今回は、ファッション界とは別の話題から始めたい。2024年7月15日、1人のサッカー選手がYouTubeチャンネルを開設した。イングランド・プレミアリーグ クリスタル・パレス(Crystal Palace FC)への移籍が発表された鎌田大地選手だ。
鎌田選手はYouTubeに関心がないと思えていただけに、唐突にYouTube(チャンネル名:鎌田大地ch)を始めたことには驚いた。これまでもInstagramアカウントは持っていたが、投稿頻度は控えめで、SNSなどを通して発信することに対して積極的ではないように映っていた。
そんな鎌田選手だが、いったいなぜYouTubeをスタートしたのか。その理由が、チャンネル開設1本目の動画で、本人の口から語られている。オフになると鎌田選手は、テレビなどメディアでの仕事が発生し、取材で質問されることも多いが、1時間話しても一部しか放送されなかったり、似たような話を別々の媒体で話したりすることも多かったそうだ。オフはそもそも仕事したくないといった本人の意向もあり、それならいっそのことYouTubeを通して自分の考えをファンに直接届けよう、ということになったらしい。公開1本目の動画は、メディアの記事では読むことのできなかった、移籍の経緯や心境が赤裸々に語られ、見応えのある内容だった。
著名人や企業が、メディアを通さずファンに向けて発信する。このような動きは、スポーツの世界に限った話ではなく、ファッションブランドにも現れ始めている。これまではブランドがショーやルックで発表した最新コレクションをメディアが発信することで、消費者が認知していくというパターンが常識であり、「王道パターン」だった。
「ルイ・ヴィトン」2025年初夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
「プラダ」2025年初夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
だが、今は消費者の消費行動が大きく変化している。
現代人の最も強い欲求とはなんだろう。それは「知りたい」ではないかと思う。現代人の消費パターンは、SNSなどで興味を引かれる商品と出会ったら、まず検索から始まる。商品に関する情報はもちろん、どんな人間、どんなブランドや企業が製作したのか、商品やブランドの評判・評価、様々な情報をリサーチする。そして、それらの情報を知った上で関心がさらに強くなるようであれば、ようやく購入という次のステップへ移る。
おそらく人類の歴史上「知りたい」という欲求が最も高まっている今、商品スペックと価格の情報だけで消費者の心を動かすことができるのだろうか。そんな時代の変化を察知するように、ファッションブランド自らファンに向かって発信する例が増えてきた。その主たる物がブランドサイトで公開される読み物コンテンツだ。生物が変化した環境に適合し進化するように、時代の変化を読み取ったファッションブランドは、メディア化とも言うべき動きを見せていく。この注目の動きについて具体例を挙げながら、言及していきたい。(文:AFFECTUS)
コロナ禍で岐路に立たされたファッションビジネス、進むブランドの「メディア化」
ADVERTISING
まず、ファッションブランドを取り巻く状況から整理しよう。近年、ファッションビジネスの形態に大きな影響を及ぼしたものといえば、2019年末から巻き起こったコロナ禍にほかならない。世界を混乱に陥れたパンデミックによって、ブランドビジネスには変化が現れた。
ファッションブランドにとって、ビジネスの柱は昔も今も卸であることが多い。取引先となるセレクトショップが最新コレクションを発売することで、ブランドの売上と利益が拡大していくビジネスモデルだが、コロナ禍以降、ファッションブランドで加速したのがECでの展開だ。
もちろん、コロナ禍以前から、ECはファッションビジネスにおいて重要な存在と規模に成長していた。だが、パンデミックの発生以降、外出制限が設けられ、人々が街中でショッピングを楽しめる環境ではなくなった。そのため、家から出ることなく室内で好きな商品を購入できるECが、ビジネス上いっそう重要な立ち位置になったのだ。売上が不透明になる当時の状況を鑑みれば、利益率が高いECを開始するブランドが増加するのは必然だったと言えよう。
しかし、オンラインとオフラインのショップでは大きな違いがある。それはショップスタッフの存在だ。リアルのショップを訪れた時、ショップスタッフは、ある意味ブランドのプレゼンターと言える役割を果たす。最新のシャツやニットに関する素材や仕様だけでなく、コレクションテーマ、そしてスタイリングのアドバイスなど、あらゆる情報でブランドとアイテムの魅力を伝えていく。
豊富な知識と軽妙なトークでショップスタッフのファンになり、同じブランドの同じ服が他のショップでも買えるにもかかわらず、好きなスタッフがいるショップで購入した経験はないだろうか。ショップスタッフは、ショップの売上を左右する重要な存在だと言える。しかし、ECでは、実店舗と同じ即時性のあるコミュニケーションが難しい。その点、セレクトショップの施策は秀逸だった。Instagramのライブ配信やYouTubeによる最新アイテム紹介など、動画を主役にしてリアルタイムに顧客にニュースを届け、即時性のあるコミュニーケーションに近い効果をもたらした。
ただ、情報を伝える手段は映像だけではない。ブランドサイトやオンラインショップといった場所でも発信は可能だ。その際、重要な役割を果たすのが物語性のある読み物コンテンツである。
たとえばこんな体験はいかがだろう。
新作コレクションが発売開始となり、ブランドサイトを訪れると、最新ウェアの製作背景を追ったドキュメンタリータッチの読み物コンテンツが公開されている。全国各地の産地を巡り完成させたオリジナル素材のプロセス、デザイナーと職人の間で交わされたコミュニケーションの詳細、そういった読み物コンテンツを読み進めるうち、最新コレクションへの関心と購買意欲が高まっていく。
このようにファンを楽しませるコンテンツを製作し公開することができるなら、ECサイトに記載している価格・素材の組成・サイズといったスペック情報よりもよほど購買に繋がるだろう。
現代人はあらゆるルートから情報を収集する。SNSではInstagram、X、TikTokなどがあり、YouTubeを観ることも最早日常における常識だ。また、ニュースレターで情報を受け取る人や、日本国内に限定すればLINEでお気に入りのブランドから情報を受け取る人もいる。そして、動画だけでなく文章から情報を取得したいと考える人たちも存在する。
ブランドがビジネスの規模を大きくしようとするなら、顧客との多くのタッチポイントが必要になり、それぞれのポイントを通して最新ニュースを届けていくことが求められる。そして、各タッチポイントにおいて重要になってくるのは「言葉」。人間と人間の間における情報伝達の要は言葉であり、視覚体験が重要なファッションにおいても言葉は大切である。そこで大きな役割を担うのが編集者やコピーライターといった、言葉で伝えることを専門とする人々だ。
とりわけ編集者の価値にいち早く注目したアパレル企業がある。「ユニクロ(UNIQLO)」を運営するファーストリテイリングだ。2018年、同社は「ポパイ(POPEYE)」元編集長の木下孝浩をグループ執行役員に迎え、2019年8月にフリーマガジン「LifeWear magazine」を創刊。同誌は最新アイテムをスタイリングで見せ、インタビューやアイテムの誕生ストーリーなど、「ユニクロ」が掲げる「LifeWear」のフィロソフィーを無料とは思えないクオリティとボリュームで伝えている。
読むコンテンツはモードシーンにも登場している。次に、各ブランドの特性が反映された3つの事例を取り挙げたい。
マメ クロゴウチ、アンドワンダー...言葉を用いて価値を示すブランドたち
「マメ クロゴウチ(Mame Kurogouchi)」は、パリで発表されるコレクションのみならず、ブランドサイトで公開するコンテンツでも独自性を築いている。サイト内「THE STORY」では、シーズン毎にコレクションの創作背景が、職人の姿や工房などの写真と共に綴られている。中でも、デザイナーである黒河内真衣子が語る創作時の心のうちは、神秘めいたダイアリーの読後感のよう。
「24 FALL WINTER」では唐津焼との出会い、作家とのやりとりを読むことができる。工房で作品を目にした時の黒河内の心情が、繊細な文体で語られるシーンが印象的なのはもちろんのこと、工房からの帰り道、電車の中から見えた風景について書いた短い一文があるのだが、その文章を読んでいると芥川龍之介の「蜜柑」が思い出されてきた。
「蜜柑」という短編小説(5ページほどで、短編というにも短すぎる作品)は、汽車に一人の男性が乗り込むことから始まる。男性の前に貧しい身なりの若い女性が座り、男性は彼女のある行動に不快な気持ちになるのだが、車窓からある風景を見たことで、不快に思えた彼女の行動に対する印象が一変する。その場面の描写が色鮮やかで、芥川の美しい文章が一際輝く短編小説である。
車窓から見えた風景から、黒河内の創造性が芽吹く文章は「蜜柑」に通じる美しさを感じる。「マメ クロゴウチ」は、服と共に感情を言葉にして届けている。
2011年に設立された「アンドワンダー(and wander)」は、アウトドアファンを楽しませる読み物コンテンツを発信している。
ブランドサイトを訪れ、「journal」というコンテンツを開くと、様々な記事が公開されている。2019年9月に公開された「journal」初の記事は「感性を満たすアウトドアウェア作り(前編)」と題され、デザイナーである池内啓太と森美穂子の二人によって、ブランド設立に至る心境、アウトドアウェアに対する思いが語られた。以降、「journal」では毎年精力的にコンテンツが発表されている。
レストランオーナーへのインタビュー、山ごはんレシピの紹介、愛犬家たちによる座談会など、必ずしもコレクションに関わるものではなく、テーマは多岐にわたる。
とりわけ注目はブランドが開催する登山「アンドワンダーハイキングクラブ」についてだ。ブランド自ら山や自然を楽しむきっかけを提供し、アウトドアファンを増やす活動を行っている。2024年6月には、海外初の「アンドワンダーハイキングクラブ」がイギリスで開催され、当日の様子を撮影した写真と共にレポートが公開されていた。
私は2022年に池内と森の両人にインタビュー取材を行ったことがあるが、一つの質問に熟考して答える二人の姿が今も記憶に焼き付いている。池内と森はコンセプチュアルなアイデアや、大胆な実験性をテーマにするのではなく、愛するアウトドアライフと自然との暮らしから常に発想して、コレクションを製作している。そんな二人が始めた「アンドワンダー」だからこそ、従来のファッションブランドの活動を超えた「アンドワンダーハイキングクラブ」が生まれたのではないかと思う。
また、この「journal」でもう一つの興味深いコンテンツは、池内、森の両デザイナーと、「スキーマ建築計画」を主宰する建築家・長坂常との対談である。これは渋谷「MIYASHITA PARK」に出店した「アンドワンダー」のショップの店舗設計を、「スキーマ建築計画」が手掛けたことがきっかけとなって実現した企画である。
ショップのインテリアデザインを設計事務所が手掛けるように、ファッションブランドと建築家は密接な関係だ。また、ファッションファンの中にも住宅のインテリアに興味を持つ人たちが多く、ファッションと建築は親和性が高い。この対談は、ファッションファンの潜在ニーズを刺激するものとして興味深いものであり、「アンドワンダー」が製作・公開するコンテンツは、まさにメディアそのものと言えるだろう。
プロダクト開発時における物語性を、「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」は文章で可視化して伝える。同社が展開する「プリーツ プリーズ イッセイミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」は、「スペシャルプロジェクト」というタイトルで、クリエイターの日々を綴るコンテンツをスタートさせた。
現在公開している4本では、フランス生まれのキュレーター エレーヌ・ケルマシュテールを紹介。パリのカルティエ現代美術財団に15年以上勤務しながら、フリーランスのキュレーターとしても活動する彼女の一日を追っていく。朝のティータイムや仕事中、プライベートタイムなどを丁寧に描いている。
「エイポック エイブル イッセイ ミヤケ(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE、以下エイポック エイブル)」でも、読み物コンテンツに力が注がれている。公式サイト内「DIALOUGUES」は、同ブランドが取り組むものづくりの背景について、ボリューミーな文章で伝えていく内容だ。
このように、「イッセイミヤケ」はプロダクトだけでなく、言葉もデザインしていくブランドである。
ファッションブランドには、ファンを楽しませるエンターテイメント性が必要だ。読むコンテンツには、ルックを見たり、服を着たりする体験とは違う面白さがあり、その面白さは「知りたい」という欲求が高まっている現代人のニーズを捉える。言葉を武器に発信する3ブランドはファッションブランドの未来像を創り出しているとも言えそうである。
メディアとブランドの曖昧化、変化するファッション業界の価値観
ここまで日本国内における事例を紹介したが、海外に目を向けると逆の現象も確認できる。逆の現象とは、「ファッションブランド化していくメディア」のことだ。ヨルグ・コッホ(Joerg Koch)が設立したベルリンのカルチャーメディア「ゼロスリーツーシー(032c)」は、ストリート色の強い切り口を特徴として、ウェブサイトとマガジンの両方で記事を発表している。
現在は残念ながら非公開となって読むことはできないが、“RAVE: Before Streetwear There Was Clubwear”というタイトルの記事は、ストリートウェアの前にはクラブウェアがあったという切り口で執筆され、非常に興味深いカルチャーエディトリアルだった。
また、「ゼロスリーツーシー」はメディアとしての機能に加えて、アパレルラインも展開している。クリエイティブ・ディレクターを務めるのは、「ジル サンダー(Jil Sander)」や「マリオス ショワブ(Marios Schwab)」で経験を積んだマリア・コッホ(Maria Koch)。マリアの指揮のもと製作されるストリートウェアは、2025年春夏シーズンのメンズ・パリ・ファッションウィークの公式スケジュールで、ランウェイショーを開催するまでに成長した。
「032c」2025年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
「032c」2025年春夏コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
これまでは、ファッションブランド=服だと考えられていた。だが、インターネットの発達、SNSの登場、情報ニーズの高まり、消費行動の変化などにより、ファッションブランドの定義にも揺らぎが生じてきている。
Instagramを始めとするSNSは今やファッション界に欠かせないツールで、ファンとブランドをつなぐ重要な役割を果たしている。それならば、投稿頻度を半年に一度のコレクション発表時期に集中させるのではなく、年間を通して継続的にコンテンツを投稿し、ファンの興味を喚起し続けることで、ブランドの成長をさらに加速させるチャンスがあるのではないか。
また、ファッションブランドがメディア機能を持つ現象が浸透していくならば、デザイナーや生産管理といった服づくりの専門家、経営者や営業といったビジネスの専門家に加え、ファッションブランドが編集者やコピーライターという人材を内製する未来像も起こり得る。
ファッション界の価値観が変わる時、そこには常に新しい服とスタイルがあった。時代は変わり、新しい可能性が生まれている。今、服とスタイルだけでは語ることのできない、ファッションブランドの世界が語られ始めた。
2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。
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