ラムダン・トゥアミ
Image by: FASHIONSNAP
ホームレスだった少年が、LVMHも出資する人気美容専門店のオーナーに。「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(OFFICINE UNIVERSELLE BULY、以下ビュリー)」のオーナー ラムダン・トゥアミ(Ramdane Touhami)は、"持っている男"だ。マーク・ジェイコブスらも参加するコンセプトストアのオーナー、リアリティ番組の出演者、「アンドエー(And A)」のアートディレクター、パリコレ参加ブランドのデザイナー、英老舗百貨店のバイヤー、モロッコのレストランのオーナー、そしてビュリーのオーナー……。これらは全て、46年間の人生で起こったことだ。
モットーは「自由であること」と「楽しいこと」。嫌いな言葉は「怠慢」。酒もタバコも(もちろんドラッグも)やらない。その個性的なアイデアと実行力で、猛スピードで人生を駆け抜けるラムダンの半生を振り返る。
銃を持ち込み中学を退学に
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1974年、フランスの田舎町 モントーバン生まれ。モロッコ系移民の父親は農場で、母親はパリの裕福な家庭が別荘として使う城の清掃員として働いていた。
「お城の横に建てられた、小さな家で育ちました。4人兄弟で、ベッドルームは一つ。どれくらい貧乏だったかというと、冬には寒さを凌ぐために焚き火をする必要があったほど。隣の家は5キロ先というほどの田舎。毎日学校には1時間歩いて通っていましたが、6歳になると自転車を手に入れ、それで通学するように。今思えば、私の自転車愛が始まったのはこの時からです」
中学生になると、親の働き先の城が売却されることになり、モントーバン郊外へと一家で引っ越す。
「自然に囲まれて育った田舎の男の子だった僕にとって、至るところでギャングが喧嘩をしている街はまさに異世界。僕と弟は、中流階級の白人とつるむようになったのですが、フランスでのアラブ系に対する差別は根深い。いくら仲良くなったと思っても、彼らの家の中やパーティーには誘われない。常にアウトキャストだったんです。ギャングともつるまないけど、裕福なキッズとも遊ばない、少し寂しい少年時代でした」
疎外感を感じつつも、学校では悪友ができ中学時代を過ごしていた――。そんなある日、悪友から渡された、弾の入っていない拳銃をバッグに入れていたことが学校で見つかり警察沙汰に。通っていた中学は即日退学処分。唯一受け入れてくれたのは、家から遠く離れた全寮制のカトリックスクールだった。
Tシャツ事業で大儲け!しかしギャングに拉致され一文無しに
「新たに転入した学校は、女子生徒が400人、男子生徒が15人くらい。数少ない男子生徒の中で、女子からの人気を独り占めしていたのが、リッチという同級生。僕は当時スケボーをやっていて、リッチもスケーターでした。彼はなぜそんなにモテるのか? 本人から返ってきた答えは『Tシャツを作って売ってるから』。確かに、彼は『リッチ・アブラカタブラ』とプリントしたTシャツを売っていたんです。自分でブランドがやれるなんて考えたこともなかったので、目からうろこで」
学校が休みに入ると、すぐにTシャツを作ってくれる工場を探した。出来上がったのは、「Teuchiland」とプリントされたTシャツ。当時好きだったブランド「ティンバーランド(Timberland)」にハシーシュ(大麻)を合わせた造語で、ティンバーランドの木のロゴはカンナビスへと変換したパロディデザインだ。
「この頃から、フォントやクオリティにはとても敏感でした。休み明けの学校に持っていくと、100枚用意したTシャツが4日でなくなりました。女の子にもモテるようになって、リッチがすごく動揺していたのは今でも覚えています(笑)」
週末になると、夜行列車でパリに行き商品を卸すように。最終的には、数十店舗で取り扱われるようになった。一方高校では進路を見いだせず、親に内緒で学校を辞める。17歳の時だった。
「会社はないので、稼ぐお金は全て現金。秘密の場所に隠して保管していました。きっと僕が儲けているとどこかで聞いたのでしょう。ギャングに誘拐され、田舎の空き家に監禁されたのです。車のトランクに入れられる、こんな映画のようなことが本当にあるのかと。彼らが知りたかったのは『お金の隠し場所はどこか』。2日間の監禁の末、諦め、お金の隠し場所を教えました」
一文無しになったのは疎か、監禁事件が引き金となり、退学していたことが親の知るところとなる。
「私が学校をやめていたこと、そして両親が貧しい生活を送っていた裏でお金を儲けていたことが全てバレました。Tシャツを売っているとは信じてもらえず、ドラッグを売っているのではないか、と。1993年4月17日、18歳の時に勘当され、ホームレスに。ヒッチハイクで辿り着いたパリの街で、1年ほど路上生活を送りました。様々なことがありましたが、今もふくらはぎには、路上生活中に刺された傷跡が深く残っています」
▶︎次のページ 20代:ホームレス生活を脱出し、ファッション業界へ
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