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東京コレクションはどのようにして始まったのか?歴史と変革

2017年10月20日に開催された合同ショー「10.20 sacai / UNDERCOVER」フィナーレ

Image by: FASHIONSNAP

2017年10月20日に開催された合同ショー「10.20 sacai / UNDERCOVER」フィナーレ

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東京コレクションはどのようにして始まったのか?歴史と変革

2017年10月20日に開催された合同ショー「10.20 sacai / UNDERCOVER」フィナーレ

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 春と秋の年2回開催される"ファッションの祭典"ファッションウイーク。東京は、パリ・ニューヨーク・ロンドン・ミラノに並ぶ主要都市として「世界5大ファッションウイーク」と総称されることもあるが、影響力やビジネスの発展性においては未知数だ。では、東京コレクションはどのようにして始まったのか?意外と知られていない東京ファッションウィークの起源と歴史を、1980年代から現代まで振り返る。

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【1980年代】東京コレクションの夜明け

 DC(デザイナー&キャラクターブランド)ブーム全盛期の1980年代。東京のファッションが世界のファッション産業人からも注目を集めるようになっていた。当時、松田光弘、コシノジュンコ、金子功、花井幸子、菊池武夫、山本寛斎らによる「TD6(トップデザイナー6)」といったファッションデザイナーによるグループを作る動きはあったものの、パリ・ミラノ・ニューヨークなど世界のファッション先進都市にあるようなデザイナー組織が東京にはなかった。そのため、欧米では各ブランドが約10日間で集中してショーを開催していたのに対し、日本では約2カ月にわたって発表が続くなど、海外のバイヤーやジャーナリストを呼び込む体制が整っていなかった。

1985年4月:読売新聞社が「東京プレタポルテ・コレクション」を主催

 そんな中1985年4月、読売新聞社が創業110周年を記念し、日本を代表するデザイナー37人によるファッションショー「東京プレタポルテ・コレクション」を11日間にわたって開催。東京では初の短期集中型のコレクション発表が実現した。国内外の報道関係者やバイヤーに加え、一部ではあったが一般にも有料で公開された。

'85 / '86 秋冬 東京プレタポルテ・コレクション 参加デザイナー(発表順)

4月15日(月): 川久保玲 / コシノヒロコ / 中島伊津子 / 山本耀司
4月16日(火):甲賀真理子 / 松田光弘 / 島田順子 / 池田ノブオ
4月17日(水):新崎正人 / 志村雅久 / 鳥居ユキ / 熊谷登喜夫
4月18日(木):コシノジュンコ / 加藤和孝 / 細川伸 / 小林由紀雄
4月19日(金):吉田ヒロミ / 小西良幸 / 英保優之 / 菊池武夫
4月20日(土):田山淳朗 / 佐藤孝信 / 三宅一生
4月22日(月):やまもと寛斎 / 池田貴雄
4月23日(火):森英恵 / 津森千里 / コシノミチコ / 西田武生
4月24日(水):阿部尋一 / 中野裕通 / 香月ノリコ
4月25日(木):菱沼良樹 / 君島一郎 / 安部兼章 / 花井幸子
4月26日(金):芦田淳

 「東京プレタポルテ・コレクション」は創業110周年を記念した一回きりのイベントの予定だったが、前夜祭で読売新聞の当時の副社長が「毎回続けていきたい」と発言。NYから視察にきていた太田伸之(当時、在ニューヨーク ファッション・エディター)は、これに参加していた川久保玲と三宅一生、山本耀司との食事の席で「日本では新聞社が音頭を取らないとデザイナーがまとまらないのは情けない」と意見したという。また、日本ではショーの翌日から展示会がないことや、ショーで発表されたものと展示会に並んでいるものが違うこと、展示会の時期がバラバラなことなどに対し「そろそろ世界基準に合わせたらどうか」と提案。先の3人はすでにパリで実績を積み始めていたが、自国の日本でデザイナーらが一つの方向に動き始めた。

1985年7月:東京ファッション・デザイナー協議会(CFD)の発足

 東京プレタポルテ・コレクションの開催から3カ月後、川久保玲、松田光弘、三宅一生、森英恵、山本寛斎、山本耀司の6人が発起人となり、デザイナー組織「東京ファッション・デザイナー協議会(CFD)」が結成された。三宅一生が代表幹事、他5人が幹事に就任。太田伸之はニューヨークから帰国し事務局長に、そして大出一博(SUNデザイン研究所)、小池一子(Kitchen)、原由美子(スタイリスト)、久田尚子(文化出版局)、三島彰(現代構造研究所)のアドバイザー5人の体制で始動した。

日本のファッションデザイナー(左から:川久保玲、松田光弘、三宅一生、山本寛斎、山本耀司、森英恵)

日比谷の日本プレスセンターで設立総会、記者会見、パーティを行い、CFDが正式発足(1985年7月8日)左から川久保玲、松田光弘、三宅一生、山本寛斎、山本耀司、森英恵(画像:CFD)

1985年11月:第1回コレクションを開催

 CFD設立からわずか4カ月後の1985年11月5日〜16日、国立代々木競技場敷地内に建てた特設テントとラフォーレ赤坂の2カ所をメイン会場に、第1回目となる1986年春夏コレクションが開催された。

 太田は「2週間でショーをする形式はNYと同じだったが、モデルがランウェイを歩くだけではない演出が日本にはあった。東京の方が個性があって面白かった」と当時を振り返る。また、NYのブランドの多くは富裕層の女性をターゲットにしているのに対し、日本では若者向けに服を作るブランドが多く「ファッションリーダーは日本では若者なんだと確信した」と話している。

 このように、海外とは異なる日本のマーケットの成り立ちを踏まえ、第1回東京プレタポルテ・コレクションから海外方式とは異なる発表方式をとった。海外では基本的にショーはバイヤー向けだったが、初回から一般客も招待。そして業界関係者向けの指定席は設けず、全席を先着順にした。また、カメラブースは現在の正面の位置ではなくランウェイの両脇にカメラマン用のベンチを設置し、撮りやすく工夫。当初、関係者からは「なぜ一般客がくるのか」などの意見も少なくなかったが、「若い人たちが支えているファッションなのだから若者に見せてあげてもいいじゃないか」(太田)という思いがあったという。またスポンサーはつけず、参加デザイナーからの使用料のみの完全な自主運営だった。

1986年春夏の第1回東京コレクションのスケジュール

1986年春夏 第1回コレクションのスケジュール

 第1回コレクションでは、オフスケジュール含め52ブランド(会員32、非会員20)のショーが行われ、オンスケジュールでは「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」がトップ、「イッセイミヤケ(issey miyake)」がトリを飾った。欧米並みのコレクションの短期集中化を実現し、来日した欧米ジャーナリストからも高い評価を得た一方、ニューヨークのファッションウイークのスケジュールとのバッティングなど、課題も残った。

1988年:1988年秋冬コレクションから「東京コレクション」を定義

 CFD発足以来、CFDは「東京コレクション」という名称を用いてこなかった。しかし、海外デザイナーからの参加要望やマスコミからの問い合わせが増えたことを受け、1988年秋冬コレクションからCFD主催のコレクションを「東京コレクション」とすることを決めた。

※1989年:代表幹事制を廃止 太田伸之が議長に就任

【1990年代】バブル崩壊とDCブームの終焉、若手支援プロジェクト始動

 DCブーム全盛だった1980年代は、アパレル企業が若手デザイナーと契約しDCブランドを立ち上げていたが、ブームの終焉により契約解消となった若手デザイナーも多くいた。彼らの中からは独自の力でデザインオフィスを起こし、小規模ながらもコレクション発表をする動きが出てきていた。一方「東京コレクション」は参加ブランドの数が減少傾向にあり、CFD発足当時から「東京コレクション」活性化の策として若手・新人デザイナーの育成を求める声が挙がっていた。

1992年10月:新人・若手インキュベートの「ANNEX」始動

 1992年10月末、株式会社東武百貨店、池袋ターミナル株式会社、トヨタ自動車株式会社による協賛のもと、企業と別れ自力で創作活動を再開する若手デザイナーや東京で初めてコレクションを計画する新人を対象に、コレクション発表の場を提供しインキュベートする「東京コレクションANNEX」が新設。以降1995年4月まで毎シーズン、コレクション発表が続けられた。

1995年:久田尚子が議長に就任

 CFD設立から10周年、太田に代わり久田尚子が議長に就任した。当時、ニューヨークではCFDA(米国ファッションデザイナー協議会)がコレクション運営母体を切り離し、事業会社「セブンス・オン・シックス」を設立し協賛を集め、2枚看板で運営するようになっていた。これを受けて太田は議長の退任時、久田にニューヨークコレクションにならった改革を提案。1998年、久田は協賛企業を募り「東京コレクション倶楽部」を設立。資金の安定化を図った。

【2000年代】官民一体「東京発 日本ファッション・ウィーク」に

 2000年に入ると、コレクション期間が再び長期化するようになっていた。また2003年7月の経済産業省産業構造審議会取りまとめの「繊維ビジョン」、2005年1月のWTO(世界貿易機関)のクオーター撤廃を受け、世界各国の国際的な繊維産業間の新たな競争が始まっていた。

2005年10月:官民一体「東京発 日本ファッション・ウィーク(JFW in Tokyo)」立ち上げ

 このような状況のなか、日本のファッション関係者の間ではもう一度東京コレクションの運営体制を見直し、期間と会場を集約して、日本のファッションの発信力を強化しようという機運が高まっていた。CFD設立から20周年を迎えた2005年6月、日本の繊維・ファッション産業のさらなる国際競争力の強化、発展を図ることを目的に、川上から川下にわたる、繊維・ファッション製造事業者、デザイナー、流通事業者が大同連携して「ファッション戦略会議」(現:一般社団法人ファッション・ウィーク推進機構)を組織。同年10月、経済産業省の補助事業として、従来の「東京コレクション」に加えてテキスタイル展や他の関連イベントを同時開催する官民一体の「東京発 日本ファッション・ウィーク(JFW in Tokyo)」が立ち上がった。

 「東京コレクション」は、「JFWコレクション」の名称のもと日本ファッションウィーク実行委員会、ファッション戦略会議事務局が主催、運営していくことになり、CFDはファション戦略会議の一員として運営に協力する形となった。

 第1回(10月31日~11月9日)は、メイン会場として明治神宮外苑聖徳記念絵画館前特設テントを設置して場所を集約し、開催期間を10日間に短期化した。第2回(2006年3月17日~3月24日)では、オープニングイベントとしてコシノヒロコら5人のデザイナーが総理官邸を訪問しショーを開催。第4回(2007年3月12日~20日)では日本橋特設テントを主会場とし、その周辺地域が一般消費者向けのファッションイベントを自律的に企画したほか、レセプションには安倍総理と高円宮妃殿下が参加した。2008年には、90年代はじめの「東京コレクションANNEX」をモデルに、新人デザイナー発掘プロジェクト「SHINMAI Creator's Project」が発足した。

ランウェイを歩く5人のウィメンズモデル

第1回 SHINMAI Creator's Projectのランウェイ

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【2010年代】冠スポンサーがメルセデス・ベンツからアマゾンに

 2010年7月、日本ファッション・ウィーク推進機構は、経済産業省の事業仕分けにより2010年をもって「JFW」事業における財政支援の打ち切りが決定したことを受け、世界最大のスポーツ/エンターテイメント/メディアカンパニー IMGとスポンサーシップ販売代理店契約を締結した。

2011年7月:冠スポンサーとしてメルセデス・ベンツ日本と契約

 翌2011年7月、冠スポンサーとしてメルセデス・ベンツ日本と契約。名称を「東京発 日本ファッション・ウィーク(JFW in Tokyo)」から「メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク 東京」に変更し、同年10月に初開催した。

腰に手を当てて「ファセッタズム」のランウェイを歩く複素のウィメンズモデル

「VERSUS TOKYO」のキックオフショーを担当した「ファセッタズム(FACETASM)

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2011年10月:初のチケット制ファッションイベント「VERSUS TOKYO」開催

 初回の最終日には、東京のファッションシーンを牽引する8ブランドがクリエーションをぶつけ合う初の一般参加型ファッションイベント「ヴァーサス トーキョー(VERSUS TOKYO)」を初開催。東京で旬のファッションと音楽を集めたイベントとして、2013年3月に2回目、2014年10月に3回目と開催され、多くの一般客を集積した。

ファッションブランド「トーガ」が国立新美術館で発表した2018年春夏コレクションのランウェイを歩くモデル

「トーガ(TOGA)」がAT TOKYOを通じて国立新美術館で発表した2018年春夏コレクション

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2016年7月:アマゾン ジャパン合同会社が新冠スポンサーに

 2016年3月開催まで5年間にわたって冠スポンサーを務めたメルセデス・ベンツ日本に代わり、2016年7月、アマゾン ジャパン合同会社が新たな冠スポンサーとなった。同年10月開催からイベントの名称が「Amazon Fashion Week TOKYO(アマゾン ファッション ウィーク東京)」に変更。「開かれたファッションウィークに」という考えのもと、Amazon Fashionのサイトと連携しサイト内に関連コンテンツを開設したり、一般消費者のショーへの招待、ショーで見たものをすぐに買える「See Now Buy Now」施策を取り入れたBtoCイベントとの連携も、積極的に実施されるようになった。

まとめ

 初期から日本のファッションを支える"若者"に目を向けてきた東京のファッションウイークだが、足元を見るとファッション界を目指す学生は減少傾向だ。「盛り上がりに欠ける」とも言われて久しい。しかし今年10月に開催された「Amazon Fashion Week TOKYO 2018 S/S」では、ファッションの熱と希望を感じさせる側面もあった。参加した若手デザイナーの高い実力が発揮され、一方でスペシャルプログラム「AT TOKYO」として参加した「サカイ(sacai)」と「アンダーカバー(UNDERCOVER)」の合同ショーでは、特設テントに多くの学生を含む1,200人以上を招待。新進からトップデザイナーまで、それぞれのメッセージとエネルギーを吹き込んでいる。

 アパレル不況下の日本で、東京コレクションはファッションの未来を切り拓くことができるか。「世界5大ファッションウイーク」の一部になるのではなく、これまで独自の変革を遂げてきたように、東京ならではの価値を高めていく必要があると言える。

>>東京のファッションウィークについてどう思う?業界内外の声

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