デザイナー 三宅一生氏
Image by: ISSEY MIYAKE INC.
デザイナーの三宅一生氏が、8月5日に肝細胞がんで死去した。享年84。突然の訃報に業界内外から死を悼む声が相次いでいる。世界的評価も高く、国内のみならず海外の主要メディアも一斉に報じた。国内外のファッション・デザイン界に影響を与え続けてきた同氏の経歴を振り返りながら、業界内外から寄せられた追悼メッセージを紹介する。
三宅一生氏の経歴
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1938年 広島県広島市生まれ。
1960年 多摩美術大学図案科在学中、日本で初めて開催された「世界デザイン会議」で衣服デザインが含まれないことに疑問を持ち、質問状を送る。
1961年 第10回装苑賞において佳作にあたる賞を受賞。
1962年 第11回装苑賞において佳作にあたる賞を受賞。アートディレクター 村越襄に声を掛けられ、東洋レーヨン(現・東レ)の1963年版カレンダー用衣装を制作。
1963年 第1回コレクション「布と石の詩」を発表。
1965年 渡仏。2つのメゾンでアシスタントを務める。
1969年 ニューヨークへ渡り、既製服の経験を積む。
1970年 三宅デザイン事務所を設立。「東レ・ニット・エキジビション」において、いくつものパーツで構成された分解可能なユニットの衣服を発表する。
1971年 ニューヨークコレクションに初参加し、海外進出。
1973年 初めてパリでコレクションを発表。
1975年 メトロポリタン美術館主催「Inventive Clothes 1909-1939」の企画を再現した、「現代衣服の源流展」を京都国立近代美術館で開催。
1976年 ショー「三宅一生と12人の黒い女たち」を開催。
1977年 衣服デザインの分野で初めて、1976年度毎日デザイン賞を受賞。同年に毎日デザイン賞記念ショー「Issey Miyake in Museum — 三宅一生と一枚の布」を開催。
1978年 存命中の衣服デザイナーとして世界初となる作品集「三宅一生の発想と展開 ISSEY MIYAKE East Meets West」を出版。「間 日本の時空間」展に参加。
1979年 米アスペン国際デザイン会議に招聘され、ショー「Issey Miyake East Meets West」を発表。
1982年 アメリカの現代美術誌「Artforum」のカバーストーリーに登場。ニューヨーク・航空母艦イントレピッド号で1983年春夏コレクションを発表。
1983年 「ISSEY MIYAKE SPECTACLE: BODYWORKS」展を開催。
1985年 第1回オスカー・ドゥ・ラ・モード最優秀外国人デザイナー賞受賞。
1986年 「Time」誌のカバーストーリーで紹介される。アメリカの写真家 アーヴィング・ペンが「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」のコレクション撮影を手掛け始める。
1988年 プリーツの仕事を始める。「Issey Miyake A-ŪN」展を開催。三宅氏が手掛けた福岡ダイエーホークスの新ユニフォームを披露。
1989年 「Issey Miyake Meets Lucie Rie」展を開催。
1990年 第1回ヒロシマ賞受賞。第1回ヒロシマ賞記念「三宅一生展 TEN SEN MEN」を開催。アムステルダム・ステデリック・ミュージアムの「Energieën(エナジーズ)」展に参加。東京・東高現代美術館にて「三宅一生展 プリーツ・プリーズ」を開催。
1991年 フランス 芸術文化勲章 最高位コマンドール受章。1991年秋冬パリコレクションにて、のちの「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」の原型となるニット素材のプリーツ服を発表。ウィリアム・フォーサイスとフランクフルト・バレエ団の公演「失われた委曲」のコスチュームデザイン・制作を行う。
1992年 1991年度朝日賞受賞。第25回バルセロナ・オリンピック競技大会リトアニア代表選手団の公式ユニフォームをデザイン・制作。香川・直島コンテンポラリー・アートミュージアムで「三宅一生展 ツイスト」を開催。
1993年 新ブランド「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」をスタート。フランス レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ受章、イギリス ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(王立芸術院)より名誉博士号授与。
1995年 第15回金の針賞(La Aguja de Oro)受賞、NYファッショングループ・インターナショナルより特別賞受賞。
1997年 紫綬褒章を受章。「イサム・ノグチと三宅一生 アリゾナ」展を開催。
1998年 「A-POCプロジェクト」を始動。「ISSEY MIYAKE MAKING THINGS」展が開催。文化功労者へ顕彰。
1999年 フランス リヨン大学よりDocteur “Honoris Causa”(名誉博士号)授与。
「イッセイミヤケ」では三宅氏の後任として、1993年にメンズラインのクリエイティブディレクターに滝沢直己氏を起用。1999年からはウィメンズラインも同氏が兼任。三宅氏は基幹ブランドを後進に引き継ぎつつ、「A-POC」や「132 5. ISSEY MIYAKE」など様々な実験的なプロジェクトの指揮を取った。
2000年 第18回毎日ファッション大賞「ミレニアム記念賞」を受賞(過去、同大賞を84年、89年、93年の計3回受賞)。新潮四賞 日本芸術大賞、デンマーク 第1回ジョージ・ジェンセン賞、A-POCが「2000年度グッドデザイン賞」大賞を受賞。
2001年 カナダのハーバーフロントセンター「World Leaders: A Festival of Creative Genius」世界のクリエイティブなリーダー14名のひとりに選出される。ヴィトラ・デザイン・ミュージアム・ベルリンで、「A-POC MAKING : ISSEY MIYAKE & DAI FUJIWARA」展を開催。ロンドン・ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムでの「ラディカル・ファッション」展に参加。
2003年 「なんなの?A-POC MIYAKE ISSEY + FUJIWARA DAI」展が開催。
2004年 財団法人 三宅一生デザイン文化財団設立。アメリカ オハイオ州立大学ウェクスナーセンターより第11回ウェクスナー賞受賞。「ダオメ Dahomey 1967: Photographs by Irving Penn」展を日本民藝館と共催。金沢21世紀美術館の「21世紀の出会い ― 共鳴、ここ・から」展にA-POCを出展。
2005年 第17回高松宮殿下記念世界文化賞〈彫刻部門〉受賞。パリ・ポンピドゥー・センターの「ビッグバン 20世紀の創造と破壊」展にPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEを出展。
2006年 NYアートディレクターズ・クラブ「Hall of Fame(栄誉の殿堂)」入り、第22回京都賞〈思想・芸術部門〉受賞。ニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築・デザイン部門に「A-POC Queen」が所蔵される。
2007年 21_21 DESIGN SIGHTを開設し、ディレクターに就任。同年10月、2007年秋冬パリコレクションより藤原大がイッセイ ミヤケのクリエイティブディレクターに就任。
2008年 21_21 DESIGN SIGHT第3回企画展「XXI c. — 21世紀人」のディレクションを手掛ける。
2009年 21_21 DESIGN SIGHT「U-Tsu-Wa/うつわ — ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール」展をディレクション。
2010年 平成二十二年度文化勲章を授章。同年9月「広島名誉市民」、12月「広島名誉県民」に認定。21_21 DESIGN SIGHT「REALITY LAB 再生•再創造」展をディレクション。
2011年 内閣府の認定を受け2月に、公益財団法人三宅一生デザイン文化財団へと移行。ISSEY MIYAKE ウィメンズの新デザイナーに宮前義之を任命し、2012年春夏パリコレクションより新体制でコレクション制作開始。
2012年 ロンドンのデザインミュージアムによる「Design of the Year 2012」のファッション部門にて、「132 5. ISSEY MIYAKE」が最優秀デザインに選出。三宅一生+Reality Lab.が第30回毎日ファッション大賞「30周年記念賞」受賞。日本のデザインの重要性を広く伝えることを目的とした「国立デザイン美術館をつくる会」を設立。
2013年 「陰影 IN-EI ISSEY MIYAKE」がドイツ「iFプロダクトデザイン賞 2013」金賞受賞。「青森大学男子新体操部」の公演が開催され、企画およびコスチュームデザインを手掛ける。
2014年 パリ・カルティエ現代美術財団美術館30周年記念展「Memoire Vives(生きた記憶)」において「陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKE」」を出展。
2016年 4月、大型本「Issey Miyake 三宅一生」がドイツの出版社タッシェンから出版。「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」が国立新美術館で開催。メトロポリタン美術館の「MANUS × MACHINA(手と機械):テクノロジー時代のファッション」展へ出展参加。フランス レジオンドヌール勲章最高位 コマンドールを受章。
2017年 ニューヨーク近代美術館での「Items:Is Fashion Modern?」展へ出展参加。12月、クリエイティブディレクター 小池一子による書籍「イッセイさんはどこから来たの?ー三宅一生の人と仕事」が発売。同年8月に開館する「富山県美術館 アート&デザイン」のスタッフユニフォームを富山県美術館のスタッフユニフォームをデザインした。
2018年 イタリアの建築デザイン誌「domus」4月号にて、「Session One」を中心に三宅一生の仕事が特集される。パリ装飾美術館「ジャポニスムの150年」展へ出展参加。
2019年 令和元年度「東京都名誉都民」の称号が贈られた。イギリスのロイヤルアカデミー・オブ・アーツより名誉フェロー(Honorary Fellow)に選出。「オム プリッセ イッセイ ミヤケ(HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE)」がパリのポンピドゥセンターでプレゼンテーションを発表。
2022年 8月、肝細胞がんで死去。享年84。
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