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「プロビルダー」という存在をご存知だろうか。「レゴブロック」を制作しているレゴ社が「社名を使って仕事をすることを認めた人」に与える称号で、現在世界には22人のプロビルダーが活躍している。日本人では、世界で13番目にプロビルダーに認定された三井淳平ただ1人。誰もが知るレゴブロックの可能性を三井はどのように追求し、そして拡張してきたのだろうか。幼少期から現在に至るまでの、レゴ作品と歩んだ人生について聞いた。
三井淳平 / レゴ認定プロビルダー
1987年生まれ。2005年、TV番組の「レゴ®ブロック王選手権」準優勝で注目を浴びる。東京大学在学中、「東大レゴ®部」を創部。2010年、レゴ®ブロックを素材とした作品制作や課外活動における社会貢献が認められ、「東京大学総長賞」を個人受賞。2011年、レゴ®認定プロビルダーに最年少で選出される。2015年、レゴ®作品制作を事業とする三井ブリックスタジオを創業。
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幼少期から身近にあったレゴブロック
ーレゴに興味を持ち始めたのはいつ頃でしょうか?
3歳年上の兄の影響で、1歳の頃からレゴブロックに触れてきました。親も好きだったようで、クリスマスや誕生日にはいつもレゴブロックをプレゼントしてくれて。兄の分も合わせると2倍のスピードでパーツが増えていき、家にいる時はよくレゴブロックで遊んでいましたね。
ー幼少期の頃は様々なおもちゃやゲームに興味が出てくる時かと思うのですが、変わらずレゴブロックはずっと好きだった?
レゴブロックの中には歯車やモーターを使い動かせるものもあり、パーツの中で興味の幅が広がっていきました。動かすことで一通り遊んだ後は、その反動で「動き」より「造形」の方に集中するようになったりと、レゴブロックに対する興味がなくなることはなかったですね。
ー当時はどのようレゴ作品を制作していたんでしょうか?
車や飛行機など様々なモチーフを作っていましたが、同じ色のパーツを沢山持っているわけではなかったので、完成したものは複数の色のパーツが混ざったカラフルなものばかりでした。再現系作品の完成度を上げるためには、同じ色のパーツをまとめて購入する必要があったんですが、同じ色のブロックだけでは市販されておらず、たくさん買おうと思っても2〜3万円するものもあり、当時のおこづかいでは限界があったんです。
ただ中学3年生の頃、丁度インターネットが普及し始めた頃で海外の様々な情報を調べることが出来るようになったんですが、そこでレゴブロック専用の海外プラットフォーム「ブリックリンク(BrickLink)」を知り、そこからパーツを仕入れるようになりました。ブリックリンクではパーツごとに購入することが出来るので、欲しい色や形を大量に揃えることが出来るんです。
ー中学3年生の三井さんにとって、海外サイトでの購入は難しくはなかったですか?
ページはすべて英語ですが、欲しいパーツを選び、必要事項を記入すれば購入できるので、それほど難しくはありませんでした。ただ、送料を少しでも抑えて多くのブロックを購入したかったので、空輸ではなく船便で送って欲しいといった要望を英語を調べながら送っていましたね。
ーブリックリンクでパーツを購入するようになってから、作る作品に変化はありましたか?
色に統一感が出せるようになったので、再現性が格段に上がりましたね。アポロ計画のサターンV型ロケットを制作したんですが、色の統一感もあり自分の想像通りに再現できた最初の作品となりました。
大学時代に立ち上げた「レゴ部」
ー三井さんは東京大学「レゴ部」の立ち上げメンバーの一人。
東京大学に入学する前に「レゴブロックで安田講堂を作りたい」というスレッドをSNSで見つけて。ただこのままでは企画が進まなさそうだったので、企画倒れにならないよう動き始めたのがレゴ部の始まりです。
ー安田講堂の制作はどのようなプロセスで進んでいったんですか?
同じ学年にモチーフを再現するのがとても上手い人がいたので、その人と自分が主軸となり進めていきました。学祭の半年前から企画して約4ヶ月ほどで作りましたね。元々は単発の企画として始まりましたが、安田講堂のレゴ作品がとても評判が良く2年目以降も続けることになり、発足から10年以上経った今でもレゴ部は存続しています。自分が立ち上げた部活が長く続くことは、素直に嬉しいですね。
ーレゴ部の活動と並行して、クライアントワークも始めるようになったんですよね。
そうですね。仕事としてレゴ制作の依頼が来るようになり、イベントのディスプレイやテレビ番組の装飾などを制作するようになりました。仕事になると予算が付くのでレゴブロックを沢山買うことができます。それが仕事をやる何よりのメリットでした。特に学生時代はお金があまり無くブロックを買うのも大変だったので、仕事もほぼ材料費+αの価格で受けていた時もあって。材料費だけでも数万円かかってくるので、材料費を負担してもらえるだけでもありがたかったんです。
プロビルダーへの憧れ
ープロビルダーの存在を知ったのはいつ頃だったんでしょうか?
プロビルダーの仕組み自体は2005年にレゴ社が作ったんですが、その存在に気づいたのは2010年頃でした。プロビルダーの資格を取り、公式にレゴ社の名前を出して仕事を進めていく方が双方にメリットがあると考え、機会があればプロの資格を取りたいとずっと思っていました。
ープロビルダーになる転機はどのように訪れたのでしょうか?
実は高校生の頃に、TVチャンピオンの「レゴブロック王選手権」に出演したことがあって。TVチャンピオンはタイでとても人気があり、大学生の時に3回ほどタイに招待して頂きました。商業施設内で作品展やイベントを開催したのですが、そのイベントはレゴブロックの正規輸入代理店が開催していたので、デンマークのレゴ社の方も来ていて。実際にレゴ社の方と話す機会はその時が初めてで、プロビルダーに興味があることを直接伝え、担当者に繋げてもらったのが転機です。
ーそこからスムーズにプロビルダーに?
この時は大学在学中だったこともあり、仕事としてのレゴ制作の経験値が浅いことから見送りとなってしまいました。ただ、理由が明確だったので、仕事の実績を増やす為にレゴ制作に集中し、それから一気に受注数を増やしていきました。そして、大学院生の時に改めて申請したところ、無事にプロビルダーの資格をもらうことができて。2011年に取得し、現在プロビルダーは世界に22人います。
ー他のプロビルダーの方で影響を受けた方はいますか?
今はプロビルダーを引退していますが、最初期のプロビルダーメンバーのショーンケニー(Sean Kenney)にはかなり影響を受けました。四角い基本ブロックを使用し、動物や生き物を作るアーティストで、表情や質感が繊細に表現されていて純粋にリスペクトできる存在です。プロビルダーの先駆者的な立場でもありましたね。
ープロビルダーになった後の制作に変化は?
プロ意識は高くなったと思いますが、依頼を受けて作品を作るスタンスや作風は変わっていません。唯一変わったことと言えば、プロビルダーになるとレゴ社の工場に直接発注できるので、注文できるブロックの個数に制限がなくなったことですかね(笑)。
ープロビルダーになった後、一度会社員をしていた時期があったとお伺いしました。
はい、大学院を卒業した後3年間鉄鋼メーカーで働いていました。その会社は私の副業的な活動を作家活動として容認してくれていたので、プロビルダーの活動も続けていましたね。
ー就職後も、レゴ作品の制作依頼はきていたんですね。
ありがたいことに、学生時代から今に至るまでずっと依頼が途切れたことはないですね。就職後は、仕事終わりと休日を利用してひたすら制作を進めていたんですが、大きなイベントだと搬入や設営時間が限られていて、どうしても仕事と副業の両立が難しく限界を感じるようになりました。仕事では自分の代わりはいるが、プロビルダーとしての活動は自分にしか出来ないという思いから、仕事を辞めてプロビルダー1本で活動していくことを決めました。
ー不安はありませんでしたか?
学生時代からずっと仕事をしていたこともあり、予算感や制作期間などのイメージがしっかりとできていたので、プロ1本でやることへの不安は特にありませんでした。レゴの制作はやることが明確で、計画も立てやすいので。
ー計画的に進めやすいというのは仕事をやる上で利点になりますね。
以前、クライアントの配慮で締め切りを設けずに進めた仕事があったんですが、予定よりも1年程完成に時間がかかってしまい...(笑)。逆算して作業計画を立てていくので、やはり締め切りがある方が得意です。1人で作るものが多いので、失敗もないし制作時間の狂いもほとんどありません。
プロビルダーとしてのこれから
ー三井さんの得意分野はどういった作品なんでしょうか?
得意分野があるわけでは無く、依頼されれば建物も、動物もキャラクターもオールジャンル作ります。空中に浮いているなど物理的に表現できないものはありますが、形あるものは基本的に全てレゴブロックで再現できます。
ー三井さんの作品はミニフィグ*も多用されていますよね。
*ミニフィグ : レゴのセットに入っている小さな人形。
ミニフィグは作品にストーリー性を出す為にとても大切で、肝になる存在です。例えば、この絵文字作品の横に筆を持ったゴッホのミニフィグを置くだけで、一気にストーリー性が出てきますよね。
ー確かにキャラクターが配置されると、一気に作品の背景が広がっていきますね。ミニフィグは全て持っているんですか?
はい、全てのミニフィグを持っています。毎年800種類程新作が出ていますが、全て購入しています。作品を作る中で「あの顔があれば良いな」という場面が多々あり、「全てのミニフィグがあれば困ることない」という考えからミニフィグコレクターになりました。
ーこれまで制作された作品の中で一番大きな作品はどれでしょうか?
半年以上かけて準備して制作した「レゴシティ」でしょうか。約30万ピース使ったんですが、全て1人で制作しました。レゴシティも含め自由に作って良い仕事が多いので、仕事は楽しいし嫌になることはほとんどありません。本当にレゴ作品を制作することが好きなんだなと自分でも思いますね(笑)。
ー 最後に、今後の展望を教えて下さい。
最近、アートジャンルに興味が向きはじめています。日本のアートの原点を探りながら、自分の作品に落とし込めないか。例えば以前制作した葛飾北斎の「富嶽三十六景」のように、 日本の平面的な作風をあえて立体的にし、レゴブロックのデフォルメを残したまま平面の要素も感じられるようなバランスで日本美術を再現したいですね。
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