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トレンドの最前線を行く者、映画の最新作も気になるはず──。今月公開が予定されている最新映画の中から、FASHIONSNAPが独自の視点でピックアップする映画連載企画「Fスナ映画部屋」。
今回は、数々の名作を送り出してきたA24配給作品の最新作「アフター・ヤン」をセレクト。編集部員によるゆる〜い座談会付きで紹介します。
目次
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【ゆる〜い座談会を行う同い年編集部員2名】
あらすじ
「テクノ」と呼ばれる人型ロボットが一般家庭にまで普及した未来世界。茶葉を売る古典的な仕事を続ける夫ジェイクと、多忙なキャリアウーマンである妻のカイラは、中国からの養女ミカのために、ブラザーズ&シスターズ社製テクノ ヤンを購入した。4人家族として生活していた、ある日ヤンが突然起動しなくなってしまう。悲しむ娘 ミカを励ますために、ジェイクは父親としてヤンの修理をしようと奔走する。
ネタバレなしで「アフター・ヤン」を解説&考察
フルカティ
楽しい映画ではないし、だからと言って悲しすぎる映画でもなく。形容のし難い美しい映画だった。
私はこの映画を見てから一週間くらい経っているんだけど、長い余韻から抜けられずに、ふとした瞬間にこの映画のことを思い出すようになっちゃった。
マサミーヌ
フルカティ
この映画のテーマに「記憶と記録の違い」というのがあると思うんだけど、まさに"記憶に残る映画"だよね。
個人的には、近年稀に見る傑作だし、コゴナダ監督×A24配給という最高タッグであるにも関わらず、そこまで話題になってない所を見ると切なくて(笑)。
マサミーヌ
フルカティ
A24=「ミッドサマー」という印象を、誠に勝手ながら払拭したいので力説させください……(笑)。
この映画の余韻に浸りながら、今作のためにカバーされた、岩井俊二監督作品「リリイ・シュシュのすべて」の名曲「グライド(Glide)」をずっと聴いている(笑)。
マサミーヌ
フルカティ
グライドは今作ではかなりいい役割を果たしていたね……。
今までになかったアンドロイドとの共生を描く
フルカティはどんなところが魅力だと思った?
マサミーヌ
フルカティ
SF映画でよくある「AIロボットとの共生」というテーマが、今までになかった角度で表現されているところかな。
だからむしろ、SF映画を見に行こう!と思って劇場に足を運んでしまうと拍子抜けするかもしれない。
具体的には、過去のSF映画の名作とどう一線を画していると思ったの?
マサミーヌ
フルカティ
「仲良くなれたはず/仲の良かったAIとの決別、喪失感」を描いているわけではなかったところかな。
誰しもが経験あるであろう喪失との向き合い方を、想像しうる限りの未来空間を用いて感傷的に表現されていたように感じたんだよね。
たしかに、「her/世界でひとつの彼女」や「A.I」などの類似作品で度々提示されてきた「AIとの別れを通して、人と人との繋がりの大切を知る」というテーマとは少し異なっていたかも。
マサミーヌ
フルカティ
そうそう。
アンドロイドだから、人間だからという前提はもはや関係なく「誰かと別れたとしても、美しく残り続ける思い出や記憶」に焦点を合わせていたのが今までにはない切り口だな、と。
「人間という生物そのものが、愛や喪失、命、時間の継続的な記録として機能しているのではないだろうか?」という問いかけをされた気がしてグッときちゃった。
コゴナダ監督も「人間もアンドロイドも関係なく、私たちはみんな、ヤンなんです」というコメントをしていたよ。
マサミーヌ
フルカティ
まさにそうだと思う!
家電製品の修理という煩わしい雑事として始まった物語が、どんどん実存的な問題になっていくというストーリーも映画として魅力的だった。
SF映画では「インターステラー」とかに実は近いのかもね。
マサミーヌ
フルカティ
そうだね。
「今までに発表されてきたSF映画とは一線を画す」と言ったものの、今までのSF映画で提示されてきた演出や物語を、お互いが邪魔をしないようにうまくまとめ上げられているな、と思う。
魅力的な空間演出とカメラワーク、ルーツは日本を代表する映画監督
コゴナダ監督は、日本映画を代表する監督の1人である小津安二郎に影響を受けているらしい。
マサミーヌ
フルカティ
定点カメラ、奥行きのあるカメラワークは小津イズムをたしかに感じた!
特殊効果やプロップを使わない、今までになかった近未来の描写
フルカティ
もうひとつ気になったのは、説明不足だからこそ生まれるリアルな近未来感。
たしかに、特殊効果やプロップを使わないで表現された近未来だったね。
演出過多ではないからか「本当にこういう未来になるんだろうな」という妙な納得感&リアルさがあった。
マサミーヌ
フルカティ
素朴でナチュラルな未来の描き方だったんだと思う。
ただ、裏を返せばヴィジュアル的な刺激は少ないし、人によっては退屈、大きな展開がないと感じるかも。
描かれる多様性と、近未来でも起こりうるリアルな差別
家族構成についても特に言及がなく、主人公家族をはじめ、ダイバーシティが進んだ近未来の描写も印象的。
マサミーヌ
フルカティ
そうなんだよね。
特に説明がなく、白人、黒人、アジア人が家族としてごく自然成り立っていることも「わざわざ説明しなくても当たり前でしょ?」という監督からのメッセージのように感じて。
なるほど。
マサミーヌ
フルカティ
その上で、新たな多様性の問題や差別がさらっと設定や舞台セットに落とし込まれていて、秀逸だなと。
例えば?
マサミーヌ
フルカティ
ヤンを再起動させるためにに赴く修理屋さんの壁に
「THERE AIN’T NO YELLOW IN THE RED, WHITE AND BLUE」というスローガンが掲げられていたの。
どういう意味なの?
マサミーヌ
フルカティ
直訳すると「赤、白、青の中に黄色はない」。赤、白、青とは星条旗の色を表していて、黄色は想像できる通り、黄色人種の差別的に指し示す言葉だったりする。
つまり、ヤン(黄色人種の見た目)を修理に出したお店の店主(白人)は非常に愛国心旺盛かつ人種差別的な看板を店内に掲げていることになる。
なるほど……。
どれだけ先進的になったとしても、人間が生活している以上、差別や断絶はなくならないのかもしれない、という絶望感もなんだか妙にリアルだね…。
マサミーヌ
【ネタバレ注意!】もっと「アフター・ヤン」の話
「記憶」と「記録」の違いを巧みに表現
フルカティ
ヤンが故障した理由は容量不足だと暗に示されていたね。
そうだね。
過去の全ての持ち主との記録を圧縮はせずにそのまま保存していたから動作不良を起こした、と。
マサミーヌ
フルカティ
本作の"転"は
「ヤンには『覚えておくべきだと判断した瞬間を数秒間だけ映像として記録し、保持できる』という大昔に禁止になったはずの機能が搭載されていた」ということがわかってからだよね。
ヤンは"テクノ"と呼ばれているアンドロイドだから機械と捉えることができる。
一般的には「機械だから感情がない」とも連想しがちだと思うんだけど、ヤンが記録していた映像はどれも愛情に溢れていて……。
思い出すだけで、少し泣きそうになるな(笑)。
マサミーヌ
フルカティ
言いたいことはとてもよくわかるよ(笑)。
ヤンが「これは覚えておきたい」と選別したものは「記録(無機質)」というよりかは人間の「記憶(有機的)」のようなものばかり。
主人公のジェイクもヤンの残した記憶の中に、自分や妻、娘がいて、同じ時間を過ごし、同じものを観て、同じものに心を動かされていたことを知って感激をしていたようだった。
鑑賞者や主人公ジェイクが、ヤンの記録映像が人間と同じように感じたのはどうしてなんだろう。
マサミーヌ
フルカティ
ヤンが"記録"していた映像が、数秒間だけの短尺の映像を繋ぎ合わせているだけだからじゃないかな。
人間にとっての"記憶"も、長い時間や詳細を細かく覚えているわけではないし、「この瞬間やこの話を覚えておきたい」とおもって初めて、脳に焼き付ける感覚ってない?
たしかにあるかも。
「記憶」と「記録」を映像描写で明確に描き分けられていたんだ。
マサミーヌ
フルカティ
そうは言ってもヤンは機械だから、人間のように曖昧な記憶ではない。
ビデオや写真のように完璧な記憶を再現するヤンに対して、何度も同じ単語を異なる速度や画角で繰り返すこと人間の曖昧な記憶との対比は映画表現ならではだな、と
言われてみれば確かに。
マサミーヌ
フルカティ
数秒間の錯乱した記憶の映像化は「メッセージ」や「ア・ゴースト・ストーリー」を彷彿とさせさせたから、これらの映画が好きな人は、本作をチェックしてみるといいかもね。
監督は韓国人系アメリカ人、ヤンに託された「自分は何者なのか」という問いかけ
フルカティ
ヤンの記録を見返していく中で大きな主題となるのは「ヤンとは何者だったのか?」。
それはヤンも悩み続けていた問題でもあったね。
人よりも長いく生き続ける自分は何者なのか、と。
マサミーヌ
フルカティ
どの時代の記憶でも、鏡で自分自身の姿を見るシーンを"メモラブル"と判断しているし、
中国にルーツを持つ少女ミカの兄という立場で購入されたアンドロイドである自分は「本質的に中国人なのか」と悩んでいるようにも見えた。
ミカに教える中国に関する知識は「データとして知っていること」であって経験ではないからね。
マサミーヌ
フルカティ
そうそう。
あまり映画や作品を作家作品論的に捉えたくはないんだけど、「自分は何者なのか」というヤン自身の悩みは、韓国で生まれてアメリカで暮らすコゴナダ監督本人の悩みでもあるのかな、と邪推しちゃって。
その邪推は、近からず遠からずなんじゃないかな。
コゴナダ監督ではなく、ヤン役を演じたジャスティン・H・ミンは本作のテーマについて下記のようにコメントしている。
マサミーヌ
「アジア系アメリカ人として、僕がいつも考えていることだった。アジア人であることはどういうことなのか。アジアの言葉を話せるからなのか。特定の外見をしているからなのか。歴史的な豆知識を知っているからなのか。それらがアジア人という僕のアイデンティティを構成しているものなのか。この映画はアジア系のロボットというアイデアを使って、そうしたことをより深く掘り下げているんだ」
ージャスティン・H・ミン
フルカティ
島国である日本人にはあまり馴染みのない悩みかもしれないけど、監督自身の切実な問題だからこそ、「自分は何者なのか」という答えが見つからなくても受け入れてくれるような懐の深さがあった気がして。
それこそがこの映画に溢れる優しさだし、魅力なのかな、と思うよ。
人間とロボットの違いは何か?本作で示された答え
「ヤンが数秒の記憶と正確な知識のプログラムの集合体であるならば、人間との違いはなんだろうか?」というのも本作においては大きな問いかけな気がするんだけど。
マサミーヌ
フルカティ
それは、ある意味で感傷的な本作のアプローチが答えなんじゃないかな。
つまり「感情がある」ということが人間とアンドロイドの違い?
マサミーヌ
フルカティ
ヤンは機械だから、「生きていた」というより「存在していた」という方がしっくりくると思うんだけど
ヤン自身の映像記録に、感情を乗せて語り継げるのは人間にしか出来ないことなのかなと思ったんだよね。
なるほど。
たしかに、ジェイク、カイラ、ミカはそれぞれヤンから生き方を説かれたシーンを回想するね。
マサミーヌ
フルカティ
そうそう。
でも、その説法もヤンの知識でしかなくて、経験ではない。
でも人間にとってはそれは「経験」として記憶されていることがあのシーンでは示されているのかな、と。
■「アフター・ヤン」
公開日:2022年10月21日(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
配給:キノフィルムズ
監督・脚本・編集:コゴナダ
出演:コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミン、マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ、ヘイリー・ルー・リチャードソン
上映時間:96分
公式サイト
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