上海滞在生活の日々を綴るコラム連載「ニイハオ、ザイチェン」。東コレデザイナー、海外での企画生産を経てアパレルメーカーのアジア展開を担当する佐藤秀昭氏の視点から中国でいま起こっていることを週1回更新でお届けする。第16回は帰国前に上海で出会った友人たちと開催したシルクスクリーンのTシャツのワークショップをレポート。筆者がイベントを通して伝えたかったこととは?
(文・佐藤秀昭)
いつもは大勢の観光客で溢れかえる上海随一の観光地である外灘(ワイタン)の遊歩道は、新型コロナウイルスの影響で優勝が決まった後の消化試合のスタンドのように閑散として遮るものが何もなく、皮肉にも水平線の遠くまでを優雅に見渡せた。琥珀色の空の下で黄砂に吹かれた僕の上海の旅のフィナーレはもう眼の前だった。
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エンダースキーマの飴色のヌメ革の手帖を開けば上海で刻まれる日々はもうわずかとなり、帰国後の日本でのスケジュールが少しずつ埋まり始めていた。残された数日間では完全なる上海の日常を再び味わえないことはすでに分かっていたが、対岸の大きな玉ねぎみたいなテレビ塔を見ながら、自分がこの街でやり残したことはないかと改めて考えた。
いまだに幾多の制限はあり、自由と呼ぶには程遠いが、形式的にはロックダウンは幕を下ろし、あがいた日々も終わり、隔離からの卒業を果たした。今は72時間以内のPCR検査の陰性証明があれば街に出て人に会うことができる。この街にいた証として、最後にお世話になった人たちに“谢谢(ありがとう)”と“再见(さようなら)”を伝えること、そしてファッションの素晴らしさを少しでも伝えること。それが、僕がやり残したことだと思った。
その夜、僕は上海で出会った友人たちに相談をした。メンバーは中国版「ゾゾタウン(ZOZOTOWN)」の元クリエイティブディレクターであり、現在は日中のボーダーレスで越境ECやコンテンツ共有を行う新会社を経営するBunnyさん。そして彼が中国のマーケットを体感するために老房子(ラオファンズ)にオープンした古着屋「ザ・ストーリズストア(THE STORIESTORE)」で働くZ世代のスタッフ、シズカさん。上海に事務所を構える日本企業で環境素材を開発する傍ら、日中文化交流と猫保護のための会社を経営しており怪我した猫の“キラ”を僕に預けてくれた美弥さん。日本や中国のブランドのプロデュースに携わり、両国の架け橋の役割を果たしている元TOKYOBASEの西山和希さん。
(左上から時計回りで)Bunnyさん、シズカさん、美弥さん、西山さん
Bunnyさん
シズカさん
美弥さん
西山さん
彼らと相談を重ね、Bunnyさんが築いた城であるザ・ストーリズストアで、西山さんを中心に来場者自身がシルクスクリーンを用いてその場でプリントTシャツを作れるワークショップを行うこととした。
ザ・ストーリズストア
退勤後に気の抜けたペプシコーラを飲み、ミシンで織りネームを縫い付け、西山さんやシズカさんにシルクスクリーンのレシピを順番に説明し実践していると、20年以上前に大学近くの下宿でザ・ブルーハーツをBGMにビールを飲みながら友人と徹夜でTシャツを何枚も刷ったことを思い出した。
イベントの名は「ニイハオ、ザイチェン」。上海での記憶を毎週記録してきた、このコラムと同じ名前にした。
◇ ◇ ◇
そして、イベント当日。
新型コロナウイルスの新規感染者の再増加によるエリア限定でのロックダウンの危惧や、前日に急遽決まった上海の全市民3000万人に対してのPCR検査実施などはあったものの、さほど大きな問題はなく、無事にイベントの開催にこぎつけることができた。
国籍や業界、キャリアなど関係なく、上海で出会った多くの友人やインフルエンサー、中国のSNSでイベントのことを見た上海人たちがイベントに足を運んでくれた。その中には中国で事業展開をしている他の日系アパレルメーカーやメディアの方々や、「ショールーム キャッツ(Showroom CATS)」の兒玉キミトさん、60歳のインフルエンサーのマージェ(马姐)さん、中国版Youtubeのビリビリ動画のVtuberの姿もあった。そして中国の芸能界で活躍する羽生田挙武さんも別の日にTシャツを刷りに来てくれた。
羽生田挙武さん
イベントを訪れたお客さんの多くは初めてシルクスクリーンを触れ、Tシャツが作られるその過程を物珍しそうに写真や動画に収めていた。僕は彼らにたくさんの最後の“谢谢”と“再见”を伝えた。記念写真に映る人たちはみんな優しい目をしていた。僕はファッションを通じて上海の人々に楽しさや感動、豊かさを少しだけでも伝えられたかなと思った。
Tシャツのデザインは“出会い”と“別れ”を表現する「Hello Goodbye」「コンニチワ サヨウナラ」「Nǐ hǎo Zài jiàn」「ニイハオ ザイチェン」の4つを用意。無地のTシャツを印刷機の板に通してプリント位置を決めて版を下ろし、ヘラで赤い水性インクを版にたっぷりと乗せた後、スキージを斜め45度に傾け一気に刷る。版を上げ、Tシャツを板から外してドライヤーで5分ほどインクを乾かし、インクが手に付かなくなれば完成。
このイベントのささやかな売上は、美弥さんから預かっていたキラと、ロックダウン中にサービスアパートメントの友人と一緒に保護をした“からあげクン”の2匹の猫のワクチンと餌へと変わった。
(左から)キラ、からあげクン
キラ
からあげクン
◇ ◇ ◇
そして、旅立ちの日。
上海でのこの9ヶ月間、中国のゼロコロナ政策にまつわるエトセトラでうち3ヶ月は隔離を余儀なくされた。閉ざされた窓の外の憧れを眺めて希望に似た花に手を伸ばそうとした日や、明けない夜が心をそろそろ蝕みそうな日もあった。これは決して“いい経験”という言葉で片付けてはいけないし、多くの人はこれを“地獄”と呼ぶかもしれない。
それでも今振り返れば、日本と中国の仲間たちと同じ目標に向かって日々仕事をし、喜怒哀楽をともにし、週末には書を捨てて街に出て、足を踏み入れたことがない色々な場所を訪れ、日本では会えないような色々な刺激的な人々と出会えた。そして小さな生命に責任を持ちそのバトンを引き継ぐこともできた。
ただ地獄を進むものが 悲しい記憶に勝つ
動けない場所からいつか 明日を掴んで立つ
キラが旅立った後のがらんとした部屋の中、僕はそう口ずさんで空港へ先を急いだ。
星野源「地獄でなぜ悪い」
次回(最終回)は7月4日(月)公開予定です。
■コラム連載「ニイハオ、ザイチェン」バックナンバー
・vol.15:上海の日常の中にあるNIPPON
・vol.14:いまだ見えない上海の隔離からの卒業
・vol.13:上海でトーキョーの洋服を売るという生業
・vol.12:上海のスターゲイザー
・vol.11:上海でラーメンたべたい
・vol.10:上海のペットブームの光と影
・vol.9:上海隔離生活の中の彩り
・vol.8:上海で珈琲いかがでしょう
・vol.7:上海で出会った日本の漫画とアニメ
・vol.6:上海の日常 ときどき アート
・vol.5:上海に吹くサステナブルの優しい風
・vol.4:スメルズ・ライク・ティーン・スピリットな上海Z世代とスワロウテイル
・vol.3:隔離のグルメと上海蟹
・vol.2:書を捨てよ 上海の町へ出よう
・vol.1:上海と原宿をめぐるアイデンティティ
・プロローグ:琥珀色の街より、你好
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