第3章:孤立のトポス
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この章では、近年山縣が度々通っている長崎県の離島でのリサーチにフォーカス。中央には常に人が集まり様々な流行が生まれ、時代を大きく変動させた一方で、近代化の波から孤立した離島の小集落は静かに独自の文化を成熟させていた。日本に洋装が普及していった時代の「近代化=西洋化」の流れの中で、淘汰されていった日本の精神性やものづくりの源流が絶えずに今まで続いている離島でのリサーチは、人やモノが渦巻き流行が生まれる大都市では見出せない日本の社会と歴史を見直すことができる。それは同時に集団から離れて自分自身に向き合う時間ももたらす。
バックライトを光らせる軽トラと大量の狸の剥製でできたインスタレーションは、会場準備のための3週間で即興的に生み出された作品。狸たちは、シルク産業の名所である群馬県桐生市の織物工場に眠っていた反物を抱えている。
背後に向かって走り出そうとしている狸とトラックが、バックして向かうのは過去。シルク産業の先進的な産地であり、日本のファッション業界においても重要な意味を持つ桐生市がある群馬県は、繊維産業とともに栄えた。しかし現在は後継者問題など様々な理由から元気がない状況にある。狸たちとトラックは、これから繊維産業とどのように向かい合い、前に向かっていくべきなのかを考えるために、前向きに過去へ誘導する。
第4章:変容する日常
同展最大の展示室を使用した第4章では、群馬県内の廃屋や空き家から残されていた家具を4トントラック1.5台分積み込み、過去のリトゥンアフタワーズやリトゥンバイのアイテムとコラージュしている。
「国内では年始に能登半島沖地震が発生し、ガザやウクライナの侵攻は止まることがない、そんな中で“ファッションの展覧会”をどう発表するべきなのか」。地震では、一瞬で家が倒壊する。東日本大震災が発生した2011年に仙台でアートプロジェクトに関わっていた同展のキュレーターが体験した、「美術館が一夜にして避難所になった」という出来事もこの展示に影響を与えている。「我々が日々『日常』だと信じている生活はとても不安定なもので、いつ崩れるかわからない。もしかすると、『非日常』の上にかろうじて存在しているものなのではないか」と山縣。
非日常の空間(美術館)に、日常(どこかの誰かの生活の痕跡を残す家具)を持ち込み、そこに非日常(人間を超越したテーマで生み出された山縣の作品たち)を介入させることで、同氏が捉える2024年の日本の「日常」を描き出す。変容する日常と題されたこの章は、同展において、アーツ前橋を「リトゥンアフターワーズの考えるファッションのための家(メゾン*)」にする取り組みでもある。
※メゾン(Maison):フランス語で「家」の意。ファッション業界では店や会社を指す。
ホワイトキューブの中に置かれた家具たちに紛れて配置された過去のコレクションピースたちの中には、当時とは異なる形でプレゼンテーションされているものも多い。世界平和を願って作られた2015年秋冬コレクションのニードルパンチでできた地球は、ショーでは子どもたちが歌う「ヒール・ザ・ワールド」と共にピースフルでユーモラスな雰囲気の中で発表されたが、今回はその周りをうなだれた人物たちが取り囲む。プレスプレビューの直前まで山縣が調整を重ねていたこの章は、探検するように細部を観察することで細部にまで宿るこだわりを感じ取ることができる。
学生時代に山縣の兄が制作したインディーズゲーム
Image by: FASHIONSNAP
>writtenafterwards/written byの過去のコレクションルック
第5章:ここに いても いい
第0章に続く吹き抜けの下の展示室。だんだんと暗がりに向かっていった前章までと打って変わり、明るく開けた空間には、初公開となる最新作が置かれている。ファッションを通して自己と社会に向き合ってきた山縣の社会に向けた視線を感じるこれまでの展示室と対比的に、山縣のパーソナルな部分に立ち返る。
前章が、山縣個人では消化しきれない悲劇に向き合った表現だとしたら、この章に見られるのは、山縣が目下必死になっている「当事者ごと」である育児の現場。世界の悲惨なニュースは依然として耳に入り続けていても、自身の生まれたばかりの実子との忙しない日々の中で、日常の些細な出来事や異変に不安や動揺を覚え、生活に対しての目線が変化したと山縣。
中央に飾られた1体は、ベビー服に着想したドレス。リトゥンアフターワーズのキーカラーである赤のギンガムチェックに、花束や贈り物といった祝福を表すモチーフや、ブランドを想起する本、日常生活を象徴する「ゴミ袋にたかるカラス」を刺繍で描いたキルティング生地で仕立てた。
ルックの周囲には、同素材で制作した子どもの成長を願って作られる伝統工芸品の雛人形「つるし雛」が飾られ、展示室の壁面には山縣がiPhoneで撮影した愛息子の動画が流れている。
改めて今、自身の家庭内に居場所とオリジンを見出している山縣。同展を通じて、鑑賞者ひとりひとり(個々)も、「自分の居場所(此処)にありのままの自分自身を見出してもいい」のだと語りかける。「ここに いても いい」と名付けられた同展・同章・同作はリトゥンアフターワーズのコンセプトにもあるように「装うことの愛おしさ」に立ち返るような、同氏の愛情深い視線を感じさせる。
追補:アフタースクール
子どもという未来の世代に向けた希望で終わる同展には、少しだけ続きがある。ブランドのクロニクルを伝えて終わるのではなく、「自分以降のファッションデザイナーたちが描く未来のファッションを見せたい」という想いから、同氏が主宰するファッション私塾、「ここのがっこう」の学生たちの作品のための1部屋が用意された。
昨年山縣が参加した山梨県立美術館の展示でも一部に学生たちの作品が置かれていた。参加者ひとりひとり(個々)が生きる場所や社会を見つめ、此処から独自の表現を立ち上げていく、という、同展の結びと通じる意図で名付けられた同校や学生たちの存在は、山縣自身のクリエイションとも地続きなのだろう。
Image by: FASHIONSNAP
おわりに
キュレーターは、東京藝術大学でも教鞭を執りながら、今回から同館のキュレーターに就任した宮本武典。東日本の震災時に東北でアートプロジェクトに携わっていた宮本の意見は今回の展示にも影響を与えている。震災時のような世界が大きく変化する時に「世のクリエイターはどのようなアクションをしているのか」と観察をしていた際に山縣の七服神に出会い「衝撃を受けた」と宮本。当時はファッションという山縣の領域を遠い存在のように感じていたが、その存在は常に頭の片隅にあったという。その後東京藝術大学の准教授となり、教育者という視点からも山懸と接点を得た宮本は、繊維の街である前橋のキュレーターに就任。満を持して、アートの定義を単一にしない、複数形の「アーツ(arts)」という名を持つ同館に山懸を招いた。
山縣について宮本は、「誠実な人。印象的だったのは、奇を衒うのではなく、自分の内面に向き合い誠実に作品制作に向き合う姿。一方で魔術師的な部分も感じた」とその印象を話す。
「裸の王様」に始まり、「これもファッションと呼んでいいんじゃないか?」と問いかけ続けた同氏のクリエイションは、突飛なようで、人の心に沁み入るノスタルジーを持つ。当たり前のように受け入れられている何かに疑問を持ち、社会をより良くしようともがく。「人間に1番近いファッションという領域」で、これからも同氏は人々の脳に新たな発見を与え続けるのだろう。
■山縣良和 個展「ここに いても いい」
会期:2024年4月27日(土)〜6月16日(日)
会場:アーツ前橋
所在地:群馬県前橋市千代田町5丁目1-16
開館時間:10:00〜18:00(最終入場 17:30まで)
休館日:水曜日
入館料 :一般 800円 学生・65歳以上・団体(10名以上)600円
※障がい者手帳等所持者と介護者1名は無料
※高校生以下の児童・生徒は無料(高校生は生徒手帳持参)
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