明治時代の大塚製靴 社屋
Image by: 大塚製靴
日本の風土や日本人の足に合う良質な革靴の提供と普及を目的に活動するNPO団体「日本靴工業会」。同団体に参画する企業を歴史や注目のトピックス、定番アイテムから紐解いていきます。
今回は創業150年の歴史を持つ現存する日本最古の革靴メーカー「大塚製靴」編。創業以来、内羽根ストレートチップシューズを得意としてきた大塚製靴のルーツに迫ります。
大塚製靴の歴史
大塚製靴は、靴産業の父と称される大塚岩次郎が、東京・横浜間に初めて汽車が通るなど文明改革が次々と進められた1872年に東京 新橋の露月町で創業。今年創業150周年を迎える、日本最古の革靴メーカーです。1877年に国内勧業博覧会で最高賞、1889年にはパリ万国博覧会で銀賞を受賞するなど早くから革靴メーカーとしての地位を確立しました。当時の大塚製靴の靴は外務省の少将クラス以上や、外交の場として建てられた鹿鳴館に出入りする人士になって初めて履くことができる高級品とされていたのだとか。また、1924年にはグッドイヤー式製靴機械を導入し、手工制マニュファクチャから工場制機械生産へ移行。近年では、2012年に「シューマニュファクチャーズ[オーツカ]」を六本木ヒルズに開店するなど、事業拡大を続けています。
シューマニュファクチャーズ[オーツカ](六本木ヒルズ4階)
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注目のトピックス
日本最古の革靴メーカーとして伝統と歴史を持つ大塚製靴の注目トピックを紹介。大塚製靴のアイコンとも言える内羽根ストレートチップシューズのルーツを紐解きます。
旧海軍ルーツの内羽根ストレートチップ
内羽根のレザーシューズを得意としてきた大塚製靴は、創業者である初代大塚岩次郎の時代から海軍省に軍靴を納品していました。当時の海軍大臣山本権兵衛が顧客であったことと、大塚製靴の技術に対する信頼が背景にあったといいます。海軍の軍靴は、水の浸入を防ぎやすい形状だという理由で元は英国海軍で採用されていた内羽根式をベースに採用しました。旧海軍の軍靴に取り入れられていた当時のディテールが、現代の大塚製靴のストレートチップに、進化して引き継がれています。
オーツカ M-5の「M5-300」
Image by: 大塚製靴
定番を知る:内羽根ストレートチップの王道「OTSUKA M-5」
大塚製靴が得意とする内羽根ストレートチップの中でも特に高い技術の結晶と言えるのがOTSUKA M-5「M5-300」と「M5-309」。東京の本社工場で手作業で生産されているという内羽根ストレートチップの両モデルですが、「M5-300」は革底、「M5-309」はダイナイトソールと、その違いはソールにあります。また、日本の文化や生活様式、足型などを考慮して、ラスト(木型)のデザインとディテールにも注力。自然に伸びたノーズに、ウエスト部分を絞ることですっきりとしたラストに仕上げています。着脱の多い日本で最も消耗するカカト部分には、ステッチを二重に重ねて補強する「半二重」、甲の屈曲部である羽根の付け根には「シャコ留め」の補強を施し、長く履き続けられる耐久性を追求しました。担当者は「単に西洋の模倣をしただけではない日本独自の靴作りを大切にしています。創業時から現代まで、大塚製靴の内羽根ストレートチップにかける想いは変わっていません」とコメントしています。
オーツカ M-5の「M5-300」
Image by: 大塚製靴
大塚製靴が参画する「日本靴工業会」とは?
日本靴工業会は1950年に設立。1992年に名称を「日本靴工業会」に変更し、2006年にNPO法人「特定非営利活動法人 日本靴工業会」に改組しました。日本の風土や日本人の足に合う良質な革靴の提供と普及を目的に、革靴の品質や使用に関する情報提供や相談事業をはじめ、革靴の規格(JIS)の制定や消費者相談に関する活動、海外での製靴業に関する調査、製造工程において生じる環境問題への対応など幅広い活動を行っています。現在は大塚製靴、東立製靴、ハルタ、マドラス、ムーンスター、リーガルコーポレーションなど全10社が参画しています。
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