19世紀後半にスーツの原型と言われるラウンジスーツが登場して以降、折り返った衿が印象的な上着と、上着と同素材のパンツをセットにした服は、メンズファッションの根幹となった。
一昔前の日本なら男性が会社に向かう際は、必ずといっていいほどスーツが必須だった。だが、時代は変わり、オフィスウェアではカジュアル化が浸透し、スーツの需要は減退。男性がネクタイを締める機会は、昭和の時代に比べれば大きく減少した。スーツを着る日が、冠婚葬祭に限られているという人もいるのではないだろうか。しかし、社会の価値観が変わっても、スーツの価値が色褪せたわけではない。
シャツを第1ボタンまで留め、ネクタイを巻いてノットの形を整え、テーラードジャケットに袖を通してフロントボタンを一つ留める。その瞬間、背筋は自然と伸びていく。きっと、スーツを着た際に湧き上がるあの感情のことを「凛」と言うに違いない。
6月に閉幕したパリとミラノの2025年春夏メンズ・ファッションウィークでは、スーツの進化が見てとれた。メンズウェアにはドレッシーなデザインが浮上し始めている。
ただし、ファッションウィークで見られたスーツは、正統派のクラシックスーツとは異なる。オーバーサイズであったり、着こなしがカジュアルであったり、緊張感を取り除くスーツがデザインされていたのだ。
21世紀を迎えてから、メンズスーツに革新が訪れたのはトム・ブラウン(Thom Browne)が登場した時だろう。踝を露わにするアンクル丈のスーツには、メンズウェアの歴史が動き始めたと表現しても大袈裟ではないほどの驚きがあった。ブラウンがモードシーンに現れてから20年以上。ダンディズムの象徴である服は次のステージに移行してもいいのではないか。
日本には新時代のテーラリングへの期待を抱かせるメンズブランドが存在する。大月壮士が2015年に設立した「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」だ。ブランド創業後の翌年、2016年には「LVMHプライズ」のショートリストに日本人最年少で選出され、確かな才能を示した。
ヨーロッパ発祥の服を新たな視点で塗り替えるアプローチを実践し、「ソウシオオツキ」はトラディショナルなメンズアイテムであるスーツの概念を更新しつつある。今回は、特に注目すべき2023年秋冬と2025年春夏の2シーズンをピックアップし、新時代のスーツを紐解きたい。(文:AFFECTUS)
「西洋的アウトローファッション」に物申す “日本の漢”を表現した2023年秋冬コレクション
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昨年3月に発表された2023年秋冬コレクションのテーマは「FINAL HOMME 2」。「最期の男」と名づけられたコレクションは、大月が学生時代に製作した服であり、葬式をテーマにした「FINAL HOMME」の続編と言えるものだった。
まずは、コレクションのテーマから言及するのではなく、2023年秋冬シーズン当時の状況を踏まえることから始めていこう。
各都市で発表された2023年秋冬シーズンは、黒い服を発表するブランドが多かった。ストリートウェアの登場、コロナ禍以降に浸透したリラックスウェアなどカジュアル化へのカウンターと呼べる現象であり、クールなブラックウェアは2023年秋冬シーズンの注目スタイルとして浮上していた。
ファッションでは、必修科目のように各ブランドが共通して取り組むトレンドが忽然と現れる。ミニマリズムがトレンドになったなら、デザイナーたちの創造的解釈によるミニマルな服が発表され、究極にシンプルでクリーンな服の進化が図られていく。このように様々な“実験”の繰り返しがファッションの歴史を作り、現代に繋がっていると言える。
急遽モードシーンに浮上した黒い服に対し、「ソウシオオツキ」のブラックスーツには日本文化によって更新される新鮮な価値があった。コレクションの核を成していたのはアウトローなムード、日本的に言えば「ヤクザ」である。
白いシャツに細く黒いネクタイを巻き、はためくブラックジャケットの裾には、葬儀へ参列するヤクザたちを彷彿とさせるアウトローな男たちの空気が滲む。
黒いスーツには危険な男たちの正装とも言えるイメージが付随している。『ゴッドファーザー』、『レザボア・ドッグス』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』。マフィアやギャングがテーマの名作映画に登場する男たちは黒いスーツを着用していることが多く、それが黒いスーツにアウトローなイメージを染み込ませる要因となっていた。
イメージの転用がデザイン手法の一つであるファッションでは、マフィアスタイルがテーマになることは珍しくない。その際、多く見られるのはイタリアやアメリカのマフィアといった西洋のアウトローファッションからの発想だ。しかし「ソウシオオツキ」はそれとは一線を画す。
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
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コレクションには数珠と家紋が何度も登場し、日本文化からの着想であることが読み取れる。また、2023年秋冬コレクションはアジア系モデルが数多く起用されていることもポイントだった。坊主頭や短い髪をきっちりと撫でつけた癖のある男性モデルの姿からは、ある日本人映画監督の任侠映画が浮かび上がってきた。
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
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その映画とは、北野武による『アウトレイジ』。第1作が2010年に公開され、全3本のシリーズとなっているこの作品は「全員悪人」というキャッチコピーが示すとおり、登場する男たちすべてが“悪”であるバイオレンス作品に仕上がっている。
登場人物の中で印象的だったのは、加瀬亮が演じる石原だ。映画では壮年の武闘派ヤクザが多い中、石原は黒い髪の毛を綺麗にきっちりと撫で付け、組の金庫番を任され、株取引などの活動で稼ぐ。他の人物に比べて年齢も若く、知的な印象のヤクザだった。
日本のアウトローファッションの文脈で見た時、成熟した年齢の渋いヤクザや、真逆となる若いヤンキーのスタイルを目にするケースが多い。だが、「ソウシオオツキ」のランウェイを歩くモデルたちは、両者の狭間にいる若さと危うさを兼ね備えていた。
2023年秋冬シーズンに現れたブラックウェアという傾向に対し、「ソウシオオツキ」が発表した葬式をテーマにする黒いテーラリングは、3つの意味を含んでいた。最後に、そのことを改めて整理したい。
1つ目はアウトロー。様々な解釈ができるブラックウェアの領域で、「ソウシオオツキ」は野生味あふれるメンズファッションをアンサーとして提示した。
2つ目は日本のヤクザ的装いである。モードシーンではアウトローをテーマにした際に、西洋のマフィアスタイルが目立つ中、数珠や家紋といった日本文化の象徴を取り入れ、北野武の映画に登場するヤクザたちを連想させる「日本のアウトローファッション」として、世界の流れにカウンターを打ち込んだ。
そして3つ目は、若いヤクザという文脈である。拳銃よりも経営に関心が向くような、成熟した理知的なスタイルで、「ソウシオオツキ」は日本のアウトローファッションの中でも特別な存在感を示した。
もし、上記3つの意味のうち1つだけを含んだコレクションだったなら、このシーズンの「ソウシオオツキ」に今ほどのインパクトを感じなかったかもしれない。3段階の重層性を持つブラックウェアだったからこそ、一目見て引き寄せられるパワーがあったのだ。
日本ブランドが海外で勝負する際、日本独自の要素を打ち出すことがある。その際、着物や日本の伝統技術、素材を基盤にするアプローチもあるが、「ソウシオオツキ」は2023年秋冬コレクションを通して、日本の服装文化の可能性を示してくれた。
1980年代の昭和バブルスタイルに価値を見出したテーラリング
青年期や幼少期を1980年代に過ごした者なら、ルックを見た瞬間に懐かしさと新しさを感じるメンズテーラリング。今年7月に発表された「ソウシオオツキ」2025年春夏コレクションは、バブル時代の男性から着想されたコレクションである。
デザイナーの大月が注目したスーツは、1980年代から90年代にかけての「ジョルジオ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)」。「モードの帝王」と呼ばれるデザイナーが手掛けたスーツを収集し、分析することからコレクション製作は始まった。
幅広のピークドラペル、低いボタン位置、裾にクッションを起こすタックパンツ。日本経済が栄華を誇った時代を生きた男たちの正装が、ルックには写し出されていた。特筆すべきはシルエットで、昭和スーツの空気を見事に表している。
Image by: SOSHIOTSUKI
Image by: SOSHIOTSUKI
現代から見れば、洗練されているとは言い難いシルエットだろう。体のラインを隠すジャケットとパンツはオーバーサイズとも言えるが、決してそんなモダンな響きは似合わない。体を誇張し、大きく見せるスーツ。それが、マネーがパワーを発揮したバブル時代の正解だった。
このコレクションのスーツは見れば見るほど、心憎いほど“昭和”に仕立てられている。上記右のルックを拡大して見てみよう。
モデルの肩幅よりも広いショルダーライン、ポケットに挿したペンが哀愁を誘う。シャツの上にカーディガンを合わせるスタイリングも的確だ。色気も派手さも無縁な色のジャケットに、渋いブラウンのニットウェアを合わせるコンビネーションが過去のスタイルを甦らせている。
スカーフをツイストしたこの着こなしは、俳優の中尾彬を彷彿させた。また、癖の強い爬虫類的な生地柄も装飾と華美にあふれた1980年代にふさわしいものだ。
バブルファッションの高い再現性に驚くが、当時のメンズファッションとは異なるデザイン性も見て取れる。
三つボタンジャケットは1990年代から主流になったもの。クラシックな上着と軽快なハーフパンツを組み合わせたスタイリングも、文脈の異なる服をセットにしたギャップで個性を生み出す、現代的なアプローチが感じられる。
ウエストでフィットさせるワイドな身幅のブルゾンは、高倉健が着用していた「バラクータG9」と近しい雰囲気だ。しかし、ブルゾンは左右の身頃が重なってレディースライクなドレープを引き起こし、昭和ダンディズムの象徴だったはずのアイテムはドレスアップされた。一つのアイテムに、異なるカテゴリーの服からディテールやテクニックを引っ張ってきてミックスする手法は非常にモダンだと言えるだろう。
先に言及した2023年秋冬コレクションに比べて2025年春夏コレクションは、デザインの重層性という意味では劣るかもしれない。2023年秋冬コレクションから感じられたアウトロースタイルは、ファッションにおいては珍しいスタイルではないが、そこに「フレッシュなヤクザスタイル」という2重3重の意味を持つ仕掛けがあったことで、普遍的なテーマのスタイルに独自性が生まれていた。
一方、2025年春夏コレクションはデザインのレイヤーこそ薄いものの、モードシーンでフォーカスされることが珍しい、1980年代の日本のバブルをテーマにした着眼点そのものが独創的だった。
しかも、バブルスーツを再現するだけでなく、1980年代当時のメンズファッションとは異なる現代的なデザインもミックスしたことで、「令和の視点が入った昭和スーツ」という新しさも生み出している。
Image by: SOSHIOTSUKI
Image by: SOSHIOTSUKI
2000年代の人気スタイルが2020年代に再び人気となるように、トレンドが回帰するのがファッションだ。しかし、歴史の流れで埋もれてしまい、光がなかなか当たらないファッションがあるのも事実。歴史の狭間に落ちていたスタイルを発見し、現代に提示する。これもファッションデザインと言えるだろう。2025年春夏コレクションは、非常に大きな文脈的価値を持つコレクションだった。
日本のファッション文化に潜む可能性を見落としていないか?
先述したとおり、日本文化から新しいファッションを発想する際は、着物や日本伝統の技術、伝統素材からのデザインや、「侘び寂び」に通じる簡素なデザインが代表的なものとして挙げられる。だが、日本の歴史を振り返った時、日本のファッションにはスタイルそのものが独自性を帯びたものがある。
『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』など、「トレンディドラマ」という言葉が本当にトレンドだった1990年代の日本にも大きな可能性があるように思う。ニューヨークを拠点にする「コミッション(Commission)」は、1990年代のアジアをテーマに、現代化したコレクションを発表するブランドだが、日本を軸にして1990年代のアジアを読み解き、発展させたファッションをもっと見てみたい。
ここで述べてきたことは、デザイナーの大月の意図と違うことがきっとあるに違いない。それでも「ソウシオオツキ」のスーツを第3者の視点から見た時に感じた、ファッションの文脈的価値を述べたいと考え、今回のテーマとした。
「ソウシオオツキ」は保守的な傾向があるメンズスーツの中で、挑戦的なコレクションを発表してくれた。ファッションデザインの概念的な部分から、新しくする試みさえあったように思えるのだ。過去の日本のファッションに、今こそスポットライトを当ててみないか。未来を切り拓くヒントは過去に潜む。
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