第2話からつづく——
憧れだった演出家 四方義朗の下で、アシスタントとして働くことになった若槻善雄。ショーの裏方から運転手までどんな仕事でもこなした。1980年代後半以降のバブル全盛期。ファッション界も華やかさを増し、都内では毎日のようにショーが開催されていた。そして、パリやミラノに続く「東京コレクション」が幕を開ける。——演出家 若槻善雄の半生を振り返る、連載「ふくびと」第3話。
・憧れの演出家、四方義朗の横顔
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江橋洋さんの元で働いていた頃、かなり大きな仕事がありました。伊勢丹と業務提携している大分の百貨店トキハで開催される「トキハファッションラリー」。山本寛斎、ニコル、そしてカール・ラガーフェルドという3ブランドの合同ショーです。江橋さんが率いる我々は寛斎さんの担当、そしてニコルとカールの担当が演出家の四方義朗さん。
ショーの順番は、ニコル、カール、カンサイ。僕はステージの下手の担当でした。寛斎さんのフィナーレでは大きなミラーボールが回って、最後にドバーっと紙吹雪。その様子を、「すごいな」とつぶやきながら眺めていた四方さんの横顔が印象に残りました。あまりにもクールな姿だったので。
学生の頃から見ていたショーで「これはすごい!」 と思った演出は四方さんが手掛けていたことが多くて、演出家として憧れの一人でもありました。なのでこの時に初めて一緒に仕事をすることができ、ずいぶんと感化されました。
四方義朗——ベーシストとしての音楽活動、テレビ制作会社を経て独立し、1983年にサル・インターナショナルを設立。演出家として国内外の数多くのブランドのファッションショーに携わった。ファッションプロデューサー、批評家としてテレビやラジオで活躍。メンズライフ雑誌「GG」の専属モデルも務めた。
・車で寝泊まり 師匠の運転手も
四方さんの会社、サル・インターナショナルは当時まだ設立から間も無く、知り合いを通じて「スタッフを募集している」という話を聞きました。僕は2年ほどで江橋さんの会社を辞めていたので、何か仕事ができたらと意を決して会いに行きました。「まずはフリーでやってみて」と当初はインターンのような形でしたが、急に状況が変わったのか「明日から来ていいよ」と。正式にサル・インターナショナルのスタッフの一員として、四方さんの下で働くことになりました。
最初はアシスタントとして、とにかくなんでもやりました。ショーの現場の仕事はもちろん、運転手も。ある日、会食があるという四方さんを乃木坂の店まで送っていった時、外に車を止めて待っていたら窓をコンコンと叩く人がいるので外を見ると、立っていたのは当時とても人気があった大物俳優。「何やってるの?こんなところで待ってなくてもいいだろ」と声をかけてくれて気を使ってくれたんです。でもさすがに、同席するわけにも帰るわけにもいかなくて、ありがたく気持ちだけ受け取りました。
1984年の入社当時、春は4月から6月くらいまで毎日のように都内で何本もファッションショーがあって、全体の半分以上が四方さんが演出を担当するブランドだったので、連日働き詰め。その代わりに、夏休みがやたらと長いんです。そして秋にまた2ヶ月くらいファッションショーが続くという生活。一番忙しい時には、家で休むと起きられないから会社の前に止めた車で寝ていたことも。とはいえ給料はそんなに高くないんですが、皆で儲けた金なんだから還元しようという四方さんの考えで、当時の年齢からするとボーナスはかなりもらっていたんじゃないかと思います。
・東京コレクションの夜明け
入社した翌年には、読売新聞社が主催する「東京プレタポルテ・コレクション」がありました。それまで6人の東京デザイナーが結成した「TD6」というグループがありましたが、あとはバラバラ。なので、短期集中型のコレクション発表は初めてでした。東京を代表する37ブランドが参加して、11日間にわたってショーを開催するというもの。これが、いわゆる「東京コレクション」の走りでしょう。
現在都庁が建ってる場所に大きな駐車場があり、その場所に2つのテントが建てられて、11日間にわたって開催。僕ら演出チームも1日に何本もショーを手掛けるのは初めてだったので、テンテコ舞いだったのを覚えています。
TD6——1974年に結成されたグループ「TOP DESIGNER 6」の略。金子功、菊池武夫、コシノ・ジュンコ、花井幸子、松田光弘、山本寛斎の6人が立ち上げ、同時期にショーを行うなどデザイナー主体の組織として活動。
東京プレタポルテ・コレクション——1985年4月に読売新聞社が創業110周年を記念して開催したファッションイベント。日本を代表するデザイナー37人が11日間にわたってファッションショーを行い、東京では初の短期集中型のコレクションイベントとなった。
休みができると「ヒマだろ?」とよく誘ってもらって、四方さんの先輩や友人と一緒に伊豆や箱根にいったり。大抵が運転手としてですが、いつもそんな感じでプライベートでもお付きとして可愛がってもらいました。そのおかげでいろいろな人に会って、顔を覚えてもらえるようになったんだと思います。
仕事も遊びも、四方さんには本当に多くのことを教わりました。師匠であり、父親のような、また兄貴のような存在。自分にとっては今でも近くて遠い、尊敬する一人です。——第4話につづく
第4話は3月3日に公開します。
文:小湊千恵美
企画・制作:FASHIONSNAP
【連載ふくびと】演出家 若槻善雄 全7話
第1話―寺に生まれ東京へ、道を開いた1本のビデオ
第2話―ブッ飛んだディスコ 金ツバ通い
第3話―憧れの師匠のもとで
第4話―来るはずの電車が...地下鉄のショー
第5話―生のギャルソンの衝撃
第6話―マルタン・マルジェラの素顔
第7話―ショーができなくなった時
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