれも概ね好意的な評価が集まった。
様々な手法を行うリヒターのアイデア集とも言えるのが《アトラス》シリーズである。1960年中頃から続けられているスクラップで、最新の2015年のものまで計802枚作られている。彼自身が興味を持った写真、新聞などの切り抜きが並べられているのだが、それは関心が赴くままというより、並べ方やそのもの自体にも意味を持つもので、アートのオリンピックとも称されるヴェネツィアビエンナーレドイツ館の個展(1972年)でのプランニングなどもシリーズの中に含まれる。
多作でありながらも、全ての作品が目に見えることやそれを芸術によって表現するという共通点を見せるリヒターは絵画をどのように考えているのだろうか。以下の彼自身の言葉が最も表しているように思う。
「絵画になにができるかを試すこと。今日自分はどのように、なにを描けるのか。いいかえれば、今なにがおこっているのかについて、自分自身のために一つの映像をつくろうとしつづけることです」―『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』(訳・清水穰 ワコウ・ワークス・オブ・アート、1995)より
■檜山真有(Twitter)
同志社大学文学部美学芸術学科卒、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修了。1960年代のコンセプチュアルアートを研究対象とする。現在は美術館に勤務する傍ら、キュレーターやライターとして活動中。
「現代アートへの旅」バックナンバー
・お金のはなし編―アンディ・ウォーホル作品から学ぶ価格の上がり方
・まず知っておくこと編―作品鑑賞を楽しむための4つのポイント
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