ラムダン・トゥアミ
Image by: FASHIONSNAP
ホームレス生活を脱出し、スケーター業界へ
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パリでの路上生活中、ジュリーという女の子と出会い、ガールフレンドとなった彼女の家に住むようになりホームレス生活を脱出。
「居候生活だったので、そろそろ何かしなければと思い、販売員を募集していた服屋さんに入って『デザイナーだ』と伝えたんです。お店を仕切っていたユダヤ系の男性に『お前はビッグマウスだな』なんて言われながらも、面白がられ、仕事用の部屋を与えられて、『キングサイズ(King Size)』というスケーターブランドを立ち上げました」
「キングサイズの事業が軌道に乗ったこともあって、今振り返れば当時の僕はかなり高慢でした。スケーター仲間とパリの高級バーガー店でご飯を食べていた時のこと。シックな女性が僕たちのテーブルにやってきて、『あなた誰なの?』『何をしている人なの?』と聞いてきたんです。きっと場所に似つかず、バクバク食べていた私達が気になったのでしょう。スケートボードの事業だと説明すると、『息子のために、あなたの事業を買収したい』とまさかのオファー。出会ってから3〜4日後、周りのスケーター仲間には秘密で、売却を決めました。彼女の下でブランドマネージャーとして働くことになったのですが、色々と指示をされるうちに『スケートボードの何を知っているんだ?』と思うように……。出張先の工場の駐車場で、車の窓から社用携帯を投げ捨てて、かけ直すこと無く、キングサイズはそれで終わり。売却してお金は貰えましたが、後々女性からは訴えられたし、最終的に結構な額の税金を払わなければいけなくて、お金はほとんど手元に残らなかったんです(笑)」
この経験から、人生でのモットーは「フリーダム ファースト」に。誰かから指図されたのは、これが最後だ。
宿敵「コレット」で将来の妻と出会う
スケーター業界の次に目指したのはパリのファッション業界。
「女性がたくさんいるファッション業界に魅力を感じ、友人と一緒にコンセプトストアをオープンしようと動き始めました。準備を進めている中、一つのコンセプトストアがパリ市内にオープンしました。『コレット(Colette)』です。私達の数ヶ月前にお店を開けたことが悔しくて、コレットをディスったプリントで、ポレット(Polette)というパロディTシャツを作って配布しました。ある日、コレットのサラから『お店に来ない?』と連絡が来て、敵の陣地に乗り込むつもりで行ってみると『コレットでそのTシャツを売りたい』と言われたのです。『ファッションのことを、君たちは全くわかっていない!』と言い放ち、断った僕らに向けたサラの唖然とした顔は今も覚えています」
コレットとは対立しながらも、1996年にコンセプトストア「レピセリ(L'Épicerie)」を友人2人と共にパリ市内にオープン。店内では服をはじめアクセサリー、音楽、アート、オブジェ、雑貨、雑誌などを幅広く扱った。スケーターコミュニティに精通していたことから、華やかな90年代のパリのファッション業界でマーク・ジェイコブスやソフィア・コッポラ、ジェレミー・スコットなど著名人とも知り合っていった。
「レピセリでは、マークやジェレミーとのコラボ商品も販売しました。それも、マーク・ジェイコブス for レピセリ、ではなく、レピセリ for マーク・ジェイコブス、という形で。決定権は僕たちが持ちたかったから。レピセリは、ある日にはファッションストア、次の日にはパンクショップ......と週毎にガラリと変わるお店でした」
「レピセリ」の店内
レピセリがパリで話題のスポットとなっていたある日、人生を変える一人の客が店を訪れる。
「彼女の名前はソフィー・ドゥ・タイヤック。コレットのPRをやっていた妹のヴィクトワールと一緒に来店して、『私の夫があなたのやっている仕事が好きみたい。きっと気が合うから、会ってみたら?もしかしたら頼みたい仕事があるかも』と話して。その後、ソフィーの40歳の誕生日パーティーにも招待してくれて、そこで改めてヴィクトワールと話す機会がありました。それまでは『コレットで働いている敵だ!』と思っていたのですが、サラと一緒にいないヴィクトワールと話すのは初めてで、そこで『あ、いい人なんだな』とわかり一気に仲良くなりました」
移民の親を持ち決して裕福ではない家庭で育ったラムダンは、この出会いをきっかけに、社会階層を飛び越えることになる。後に妻となるヴィクトワールは、フランスの貴族ドゥ・タイヤック家の出身。それも、小説「三銃士」に登場する三銃士の一人 ポルトスの子孫にあたる名家だ。長女のソフィーは1990年に来日し、「コム デ ギャルソン」でPRとして働いた後、サザビーリーグ創業者の鈴木陸三氏と結婚。日本でも人気のファインジュエリーデザイナー、マリーエレーヌ・ドゥ・タイヤックもヴィクトワールの姉だ。
パーティーで将来の妻と距離を近づけたのも束の間、その3ヶ月後には全てを失うことに。躍進を続けたレピセリは、約一年で終止符を打つことになる。
「浪費がひどかったのです。レピセリで船上パーティーを主催することになり、ファンシーな船を借りたので保険金として巨額の小切手にサインをしたんです。結果、500人の招待客のはずが、倍以上の人が来場してしまい、船は破損。もちろん保険金が返ってくることなく、私達は到底払えず…...。実は当時、日本の商社から買収の話も来ていたんですが、役員会議で私達のチームは取っ組み合いの大喧嘩。レピセリは、それで終わりました」
パリコレブランドを立ち上げる
「また一文無しになり、次は何をしようか?という状況になった時、ソフィーのことを思い出しました。東京にいるソフィーに『会えませんか?』と電話して、すぐに日本に飛びました。日本に着くとすぐにリク(=サザビーリーグ創業者の鈴木陸三氏)を紹介してもらい、瞬く間に意気投合しました」
鈴木氏に小売業への情熱を買われ、サザビーリーグの事業「アンド エー(And A)」のアートディレクションを任されることに。ヴィクトワールとデートし始めて一週間後、拠点を東京に移した。
「アンドエーは新店舗を出店するタイミングで、エイチデザインアソシエイツにストアデザインを依頼しました。ブラックキューブ型の新しいストアが完成して誇らしかったんですが、オープンの2週間前にリクと言い合いになり、オープニングレセプションに立ち会うことを許されず(笑)。最初は自由にディレクションできると言われていたのが、やはり最終的にはこのカテゴリの商品が何パーセント必要だ、という話になってしまって。お金は貰えましたが、結果的に追い出され、その後リクとは10年間会話をしませんでしたね」
ディレクションを手掛けた「アンドエー」の店舗
2001年、27歳の時にフランスに帰国。2年後にはヴィクトワールとの間に第一子が誕生した。コレットを離れフリーのPRとして仕事をしていたヴィクトワールと共に、香水やコスメを扱うショップ「Parfume Generale」をオープンした(後に売却)。
Parfume Generaleの事業と並行して、英老舗百貨店「リバティ(LIBERTY)」でメンズ部門のバイヤー兼ディレクターに就任。そしてリバティでの経験をもとに、「こんな服があったら良いな」を作るブランドとして「RT」と「RESISTANCE」を立ち上げる。キングサイズとは異なるパリジャンらしいシックな装いで、パリコレ公式スケジュールでショーも行った。
「RESISTANCE」のファッションショー。ショーのスタイリングは熊谷隆志氏が手掛けたことも。
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