
永谷亜矢子氏
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インバウンド消費の拡大が止まらない。日本政府観光局の発表では、2024年の訪日客の消費額は8兆1395億円、客数は3686万9900人と、いずれも過去最高を記録。2025年1月・2月もその勢いは増し、今年も更なる市場拡大が予想されている。しかし、急増する需要を前に課題も多い。

2024年のインバウンド消費額
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発売直後から紀伊國屋の新書カテゴリーでも1位を獲得するなど話題を呼んでいる書籍「観光"未"立国~ニッポンの現状~」は、日本の観光業の現状に対して警鐘を鳴らす。著者の永谷亜矢子氏は、リクルート→W TOKYO(東京ガールズコレクション)→吉本興業→独立というキャリアの中で、さまざまな事業を「立ち上げ」から「自走」までしてきたキーマン。現在は立教大学経営学部で客員教授として教鞭を執りながら、さまざまな地方自治体の事業に参画し成果を上げている。
同氏は、日本の観光業の問題について「ファッションが好きな若者にこそ知って欲しい」と語る。同氏が著書内で記した地方の観光産業の活性化により自治体自体が儲かる仕組みづくりは、後継者不足や資金不足によって困難になっている文化資源の活用や保存のためのシステム構築にも繋がる。テキスタイル産地の後継者不足など、地域の産業が抱える課題はファッション業界にとっても他人事ではない。インバウンド需要と的確に向き合い、地場のカルチャーを活かしながら育てる地方創生の道を探る。
大学を卒業後、リクルートに入社し広告営業、企画、雑誌の編集に携わる。2005年、東京ガールズコレクションの立ち上げから関わり、イベントプロデュースやPR、社長業を兼任。2011年より吉本興業で海外事業、エンターテイメント事業のプロデュースを担い、2016年に株式会社anを設立。企業&中央官庁、自治体へのマーケティング、PRコンサルタント、施設やイベントからメディアまでの様々なプロデュース業を担う。2018年より立教大学経営学部客員教授。2019年よりナイトタイムエコノミー推進協議会の理事に着任。以降、観光庁、文化庁など有識者やアドバイザー、現在も富山県、富士吉田市はじめ8自治の地域創生事業にハンズオンで長期的に携わっている。
目次
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なぜ今「地方」観光なのか
訪日客増加に伴い、住民生活への影響や文化財の消耗への懸念の声が聞かれる機会が増えた。この原因は、東京をはじめ京都や大阪といった一部の限られた地域に観光客が殺到する「オーバーツーリズム」の深刻化にある。しかし、日本政府観光局特別顧問でもある小西美術工藝社社長デービッド・アトキンソン氏は、日本の全人口に対する訪日客数を見れば「日本全体はオーバーツーリズム状態ではない」と指摘。外国人観光客たちが都心以外の地域にも足を運びやすい発信や交通手段が整備されれば、日本でも観光産業が持続可能なものとして成長していく可能性を秘めているというのだ。

国・エリア別 訪日外国人の内訳(観光庁発表の統計を基に作成)
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肝心な訪日客たちの地方への関心だが、観光庁の発表によると日々増加する訪日客のうち約7割弱は東アジアからの旅行者。そして欧米豪からの約7割が初めての訪日客なのに対して、東アジアはその6〜9割が2回以上日本を訪れたことがあるリピーターたちだ。そうしたリピーターの間では、すでに訪れた都心部以外の地方都市への観光に関心が高まっているという。しかし、情報発信不足や二次交通問題が障壁となり、十分な誘致が実現できていない。高まる地方観光需要に対して供給が伴わないことが喫緊の課題であると同時に、対策を講じれば地方市場を開拓することができるのだという。

国別に見た「訪日回数の内訳」(観光庁発表の統計を基に作成)
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世界的な「古き良きもの回帰」がもたらす日本バズ
米大手旅行雑誌「コンデナスト・トラベラー」が2024年10月に発表した読者投票ランキング「リーダーズ・チョイス・アワード」の米国版と英国版では、「世界で最も魅力的な国」として日本が2年連続で1位に選出された。急拡大する日本旅行人気の理由は「円安」だけではないようだ。
有史以来革命が起こらなかった国として、過去からの土着文化が各地域に残る日本。47都道府県それぞれで異なった豊かな食文化や文化財、自然、カルチャーが育つ。同じ県内でも3ヶ月後に行けば異なる食体験ができ、異なる景色を見ることができる。「そんな国はおそらく日本しかない」と永谷氏は言う。全国に35の国立公園を有し、中には伊勢志摩国立公園や阿蘇くじゅう国立公園のように人々が暮らす街自体を内包した公園もあるなど、豊かで生活に根ざした自然が多く残るのも日本の特徴だ。





2024年6月25日に誕生した、国内35番目の国立公園「日高山脈襟裳十勝国立公園」
Image by: 北海道日高振興局
中でも外国人観光客たちが注目するのは「食文化」。新しい人気レストランでもミシュランガイドで星を取った店でもない、数十年続く居酒屋や喫茶店に行列ができる。陶芸などの伝統工芸を体験することができるワークショップなども人気が高い。このほか、地方を舞台にしたアニメコンテンツのファンによる「聖地巡礼」など、少しの移動でさまざまなローカルコンテンツを楽しめるコンパクトさと多様さが日本の魅力なのだという。加えて、世界的に見ると治安の面でも安全が確保されていることや円安などの「行きやすさ」が旅足を後押しする。
そして、そうした自然や食など地域に古くから残る文化に注目が集まる背景には、世界的に「新しいもの」よりも「長く受け継がれてきたもの」に対して価値を見出す風潮が強まっていることがあると永谷氏は分析する。若年層を中心に「古き良き」カルチャーの方がより「新鮮で興味深い」ものとして映っているという。世界的な「レトロブーム」の高まりは、古くからの自然や文化財が点在する日本の観光業にとっても好機と言えるだろう。

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人気はある、でも観光地を苦しめる「清貧思想」と「諦め」
中心地以外にも注目が集まる日本の観光業。それでも日本各地が「儲かっている」という声はなかなか耳にしない。多くの地方観光地が持つ根本的な課題は、「そもそも人を呼べていない」こと、そして「人が来ていても稼げない」ことに分類できるという。
①ニーズが多様化する個人旅行時代
観光庁の調査によると、世界的な旅行の主流はパッケージツアーではなく「個人旅行=FIT(Free Individual Traveler あるいは、Foreign Independent Tour)」。さまざまなニーズを持った訪日客が「旅マエ(旅行する前)」「旅ナカ(旅の最中)」にSNSやWebサイト、Googleマップを通してリサーチを重ね、自分好みの旅先を探している。公式サイトの情報を充実させることで検索順位を高めたり、SNSアカウントを積極的に更新することは、ダイレクトに旅行客を誘致するための有効な手段になった。

各国のFIT比率の比較 (観光庁「インバウンド消費動向調査(2024年4-6月)」のデータを基に作成)
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実際に、同氏が関わった熊本県阿蘇地域では、まず最初にホームページのリニューアルに着手。宿泊情報や土産物の紹介にとどまらず、その地域が守り紡いできた歴史や文化のストーリーといった日本のカルチャーや文化に関心を持つ訪日観光客たちがこの地域を訪れるにあたり、知りたい情報を網羅した。ホームページ改修後からアクセス数は5倍、5年経った現在は改修前の10倍を維持している。「人が来ない」ことに悩む多くの自治体に足りないものは、新しい観光コンテンツではなく「情報の整理」だと強調する。

リニューアルした阿蘇市の観光協会公式サイト
Image by: 阿蘇市観光協会公式サイト
②観光業界の担い手不足の深刻化
集客が成功している地域で起きる問題としては、需要に対する観光地側の人員不足や、キャパシティ以上の人が訪れることによる「観光公害」が挙げられる。原因はいずれも観光地の資金不足で、その根本的な要因は「地域の共有財産である観光名所で金儲けをすること=悪」という潜在意識にある。中にはボランティア感覚で「金のためではなく地域のため」と行動する観光関係者も存在するが、その意識で観光サービスを事業として継続していくことは難しい。
日本では、重要文化財に指定された神社仏閣でさえ拝観料は近隣住民向けの数百円。同価格を観光客にも適応している場合も多く、人気かつ、安価な体験が叶う場所には連日過剰なまでの観光客が押し寄せる。こうした日本のマネタイズ目線の欠如はオーバーツーリズムを深刻化させている一因だ。対策としては、事業の収益性を高め多くの観光客を受け入れるハードの整備や雇用に確保を進めることが求められる。かといって闇雲に価格を上げてしまっては客足は遠のくので、マネタイズには観光客が「高い費用を払ってでもその場所で体験したい」と感じるサービスの設計と、それに見合う価格を設定する必要がある。
観光地のアクティビティのひとつとして人気の高い「伝統工芸のワークショップ」。観光地の染物や織物の工房では判を押したように「ハンカチ」と「コースター」の制作体験を提供している。しかし、外国人観光客が体験を望むコトの最適解はハンカチやコースターなのだろうか。
福岡県広川町の工房では高級綿織物である久留米絣のハンカチ制作を2000円で体験できるプログラムを提供していた。一方で、客が制作した久留米絣を木枠に貼り付けられるファブリックアート作りプログラムを導入。設備や人員は据え置きで価格を8倍の1万6000円に設定したが、大人気のアクティビティに成長した。

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沖縄県宮古島で15世紀から続く伝統織物 宮古上布は、苧麻という麻の繊維で作った糸を織り、琉球藍で染めて作られる日本四大上布のひとつで、一反100万円を超えるものもある高級品だが、ここでも4000円のコースター制作体験が実施されていた。そこで、従来は既成の布を染めるだけの体験だったのに対し、糸を撚る行程から体験して、同様に木枠に貼り付けるアート体験にアップデート。職人が担っていた作業を体験化することで手間を省き、体験者にはより貴重な経験を提供することで、価格は従前の7倍強となる3万円に設定したがビジネスとしてうまくいっている。加えて、体験者からより大きなアート作品の注文が入るなど客単価の向上に寄与しているという。

このほか資金問題に関して避けられない観光庁の用意する補助金の使い道についても同書内で詳しく指摘されている。
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見慣れた街も客観視すれば、世界が求める「価値」が見つかる
では、どのような切り口から地域の情報を発信し、どのように地域の観光コンテンツに付加価値をつけて行けば良いのか。
「必要なのは“編集力”」だと永谷氏。無理に外から人気がある店やコンテンツを誘致しなくても、地元にはもうすでに魅力的なコンテンツは存在している。長く地元で暮らす人々にとっては当たり前の景色も、外部の人間から見たらそこでしか出会えない貴重な体験だ。いかに客観的な視点を持って地域産業の価値を理解し、すでにあるものに新しい角度から光を当てることができるかが求められる。そうした客観的な視点は同時に、二次交通の整備や土産物のマーチャンダイジングまで、地元の観光に必要なことも気付かせるだろう。

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多様化する世界の観光客のニーズを汲み取りながら、日本のさまざまな伝統産業を発信することでその担い手たちがしっかりと儲かる仕組み作りが実現すれば、後継者不足による産業の衰退問題の解決にもつながるかもしれない。見慣れた街や産業に、今注目が集まっていないからといって「価値がない」のだと決めつけるのではなく、新しい視点を持って地域を見つめることが、さまざまなローカルカルチャーを守り受け継いでいくためには欠かせない視点なのだ。
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