Image by: カネボウ化粧品
目指すは、肉眼で見て綺麗な肌「ツヤ肌」。それを叶えるために、「自分で製品を作りたい」と、細かなニュアンスを伝えるため、そして日本の化粧品業界も変えたい、との思いで製品作りを目指し提携先を模索。何年過ぎても見つからなかったところに、美容ライターから「化粧品を作りたい会社がある」と声が掛かる。それがカネボウ化粧品だった。すでにコンセプトも決定していた後でのディレクター職ではあったが、吉川氏の「肌づくりがとてもきれい」という言葉に可能性を感じ引き受けることに。「キッカ(CHICCA)」の誕生だ。カネボウ化粧品の看板を背負った「キッカ」の道のりとはーー。連載「美を伝える人」ビューティクリエイター吉川康雄氏(7)
ーいよいよ「キッカ」で待望の製品づくりが始まるわけですが、製品を作るにあたってこだわった点を教えてください。
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まず、60歳以上の肌って、思っている以上にキレイなんですよ。無理やりカバーする必要ないし、皮脂量がそこまで多くないから、とにかく粉はできるだけ乗せないほうがいいんです。油を重ねたほうがキレイに、そして元気に見えるんです。それって肌を乾燥させないから、長期的に考えても肌も喜ぶんですよ。
ーそうなんですね、意外です。何に気をつけるべきなんでしょうか?
当時は大手化粧品会社がやたらと未知の新美容成分開発にこだわっていましたが、よほどミラクルな効果と安全性が証明できない限り、僕はあまり興味がありませんでした。キッカではそれよりも、既存で認知されている、主に保湿成分を好んで配合していましたね。安全性が高いですし、高い効果も保証されていますから。そもそも肌というのは外の世界から体を守るバリアで、本来は外から何かを入れるものでないわけだから、結局は食生活や日常の行いを変えないと、どれだけ美容成分を表面に塗っても、あまり意味ないんですよね。肌を変えるのは化粧品ではなく、生活習慣。化粧品会社は肌の中に成分を届け、効果をあげることを研究していますが、僕が多くの女性たちを見てきて思うのは、それよりも肌表面の状態を整えることの方が重要だということでした。
ー何に興味があったのでしょうか?
渡米した最初の5年は、日本に一度も帰国しなかったんです。アメリカで生活していくうちに日本の女性の美しさだったり、日本の文化の素晴らしさを改めて感じました。ところが5年ぶりに帰国すると、思い描いていた美しい日本は、僕が頭の中で増幅させた虚像の部分が大きかったことに気がついて、逆にカルチャーショックを受けたんですよね。街中で歩く女性は疲れているし、元気がありませんでした。もしかしたら過度なダイエットや、いろんな無理をしていたのかもしれないなあと。しかもみんな同じメイクとファッションで、とにかく魅力的に見えませんでした。その光景を見て、日本人女性の元気と美しさを取り戻したいと思ったんですよね。
ーキッカは元気と美しさを与えるブランド、ということだと思いますが、デビューして反響はいかがでしたか?
2008年にようやくデビューができました。ただ、僕が作ろうとしたメイクはこれまでの世の中の化粧習慣と真逆のことだったので、最初はなかなか理解してもらえなかったかもしれません。「仕上がりが理解できない」「そんなメイク見たことない」、そんな意見は結構ありました(笑)。でも僕はみんながお粉を使う中で、新しい“ツヤ肌”を広げたくて、一生懸命布教活動をしました。
ー布教活動?どんなことをしたのでしょうか?
当時ブランドの予算もそこまでなかったので、チームの誰かがモデルになって、全国の百貨店を回ってメイクアップショーをしたり、雑誌と一緒にイベントをしたり…。とにかくお客さまには肉眼で、このツヤ肌を見てもらいたかったんです。
ーなるほど。地道に続けて行ったのですね。
そうですね。地道な布教活動を続けていくうちに、少しずつ反応が変わってきたように感じます。特にこれまでのメイクアップに疑問を抱いていた人、またいかにもメイクをしているようなメイクアップを好まなかった人には、グッときたのではないでしょうか。これまで、そういうブランドが世の中に存在しなかったわけですから。
キッカでは、さまざまな場所に出向き、地道に“布教活動”を行う
ー吉川さんが提唱するメイクを待ち侘びていた人が多くいたのですね。そこからブランドのターニングポイントとなることがあったのでしょうか?
ブランドの大きなターニングポイントが、ターゲット年齢を下げたことですね。60代以上のブランド設定したのは、「これまでカネボウ化粧品の中にその年代のブランドがなかったから」という背景がありました。でも、僕の中で「果たして化粧品を60歳に限定する必要はあるのか?」という疑問はいつもありました。会社とブランドの方向性を考える中で、何時間も話し合うことになりました。
ーそんな何時間も話し合う必要があったのですね。
当時僕はビジネスは全て会社に任せていたので、そこはあまり介入しようとはしませんでしたが、やっぱりこういう会議に出席するのは、メイクなんてしない男性ばかりだったんですよね。話してみると、キッカに与えられたターゲティングの良し悪しに関係なく、会社が一度決めた戦略を変更することの難しさを痛感しました。でも何度も何度も説明したことで、結局60歳以上という年齢制限を取っ払うことができましたね。
(文 エディター・ライター北坂映梨、聞き手 福崎明子)
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