「シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)」は、どのシーズンのコレクションショーでも小塚自身がしたためたステイトメントを観客に配布する。製作の着想源、現在の考え、この半年間で見てきたもの、伝えたいことを丁寧に関西人らしく茶目っ気たっぷりに書き綴る。それほどまでに自分の言葉でコレクションの大枠は教えてくれるのに、小塚は絶対にコレクションの「見方」は教えてくれない。囲み取材を受けたとしても、本当に知りたい核心の部分はのらりくらりとかわしているようにさえ見える。「あのルックにはどんな意味があったんですか?」と問いても「そんなに深く考えてませんよ」とニコニコしながら答えるのだ。これまでに何度も「理解される服ではなく、解釈される服を」と強調していることを考えれば、深く考えていないことなんてありえないのに。
そもそも、ショーで登場した数十体のルックこそがデザイナーにとっては“答え”以外の何ものでもないだろう。そこからそれ以上の説明をするのは野暮だと思っているクリエイターは多いはずだ。だからこそ、ステイトメントを配らず、囲み取材も行わないことで答えを伏せるデザイナーは多い。しかし、小塚はステイトメントも配るし、囲み取材だって受ける。
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シンヤコヅカが生み出すクリエイションの核は「デザインとは、定義しないという事を定義しているのではないか」という考えに基づいた余白の美学にあると認識している。だから、自身が捉えた対象から起こりうるありとあらゆる回答を予測し、そのどれもが正解になるようにと小塚は常に「かもしれない運転」をしてくれているのかな、といつも勝手に小塚の優しさに触れる。作り手であるデザイナーがコレクションを説明した瞬間に、それが「絶対的な回答」になることに自覚的なのだろう。映画や音楽、絵画の類が鑑賞する年齢やタイミングで大きく解釈が変わるために、何度も同じ作品を楽しめることは往々にしてある。和歌のように、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したように、全てを言葉にしなくても、受け手の人生経験や感性によって作品が再解凍されることだってよくあることだ。
そうは言っても、ステイトメントを受け取った鑑賞者からしてみれば、すぐ目の前に答えがあるのに隠されているが故に、かえって気になってしまうブランドでもある。目の前を通り過ぎるルックを見ながら様々なことを考えているうちに、最初に考えたことからは随分と遠ざかっており「気がつけば遠くまで来たもんだ」と思うことも度々ある。
今回のコレクションは、小塚が夜の散歩道で見かけた景色や、考えたことがきっかけになっているそうだ。散歩は、ウォーキングやハイキングとは異なり、目的地を定めずに取り止めもなく散るようにぶらぶらと歩くことを指す。小塚は今回のステイトメントを「I love youを夏目漱石が“月が綺麗ですね”と訳した話があります。正しい訳とは何かと思わせる素敵な訳し方だと思います」と始め、こう締めくくる。
今回のコレクションタイトル『WONDERFUL WANDER(直訳で素敵な散歩)』と書いて、自分なりに訳してこう読むことにします。
月が綺麗ですね。
小塚にならって、WONDERFUL WANDERを自分なりに訳すことにする。
気がつけば遠くまで来たもんだ。
この日は雲間から絵に描いたような綺麗な月がくっきりと東京体育館の空に浮かんでいた。そんな風に現実世界とショーの合間で様々なレイヤーが重なった状態で2024年春夏コレクションが発表された。
小塚からの手紙を読んで驚いたことがあった。インタビューでも自分で認めるほどの天邪鬼である小塚が「いつも『裏の方が素敵』『豊かさとは隠れたところにある』と考えてモノを作っていたのですが自身のバイアスが壊れた」と打ち明け、「裏“も”素敵と言いたいのだと思うようになった」と綴っていたことだ。ビッグシルエットに定評がある同ブランドが、レギンスパンツとビッグシルエットのアイテムを組み合わせたルックが何度も登場したことも心境の変化を思わせる。もちろんスタイリングの妙で「スキニーなものでブランドが得意としているビッグシルエットを引き立たせる」という側面もあるだろうが、それよりも「大きいものがあれば小さいものがあるし、小さいものがあれば大きいものもある」という論ずるまでもない2つの事象に対して、片一方を隠すのではなく「そこにある」ということを認め、そのどちらもを圧倒的に肯定しようという現在の小塚自身の考えが現れた形のように思う。現に小塚は変化した「豊かさ」の在処とそれらが反映された今回のコレクションについて、こう説明する。
シンプルに 裏も表も 上も下も 右も左も 強いも弱いも肯定できるような。そのステップになれているかな?なれればいいな、と思ったコレクションです。
かつて、小塚がクリエイションにおける正義だと思っていた「裏の方が素敵」という言葉を、小塚のクリエイションや過去のステイトメントから紐解くと「多くを語りすぎず、解釈される服の方が素敵」と言い換える事ができるだろう。しかし「裏“も”素敵」と隠されていない豊かさに着目した今回のコレクションでは、「散歩」という全員に馴染みのあるワードで、豊かさが損なわれない程度の余白に小塚はチャレンジした。
「夜道を散歩した時に考えたコレクションだから」と書いてあったから、白→青→黒→黄色と移り変わるアイテムカラーが、日が沈み、星が煌めき、また朝日が昇り鳥が飛ぶ毎日の営みのように感じられる。散歩にはいつも某プレミアムなビールを飲んでいたからと綴られていたから、深いブルーとゴールドの組み合わせは某ビールの配色だと気づいてくすりと笑ってしまう。「ビールも手伝って、頭の中の真っ白いキャンバスに絵が描かれていく」と教えてくれたから、ゴッホのように麦わら帽子を被ったモデルに理解が及ぶ。
小塚が「散歩」というワードで、大枠でも、答えでもない補助線を引いてくれたことは、散歩という行為が目的地は無いが「歩く」という動作が確約されている状態にも似ているように思う。おかしな例え話だが、目的地を定めずあてもなくぶらぶらと歩くことを指す「散歩」の状態でいる事が、今回のシンヤコヅカが新たに打ち出した「豊かさが損なわれない余白」なのだろう。
「豊かさ」という言葉は多くの意味をはらんでいる。一般的には満ち足りて不足のない様と説明されるが、豊かさは多くの悲しさや苦しみによって成り立つものだろう。何かを続けている以上、技術や知識、キャリアは積み上がるがそこには惜しみない努力がつきもので、大抵の努力は苦痛や長い年月を伴う。一見豊かさと相反する努力や悲しさを連想したのは、小塚が「暇だった」とこぼす20代の時に、京都から実家の大阪まで歩いて帰る道中聞いていたという(そしてショーではBGMとして流れていた)エレファントカシマシの「友達がいるのさ」で「テレビづけ おもちゃづけ こんな感じで1日終わっちまうんだ 明日 飛び立つために今日はねてしまうんだ」と宣い、自信を取り戻したり失ったりする様を彷彿とさせたからなのだろうか。
インスタントに情報が入手され、処理される今の社会は、スペクタクルでわかりやすく、派手なものが注目されがちのように思う。わかりやすさは悪では無いが、豊かさとは対極に位置するものでもある。余白があるが故に、たった10分程度のフィジカルショーを長く、ゆっくりと味わう事ができるショーは大きな余韻を残す豊かな時間であることに間違いがない。
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