第6話からつづく——
2004年にセカンドライン「トーガ プルラ(TOGA PULLA)」、2005年に一点物の「トーガ ピクタ(TOGA PICTA)」とブランド展開を広げ評判を得ていく一方で、多忙な日々が続き体調を崩してしまった古田泰子。少しづつ回復し、2006年からコレクション発表の場を東京からパリに移す。フランスの権威あるファッション賞を受賞しても、古田がこだわったのは地位や名誉ではなく、自身のクリエイションをひたすら極めることだった。——「TOGA」の創業デザイナー古田が半生を振り返る、連載「ふくびと」トーガと古田泰子・第7話。
・会社を作るというクリエイション
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会社を作ることは社会システムを作ることだと気づいたのは、「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」でアルバイトをした時です。例えば女性経営者の会社だと、男性経営者とは違う環境が作れるんじゃないかとか。そういったことを考えていくのも、ファッションを変えて世の中を変えることに繋がる。自分で服を作るだけではなく、社会を考える面白さに気づきました。
「どういう会社を作っていくのか」ということも、一つの大きなクリエイション。1997年に立ち上げた会社名をトーガ・アーカイブス(TOGA ARCHIVES)にしたのは、資料=アーカイブスがある会社に成長する事ができるようにでした。会社のシステムを作らないとコレクションも作り続けることができないし、自分たちの歴史を積み重ねていくことは、社会とも繋がっていくことだという考えです。
・多忙な日々、ボロボロになる身体
常にコレクションの事を考え続けて年2回の新作発表を続け、ブランドが少しずつ知られるようになる一方、30歳前半でガクンと体調を崩してしまいました。「帰って寝たほうがいいんじゃない?」と言われるまで気づかないくらい、不健康な状態で仕事を詰め込み続けてしまった。「毎日ファッション大賞」の新人賞を受賞した2003年の表彰式当日も、体調不良がピークに達していて。心療内科で大量の薬をもらい、朦朧としながらステージに立つ有様。身体の限界を知った瞬間でした。
体調と向き合い、スイッチを切り替えることができるようになるまで、3年ほど通院しました。ようやく克服できた頃、服を作りたい意欲は失っていなくて、発表の場を移したいと考えてパリへ。といっても学生時代を過ごした場所なのでそんなに意気込んだものではなく、トーガが世界でどのように受け入れられるか、興味の方が大きかったと思います。
・「これでまた生地が買える」
2005年頃、パリのPR会社との最初のミーティングで「トーガの服はアラブ系のオイルマネーの人に向けた服なのか?それともユダヤ系に向けたコンセプチュアルなものなのか?」と聞かれ、そういう見方があるんだとびっくりして。世界で発表するということは、服を買う層が全く変わるということ。当然、アプローチの仕方も変わります。ただ、周りから何を言われても「とにかく私たちはこういうことをやりたいんです!」と強く言えることが大事。パリの展示会では本当に鍛えられました。
2007年に「ANDAM fashion award(アンダムファッションアワード)」、そして「The Swiss Textiles Award(スイス・テキスタイル・アワード)」を受賞した時も、特にすごいことをしたという感覚はなかったと思います。それよりも、賞金をもらって考えたのは「これでまた生地が買える」ということ。ずっと自己資金でやってきたので、「また次の何かが作れる」。それだけでした。——第8話につづく
第8話「パリからロンドン、まだ見ぬ世界へ」は、明日8月20日に公開します。
文・辻 富由子 / 編集・小湊 千恵美
企画・制作:FASHIONSNAP
【連載ふくびと】トーガと古田泰子 全10話
第1話―「大人の文化」を先取りしていた子ども時代
第2話―スキンヘッドの女子高生、モードを志す
第3話―「何を伝えたくて服を作っているのか?」
第4話―パリの洗礼とコム デ ギャルソンの衝撃
第5話―衣装デザイナーとしての活動、そして挫折
第6話―前衛的な雑誌「ジャップ」で誌面デビュー
第7話―世の中を変える「場所」を作りたくて
第8話―パリからロンドン、まだ見ぬ世界へ
第9話―「なりたい自分」を叶えるのがファッションだ
第10話―聖なる衣が最期を飾るまで
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