三宅一生(8月5日死去)、森英恵(8月11日死去)、エリザベス女王(9月8日死去)と大物の死去が続いている。遂にというべきか、ザ・映画監督のジャン=リュック・ゴダールまでが9月13日に91歳で亡くなった。
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その訃報で一番驚いたのは、死因が病気ではなく、スイスでは合法になっている自殺幇助によっていたこと。自ら死を選び、医師が処方した薬を飲んで逝ったという。死ぬ時も自分なりにオリジナリティーを発揮しているのがいかにゴダールらしいと思う。この10年間はある意味人生にかなり疲れていたのではないかと思う。家族(3人目のパートナーであるアンヌ=マリーミエヴィル)に看取られ穏やかな死に顔だったという。この訃報を知って、ああ、スイスならこんな死に方もできるんだと思った人もかなりいたのではないか。最期に人間の死に方にある種の提案をしたということか。
高校時代には、文章を読んだだけでまだ見たこともないゴダールの映画に刺激を受けて、「男は男である」と言う映画を制作して文化祭で上映したのが思い出される。
さらに私が大学に入って1973年に上京したのは、ゴダールの映画を見るためだった。「カトル・ド・シネマ」という名画鑑賞会に入会して、日本青年館とか中野公会堂とかで、ゴダールを中心にヌーヴェルヴァーグの映画を見続けた。その多くは政治的なメッセージが多く、また映画的にもかなり独りよがりで難解な映画が多かったが、自分なりに評価していた。トリュフォーの映画は、ゴダールに比べて、政治色はほとんどなく見やすい映画がほとんどで人気は断然こっちの方だった。しかし映画史的には、ゴダールの方が断然価値は高いと思う。鑑賞会が終わった後に、安酒場で映画の批評会をやるのが通例で、大酒を飲むようになったのもゴダールのおかげだ。
ゴダールの作品で最も私が好きな映画と言うことになると、1970年代のジガ・ヴェルトフ集団を結成して匿名性のもとに映画の集団制作を行っていた政治的メッセージの映画の時代を経て、1980年代にゴダールがまた作家性を取り戻して、商業映画を撮り始めた時期の「パッション」(1982)をあげたい。ここから「カルメンと呼ばれた女」(1983)、「ゴダールのマリア」(1985)、「ゴダールの探偵」(1985)と続くゴダールにとっての第2のピークが訪れている。また私は、クラシック音楽のマニアでもあるが、ゴダールの映画では、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を始め、バッハ、モーツァルトなどの曲がふんだんに使われており、これも私がゴダールの熱狂的ファンであることの理由になっている。
ゴダールがヌーヴェルヴァーグの旗手として活躍した1960年代は、ファッションがオートクチュールからプレタポルテに移行する時期にあたり、まさにパリがファッションの首都として光り輝いた時期である。当然、「アンチ・ブルジョア」を謳っていても、ゴダールの映画に登場する女優たちは、そうした時代のファッションを身に纏っている。最初と2番目のゴダールの妻だったアンナ・カリーナ(1940〜2019)、アンヌ・ヴィアゼムスキー(1949〜2017)は多分私服だったのではないかと思うが、十分にそのファッションはその時代の空気を反映していて美しい。「軽蔑」(1963)ではブリジット・バルドー(1934〜)のファッションが見ものである。
その映画自体が、ファッションにインパクトを与えたということになると、ヌーヴェルバーグの代表作として必ず挙げられる「勝手にしやがれ」(1960)だろう。「インターナショナル ヘラルド トリビューン」をシャンゼリゼで売っている新聞売りのアメリカ娘ジーン・セバーグ(1938〜1979)のショートカットヘア(セシルカット)とカプリパンツ(サブリナパンツ)だ。いずれも、「悲しみよこんにちは」(1958年、サガンの小説の映画化で主人公の名はセシル)と「麗しのサブリナ」(1954年、主人公を演じるのはオードリー・ヘプバーン)の流用ともいえるが、この「勝手にしやがれ」の方が強く印象に残っている。
期待しているのは、ゴダールの死で、その作品がTV放映されることだ。初期の有名作だけでなく、1980年代の傑作の放映を期待したいものである。
しかし、月並みな感想を書き続けているが、こう大物の死が続くと、いやが上にも、時代の変わり目というのを意識せずにはいられない。
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