これからのファッションシーンを担うデザイナーが、自身のルーツを5つのキーワードから紐解いていく新連載「私のマインドマップ」。
第1回は、文化服装学院とここのがっこうでファッションを学んだ後、ウィーン応用美術大学ファッション科に進んだ向祐平(むかい ゆうへい)。2000年代の時代感を「田舎のギャル」というテーマに落とし込み表現したコレクションで「第31回イエール国際モード&写真フェスティバル(The 31th edition of the Hyères International Festival of Fashion and Photography)」のファイナリストに選出されるなど、国内外から注目を集めるデザイナーだ。
No.1:向祐平(Munited Kingdomai YUHEI デザイナー)
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「向祐平」のクリエイションを紐解くマインドマップ
デザインする上で軸となる"5つのキーワード"とそこから派生する"3つのワード"を、デザイナー本人がピックアップ。それぞれのキーワードが現在のクリエイションにどのように繋がっているのか、デザイナーの解説と共に紹介していく。
1:高山祭
- デザイナーの原点、地元・岐阜県高山市の歴史的な美祭
小さい頃から高山祭が大好きで、一番最初にハマったものが高山祭だと思います。自分の好きな物や好みを思い返してみると、最終的にはすべて高山祭に繋がっています。地元にいた頃は、お昼は獅子舞の行列を写真に撮り、夜は友達と屯するというのが高山祭の恒例でした。今はコロナの影響もあり地元に帰ることができませんが、元気を出したい時には獅子舞のYouTubeを観たりしています。そのくらい自分にとって大きな存在です。
- 高山祭の屋台装飾から繋がるデコレーション精神
高山祭は制作にも活かされていて、特に屋台装飾からすごく影響を受けています。屋台といっても皆さんが連想するようなものではなく、「山車」のことを地元では「屋台」と呼んでいます。とても細かな装飾が施されていて、その繊細な手仕事を見るのが小さい頃からとても好きでした。そういった影響が、ビーズ刺繍やデコレーションを施した作品として自然に反映されているんだと思います。
2:パフォーマンス
- 「自信たっぷりな女の人」を観るのにハマっていた中高生時代
中高生の頃は安室奈美恵さんやビヨンセが大好きで、家で踊りながら聴いていました。MVで自信たっぷりな表情でパフォーマンスをする姿に「ぎゃああーーー!好きいいーーー!」と感情が高ぶっていました(笑)。
高山祭とも繋がるんですが、人間が動かしているとは思えない獅子舞の踊りを見て感動していた時と、安室奈美恵さんたちのパフォーマンスを観た時の感情ってすごく似ていて。自分とは別世界の圧倒的な存在を目の当たりにした時の興奮は、何年経っても色褪せることはないです。
- デザイナーの服装にも影響を与えたパフォーマンス
安室奈美恵さんが「Put ’Em Up」のMVでベルベットのジャージーのセットアップを着ているんですが、それを真似して自分も買ったりしていたので、当時の自分の服装もMVの影響を大きく受けていました。今も中高生の頃に見たものを繰り返しアウトプットしながら制作しているので、作品の素材感やディティールなどにも当時の影響が色濃く反映されていると思います。
3:学校
- 憧れだった文化服装学院と衝撃を受けたここのがっこう
僕はこれまで「文化服装学院」「ここのがっこう」「ウィーン応用美術大学」と3つの学校に通っていたので、人生の大半を過ごした「学校」は僕の中で欠かせないキーワードのひとつです。
文化服装学院は高校生の頃に雑誌で知っていたので、通いたいという思いがすごく強くて。ただ、上京してお洒落な環境に身を置くのが怖かったので、文化服装学院に通う前に一度アメリカへ留学しました。文化服装学院への憧れがとにかく強かったので、そこに飛び込むことに比べると、アメリカ留学の方が気持ちが楽で(笑)。ただ、ファッションについて学ぼうと思っていたにも関わらず結局遊んでしまい、やはり厳しい環境に身を置かなければと思って、文化服装学院への入学を決心しました。
文化服装学院の基礎科で服作りのテクニックを2年学んだのですが、デザインについて分かっていない自分に気づき、もっと知りたい思いが強くなって。その頃見に行った「ここのがっこう」の展示に衝撃を受けて、プライマリーコースに半年通いました。授業の軸となる「自分のアイデンティティを発掘していく作業」をそれまでしたことがなかったので、本当に楽しかったですね。ここのがっこうで学んだことが今のデザインのベースになっています。
- ベルンハルト・ウィルヘルムが先生を勤めるウィーン応用美術大学へ
丁度ここのがっこうに通っていた時に、ウィーン応用美術大学の卒業生が授業に来たことがあり、それがきっかけで学校のことを知りました。大好きだったベルンハルト・ウィルヘルム(Bernhard Willhelm)が先生をしているということに興奮し、受験まで1ヶ月くらいしかなかったんですが、勢いでウィーンへ飛び入学することになりました。
ウィーン応用美術大学はとにかく実践を繰り返す学校で、毎月1回のプレゼンを重ねながら、年1回開催するショーに向けてひたすら作業をしていました。ファッションショーを創り上げていく作業は膨大なエネルギーを使いますが、そこで得た経験は長い学生生活の中でも特に思い出深いものになっています。
4:ウィーン
- 4年間過ごしたデザイナーにとっての第二の街
ウィーン応用美術大学時代に過ごした街ということもあり、クリエイションと向き合ったとても思い出深い都市です。カフェで何も考えずのんびりしたり、蚤の市で買ったものを部屋にデコレーションしたり、そんな何気ない生活もとても豊かでした。
また、ウィーンは音楽の街なので、クラシックのコンサートやオペラに行く機会がよくあり、立ち見席だと400円程度で観ることができたので、よく足を運んでいました。ドレスアップしたハイソサエティの人や観光客など、様々な服装の人たちが集まる光景を見るのが好きでしたね。
- ウィーンの生活で変化するデザインと美意識
最初はウィーンで生活していることが全然デザインに直結せず、2年生くらいまで「せっかく日本人の少年がウィーンにいるのに、全然作品に反映されてない」と先生にも言われていました。最初はそれがどういうことなのか理解できなかったのですが、徐々に制作するイメージの中に、ウィーンで見たものや空気感が自然と反映されるようになっていました。
そして、3年生の時に制作した「3-A MUKAI」というコレクションで、「第31回イエール国際モード&写真フェスティバル(The 31th edition of the Hyères International Festival of Fashion and Photography)」のファイナリストに選出されました。この作品は、アール・デコ期のファッションスタイルと、ダボジャージーにスカートを合わせる地元の高校生のスタイルに、シルエットや"解放"という共通点を感じ、発案しました。ウィーン独特のボリューム感のあるアール・デコデザインからも影響を受け、シルエットや素材感にも反映されています。イエール国際モード&写真フェスティバルは、イベント自体のエネルギーは大きいけれど、街も運営の人も牧歌的なところがあり、とても居心地が良かったです。
3A-MUKAI
5:デザイナー
- ファッションの道標となった「ベルンハルト・ウィルヘルム」と「ジョン・ガリアーノ」
昔観ていた番組で「ジョン・ガリアーノ(John Galliano)」が手掛けていた「ディオール(DIOR)」のオートクチュールが流れてきたんですよね。自分の想像を超えた圧倒的なファッションの表現力に驚き、そこから一気に好きになりました。
「ベルンハルト・ウィルヘルム」は、スナップ雑誌の「チューン(TUNE)」や「フルーツ(FRUiTS)」に載っている人たちが当時よく着ていて。服のシルエットや柄が見たことないものばかりで可愛くて、その頃から憧れのデザイナーでした。その後、ウィーン応用美術大学では僕の先生だったので、ファッションに関わる上でとても大きな存在です。
- インターンとして過ごした「ブレス」
デザイナーのデジレー・ヘイズ(Desiree Heiss)がウィーン応用美術大学の出身だったこともあり、ブレス(BLESS)のインターンに応募しました。ブレスはインターンもきちんとチームに迎え入れてくれる温かさがあり、デザイナーのイネス・カーグ(Ines Kaag)とコミュニケーションをとりながらデザインを一緒に考えることもありました。
アトリエもとても居心地が良くて、朝コーヒーを入れてのんびり作業を始め、お昼はデザイナーと従業員とインターンが順番でご飯を作り、皆でランチをするんです。3ヶ月ほどの期間でしたが、とても充実した時間を過ごすことが出来ました。
向祐平の直筆マインドマップ
向祐平が自分自身に向き合い書き上げた直筆のマインドマップ。パーソナルなキーワードが散りばめられているマップからは、向がこれまで触れてきた文化や様々な趣味嗜好が浮かび上がってくる。
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