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今、「ファッション論」に注目が集まっている。2023年、神戸大学准教授の平芳裕子氏が東京大学で行った4日間の講義が反響を呼び、昨年9月にその内容をまとめた新書「東大ファッション論集中講義」が発売。するとSNSでも大きな話題となり、青山ブックセンター本店の年間新書ランキングで4位にランクイン、2025年2月には5度目の重版となるなど、人気を博している。
さらに東大のみならず“京大”でも、2024年後期から「ファッション論入門」の講義がスタート。同講義を担当するのは、長年京都を拠点に大学でファッション論を教える傍ら批評家・キュレーターとしても活動してきた、京都精華大学デザイン学部准教授の蘆田裕史氏だ。そんな同氏に話を聞くべく、京都大学を訪問。今、アカデミックな世界でファッション論に注目が集まっている理由から、ファッション論を学ぶことの意義、批評の役割、ファッションが持つ課題や可能性まで、「ファッションを“考えること”」の現在地を訊ねた。
■蘆田裕史
1978年京都生まれ。京都大学薬学部卒業、同大学大学院人間・環境学研究科博士課程研究指導認定退学。京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターなどを経て、2013年より京都精華大学ファッションコース講師、現在は同大学デザイン学部准教授。批評家/キュレーターとしても活動し、ファッションの批評誌「vanitas」編集委員のほか、本と服の店「コトバトフク」の運営メンバーも務める。主著は、「言葉と衣服」「クリティカル・ワード ファッションスタディーズ」。

目次
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今「ファッション論」に注目が集まる理由とは?
── まずは、これまで京都精華大学で教鞭を取られてきた蘆田さんが、2024年の後期から京都大学(以下、京大)で「ファッション論」の講義を行うことになった経緯について教えてください。
「声を掛けてもらった」というのが直接的な理由です。京大文学部には「メディア文化学」という専攻があるのですが、在籍する2人の教員のうちの1人である松永伸司さんは、ゲーム研究が専門ながらファッション系のウェブメディアに「ヴァーチャルファッション」についての文章を寄稿したり、僕がやっている「ヴァニタス(vanitas)」というファッションの批評誌にも以前寄稿してくれたりと、ファッションについても度々書いている方で。そして、もう1人の教員の喜多千草さんもインターネットや情報社会論が専門の方なので、ゲームやマンガ、テレビといったこれまでは京大文学部で扱ってこなかった“新しい”ジャンルを理解するというテーマで、様々な業界の現場の人をゲストに呼んで学ぶ講義をずっとやっているんです。
それで、2023年にその講義でファッションの回をやることになった時に、僕がコーディネーターとして声を掛けていただいたことが始まりでした。その講義では、例えば「ハトラ(HATRA)」デザイナーの長見佳祐さんや、スタイリストの髙山エリさん、山口壮大さんなど、デザイナーからスタイリスト、ショップオーナーまでファッション業界のさまざまな職種の方を毎回ゲストにお呼びして、それぞれの仕事内容や考え、「ファッション業界をどう見ているか」といったことを話してもらい、僕がモデレーターとして質問をするという内容の授業を行いました。それとは別に「ファッション論」の講義もやってほしいという依頼を受けて、2024年の後期からスタートすることになりました。

最新号の「vanitas」No.008(2023年発行)
── 2023年には神戸大学の平芳裕子さんが東京大学でファッション論の集中講義を行ったことが話題を呼び、昨年書籍化された本も人気を博しています。なぜ今、学問の世界で「ファッション論」への注目が集まっているのでしょうか?
シンプルに言えば、“世代交代”だと思います。僕は今45歳ですが、僕が大学生や大学院生だった時に先生だった20〜30歳上の世代の人たちは、そもそもファッションというものに興味がなかったし、そんなものは研究対象にならないと思っていた。哲学者の鷲田清一さんが、よくエッセイなどで「元々哲学をやっていた私がファッション論をやり始めた時、恩師から『世も末だ』と言われた」といったようなことを書いているのですが、僕の時代でも、やはり大学院を受ける時に面接官の先生から「ファッションなんてやってどうするの」と言われましたね。
でも、僕と同世代や少し下の世代の若手の研究者たちにとっては、「マンガ」や「ゲーム」といった新しい研究対象を取り上げることに対して全く抵抗がないし、学生も当然そういったものに興味を持っている。だから本当に世代の問題ですよね。実際、メディア文化学専修ではゲームやマンガ、ポピュラー音楽などがテーマの講義が当たり前にあるようですし、卒論のテーマとして「ライトノベル」や「異世界もの」を扱う学生もいるらしいので。
── さまざまな分野の新しいカルチャーやコンテンツの中の一つとして、「ファッション」も取り上げられるようになったということなんですね。
そうですね。なので「ファッションに注目が集まっている」というよりは、若い世代が決定権を持ち始め、「“オルタナティブな選択肢の一つ”としてファッションも扱われるようになった」という感じだと思います。平芳さんを東大に呼んだのも、元々は音楽学をやっていて今はゲーム研究をやっている吉田寛さんという方らしいので、同じように「新しい対象を講義で取り上げよう」という動きがあるのではないかなと。
「ファッションを軽く見る」ことがなくなってほしい
── 講義概要には、「ファッションにまつわるさまざまなトピックを論じることで、ファッションについて考えると同時に、ファッションを通して人間や社会について考えることを目的としている」とあります。改めて「ファッション論」とは何か、学ぶことでどんな意義があるのかという点について教えてください。
ファッションは日常的なものなので、疑問を持つことがあまりないですよね。例えば、壁のスイッチを押したら電気が点くことも本当は不思議なはずなのに、幼い頃からそれを当然のものだと思っているので、特にすごいとも思わない。だからこそ、改めて「ファッションとは何か」を考えることで、「自分が今着ているものは“何”なのか」「“ファッションを通じた自己表現”とはどういうことか」「人にとって服は必要なものなのか」といったことを、日常の中で考えてもらうきっかけを提供できたらと考えています。

蘆田裕史氏
これは今回の京大の授業に限らず、これまで京都精華大学などで教えてきた中でもずっと変わらないことです。でも、最近は大学での講義というものがなかなか成立しないなと思うこともあって。
── 大学での講義が成立しないとは?
YoutubeやTikTokのショート動画のようなものに慣れてしまっていると、90分間落ち着いて話を聞くことが難しいんですよね。僕が大学生だった頃は本も今ほど簡単には手に入らなかったので、大学の講義というのは、知識を得るには最適なツールだったと思います。でも、今はAmazonなどで古本も簡単に買えますし、昔のものであればネット検索すればPDFで無料で読めるものも増えているので、知識へのアクセスが簡単にできるようになっている。そうすると、たぶん学生たちは「90分間面白くない話を聞く意味って何?」と感じていると思うんです。
実際、講義を面白いと思っている学生はほとんどいないようですし、今は京大でもそんな状況です。
── 京大には知識欲が旺盛な学生が多いイメージを勝手に持っていたので、意外でした。
それに、僕自身も昔ながらの“知識を授ける”ような授業は今なら本を読んだ方が早いと思うので、僕は講義を「学生に考えてもらうきっかけを提供するもの」として位置付けています。だから、できるだけ講義を双方向的なものにするために、リアルタイムでアンケートを取れるようなシステムを導入していて。授業の中で学生に問いかけをしてその場で考え答えてもらうことで、学生自身が日常生活の中で「ファッション」というものを考えるきっかけとなるものが、1つでも2つでも見つかればいいなという思いで講義をしています。

京大での「ファッション論入門」の授業の様子。スクリーンに表示されているQRコードをスマートフォンなどで読み込むとアンケートに回答することができ、リアルタイムで集計結果が反映される。
── これまで講義をやってきた中で、実際に学生たちからはどのような反響がありましたか?
京大では、たとえ“おしゃれ”に興味があったとしても「ファッションについて考えることを今までしたことがない」という学生がほとんど。なので、毎回授業後に提出してもらうコメントでは「これまで考えたことがなかったし、新鮮な視点でした」といった内容が多いです。どこまで本音かはわからないですが、そういった視点の提供ができているのなら、まずはいいのかなと思っています。
── ファッション論入門の講義では、「流行」「消費」「コミュニケーション」「アイデンティティ」「倫理」「美」「身体」「ジェンダー」「産業」「環境」「メディア」「デザイン」「アート」と13のテーマが設定されています。その中で、蘆田さんが特に重要だと感じているテーマやトピックはなんですか?
「何が重要か」というのは答えるのが難しいですね。例えば、作り手側を目指している京都精華大学の学生にとっては「デザイン」が大事ですが、ファッションに「消費者」として関わることの多い京大生にとっては、その対象が変わってくるので。「倫理」や「環境」などのテーマが響いてくれたらいいなとは思うけれど、別に今ホットな話題だけを考えてもらいたいわけでもない。そうすると、やはり授業でも最初の方に扱っている「流行」「消費」「コミュニケーション」「アイデンティティ」「倫理」あたりは特に重要だと思いますし、それらを知ることを通して「ファッションを軽く見る」ということがなくなってくれたらいいなと考えています。
── 「ファッションを軽く見る」とは、具体的にどういったことでしょうか?
例えば、中学校や高校の「ブラック校則」と呼ばれるような、服装や髪型が厳しく定められていて下着の色まで指定されていたり、靴下のワンポイントも許さない、といったことが起きてしまうのは、ファッションを軽視しているからだと思うんです。生まれ持った“身体”について触れるのはタブーだとされているから、黒人の人に対して「その肌の色を変えろ」とは言わないですよね。でも、ある程度選択可能な“服”や“髪の毛”は、軽く見ているからこそ「こういう服は着るな」「黒く染めてこい」と口を出すことができてしまう。
今日の授業テーマだった「ルッキズム」に関連する話でいうと、「タトゥー」もそうですよね。銭湯やプールでは「タトゥー禁止」とされていたり、 大阪市で橋本徹さんが市長だった時は「公務員のタトゥーは許さない」と言ったりしていた。タトゥーは身体に彫るものですが、“後天的に取り入れる”という意味では服と同じ。やはり軽く見ているからこそ、「許さない」と言えるわけです。

この日の授業テーマは「ルッキズム」とファッション。“外見”とは、「身体」「ファッション」「振る舞い」の3つのレイヤーに切り分けて考えられることを説明している。
だから、ファッションについて考えることを通して、日常生活で今までないがしろにされていた部分をアップデートできるようになるのではないかと考えています。
20年かけてようやく整備されつつある“ファッションの定義”
── ここからは、蘆田さんのこれまでの活動全般についてお伺いしていきたいと思います。まず、蘆田さんが「ファッション史」を専門として選んだのはどのような理由だったのでしょうか?
僕は元々薬学部にいたのですが、学部生の頃から人文系のことには興味があり、そういうものをやった方が楽しいだろうなと思ってはいたんです。でも、大学院から文転するのもハードルが高いので一旦そのまま大学院まで進んだものの、途中で「やりたいと思ったからにはやってみよう」と思い直して休学し、試験を受けて文転しました。
その時、もちろん「ファッション」が一番やりたかったテーマではありますが、「美術史」などの他の選択肢がないわけではなかった。でも、大学1年生からずっと美術史を勉強してきた人たちがいる中で僕が大学院から勉強しはじめても、その差は絶対縮まらないじゃないですか。だから半分は戦略的な話で、「他の人がやっていないことをやる必要がある」と考えたのが、ファッションを選んだ一つの理由でした。
もう一つは、やはり鷲田清一さんの影響がすごく大きいですね。特に、鷲田さんは「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」論や「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」論などをやっていたので、「僕もこんなふうにファッションを論じられたらいいな」という思いがありましたし、最終的には鷲田さんのような仕事をしたいと考えていました。でも、先行研究もあまりないですし、いきなり現代のことを研究として扱うのは難しいので、まずは歴史から入ることにしたんです。ただ、いわゆる「服飾史」はどうしてもシルエットの変遷などが中心に語られていて、僕はそれほど興味が持てなかった。僕が指導教員として選んだ先生の専門が美学だったので、「美術とファッションの接点」をやろうと思ってテーマを決めました。
── これまでファッションの研究や批評などを行ってきた中で、感じてきた手応えや面白さとは?
“手応え”と言えるほどのものはないような気がしています。2021年に出した「言葉と衣服」という本では「ファッションの定義」の話から始めているのですが、読む人にとって「そうだよね」とさらっと思ってもらえるような定義ですら、 20年ほどかけてずっと考えて、ようやく形になってきた感じで。

「言葉と衣服」蘆田裕史 著(アダチプレス、2021年)
Image by: アダチプレス
── 蘆田さんが研究を始めた当時と今とでは、ファッション研究を取り巻く環境はどのように変化していますか?
僕が大学院生だった時は、おそらく鷲田さんの影響もあって、周りでもファッションの研究をしている人が結構たくさんいたんですよ。でも、それから鷲田さんも「ファッション論」をやらなくなってしまい、その次の世代では鷲田さんほど大きな影響力のある人が出てこなかったこともあり、ファッション研究は少し下火になってしまいました。
今は平芳さんが神戸大学という国立大学にいることもあり、ファッションを研究したい若手はそこに集まってきていますし、「ファッション研究をやりたい」という人が一時期よりは増えてきているのかもしれません。
── 今日本でファッションを研究できる場は、神戸大学の他にどこがあるのでしょうか。
文系の大学院でちゃんと研究できる環境があるところだと、京大も松永先生のところはメインはゲームですが、「ファッションをやりたい」と言えば受け入れてくれるのではないでしょうか。お茶の水女子大学をはじめとした女子大系の大学もありますが、そこは伝統的な服飾史系が専門の人が多いです。最近は、ソニア・ドローネー(Sonia Delaunay)という20世紀前半のデザイナーや「ランバン(LANVIN)」創業者のジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)の研究などをしている朝倉三枝さんが早稲田大学に移ったので、早稲田も少しずつ学生が増えていくのではないかと期待しています。
── 先程、蘆田さんは「服飾史にはあまり興味が持てなかった」とおっしゃっていた一方で、「ファッションを歴史化すること」や「過去にあったものを知ること」の重要性についても以前言及されていたかと思います。それについてはどのようにお考えですか?
美術史が“白人男性の歴史”だと言われてきたのと同じように、20世紀以前のファッション史というものが、そもそも非常に歪で偏った歴史でしかないんですよね。それは結局、貴族や富裕層が着ていた服の歴史であって、僕たちのような庶民が着ていた服の歴史ではない。だから、当時の庶民たちがどんな服を着ていたかを調べようと思うと、すごく大変なんです。
それをちゃんと調べるために、例えば服飾史の人たちは、当時の裁判資料の記述から読み解くことなどをやっているのですが、僕は語学力の問題などもあり、そうしたアプローチは難しいな、と思っていました。

── 蘆田さんは、現代のファッションの中でどのようなものを“歴史”として伝えていくべきだと考えていますか?
「こういう動きは大事だ」とか「このデザイナーはいいものを作っている」といったことに対する僕自身の考えはもちろんあるのですが、歴史に残すものを僕1人が決めるわけではない。そういう意味では、価値評価や判断をするプレイヤーが増えないことにはなんとも言えないですよね。美術の分野と同様、「美術館に何を保存するか、何を収集するか」ということについても、やはりその時代の専門家たちによる“合意形成”が必要な部分はどうしてもあるので。
個人のコレクターであれば自分が好きなものだけを集めていればいいですが、もう少し“公共的なもの”をと考えるのであれば、ファッション史の研究だけではなく、「批評の価値評価」に繋がることに興味を持つ人が増えないと難しいのではないかと思います。
── その中で、今個人的に注目されている動きやブランドなどがあればお伺いしたいです。
デザイナーで言うと、元「ハツトキ(hatsutoki)」で現在は自身のブランド「スタジオモメン(STUDIO MOMEN)」をやられている村田裕樹さんですね。彼の「常に物事の根幹を問い直して新しいチャレンジをしている」という点に注目しています。
今でこそ産地ブランドは数多く出てきていますが、村田さんは10年以上前に播州織物の産地である兵庫県・西脇市に飛び込んでハツトキのリブランディングを手掛け、産地ブランドの先駆けの一つにしました。そのままハツトキのデザイナーを続けても食べていけたと思うのですが、その後独立して農家をやりながら、服とテキスタイルを作るという選択をしたんです。おそらく村田さんの中では、ファッションというものが“おしゃれ”のためのものというよりも“生活”のためのものになってきていて、僕たちが何のために服を作り、着ているのかを考え続けながらものづくりをしているのだと思います。
さらに、ブランドのものづくりだけではなく、自身が住む家も循環型システムを考えて設計しているなど、表面的な“サステナビリティ”を掲げたファッションブランドとは一線を画しています。農家をやりながら服作りをするというのは一見プリミティブに見えるのですが、村田さんの活動を見ていると、むしろこれからの時代に起きることが想像できるような、革新的なデザイナーだと思わされるんです。
── ハツトキは、蘆田さんが運営メンバーを務めるセレクトショップ「コトバトフク」でも長年取り扱っていましたよね。そのほかにも注目している存在はありますか?
例えば、長見佳祐さんが手掛ける「ハトラ」は、服の作り方も含めてこれまでにないことをしようとしているなと思います。また、それとは全く異なる文脈ですが、卸をせずにD2C(Direct to Consumer)でビジネスを行う「フーフー(foufou)」のような、既存のシステムを崩すような動きをする人たちがもっと増えていくといいなと考えています。
そういう意味では、地方で活動するデザイナーももっと増えてほしいですね。日本では、どうしてもあらゆるものが東京に一極集中してしまっていますが、それもやはり歪だと思うので。関西にもファッションを学べる大学や専門学校はあるのに、いざ仕事としてデザインをやりたかったら東京に行くしかないという状況は、偏りがありますよね。

「HATRA」の2024年秋冬コレクション
Image by: HATRA
マックイーン・チャラヤン=ロリータ・アイドル衣装?
── コロナ禍で、ファッション業界もいろいろな変化を余儀なくされた側面がありました。コロナ禍が収束してしばらく経った今、ファッションを取り巻く状況や環境はどのように変化したと考えていますか?
これは僕よりもメディアのみなさんの方が詳しいと思うのですが、僕としては「結局あまり何も変わらなかった」というイメージですね。
── 個人的な体感も含めた傾向として、倫理的・環境的な問題が指摘されつつも「シーイン(SHEIN)」や「テム(Temu)」と言ったファストファッションの売上が世界的に好調な一方で、若者の間で編み物をはじめとした手芸が流行ったり、手仕事や作家性の高いブランドを評価する人も増えているという“二極化”が進んでいるようにも感じます。
それはあるかもしれません。日本に関して言うと、「ファストファッションは良くない」という意見は正しいし全く反論できないことである一方で、経済状況が良くない中で実際に何を買うかと考えた時、低価格帯の服を買ってしまうのは仕方のないことではありますよね。僕自身も自分の子どもの服を買うとなると、どうしてもユニクロや無印良品などの低価格帯のブランドの服を手に取ってしまいますし。
仮に「手仕事」に興味を持つ人が増えたとしても、手のかかるものは当然値段も高くなるので、経済状況が上向かない限り、実際にそういうものを買える人がどれだけいるのかという話にもなる。でも、例えば「気仙沼ニッティング」などは、1着10万円ほどするので「どんな人が買っているんだろう」と不思議に思ったりもするのですが、売れていると聞きますよね。

気仙沼ニッティングのニット
── 同じく「ユキ フジサワ(YUKI FUJISAWA)」も、1着10万円以上するニットを買う方がたくさんいます。しかも、ラグジュアリーブランドのように富裕層が主要顧客というわけではなく、ブランドのものづくりに共感する“普通の人”が買っているところも興味深いです。
“時代の変化”という点で今の話に繋がることだと、最近の学生が作る服は、「ロリータ」や「アイドル衣装」的なものがすごく増えたと感じていて。でもよく考えてみると、「それも当然だな」と自分の中では解釈できたんです。
僕の世代だと、例えばワールドやナイスクラップなどのような比較的低価格帯のブランドもあったものの、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やフセイン・チャラヤン(Hussein Chalayan)といったスターデザイナーが作るような服が好きな人たちは、それでは満足できなかった。だから、その時無いものを自分で作ろうと思うと、パリやロンドンのファッションウィークで発表されているような服を目指していたと思うんですよね。

「YUKI FUJISAWA」のニットスカーフと手袋
でも今は、ファストファッションブランドがハイブランドのデザインをすぐにコピーしたりと、両者が似たようなものを作っている。だから、それほどデザイナーにこだわりのない人なら、ハイブランドっぽいものが「ザラ(ZARA)」や「H&M」で買えてしまいます。一方で、今の時代にファストファッションブランドでは手に入らないものが何かと考えると、まさにロリータやアイドル衣装的なものなんですよね。
同じように、ユキ フジサワや「ルルムウ(rurumu:)」「ユウショウコバヤシ(yushokobayashi)」といったブランドが作るような服も、ファストファッションでは手に入らない。「今低価格で買えないものを作りたくなる」という見方をすると、それが僕の世代ではマックイーンやチャラヤン的なもので、今の時代はロリータやアイドル衣装的なものになるのは、おそらく同じ構図なのではないかと思います。

「yushokobayashi」2025年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP

「rurumu:」2023年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP
── ロリータやアイドル衣装的なものを作る学生が多いというのは、少し意外でした。
東京でも同じような傾向があるかはわからないのですが、少なくとも僕がいる京都精華大学のような地方の美術大学や専門学校だと、ある程度共通の傾向があるのではないかと感じています。ただ、“作家性”のようなものに興味がある人は衣装っぽいものを作る一方で、ショッピングセンターや駅ビルブランド的なリアルクローズに近い服を作る学生も一定数いますね。
どちらが良い悪いということではないですが、僕の世代では考えられないのが、今は「ファッションを勉強したい」と思ってファッションコースに入ってくる人たちでも、「ショッピングセンターや駅ビルでしか買い物をしない」という人もいるということ。そういう学生たちが作る服は、「アース ミュージック&エコロジー(earth music & ecology)」のようなブランドにありそうなものだったりもします。だから、作るものの傾向としては“作家性”か“リアルクローズ”のどちらかという感じですね。言葉でそうまとめてしまうと、いつの時代も同じなのかもしれませんが。
「新しいもの好きなのに超コンサバ」なファッション業界
── 今のファッション業界の仕組みや価値観、常識に対して、蘆田さんが疑問や違和感、課題を感じている点はありますか?
ファッションは“新しいもの”が好きなはずなのに、仕組みとしては超コンサバですよね。未だに「ファッションショーが一番いい」「パリが最高峰」といった価値観が全く変わらないですし、何かが少し注目されるとみんながそれを取り上げたり、変わったものを作る人の方が目立ったりする。そうではない動きも出てきているのかもしれないですが、基本的には変わらないなと感じます。
── 私たちメディアも、どうしても「売上拡大」「パリ進出」といった目立つトピックを取り上げがちな部分もあり、より多様な視点の必要性を改めて痛感しています。
もっといろいろな在り方があっていいですよね。でもオルタナティブなものも、例えば山下陽光さんの「途中でやめる」のように極端なケースも多い。そういう意味では、「オーラリー(AURALEE)」のようなブランドが注目されているのは良いことなのかもしれないと、今話していて思いました。下の世代の人たちも、「『コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)』のようなアバンギャルドな服を作らなくても、“普通の服”でできることがまだまだあるんだ」と思えるでしょうし。

「AURALEE」2025年秋冬コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight

「AURALEE」2025年秋冬コレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
── “パリコレ”を目指したり、斬新で目立つことをやるのが決して悪いわけではなく、もっと多様であっていいということでしょうか。
そうですね。「サカイ(sacai)」や「マメ クロゴウチ(Mame Kurogouchi)」のように、パリのルールで戦いたい人はそうすればいいし、そこで頑張ってほしいと思うのですが、みんながそこに乗る必要はない。例えば、飲食店はもっと多様ですよね。近所の定食屋さんから高級レストランまでいろいろなものがあるけれど、それは全部プロの仕事とみなされる。そういう幅の広さが、ファッションの世界でももっと出たらいいなとは思っています。
── ちなみに、蘆田さんは2014〜2018年にかけて、FASHIONSNAPで「ゆるふわ東コレ日記」という東京ファッションウィーク(以下、東コレ)に関するレビューコラム記事を執筆されていたこともあります。東コレについてはどのようにお考えですか?
僕は、最近ちゃんと見に行けていないのであまり発言する資格がないのですが、「どこを目指しているのかよくわからない」とは思います。最近ではアジアのデザイナーの参加が増えていますが、アジアのハブになることを目指しているのかというと、そういうわけでもなさそうですし。

中国人デザイナーのユェチ・チ(Yueqi Qi)が東コレで発表した「YUEQI QI」2025年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
あとは、「東コレでファッションショーをやることで箔が付く」という価値観がなくならないとダメだとは思います。メディアは、展示会だけで発表しているブランドは取り上げないことも多々あるけれど、東コレは基本的に全ての情報を流しますよね。そうなると、ブランド側も「東コレでコレクションを発表したらメディアに露出が増える」と思って参加するし、そうすると今度は「東コレに出ているブランドのデザイナーだからデザインを依頼しよう」といろいろな会社がオファーしたりする。
結局、東京に出て自分のブランドがあまり売れていない場合は、外部の仕事の受注で生計を立てていくことも多いですよね。だから、「ファッションショーをやっていることが1つの価値になる」という価値観がなくならないことには、多様さが生まれていかないのではないかと考えています。
── 蘆田さんはこれまで「ファッション批評」を長年続けているかと思いますが、ファッションを批評することの重要性とは何でしょうか?
批評は作り手やブランドからは嫌われがちなのですが、その1つの役割として「言語化」があると思います。やはり言語化ができないときちんと議論もできないし、「何を残していくべきか」といった合意形成もできない。もちろん、セレクトショップやストリートスナップなども批評的な行為だとは思うのですが、選んでいるバイヤーや写真家の感覚によるものも大きいので、議論することは難しいですよね。言語化ができると、デザイナーにもちゃんとフィードバックがされるはずなので、ブランドにとっても有益なものだと思います。
そしてもう一つは、服を見る人や買う人にとって「ものの見え方が変わる」という効果があること。美術批評や文芸批評なども同じですが、批評を通して自分では持てなかった視点が提供されることで、ものの見え方が変わりますよね。その点では、ファッション論の授業と批評でやろうとしていることは同じですし、その2つの重要性が特に大きいのではないかと考えています。
── ファッションを批評する上で重要なこととは?
決して「悪く言うこと」が批評なわけではないし、デザイナーの言葉を代弁するのも批評とは別物。批評にはあくまでデザイナーとは別の立場で、きちんと根拠を提示しながら言語化することが必要だと考えています。
価値観を提示するセレクトショップ「コトバトフク」
── 2013年から、服と本を中心としたセレクトショップ「コトバトフク」を運営されていますが、立ち上げに至った経緯とは?
元々は、「アートや写真などと同じように“ファッションに特化したギャラリー”があってもいいのでは」という思いから、他のファッション研究者などと8人ほどでお金を出しあって、「gallery 110」というギャラリーを京都でやり始めたんです。その後、メンバーの一人である井上雅人さんと「お店もやってみよう」という話になり、偶然空いていたギャラリーの隣の部屋で、今も店長を務める藤井と3人で「コトバトフク」を始めました。結局、ギャラリーは展示や企画を回すことが難しくなって閉じてしまったのですが、ショップは現在も続いています。

















コトバトフクの店舗の管理や運営は、基本的に店長の藤井美代子氏が全て担当。独自の視点でセレクトされた日本の若手デザイナーや作家のブランドを中心に展開している。「HATRA」「futatsukukuri」「hatsutoki」「SINA SUIEN」など10年以上取り扱っているブランドも多く、特別なイベントやワークショップを開催するなど、長年の信頼関係があるからこその取り組みも魅力の一つ。
── 「日本の若手デザイナーを中心に、作り手たちの顔が見えるブランドをセレクト」とありますが、ショップの運営方針やブランド選びの背景には、どのような考えがあるのでしょうか。
スタート時のブランドラインナップは3人で相談して決めたのですが、僕も藤井も「服屋さんが怖い」という気持ちを共通して持っていて。だから、取り扱うブランドの世界観を統一させすぎないようにしたり、服だけではなく本も置くことで、いろいろな人が気軽に入りやすい店作りを意識しました。
ブランド選びとしては、藤井は当時から好きだった「フタツククリ(futatsukukuri)」、井上さんは滋賀でシャツを作っている「コミューン(COMMUNE)」というブランドを置きたいということだったので、僕はその間を埋めるようなブランド選びを意識しつつ、何かしらの価値観を提示するようなことはしたいと思っていました。
わかりやすいものでいうと、先程も話に出た、織物産地である兵庫県西脇市を拠点とする「ハツトキ」というブランドですね。最近は産地で面白い動きをしている人も増えてきましたが、当時はまだ文脈化がされにくかった。カテゴライズできないと、セレクトショップでの取り引きなども始まりづらい状況があったので、うちみたいなお店が紹介してバックアップしていく意味もあるのではないかと考えました。

店内では、服やアクセサリーとともにファッション・デザイン分野を中心とした古本や新刊本、ZINEなどが並んでいる。
── そのほかにも、ファッションの流通システムに一石を投じる試みとして、「セールを行わない」という方針を採用されていることも興味深いです。
ファッションシステムのなかでもシーズンごとのセールは一番大きな問題の一つだと思っているので、過去の商品をセール価格ではない値段で売ることをしたかったんです。だって、「自分で作ったものの価値を半年で下げる」というのは不健全ですよね。ただ、そうすると当然売れ残るものも出てきますし、ラインナップにあまり変化がないようにも見えてしまうので、最初の頃は、ブランドの倉庫に眠っているアーカイヴ商品を委託で借りて、期間限定でフェア的に売ることも力を入れてやっていました。
実際、ブランド側は発送の手間がかかるだけでその他にはデメリットもなく、僕たちもそれをやることである程度商品を賄えるし、お客さんにも「過去のものだから安くなるわけではない」という価値観を提案できる。そういうWin-Winな取り組みだったので、本当はちゃんと続けることができたらよかったのですが、僕が忙しくなって時間を割くことが難しくなってしまったので、今は残念ながらあまりできていません。
── 今は、新しいものをシーズン毎に買い付けしつつ、過去シーズンのものも並行して展開しているということでしょうか。
基本はそうですね。でも、もう店を10年以上続けていることもあり、長年売れ残っているアイテムは、どうしてもそのまま置いているだけでは劣化してしまう。なので、最近はそういったものに限って少し値段を下げて販売することも行っているのですが、定期的なシーズン毎のセールというのは、今もやっていないですね。
大切なのは、“グレー”でもいいから「考え続ける」こと
── 先程、ファッション業界に対する違和感や課題についてお伺いしましたが、反対にファッションに対して希望や可能性を感じている点があれば教えてください。
「希望」とは違うかもしれませんが、僕がファッションを面白いと思っている理由の1つに、「生活に密着している」ということがあります。「衣食住」とも言われるように、例えばサステナビリティの意識を持って何か行動に移したいと思ったとき、「今住んでいる持ち家はサステナブルな作り方がされていないから、それを意識して明日から別の家に住もう」といったことはなかなかできないじゃないですか。でも「衣」と「食」は、良い意味で“軽い”ものだからこそ、自分の理念のようなものが固まってきて「これからはこうしたい」と思った時に、行動に移しやすい。
ファストファッションブランドの服を買うのをやめたり、穴が空いた服を自分で直してみたりといったことは、手軽に明日からでもできる。だからこそ軽視されてしまう側面もあるのですが、その“軽さ”は良いところだなと思っています。
── “軽さ”はネガティブなものとして捉えてしまいがちですが、確かにそういった良さもありますね。
もう一つは、ファッションの面白さは「服」が半分で、もう半分は「イメージをどう作るか」にあるということです。学生たちにもよく話すのですが、ただ服を作るだけではなく、イメージを作るところまでやらないと、“ファッション”としては流通しないですよね。
服自体の情報量は少ないので、そこにモデルや撮影のロケーション、写真家といった別の要素や情報を継ぎ足してイメージを作っていくことで、同じ服が全く違うように見える。イメージをどう豊かにするか、それを通してどんな印象を相手に伝えるかということが、ファッションの一つの面白さだと思います。もちろん、「イメージを作る」のはファッションにしかできないことではないですが、「ファッションの固有性の一つ」と言えるのではないでしょうか。
そして、これも学生によく言うのですが、「ファッションを学んだことを活かす道は、アパレル企業に入ることだけではない」と思っていて。例えば市役所のような職場でも、イメージを作ることの大切さを分かっている人が1人いるだけで、リーフレット1枚の作り方も情報の届き方も変わってきますよね。ファッションの延長線上にあるそういった部分にも、社会を変えていけるようなポテンシャルはあると考えています。
── これからの時代、ファッションに関わるさまざまな立場の人々に求められる視点やあるべき姿とは、どのようなものだと思いますか?
無難な答えになってしまうかもしれませんが、どんな立場や視点であれ、「考え続けること」が重要だとは思います。世の中的には、白黒はっきりつけることが強く求められる時代ですが、“考えている間”というのは白黒はっきりつけらない、グレーの状態だったりもすると思うんです。でも、ちゃんと考えているのであれば別にそれでも構わないし、考えた上で「グレー」という答えも十分あり得る話なので。
── 「考える」とは?
例えば服のデザイナーであれば、「そもそも新しく服を作ることはありか、なしか」みたいなところから考える必要があるかもしれません。でも、ラディカルな人だと「もう新しい服はいらない」と言う人もいますが、やはりそういうわけにはいかない。仮に今は古着だけで生活できたとしても、20〜30年経って古着が劣化して着られなくなった頃には、既にファッション産業の中に生産できる工場は無くなっているでしょうし、その時「やっぱり新品のものが必要だ」ということになっても、もう元には戻せない。ただ、生産の規模を考える必要があるのは事実だと思います。
だから、作り手側には「どの程度の規模で、どれくらいの量を作り続けるべきか」といったことは考えてほしいですし、買う側なら「新しいものを買う頻度や量はどの程度にするべきか」、メディアであれば「情報の発信の仕方は今のままでいいのか」といったようなことを考え続けていれば、少しは良くなっていくのではないかと考えています。その上で、さらに「議論」までできたらもっといいんだろうなと。
── 最後に、蘆田さんがご自身の活動を通して、ファッション業界を「こう変えていきたい」「こうなったらいい」という思いがあればお伺いしたいです。
「こう変えていきたい」という思いはないですし、人に対して「こうあるべき」といったことも、個人的にはあまり言いたくなくて。でも、先程「考えることは大事だ」と言いましたが、 考えたいと思った時にきっかけになるような視点を提供できるようにはしたいと思っています。
例えば、今日の授業テーマだった「ルッキズム」についても、ファッションはどうしても「見た目」に関わる仕事なので、 ファッション業界にいる人がルッキズムとどのように付き合うべきかということを考えた時に、何か視点を提供できるのが研究の役割だと思っていて。 現状のルッキズムの議論は整理されているとは言いがたいので、もっとちゃんと考える必要があります。そのための“道具立て”は、僕だけではなく研究をやっている人たちが少しずつ提供していくことになるのだと思います。ただ、それが唯一の正解ではなく、僕たちが提供したものをたたき台にして、みなさんに議論してもらえたらいいなという感じです。なので、これからも本当に地味なことを細々とやっていくだけですね。

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