「シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)」のデザイナー小塚信哉は、メディア等では一切の顔出しを行っていない。理由は、他の覆面デザイナーたちと同じく「照れ屋で人見知りだから」「自分が出ていくことでクリエイションに余計な脚色を加えたくない」というような一般的な考えからだろう。一方で、小塚はイメージに反して非常に雄弁、かつ理知的なデザイナーだ。どのシーズンのコレクションショーでも、必ずA4用紙の裏表にびっしりと、製作の着想源、現在の考えを丁寧に書き綴る。それはまるで、小塚からの個人的な手紙を半年に一回、受け取っているような気持ちになるほどだ。「理解される服ではなく、解釈される服を」と強調する小塚は、「わかってくれる人だけがわかってくれればいい」というような、傲慢で、受け手の思考時間を奪取している自覚のない(そして意外と多い)アーティストとは異なり、多くのヒントや、明確な問いかけを私たちに常に示してくれる稀有なデザイナーの1人。まさに、「Dear ALL」とはじまるステイトメントがその際たる例だろう。明瞭すぎず、曖昧すぎない問いかけのバランス感覚は、そのまま小塚の作る服にも投影されているように感じる。2月8日に披露された「ISSUE #3 AUTMUN WTINER CLLECTOION」では、落語をきっかけに、余白と補完の関係性を我々に提示してくれた。
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小塚は「自身にとって“言葉”というツールの最上級のフィルターは落語となっている」と、落語好きであることを明かし、常に物質を作っているデザイナーという職業の立場から、言葉のみで聞き手に映像を浮かばせる落語家に憧れを抱いているという。「聞き手に映像を浮かばせる」、言い換えれば、同じものを見たとしても各々が違うことを考え、想像し、自らの理想に近づけ、そしてそのどれもが正解であるということだろう。小塚は「受け手によって、景色や見方、解釈が変わるようなコレクションを作ろうと思った」と振り返り、それぞれが違うものを想像するような情緒的な価値を提供するショーを生み出した。ショーが始まる前に配られたステイトメントは、こう締めくくられている。「おい、向こうから理想のルックが歩いてきた」。
ファーストルックに登場したのは、チューブトップのエプロンドレス。ジャケットやボトムスはもちろん、靴も履いておらず、物理的な余白がある。ドレスには「YOUR IDEAL FITS(あなたの理想を実現します)」とプリントされており、今回のショー開催の幕開けにはぴったりなアイテムだ。前半に登場した、三角形や四角形などの幾何学的な模様が積み重なったペイントが施されているアイテムは、美術学校「バウハウス」でも教鞭をとっていた画家のパウル・クレーが着想源。クレーは、抽象的でありながらも、(それが特定のものであるか否かに関わらず)何かしら事物を常に意識して描いていることが特徴で、その作風を表すかのように「芸術は見えないものを見るようにする」という金言を残している。これは小塚の「受け手によって、景色や見方、解釈が変わる服」という目的にもリンクする。多角形が積み重なった模様は、積み木で建てられた家や塔にも見え、続く描線がぼやけたようなニットは夕暮れや、街明かりのようにも見える。家、塔、夕暮れ、街明かり、朝焼けと目まぐるしく印象の変わる服は、変わりゆく車窓を思わせた。小塚のステイトメントの通り、これはあくまで筆者の解釈にすぎず、会場にいた鑑賞者はまた別の印象を覚えただろう。小塚は、未完成ではなく、鑑賞者が補完するための余白をデザインすることに成功したのだ。
また、クレーは絵に文字を取り込む実験なども行いながら、具象とも抽象ともつかない絵を描いたことでも知られている。今回のショーでも「GARAGARA」「もういやだ」といった文字を施したニットが披露され、ここでもクレーの影響を感じさせる。一見ネガティブに感じる「もういやだ」というワードも、小塚のデザインした「補完をするための余白」を思えば、語尾が上がるだけで少しポップな意味合いを感じ、どちらかといえば大喜利のようなユーモアのあるアイテムだと気付かされる。小塚のユーモアは、続いて登場したスカーフにもみられ、今回着想源になった落語を思わせるプリントが施されていた。
今回登場した全てのアイテムには、シーリングスタンプのようなボタンがついており、後半のルックでは便箋を彷彿とさせるデザインのアウターが登場した。小塚は「今シーズンから、インスピレーション源になった散文を添えて商品を納品する」と明かし、「解釈されたいという気持ちがあるから、着てくれる人にも寄り添うために手紙を書く感覚で言葉を届けたいと思った」とその理由を説明した。
余白や未完成の類は、侘び寂び文化のように「そちらの方が風情がある」という見方もあるが、一方で想像力を働かせて、補完し、自身の理想に近づけるという側面もある。300年間完成されていないサクラダファミリアや、あえて不完全を選んだ日光東照宮のように、それを美とする感覚ももちろん存在するが、「ミロのヴィーナスの欠けた腕には何を持っていたのだろうか」と妄想するのもまた趣があるのではないだろうか。今回のシンヤコヅカは、ただ余白や未完成を提供するのではなく、自身で補完して自身で正解にする「補完するための余白」をデザインし、提供した。それぞれの感性で補完し、「それが正解だ」と自信を持って言える環境で鑑賞できる幸福度の高いショー、そんなコレクションの在り方を明示してくれたのだ。
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