
ルーブル美術館の一室
Image by: 杉田美侑
日本最古のファッションサークル・早稲田大学繊維研究会で副代表を務める早稲田大学文学部仏語仏文学専攻の杉田美侑によるパリ留学記。
フランス語習得という名目で、パリコレ見たさに留学を強行した。右も左もわからなかった初日から瞬く間に3週間がたち、フランス留学も佳境に入った。そんな中、待ちに待ったパリファッションウィークの幕が上がる。
ファッションウィーク1日目 初めてのパリコレ
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Image by: 杉田美侑
メトロのエスカレーターを上りながら思う。いよいよこの日がやって来た。1週間ほどまえから「パリコレを垣間見れるだなんて映画みたいだ」なんて思いを巡らせたりして、私の心はそわそわと浮足立っていた。
今日のパリは澄み渡るような晴天だ。春の兆しが見え隠れするセーヌ川付近を散歩することにした。セーヌ川に架かる橋を渡っていると視線を感じた。見回すと、カメラを構えたおじいさんが目に入った。写真撮影の邪魔になると思い立ち止まると、おじいさんも立ち止まる。どうやら知らぬ間に撮影されていたらしく、目が合うとにこやかな表情でgoodと親指を立ててくれた。“Bonjour ”と挨拶し先へ進もうとすると話しかけられた。写真を撮りたいため、もう一度橋の中央まで引き返し、歩いてほしいとのことだった。時間も持て余していたし、会ったばかりの人にこんなことを頼まれるだなんて、なんだか愉快で引き受けた。橋の中央まで小走りで戻りもう一度歩く。すると「顔はこちら側を向けてほしい」とか「反対側の歩道でも撮影しよう」とか思いのほか時間を要して、これもまた愉快だった。最後に、おじいさんはポケットからレシートとペンを取り出し、レシートの裏にメールアドレスを書いてほしいと言う。写真のデータを送ってくれるらしい。なんだか最後までフランスっぽいなあと思いながら指示に従う。最後は“Bon journée”「良い一日を」と手を振りあい橋を背にした。ところがデータが一向に送られてこない。悪用されていないことを願うばかりだ。








Image by: 杉田美侑
そんな不安を抱くことになるとはつゆ知らず、上機嫌で、ファッションウィーク期間中賑わいを見せるというマレ地区に向かった。ところが、はて、どういうことであろう。業界人はおろか、観光客も少ないように感じる。ひょっとしたら普段よりも閑散としている街に拍子抜けしてしまった。なんていったって今日はショーを見ることができるのだから、もとより町でファッションウィークを感じようとする必要もないのである。

ポンピドゥー・センター
Image by: 杉田美侑
マレ地区から歩ける距離に会場はあった。早めに行けば少し良い位置に通してもらえるかと期待してショー開始の45分前に会場に移動した。毎年、繊維研究会のショーを撮影してくださっているワンオーの古瀬さんのおかげで、今回幸運なことに「シーエフシーエル(CFCL)」のショーを見ることができる。ポンピドゥー・センターのすぐ隣に位置する会場の周りには、華やかな装いのインフルエンサーがあちらこちらにおり…なんて想像していたが、ゲート付近に警備員こそいれど、周囲はいつもの街並みと何ら変わりなかった。今朝のマレ地区に続き、こんなものかと拍子抜けした。








Image by: 杉田美侑
しかし、20、30分もするとシックなドレスに身を包んだインフルエンサー達が現れ始め、呼応するようにカメラを手に写真撮影をする人が続々と増えていく。ここでようやく、メディアでよく見る、いわゆるパリコレらしい風景を目にした。
40分押しで始まったショーは、体感時間にするとほんの2、3分だった(実際は10分はあったかと思う)。それもそのはず。「どうなっているんだろう」、 「手に取って近くで見てみたい」と思いモデルの姿を追っていると、すぐさま次のモデルがやってくると言った具合で、私の頭と心はフル回転だ。高速でまわるメリーゴーランドのように、次から次へとトキメキがやってきて、忙しいことこの上ない。

Image by: Koji Hirano

Image by: Koji Hirano
気がつくとショーはフィナーレに差し掛かっていた。あまりに一瞬の出来事で、これまた拍子抜けした。スマートな進行やファッションショーにしては珍しい会場の落ち着いた雰囲気も相まって、もはや何気なく始まってあっけらかんと一大事を成し遂げてしまったように見えた。
昨年度、繊維研究会のショーを開催するにあたり、果てしなく労力がかかったことは忘れたくても忘れられない。一学生団体のショーでもそう感じるのに、ずっと規模の大きいブランドがパリでショーを開催することを思うと、その途方もなさに気が遠くなる。想像を絶するほどの時間と労力をかけて作り出されているだろうに、その壮絶さを少しも伺わせないのは、流石としか言いようがない。ひっきりなしに湧きあがってくる気持ちの収拾がつかず、ひとまず会場近くにある中華のレストランで一息つくことにした。











Image by: 杉田美侑
包み隠さずに言うと、フランス生活3週目、もう洋食に嫌気がさしていた。渇望していたお米をメニューに発見して喜び勇んで注文した。他に、中華風角煮饅頭のような料理と茄子とシイタケの炒め物、それに水餃子を注文した。ファッションショーを見ることは、思いのほか体力を消耗する。
注文した商品を待ちながら、物思いにふける。ファッションに関連するコミュニティは、周囲のスタイルをジャッジすると同時に自分自身もジャッジされることで生まれる緊張感、完成された密な関係性に外から加わることの困難、内情をベールで包み隠してしまう秘密主義、そんな様々な要素が相まって、閉鎖的かつ排他的であると感じることが往々にしてある。この二語で表現してしまうとネガティブに聞こえるが、それは必ずしも悪いことではない。上記の性質を帯びるのは当然の結果であると言えるし、それらの性質がポジティブに働くこともあるだろう。例えばオープン/クローズドな運営をすることは一長一短であり、簡単に答えが出る問題ではないのと同じことだ。繊維研究会も同様の課題を抱えているし、きっとほかのファッションサークルも(ひょっとすると服飾学生の集まりも?)似たような問題に頭を悩ませたことがあるのではなかろうか。
誤解を恐れずに言うと閉鎖的かつ排他的で、「美しさ」と結びついた固定の価値基準が幅を利かせる場所で、シーエフシーエルは全く新しい独自の軸をもって、ショーを開催しているように感じられた。それは、とてもすごいことだと思う。遍く開かれた機会には、互いのスタイルをジャッジしあう緊張感も、ファッション特有の閉鎖的な感覚も無い。だから過去に見てきたどのショーより会場の雰囲気も穏やかであると感じるのだろう。
整理整頓できたとは言わないが、多少考えがまとまった。ずっと欲していたお米にもありついた。満足した私は明日に備え、いそいそと帰宅した。
3月4日火曜日 ファッションショーと就活/チョコやけ食いの理由
ファッションウィーク2日目は「アンリアレイジ(ANREALAGE)」のショーを訪れた。

諸事情で当日朝8時に会場に到着する予定になっていた。かの有名なエトワール凱旋門からシャンゼリゼ通りを下って、右手に曲がり会場を目指してさらに進む。朝焼けの中、静かなシャンゼリゼ通りを歩いていると気持ちが引き締まって、自然と背筋が伸びた。昼間の観光地としての姿とは一味違う、ひとつの町としてのパリの顔が見られるのはここに暮らす人々の特権だろう。





会場はアメリカン・カテドラルという教会だ。朝日にきらめく鮮やかなステンドグラスが美しい。朝の冷たい空気がしんと体に染みて、この空間を一層神聖なものにしている気がした。

昼ごはんはチェーン店のカフェへ。チェーン店だからきっと大して美味しくないだろうと、この3週間一回も立ち寄ったことが無かったが、購入したヨーグルトとスープのどちらも非常に美味しかった。二つ合わせて10ユーロちょっとなら、毎食ここでもいいくらいだ。これまで挑戦してこなかったことを後悔したが後の祭りだ。
昼食をスープとヨーグルトのふたつにとどめた自分に感謝している。なぜなら、その夜、私は2000円分のチョコレートをやけ食いすることになるのだから…。事はお察しの通り、アンリアレイジのショーに端を発する。

アンリアレイジのショーの感想を端的にまとめるとこうだ。とにかく凄かった。こんな陳腐な形容詞を使うことを見逃して欲しい。だって目の前で服の色が次から次に変わって、最後にはガラスの破片が散るようにキラキラと輝きながら消えていくのだもの。間抜けに見えるのは自覚しつつも口をポカンと開けたまま、これまた間抜けにモデルを追って頭を幾度も左右に振った。ショーを見ている最中は、目の前で起こっていることを認識することで精いっぱいだったが、終演後に遅れて思考が回転し始めた。服の色が変わる。柄が変わる。まさに無限の可能性を秘めているではないか。
初めてファッションショーを生で見た時、衝撃を受けた。その場のエネルギーに圧倒された。ショーは総合芸術であり至高のエンターテインメントなのだと知った。こんなにも人の心を鷲掴みにできるものがあるのなら、きっと未来もなんとかなるだろうと(論理の飛躍が甚だしいが)なんの根拠もなく確信した。悪く言えば思考が止まって楽天的になっているだけなのかもしれない。でも、ショーがそれだけのインパクトを持っているのは事実だ。初めてのその感覚を今回のショーは一気に呼び起こした。さらには、圧倒的な完成度と卓越した技術で「未来に希望を見出す」感覚に根拠を与えてのけた。具体的に何がどう凄かったかは、ぜひプロの方が記録した映像や写真、記事を参考にして欲しい。
さて、私がチョコレートを爆食いするに至った理由だが、前日に皆さんが働くスタジオに伺ったことが大きい。息が詰まるほどの緊張が張り詰める中、誰もが真剣な眼差しで各々の仕事に取り組んでいた。ひりひりと焼けつくような緊迫感には、ここに至るまでの努力と苦労と決意と、そうしたあらゆる感情が凝縮されていた。
そこでは誰もが役割を全うしているように見えた。キャスティングひとつとってもそうだ。今回のショーの様子を見た誰もが同意してくれるであろうが、何よりも先ずルックそのものに注意を引かれる。ただ、少し視野を広げてルックを着用しているモデルに目を向けて欲しい。それぞれの顔つき。プロポーション。ルックを身に着けた時に本人が醸し出す雰囲気。それらは非常に多様だ。一見、スタイリングの展開性、キャスティングの展開性が極めて低いように思われるが、個々の特性に合わせてスタイリングを組んでいるそうだ。 まさかこのような細部までこだわり尽くされているとは考えなかった。
ひたむきな彼らの姿はショーの余韻とともに、私の脳裏に刻み込まれた。私は次の4月から大学三年生に進級する。大学三年生。ほとんどの学生が、夏休みには長期インターンを、冬になると就職活動を本格的に開始する学年だ。昨年の秋が終わるころから、私はずっと将来の進路に頭を悩ませてきた。今回、ショーの裏側で働いている人々を見て、決意の固さが普通のそれとは2倍も3倍も違うと思った。我が身を振り返れば、好きなことがあっても決断するのが怖くて、高校・大学と普通制の学校に通っては、選択を先延ばしにして来た。最近は、「なんとなく流れに身を任せて、なるようになればいいかなあ」なんて考えることもしばしばだ。留学して、パリで自分のペースでゆったりと暮らす人々を素敵だと感じる自分もいる。パリの人々を目にすることで、日本で生き急ぐようにスケジュール帳をぎっしり埋めていた自分の姿も客観視できるようになった。どちらが正解ということは無いのだろう。でも、今のままではいけない気がしていた。ショーが終わってから3時間経った帰りのメトロ内でも、私は打ちひしがれていた。ショーの感動から出発した私の思考は、今でははるか遠く「この世界はなんて大きくて途方もないのだろう」「私はどう生きるべきなんだろう」という地点にまで達していた。壮絶な決意を抱いた人々を前に自分の小ささを突きつけられた気がした。幸いなことに降りる駅が終点だったため助かったが、途中の駅で降りなければならなくても呆然としていて乗り過ごしていたことだろう。帰り道、放心状態の私は、閉店間際のチョコレートショップに吸い寄せられた。理性が働くわけもなく、気付いたらチョコレートを爆買いしていた。
深夜に2000円分のチョコレートを平らげて、自分の心に止めを刺すように、今日の記録を残す。

















追記
振り返ってみれば、留学で学んだことが今回のショーで受けた衝撃に収斂されていくような気がする。果てしなく広がる世界で、自分がいかにちっぽけな存在かということ、この世界には、優しくて、賢くて、バイタリティや決断力人に満ちた人、そして偉大なものがあふれていることを1ヶ月間繰り返し突き付けられた。されど、だから成長を諦めるわけではない。今の私の一番の課題は、圧倒的な存在が割拠する世界を力強く生き抜くための指針を見つけることである。
早稲田大学繊維研究会部員が巡るパリ留学記
①ハプニングに言語の壁、前途多難なパリ留学の幕開け
②「地下鉄のザジ」に憧れて
③大学生が行くパリファッションウィーク
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