【連載】老人ストリートスナップ:Not Plastic Fashion 「#4 元役員の人」
写真家YUTARO SAITOのスナップ連載
Image by: YUTARO SAITO
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【連載】老人ストリートスナップ:Not Plastic Fashion 「#4 元役員の人」
写真家YUTARO SAITOのスナップ連載
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真に個性的なファッションとは、本来、自分自身にベクトルが向いたものではないだろうか。しかし近年は、流行、憧憬、価値などのように、記号的で「他者にベクトルが向いたファッション」=「プラスチック・ファッション」が一般化しつつある。そんな中、「自分の生活しやすい服」「趣味を通じた服」を好む傾向が強く、パーソナリティやライフスタイルと地続きである老人(おじいちゃん)のセルフスタイリングにこそ、本来の“ファッション”は見出せるのではないか。被写体へ実際にインタビューを行うことで、おじいちゃんファッションの背景、ひいては本当のファッションを写真家YUTARO SAITOと探求する連載「ノット・プラスチック・ファッション」。第四回は「元役員の人」。
プラスチック・ファッション(Plastic Fashion):写真家のYUTARO SAITOが昨今のモードを表した造語。SNSの発達とメディア構造の変化により、洋服の物質的な消費よりも、記号的な消費が加速する現状を、ロゴやキャッチコピー、ビビッドで目を引くカラーリングなどのラベリングを行ない、ドラッグストアに並べられるプラスチック製商品になぞらえている。プラスチックファッションを選択する人々の意識は、「他者へのベクトル」が強い傾向にあるとしている。
ノット・プラスチック・ファッション(Not Plastic Fashion):プラスチックファッションの対義語。「自己にベクトルが向いたファッション」を指す。斉藤は、ノット・プラスチック・ファッションの例えとして、「自分の生活しやすい服」「趣味を通じた服」を好む傾向が強く、パーソナリティやライフスタイルと地続きである70代〜80代の老人のセルフスタイリングを挙げる。
「70歳〜80歳のおじいちゃんたちは似合っている、似合っていないという視覚的な要素を超越した段階にいる。ファッションの『見る/見られる』という関係性から遠く離れた彼らは、選ぶ段階での意思が強く反映された極めて機能的な服を無意識にまとっているのだ」ーYUTARO SAITO
(文・写真:YUTARO SAITO)
2024年3月18日月曜日。部屋の中からも聞こえるくらいビュービュー吹き荒れる風の音で目が覚めた。風が強く吹いている。めちゃくちゃ強く吹いている。東京はなぜこんなに風の強い日が多いのだろう。こんなに風が強い日には、先日買った「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」のナイロンジャケットも不甲斐なさそうに身体にへばりつくのみであった。大きな自然の力を目の前に、諦めと苛立ちと切なさを感じつつ、目障りな強風が私の“琴線に触れる”※一歩手前、ギリギリのところで大江戸線の地下シェルターに避難できた。
※2024年3月現在、Xで誤用が話題になっている。
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代々木で総武線に乗り換え、辿り着いた先は錦の糸の町、錦糸町。駅前にはヨドバシカメラや映画館、大きな公園もあり多くの人で賑わっている。とりわけ南口のWINSは、激渋なおじいちゃんがたくさんいるのでお気に入りのスポットだ。この日も覗いてみたが、あいにく競馬中継はしていないようで、おじいちゃんも疎らであった。
1時間ほど駅前を彷徨き、南口と北口を行ったり来たりしていたが、なかなかステキなおじいちゃんには出会えなかった。ちょっともう風も強すぎるし、さっきから何回か帽子も飛ばされそうになっているし、ジャケットへばりつきすぎだし。喫茶店に入ってティーでも飲んでチルしようかと思った、その時。僕の目の前を、すこし前屈姿勢で足早に歩くおじいさんが通りすぎた。ジャケットにスラックスというスマートな身形ながら、一方でどこかチグハグな印象を受けた。僕は気になって声をかけてみることにした。
YT:あのーすみません!僕、カメラマンをしているんですけど、年配の方のファッションをテーマに写真を撮って記事を書いていまして。よかったら一枚、撮らせてもらえないですか?
元役員の人:ええ、いいですよ。
マスク越しだが朗らかな表情が分かる声色でおじいさんは了承してくれた。現在80歳だというこのおじいさん、70歳までとある会社の役員をしていたらしい。ちょうどスーパーへ買い物に行くところであった。
YT:服装、かっこいいすね!なんかチグハグな感じがして、ね、そこがカッコいいです。
元役員の人:ああ、これね。ジャケットとズボン、バラバラですから。このズボン、本当は違うブレザーとセットなんですよ。
ジャケットはストライプ柄にダークネイビーのシンプルなビジネススーツだ。ブレザーに合わせるというカジュアルめのスラックス、柄のチェックはマドラスかタータンだろうか。アイビーの残り香を漂わせている。
YT:なんでバラバラなんですか?
元役員の人:現役の時にスーツをたくさん買いすぎちゃって。仕事を辞めてから使い切りたいから私服でどんどん着て、傷んだら捨てているんですよ。そうしたらジャケットだけ残ったり、ズボンだけ先に捨てちゃったりして。仕事していた時は、私服では着ていなかったんですけどね(笑)。
現役時代に買い込んだスーツは数十着にも及ぶらしい。しかし引退から10年経ち、未だにスーツの消費が終わらないというのは、相当な量のスーツをお持ちのようだ。
YT:キャップもいい感じです。
元役員の人:これはゴルフのですよ。今日、風が強かったんで被ってきたんです。
ゴルフの時に被っていたキャップも、最近はプレイしなくなったので普段着にしているらしい。色褪せ具合から年季の入りようが窺える。
YT:靴もシックなカラーで……。あっ、これ、スニーカーなんですね。
革靴と思われた栗皮色の足元は、実際はニューバランスのスニーカーであった。働いていた時は公私共に革靴だったが、引退してからはもっぱらスニーカーを履いている。とにかく楽チンらしい。
最後に写真を撮らせてもらい、私は強風から逃げ去るように帰路に着いた。
帰りの総武線。私はあのおじいさんの、大量に消費されたであろうスーツたちに思いを馳せていた。元役員のおじいさんは「会社」で仕事をするために着ていったスーツを、今度は「スーパーマーケット」へ買い物に行くために着用していた。現役の時は私服でスーツを着ることはなかったのに。この方向転換には、スーツという社会的意味合いの強い衣服に対する、記号性から物質性への主観的眼差しの転換がある。役員時代のおじいさんにとってのスーツとは、従業員の人々や取引先の人々、ひいては社会全体と相対するための制服、つまり公と私を分け隔てるものであり、規範的な着こなしが求められるモノであった。しかし、社会との関係の中で生まれるスーツのそのような記号的意味は退職を機に希薄となり、代わりに、スーツが元来持つ純粋な物質的側面が浮き彫りになったのではないだろうか。
おじいさんのスーツに対する眼差しの転換が、スーパーマーケットへの買い物に着ていけるほどにスーツを身軽なものにし、スーツのカジュアル化、ひいては今日のおじいさんのチグハグで個性的なファッションを生み出したのではないか。つまり固定観念からの脱却がおじいさんのファッションの可能性を広げたとも言える。
今、私が着ている衣服。それが私にとって記号ではなく物質となった時、初めてその衣服は私の個性を代弁してくれるモノとなるのかもしれない。
YUTARO SAITO
写真家。1994年生まれ。ファッションと消費文化をテーマに写真作品を制作。2021年11月「20’s STREET STYLE JOURNAL」を出版した。
公式インスタグラム
(企画・編集:古堅明日香)
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