「ハトラ(HATRA)」の初のランウェイショーを見てから、数日が経った。本来ならばとっくにショーレポートを書き終えていなければならないのだが、焦りを感じながらも今回ばかりはどうにも書き進められずにいた。なぜかというと、筆者が実際に会場で観たショーでの体験と、ショー後の取材でデザイナーの長見佳祐が語った言葉、後に共有されたコレクションノートに綴られたテキストの内容を考え合わせたとき、理解できているようでできていないような、結びついているようで結びついていないような、腑に落ち切らない状態が続いていたからだ。
波肌のように揺らぎ続ける知覚を手がかりに、HATRAはものづくりの核心をデジタル・フィジカル問わず「LIMINAL WEAR」と定義してきました。聞き慣れない言葉かもしれませんが、リミナリティは例えば旅や祭といった、一時的にソーシャルバランスが浮遊している状況と言い換えられます。
このコレクション“WALKER”は、衣服が物理的に、または意味的に揺れることについての観察を軸に制作されています。着用者の動きによって絶え間なく変化し、さまざまなイメージが生まれては消え去っていくこと。HATRAではこの非連続的な変化を「瞬き」と呼んでいます。
「HATRA」2025年秋冬コレクション「WALKER」
「リミナル・ウェア(LIMINAL WEAR)」「旅」「衣服が物理的に、または意味的に揺れること」「瞬き」──それらの言葉が真に意味するものが何かを悶々と考え続けながら、筆者は改めて一つひとつのコレクションのルックを眺め、ステートメントや過去のインタビューを読み返し、ショー映像を見返し、またルック画像に戻り──という往来を何度も繰り返し、その都度知覚したことや考えたことを書き留めていった。そうして数日が過ぎた今、長見が初のランウェイショーで表現したかったことの本質が、ブランドやコレクションのコンセプトとして掲げられた言葉の意味が、ようやく筆者の実感として見えてきた気がしている。
では、ハトラの「瞬き」が私たちに体験させてくれる「旅」とは、いったい何だろうか。筆者なりの見解を記してみたいと思う。

「リミナル・ウェア」とは何か?
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2010年のブランド設立当初、ハトラは「部屋」をコンセプトに掲げ、柔らかな素材を用いたパーカをはじめとした、居心地の良い「自分の部屋のような服」を手掛けてきた。しかし、2021年秋冬シーズンからブランドコンセプトを大きく刷新し、文化人類学の領域で「境界性」という意味で用いられる"リミナリティ"に由来する、「リミナル・ウェア(LIMINAL WEAR)」を提案するようになる。
長見はその理由について、「『部屋』をコンセプトに制作を続けてきたものの、コロナ禍に入って移動ができなくなった状況に精神的な負荷を感じる中で、『部屋』という概念も含んだ上でハトラの考え方をより広くストレートに伝えることができる、『リミナリティ』という概念がとてもしっくりきた」と話す。そして、「旅や祭のように自分の社会的な位置付けが一時的にキャンセルされる時間を、服を着るだけで演出することができないかと考えた」という。それはどういうことだろうか。

ハトラについての論考「脱人間主義的なファッションデザイン──HATRAのリミナルウェアがめざすもの」の中で、蘆田裕史は「出発点と目的地、原因と結果、もっと言えばなにがしかの二つの領域の『あいだ』にこそ、HATRAの作品を理解するための鍵があると考えられる」と述べている。そして、論考の内容を頼りに考えてみると、長見は、日常からの“移動”や“浮遊”である「旅」という行為には、人が一つの場所に留まることによって凝り固まってしまった社会的なあり方や価値観、周囲との関係性を解きほぐして変容させる効果があると考えており、そういった「『移動』の効果」を生み出すことのできる服を作ろうとしているのだということがわかる。
このリミナリティという概念は、もともとは人類学者のヴィクター・W・ターナーが「儀礼」について論じる際に用いたものである。だが、長見はそれを敷衍してこの世界のあらゆるもののあいだにある境界について思索と制作を行う。
長見がここで念頭に置いているのは、「部屋」から「旅」に出て、ふたたび「部屋」へと戻るさいの「移動」の効果である。かつて部屋にいた自分と、旅に出かけ、そして帰ってきた後に部屋にいる自分とは、一見したところ同じように見える。しかしながら、同じ場所にいたとしても、そのあいだに生じるさまざまな経験によって世界の見え方が変わることもあるというのは当然のことだろう。
蘆田裕史「脱人間主義的なファッションデザイン──HATRAのリミナルウェアがめざすもの」より
衣服が物理的・意味的に揺れる“瞬き”
そんな「リミナリティ」の概念を背景に、長見が「衣服が物理的に、または意味的に揺れることについての観察を軸に制作」し、「着用者の動きによって絶え間なく変化し、さまざまなイメージが生まれては消え去っていく『瞬き』を表現した」という2025年秋冬コレクション「WALKER」は、ファーストルックが登場した瞬間にすぐさまその意味を理解できるほど、確かに物理的・視覚的に“瞬いて”いた。

まるで海中にいるような青い光に照らされた、照明も客席もゆるやかな曲線を描くように配置された空間の中で、サックス奏者 松丸契による軽快で豊かな音楽に乗せて歩くモデルたち。一歩踏み出すごとに、その振動に合わせて纏う服やアクセサリーのいたるところがリズミカルに揺れ動き、光が反射して煌めき、まるで太陽の光に照らされ表情が刻一刻と変化する川面のように、ちらちら、キラキラと瞬いていた。
地球や宇宙の風景が流れ込んだような柄の透け感のある素材のドレスの袖や裾、歩くたびに裾が不規則に揺れ動くプリーツパンツ、左右のウエスト部分にシャツの襟のようなパーツがぶら下がった立体的な構造のパンツ、フーディーやクラッチバッグの下から床まで垂れ下がるクラゲの触手のような無数の白い紐、大半のモデルがかけたメタルフレームのアイウェアの長いシルバーチェーン──長見の言う「衣服が“物理的に”揺れること」は、おそらくあの場にいた誰もがすぐに体感し理解したはずだ。

Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)

Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
しかし、問題はもう一つの「衣服が“意味的に”揺れること」である。「意味的に揺れる」とは、何を意味しているのか。それを考えれば考えるほど、筆者は迷路に迷い込むような気持ちになったのだが、ブランドや今季のコレクションを構成する要素と長見の発言を手がかりに、その言葉が表すものについて考えてみたい。
人間、地球、デジタルが等置されることで見えてくるもの
「リミナルウェア」をコンセプトに掲げて以降、ハトラはいち早くファッションとテクノロジーの“関係性”に着目し、近年は3Dシミュレーションや生成AIといったデジタルツールを積極的にデザインプロセスに取り入れ、活用してきた。例えば今回のコレクションでも、すべてのアイテムの型紙造形は3Dシュミレーションソフトウェアの「クロ(CLO)」を用いて行われ、コレクション全体に生成AIによって生まれた柄やデザインを採用している。長見にとって、制作におけるデジタルツールの活用は「効率化」のためではなく、「人間とは少し違う視点を借りた服作り」であり、「ファッションデザインというものに出合い直すこと」なのだという。
“制作過程で何千、何万と生成を繰り返すうちに、ドロドロに溶けた意味のスープの中を旅しているような感覚に陥り、それはまさに思いがけない瞬きの(非)連続と言える体験です”
「HATRA」2025年秋冬コレクション「WALKER」ステートメントより
今季のコレクションで表現されている「瞬き」について、長見は「目がチカチカして服の印象が認識に収まらないこと」だと説明していた。その一方で、制作過程における生成AIとの濃密なコミュニケーションの中で「ドロドロに溶けた意味のスープの中を旅しているような感覚に陥」ったこともまた、「瞬き」の体験だとしている。
それを考えると、「認識に収まらないこと」を表現することを目指し、「ドロドロに溶けた意味のスープの中を旅し」た結果として生み出された服について、明確に意味が理解できるものとして認識しようとすること自体がそもそも間違っており、できるはずのないことであるのかもしれない。そして同時に、その「はっきりと認識や理解ができない」という体験自体が、“意味的に揺れる”という意味での「瞬き」なのではないかと解釈できる。

しかし、「認識や理解ができない」側面がある一方で、筆者がショーを見る中で、ハトラの服が旅のような効果を持つ「リミナル・ウェア」であることに関連して気づいたことがあった。それは、今回のショーやコレクション全体が、人間と、その周囲の環境である地球、デジタルな世界との関係性についての認識を変化させる効果を持っているということだ。
今回のショーの各ルックでは、モデルたちが手に持ったり身につけたりしている小物がとても印象的だった。作家の久米圭子による「ひとつの世界をオーブ型に象ったような彫金作品」をはじめ、“地球の具体的な欠片”である水晶などの鉱物、「シュンオオクボ(SHUN OKUBO)」による「中央に地球を据えたサークル状のリング」、現代美術作家 「ルヌルヌ(runurunu)」の川邊靖芳とコラボレーションした軟体動物のような曲面形状のバッグ「Sucker」、タブレット端末など、地球や大地、海の生物を彷彿とさせるものからデジタルデバイスまで、それらは多岐にわたっていた。

「ひとつの世界をオーブ型に象ったような彫金作品」

鉱物とサンゴ礁のように見えるオブジェ

タブレット端末
ショー終了後、「『地球』のいろいろな遠近感が一つの空間にあって、見ている側の縮尺や宇宙のスケールが伸び縮みしているような感覚というのを持ってほしいと思った」と語る長見の言葉を聞いて、筆者は「ハトラの世界では、人間と、地球上の生物や鉱物などを含む自然環境とデジタルな世界は、すべて“等価なもの”として並列されているのかもしれない」と気がついた。ニットの柄やメッシュの編み地、ジャケットのフロント部分の形状、ドレスのパーツなど、多様なスケールとデザインで同じ「菱形」のモチーフが落とし込まれていたことも、一つのものを異なる視点や距離感から捉えることを促す仕掛けになっていると考えられる。


同じように、ブランドのシグネチャーである6色の原色糸を編み上げて柄を表現したニットアイテムは、近くで目を凝らしてみると、まるでデジタル画像のピクセルのように6色の粒で柄が構成されていることがわかる。しかし、アイウェアのロングチェーンが歩くたびに揺れてランダムに反射し、無数の光の粒が瞬いているショーの光景の中で、モデルの身体が纏った状態のニットの柄が無数の「粒」で構成されているのを改めて目にしたとき、筆者はふと「人間の身体も、“原子”という微細な粒が集まってできた存在である」ということを思い出した。そんな気づきに至ったのも、まさに長見の思惑通りだったのではないだろうか。
そして、衣服が持つ「身体の保護や装飾、社会的地位の表象」といった基本的な役割や意味を超えて、人間とその外部を取り巻く環境やそこに存在するものとの「関係性」を可視化したり、人間中心主義的な視点とは異なる方向や距離感から思いを巡らせたりするようなきっかけを与える機能を持っているという意味で、「衣服としての意味が揺れる」と言っている部分もあるのではないかと、筆者は受け取った。


物理的・意味的な揺れである「瞬き」を生み出すハトラの服は、ただその服を着るだけで、着る人と見る人の双方に、常に「旅(揺らぎ続け、変化し続けること)」を経験させてくれる。普段は人間中心主義的であることに気がつかないほど人間中心にものごとを見て生きている私たちが、本来は宇宙や地球の中に存在する一部として、海や鉱物、生物、デジタルの粒子といったあらゆるものと等価に存在しているということに気づかせ、世界の見方に変化を与えてくれる。実際、筆者は今回のハトラのショーを見ることを通して、服や世界、デジタルなものに対する見方や捉え方、人間である自分との関係性が、見る前とは確実に変化したと感じている。
そして、そのような“脱人間主義的”なまなざしやスケールのもとで作られているからこそ、ハトラの服にはウィメンズとメンズの区別がなく、「ジェンダーレス」という概念や次元すらも飛び越えているような自然なあり方が可能になるのだろう。

ここまでかなり長々と考察を書き連ねてしまったが、結局のところ、ショーを終えた後の取材で長見が話していた言葉に、今回のショーがどのようなものであったのかが集約されていたように思うため、最後に引用したい。
“僕は、AIの世界と現実の世界が混同している状態は美しいとずっと思っていますし、それに尽きるんですよね。でも同時に、AIという海の中に飛び込むような感覚というのはずっとあって、その視点から見たときに、アトリエにある普通のありふれた布を見て「なんて美しいんだろう」と思ったり、デジタルの世界から見たときにフィジカルのすごさみたいなものを改めて感じることがある。その往復なんですよね。こちらから見たときに見える新しいものもあるし、向こうから見て「なんて情報量なんだ」と感じることもある。たぶん、それをずっと続けていくんだろうなと思っています”
今回のハトラのショーやコレクションは、現実世界に身を置きながらもAIという海の中を泳ぎ続けてきた長見の、双方を行き来し続ける中で出合い、見出した美しさや新しさ、驚き、感動などを、可能な限り忠実に具現化した形で垣間見させてくれるような、これまでの15年間の“歩み”を走馬灯のように総覧させてくれるようなものだったのではないだろうか。長見が「AIと現実の世界が混同している状態は美しい」と語っていたように、あの日あの空間で筆者が目撃し体感した世界は、確かにとても美しかった。
そして、ショーから数日間におよぶ長い思考の行き来を経てようやくこの文章を書き終えようとしている今、「ここに至るまでの一連の過程も、まさに長見が言う『旅』そのものであったのかもしれない」と、小さな感動とともに実感している。

photography : Ippei Saito
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